プロローグ

「おい聞いたか? 導師イオンが行方不明だってよ」

ダアト、神託の盾本部。
レムデーカン・レム・22の日、10時30分。

兵の1人が話しているのを、たまたま近くを通りかかったディルは聞いた。

「……なんだそれ?」

「あぁディルか。いや、それがな? 数日前から導師の姿が見えないって話が流れててよ。教団のお偉いさん方が裏であちこち探し回ってるらしいんだけど、まだ見つからないんだと」

導師、とはこの教団の指導者を指す職名だ。
確かに最近姿を見かけてはいないが、それは普段からの事なのではとディルは首を傾げる。導師と面会出来る機会など、一般兵にはそうそうあるものではない。

「なんだそれ。導師は基本ここから出られない筈じゃあ……」

「それなのよねぇ。だからね、もしかしたら誘拐されたんじゃないかーって噂もあるんですって」

「六神将が捜索にあたってるってのも聞いたぜ」

口々に自分が拾ってきた情報を述べていく同僚達に、なるほどその話が本当なら確かに大事かもしれないなと思った。

なにせ彼が今口にした六神将というのは、騎士団最強と謳われる者達の総称なのだから。そんな人物が総出で駆り出されているとしたら、まだ幼い少年が教団の生活に嫌気がさして家出などという可愛らしい話ではないだろう。

「導師守護役は? こういう事が起こるのを防ぐ為の人間だろ?」

「その導師守護役も仲良く行方不明になってるんだってさ」

全くどうなっているのやらと、数回だけ会ったことのある導師と同年代ぐらいであろう守護役の少女の元気な姿を思い浮かべながらディルは頭を掻く。

もし本当に誘拐なら、当人らの不用心さも目に余るものだが、それよりも呆れるのは大事な指導者をあっさりと誘拐されてしまう教団の警備の薄さだった。

「それで、誘拐犯の目星はついてるのか?」

「う〜ん、そこまで詳しくは知らないけど……さっきマルクト帝国軍がどうこう、って言ってたような……」

「マルクト帝国軍!?」

「え、ええ。……どうしたの?」

知った単語を聞いてつい声の大きさを上げてしまったディルに、相手が戸惑う。

「ああ、お前のいつも言ってる人の居るとこだったか? 名前は確か……ジェイド、だっけ?」

確認するように聞いてくる男にディルは頷きを返す。

マルクト帝国軍はこのローレライ教団と同じく高い軍事力を持つ団体の名で、そこに在籍しているジェイド・カーティスという人物のことはよく知っていた。
過去に数回だが任務中に遭遇したことがあり、成り行きとはいえ共に戦ったこともある。最近ではプライベートでも話すことがあり、ディルにとって信頼出来る人物であり、尊敬の対象でもあった。

「でもなんで帝国軍が導師を拐うんだ?」

「さあ……、私にはわからないわ」

「気になるんなら自分で調べてみたらどーだ? なんかわかったら教えろよ、面白そうだし」

冗談混じりに言ってみせた同僚に対し、ディルは少し考えてから「それもそうだな」と言ってその場を離れた。
残された男女は目を合わせて「ありゃ本気でやるな」と苦笑する。

ジェイド大佐が無意味にそんなことをする筈が無い。きっと私欲でも無いだろう。だとすれば何が拐わなければならない理由があったと考えるのが妥当だろうか? 普段使わない頭で青年は必死に考えた。

だがそんな残念な脳から導き出された推理はそこまでで、導師が自ら望んで帝国軍の手を借り脱走したということまでは、彼には考え付かない事なのだった。






一方同日、11時40分。
国境の街ケセドニアでは、彼と同じ名を持つ野菜売りの青年が、うだるような暑さの中声を張り上げていた。

「はいはい奥さん、今日もいいのが入ってるよ! そこの旅人さんも土産にでもどうだい? これは日持ちするよー」

慣れた調子で客を呼び込み、品物を売り渡していく。
使い込んだ金庫に金をしまって、一先ず客の波がひいたところでディルは簡素な椅子に腰を下ろした。

もうこの仕事を初めて随分経つとはいえ、この暑さは慣れたものではない。容赦なく体力を奪っていく熱気にうんざりしながら、手元の水筒を口につけた。

と、そこでふと彼の視界に、他の通行人とは明らかに違う格好の男が入った。
男はまだ呼び込みを続けている周囲の出店に目も触れず宿へと消える。

背格好からして歳は17、8くらいだろうか。少なくとも自分よりは若いだろうが、そんな青年が一人こんな街に何の用だろうか。
鮮やかな赤い髪よりも際立って目を惹いたあの服が神託の盾騎士団に居る六人の戦士のみが着用するものだというのは知っていたが、それほどの人物がこんな街にわざわざ出てくる理由が分からなかった。

観光で来るような場所でもないだろう、ということは何か厄介なことでもあっただろうか。まさかこの街は関係ないよなと思いつつ、その可能性も0ではないと苦笑する。

まあ何にせよ、自分には関係の無いことだ。
万一ここで働けなくなったとしても、また別の場所を探せばいいだけの話。お金もそれなりに貯まってはいるし、この機会に実家で少しのんびりするのもいいかもしれないなとディルは思った。





かくしてレムデーカン・レム・22の日は二人の青年にほんの少しの非日常を与えながらも穏やかに過ぎていった。

しかし彼らが体験したその非日常は、実際のところこの日起こったことのほんの一端でしかなく。
彼らの知らぬところではもっと沢山の人物が、それこそ彼らは想像すらしていないであろう大きな変化を起こしていることは、後にしかわからぬ事であった。
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