01.平穏を裂くは紅の
その日はそれはもう、最悪の1日だった。
「へ? あーっ! 財布がねーっ!?」
この広いオールドランドの中の大国、キムラスカ王国とマルクト帝国を繋ぐただ1つの街ケセドニア。
砂漠と海が隣接し、暑さやら潮風やらが年がら年中充満しているこの街で、珍しく耳障りなほどの音量の声が鼓膜を震わせたのは、もうすぐ陽が頭上に来ようかと言う時刻だった。
「はん、ぼんくらばかりじゃなかったか。ヨーク! あとは任せた! ずらかるよ、ウルシー!」
人の店前で演劇さながらに声を張り上げ、なにやらあまり宜しくない物語を演じてくれていたのは、有名な盗賊団を名乗る派手な格好の女やら、一人涼しげな顔で微笑を浮かべている軍服を身に纏った男やら、成る程いいカモになりそうな身形のいい少年やらだった。
「動かないで。盗ったものを返せば、無傷で解放するわ」
太陽から放たれる殺人光線をこちら側に反射させている抜き身の短剣を、素早い動きで盗人の首に突きつけている少女のおかげで、先程から道行くお客様方は店を足早に通りすぎるばかりだ。
それはそうだろう、自分が逆の立場なら勿論そうさせていただいているところだとディルは思った。ただ残念なことに自分は店の人間なので、そんな皆様を眺めていることしか出来ない訳だが。
「俺たち漆黒の翼を敵に回すたぁ、いい度胸だ。覚えてろよ」
最後まで見事役を演じきった悪役ABCは、器用にも屋根の上に登って舞台から退場した。
しかし残された統一感のない団体はまだ寸劇を続けている。
「ところで大佐はどうして、ルークがすられるのを黙って見逃したんですか」
「やー、ばれてましたか。面白そうだったので、つい」
「……教えろよバカヤロー!」
いい加減立ち退いて頂かないと商売に支障が出るのだが、眼前の男女たちはこちらの存在にすら気付いていないようで、大佐と呼ばれた最年長の男でさえ先程から全く目が合わない。
もういいやと諦めて、ディルは店を畳もうと金庫や商品を片付け始めた。
その日は元々夕方には実家のあるエンゲーブに帰るつもりだったので、予め纏めておいた荷物にそれらを詰め込んで、最後に卓上型の時計で時刻を確認してから店を出る。
定期船が出るまでの間に足りなくなっていた道具やらを買い込んで、隣人たちと挨拶を交わして回った。
時計の長い針が半回転したころには、店の前に先程の男たちの姿はなく、やれやれ災難だったなと思いながら船に乗り込んだのだが、その日はやはり他に例えようもなく運が悪い様だった。
「急いで出港しろ!」
「は?」
「追われてるんだ! 急げ!」
慌ただしく乗り込んできたのは財布をすられかけていた赤髪の少年で、後ろからはさっきの面々も着いてきている。
船長は訳もわからないまま船を出港させ、港には漆黒の翼とはまた別の派手さを備えた男たちが船に向かって何かを叫んでいた。
あの人たちは随分充実した毎日を送っているようだと、どこから走ってきていたのか軽くへばっている赤毛の一行を遠目に見た。全く羨ましいとは思わない充実の仕方だが。
そこでようやく、メンバーの一人と目があった。それは先程は他の人間に隠れて見えていなかったツインテールの少女。
「あっれぇ?」
大きく丸い目を数回開け閉めして、小首を傾げてから先程華麗な剣捌きを見せてくれた少女に何かを話す。するとそちらも同じようにこちらを見た。
そして、
「「シブレット謡手!?」」
二人は声をピッタリ揃えてその名を口にした。そしてわざと離していた距離を一気に詰めてくる。
一瞬逃げようか迷ったが、それだと余計に怪しまれそうで、ディルは渋々体を二人に向けた。
「ほらほらやっぱり、シブレット謡手じゃん! こんなところでそんな格好で、なにしてるんですかぁ?」
「待って、駄目よアニス! 今は……」
馴れ馴れしいのか礼儀正しいのかわからない言葉遣いで話しかけてきた少女を、もう一人が止める。
残りの男性陣もこちらに気付いて、ぞろぞろとやって来た。
「誰だそいつ?」
「こらルーク、失礼だぞ。二人の知り合いかい?」
「おや、これはまた珍しい場所で会いましたね」
三者三様な反応に対応しきれず、とりあえず一番先に言っておかなければならないことを伝える。
「……あの、俺はシブレット謡手なんて名前じゃないんですが」
「え?」
少女二人は豆鉄砲を食らったかのような顔で一瞬だけ静止した。
「……ま、またまたぁ〜、相変わらず冗談が上手ですねっ」
「いや、本当に」
「なんだ、人違いか?」
アニスと呼ばれていた少女はまだ納得がいかない様子だった。その隣の少女は困惑しながらも顔を赤らめて謝罪を始め、軍属であろう男性は小柄な緑髪の少年と目を見合わせている。
「す、すみません! あまりにもその、知人に似ていらっしゃったので……」
君は何も言ってなかったと思うんだけどと、いい加減パニックになりそうな少女をディルはなだめる。
小さな少女はまだ不思議そうに至近距離でその顔を観察していた。
「ホントに違うの? いくらなんでも似すぎ……、もしかして兄弟?」
「……まあ、本人が違うと言うのですから、違うのでしょう。他人の空似というのは怖いものですねぇ」
そこに助け船を出してくれたのは例の大佐で、しかし言葉とは裏腹にその目はずっとディルに向けられていた。
「……もういいですか?」
その目に堪えきれず、ディルは逃げるようにその場から離れた。
しかし数分後、甲板から走り回る音と謎の高笑いが聞こえ、またかとあの面々の顔を思い浮かべながら船室の窓越しにディルは様子を伺い見る。
予想はもちろん当たっていて、高笑いの主は港で叫んでいた男の一人だった。
「野蛮な猿ども、とくと聞くがいい。美しき我が名を。我こそは神託の盾六神将、薔薇の……」
「おや、鼻垂れディストじゃないですか」
優雅に椅子に座り宙に浮く男の言葉を遮って、素晴らしい二つ名を付けた大佐にディルは思わず吹き出す。
必死に訂正する相手にアニスも追い討ちをかけ、完璧にいじめっこといじめられっこの図だ。
「なんだよ、知り合いなのか?」
「私は同じ神託の盾騎士団だから……でも大佐は?」
「そこの陰険ジェイドは、この天才ディスト様のかつての友」
「どこのジェイドですか? そんな物好きは」
先程からジェイドとやらは酷い言い様だが、客観的に見ているとなかなかに仲が良いようにも見える。幼馴染みというのは本当なのだろう。
そんなことをのんびり考えていたが、散々おちょくられたディストはついに沸点を突破したらしく、周囲のことなど気にもせず攻撃を開始した。
これが子供なら笑って見ていられるが、現在怒って暴れているのは子供ではなく神託の盾の最強集団と恐れられる六神将であり、その攻撃となると流石に笑えない。
窓は普通に割れ、破片が今座っていた場所に降り注ぐ。穏やかな船旅に相応しくない轟音と木辺に襲われて、ディルは流石に部屋を出た。
「! あなたは先程の……」
なるべく現場から離れようと甲板の隅に移動すると、緑色の髪の少年が同じ様に戦いを見ていた。
その足下にはこれまた見えていなかった小さな青い生物が寄り添っていて、ディルに気付くとその体に飛び付く。
「もしかしてミュウか?」
「はいですの! ディルさん久しぶりですの!」
「喋っ!?」
すり寄ってくるチーグルに懐かしさを感じる前に、ディルは驚きを感じてひっぺがす。
「お前喋れたのか!?」
「これのおかげですの!」
お腹にはめている輪を誇らしげに見せてくる小動物にああ成る程なと納得していると、少年が安心したように言った。
「ミュウとお知り合いですか?」
「ディルさんは命の恩人ですの! とっても優しいんですの! お腹が空いて困ってたときに、いっぱい食べ物をくれたですの!」
「?」
「あー、いや、まあ……あの時は仕方なかったからなあ……」
前に実家に帰った時に、たまたま食料庫が荒らされていたという話を聞き、犯人探しを手伝って欲しいと言われ調べ回っていたらチーグルに行き着いてしまい、しかし涙目で訴える小動物を村に持ち帰る気にもなれず、結果自分の商品を森に運んでいたのだとディルは少年に説明した。
「でもなんでお前、ここに居るんだ?」
「ご主人様にお仕えしてるんですのっ」
「ご主人様?」
少年を見ると、僕じゃありませんよと首を振って、戦っている赤髪の少年に手を向けた。
「なんでまたそんな事に」
「ご主人様も僕を助けてくれたですの、ご恩を返すまで一緒にいるですの!」
今度はディルが事情を聞く番だった。少年は何があったのかを丁寧に説明してくれる。
「そうか、ならもう森は大丈夫なんだな?」
「はいですの!」
ならよかったと僅かに気がかりになっていたことが消えて安堵したディルは、神妙な顔で見てくる少年に気付く。
「何か?」
「ああ、すみません。……ディルさん、と仰るんですね」
「……それがどうかしましたか?」
「……いえ。あ、終わったみたいですよ」
甲板の先頭を見ればそこにディストの姿はなく、少年は一礼して仲間の元に帰っていった。
相手が何を思っていたのかなんとなく予想がついて、ディルはまた少女たちに絡まれる前にその場を離れた。