01.平穏を裂くは紅の

そして再三繰り返すが、この日は本当に不運だった。
いや、運のせいではなく、これは自分が悪かったのかもしれないが。

「……あれ」

一騒動あった船旅を終えてディルが降り立ったのは、懐かしき故郷の小さな港ではなく、滅多に来たことのない整備された立派な港だった。

左手を見れば縦に長い建造物が所狭しと並び、その頂上には塔を思わせる城が見える。
もちろんド田舎なエンゲーブにそんなものは無い、つまりここは目的の場所では無かった。

なら間違えてどこに来てしまったのかというと、見事目的地と真逆の方向だった。

「バチカルへようこそ!」

そう、陽気なお兄さんが元気よく出迎えてくれたように、此所はキムラスカ・ランバルディア王国にある光の王都バチカルだ。

自分はマルクトの人間でこちらに来ることなど無いに等しいのですっかり油断していたのだが。自分の乗った定期船の行き先をちゃんと確認していなかった数分前の自分を盛大に責めるしかなかった。

しかしこうして落ち込んでいても状況の打破にはならないので、観念してトンボ返りするしかない。
せっかく払った船代が無駄になってしまうのは癪なので、観光に来たんだと理由をつけるために適当にぶらつくことにした。

流石大都市ともあって品揃えは魅力的なものだった。かといって大して欲しいものがあるわけでもなかったが、土産にでもするかと名産品や店主に薦められたものを適当に買ってから港に戻った。

だが不幸はまだ終わっていなかったらしい。来たときは何ともなかった港が、物々しい数の警備で固められている。

何かあったのだろうことは見れば分かるのだが、しかし何故このタイミングで閉鎖しているのか。
理由を聞いたところによると、半指名手配となっている男を待ち伏せしているらしく、捕えるまでは船は利用出来ないと告げられた。

大陸は繋がっているので歩いて行けない訳でもないが、流石に距離が距離だし辻馬車も出ていない。
さてどうしたものかと悩んでいると、突然背後から肩を叩かれた。

「っ?」

普通に驚いて振り向くと、ケセドニアや船上で見た青い軍服の男が顔に微笑を貼り付けて立っている。

「……まだ何か用が?」

「いえ。ただお困りのようでしたので」

確かに困ってはいるが、人に言ってどうこうなる問題でも無い気がする。ましてや今日初めて顔を合わせた相手なら尚更だ。

「……ご親切にどうも。でも自分の事は自分で何とかするので、お気になさらず」

「私にお助け出来ることがあるのなら、手を貸しますが?」

冗談、かと最初に思って、その顔が真剣そのものだったので、次に何を要求されるのかと構えたが、相手はそんなディルの反応を見て笑った。

「何もしませんよ。ただまあ、目的が無いわけではありませんが」

「それを先に教えてもらえませんか?」

「少し私に付き合っていただきたいんです」

「……厄介な仕事ならお断りしますよ」

「簡単な質問に答えていただきたいだけです」

本当にそれだけでいいのかと疑ったが、それで今抱えている悩みが消えるならそれほど美味しい話は無い。
ディルはさして悩むこともなくその話に乗った。

「では私は先に用を済ませてきますので、少しの間待っていて下さい。お疲れでしたら宿で休んでいて下さっても構いません」

「宿代は?」

「勿論こちらが払いますよ」

ならそうさせて貰おうと、ディルは城に続く昇降機に乗り込んだ男に少し驚きつつも宿に入った。
これなら後は此所で港が開放されるまで待っていればいい、実家にはいつ帰ると言ってはいないのだから問題はないだろう。

相手が戻ってくるまでの間は、買ってきた土産物を並べたり、護身用にと持ち歩いている短剣を数ヵ月ぶりに手入れしてみたり、いつもより質のいい寝台に寝そべったりして過ごした。
途中何度か窓から港の方角を見てみたが、警備が解かれた様子は無かった。

「お待たせしました」

綺麗なノック音の後に待ち人が現れて、だらけていた体を起こして椅子に座り直す。

「……あの、もしかして質問って、何か事件に絡んだものだとかじゃあないですよね?」

相手が話を切り出す前に、ディルは気になっていたことを聞く。

「おや、貴方は何か事件に関係しているんですか?」

「全く。さっき城の方に行かれてたんで、大事かと思って。俺はただの平民ですから、貴方に有益な情報なんて持ってないですよ」

「ああ、あれは貴方には関係のない話ですよ。私が貴方に聞きたいのは、貴方の名前だとか、そういったものです」

そんなもの、エンゲーブの住民票を調べるなりすれば一発で出てくると思うのだが。
その疑問が顔に出てしまったのか、相手は先回りして答える。

「今は自由に動き回れないものですから。これでいて、それなりに忙しい身なんですよ」

「そんなに忙しいのに、わざわざ俺なんかに時間を割く理由は?」

「それにはお答え出来ませんねぇ」

怪しいというか何というか、腹の底の読めない男だ。
別に自分のパーソナルデータぐらい聞かれて困るものではないが。

「では質問の前に、貴方のお悩みを聞いておきましょうか」

「ケセドニアに戻る船に乗りたい、出来れば早めに」

「あの警備を何とかして欲しい、ということで宜しいですか? 今すぐとはいきませんが、一日待って頂ければ可能ですよ。今日の宿代ついでにケセドニアへの乗船賃もこちらで負担しましょう。それでどうです?」

「……願ってもない好条件ですけど、そこまでして俺のことが知りたいんですか?」

相手はニッコリと微笑むだけで、その問いには答えなかった。

どう考えても相手にとって損にしかならないと思うのだが、本人がそれで構わないのならこちらに断る理由は無い。ディルは頭を縦に振った。

「ではあまり時間も無いので早速始めさせて頂きますよ。――貴方の名前は? フルネームでお願いします」

「ディル・スエンテ」

今まで嘘くさい微笑で固められていた相手の表情がわずかに変化するのを、ディルは見た。

「……言い忘れていましたが、嘘は止めて下さいね」

「名前を偽る理由がありません。……次は?」

「生年月日をお願いします」

「ND1989、イフリートデーカン13の日」

身長、体重、利き手、足のサイズなどなど、本当にどこかに載っていそうな事柄ばかりを聞いてくるだけで、個人情報を悪用されるのではないかと危惧していたディルは拍子抜けした。
これではただの自己紹介ではないか。

「……ふむ、では少し質問の方向性を変えましょうか。貴方のご家族は?」

「母が1人居ますが」

「ご兄弟は?」

「俺の知る限りでは居ませんね」

「……そうですか」

相手は聞いたことをメモに取るでもなく、ただ聞いているだけだった。
この問答に何の意味があるのかは、やはりわからないままだ。

「有難う御座いました」

「もういいんですか?」

「ええ、大方知りたいことは聞けましたから。約束通りケセドニア行きのチケットは後でこちらにお届けします。……ではまた」

本当に簡単な質問だけで部屋を出ていってしまった相手にただ首を傾げるしかなかったが、悩みのなくなった能が眠気を訴え出したので、少し早いが寝ることにした。

そういえば最後の挨拶が妙に引っ掛かるものがあったが、まあ深い意味はないだろうと、そのときはそれ以上気にはしなかった。
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