このほの41話あとがき

お久し振りです。

本編を一気読みして此処まで辿り着かれた方には「何のこっちゃ」でしょうが、お久し振りです。月一の拍手更新(リハビリ)を継続中とはいえ、本編は一話更新するのにどれだけ時間をかけているのか。ええと、九ヶ月くらいです。お久し振りです。

火と糸と心、それに植物までもをからめると、永遠に言葉遊びをしていられます。すぐ手前の一心さん回と京楽隊長回でも、さんざん言葉で火遊びしていたというのに。いいところで切り上げないと、長い編み物は終わりません。果たしてこの筆者は死なない内に長編を完結させられるのでしょうか。こればかりは「待て、しかして希望せよ」ではダメなやつですからね。「書け、さっさと寄稿しろ」。おおっと、これは痛いオウンゴール。
漢字の成り立ちを調べ、語源を探し、用例を読み、言葉のピースをどう切って並べたら自分が納得できる文章パズルが完成するかと思考しては錯乱する楽しい日々でした。まぜこぜ、あべこべ、時にやきもきしつつものらりくらり。ゲームやったり小説読んだりの合間に、ですけどね!月日があ〜〜〜〜〜〜っという間に過ぎるのも然もありなん。……ここ、「長ぇじゃんかよ」ってツッコんでいい所です。

あとは「これ書いて公開してもいいものかな」と悩む、字書き特有のいらん厄介な発作が再発しておりました。なんとか峠は越えたので今暫くは大丈夫だと思います。目先にはまたでかい山が見えていますけれども。
以下は、原作を引用して個人的な解釈を綴りながら、二次創作者としての葛藤も交えて長々語るという、ブログの方でおなじみだった蛇足コーナーです。回れ右するなら今ですよ



『此代、荒ぶ白焔』は『BLEACH』の二次創作です。

一護は恋次と戦いながら、浦原さんが教えてくれた“覚悟”について思い返します(11巻)。「躱すのなら“斬らせない”」「誰かを守るなら“死なせない”」「攻撃するなら“斬る”」。斬月の助言も受けて、恐怖を捨て、前を見ます。鞘のない剥き出しの刃で、運命を砕くために敵に立ち向かう覚悟を決めます。それからは「絶対に助ける」と魂に誓って(17巻)、青天を衝くほどの力を解放していくことになります。
「手を伸ばしても護れないなら、その先に握る刃が欲しい」(23巻)。
一方『このほの』の主人公さんは、なかなか覚悟を決められませんでした。恐怖を捨てきれず、後ろを振り返っては、運命に心を引き裂かれそうになります。そんな彼女に鳶絣は「誰かが死んだら“掠う”」という覚悟を決めさせます。「助けられなかったらその時は」と心に誓って、白地に縫い付ける力を結実させました。
「手を尽くしても零れ落ちるなら、後からでも抄いとりたい」。
海燕さんと一心さん、そしてオリキャラの天鷹を含め、志波の血に通ずる似た点はあるにせよ、よく見ればやはり個性はそれぞれで、あくまで違う個人なのだ。……というのを書きたかった。

前に前に流れ続ける時の流れの中で、「前を見ろ」と言われて立ち、迫りくる恐怖を掻き分けて臆さず退かないのが一護(8巻)。「前を見るな」と言い聞かせて、濁流の中に踏み止まるのが銀城(50巻)。間の立ち位置には、揺らぎ迷えるその他大勢がいることでしょう。そんな中で主人公さんはなんと、後ろ歩きで前に進もうというのです。転ぶぞ。たまには後ろを見たっていいけど、ちゃんと前も見なさい。
今こそ過去拍手ログseason1の弓親さん回を読み返すとき……かもしれない。

恋次は朽木隊長の影を踏むことを悚れながらも、死に物狂いで後を追いかけています(17巻)。朽木隊長は心を持て余して涙を流したくない(7巻)ので、流してしまったその時は潔く散ろうと考えていました(57巻)が、誇り(ルキア)が恐怖(エス・ノト)を討ち祓ってくれたので再び立つことができました(63巻)。檜佐木さんは恐怖と一緒に流れに流されていましたが、やがて恐怖と共にちゃんと歩けるようになります(『Can't Fear Your Own World』)。東仙隊長はそもそも今の世界の流れ方が赦せなかったので世界を源から変えようとしていましたが、改めて世界を目の当たりにしたら代わりに恐怖を見失ってしまったので、足元をすくわれてしまいました(44巻)。因みに更木隊長の中には最初から恐怖というものが存在していなかったみたいなので、東仙隊長は彼を「魔物だ」としています(17巻)。本編17話『清濁それぞれ胸の内』でもぽろっと吐露していただきました。ザエルアポロは自分だけ流れを輪っかに繋いであとは慣性でぐるぐる回って楽をしようと企んでいたので(31巻「世界一嫌いだと言ってくれ」)、一護やドン観音寺のように勇気ある人の歩みが大好きな藍染様(74巻)はザエルアポロのことが内心キライです(全篇通して言ってはくれない。御覧なさいよ、29巻の二人の対面シーンを。もういっそ言ってやってくれよ)。これについては本編35話『邪霊か清神か性の蝕』で少しだけ触れました。その藍染様は誰も至っていない空へと踏み出したいので(20巻「私が天に立つ」)、我々が足を止めてしまう岩壁にあっても上を向いて咲く花を美しいと思っておられます(12巻)。私はその気持ちも一種の“憧れ”ではないかと思うのですが、そこんところどうなのですか藍染隊長。ねぇ、「憧れは理解から最も遠い感情」だとお考えの藍染隊長(20巻)!

やぁ、蛇足に継ぐ蛇足で蛇が百足になる。ここまで来たら序でに竜にでもなっておくか。

「あまり強い言葉を遣うなよ 弱く見えるぞ」も、そのすぐ後に出て来る彼の名言の一つです。しかし『このほの』ではその言葉を受けてなお、作中で強い言葉を遣うことを良しとしています。というのも、主人公さんと相棒は“言霊の力”を信じているからです。言葉にすれば透いた嘘でも形をとって真になりうる……と言ったらいいかな。不言実行できればそれが一番ですが、彼女はその域にはまだ及んでいません。ゆえに、有言をして実行をなそうと試みる訳です。口にした言葉は取り消せず、退路は絶たれ、自らを追い込むことになります。いっぱいいっぱい追い込んで、そうしたらいつか、幽玄をさえ実現させられるかもしれません。
巷では「鏡を見ながら毎日自分を褒める、または毎日悪く言えば、本当にそうなっていく」とか、まことしやかに囁かれているじゃないですか。要はそういう自己暗示です。やってることは「殴ってやる蹴ってやる殺ってやるぜえ〜!!」ってやって「相手をブチのめしてやるって気持ちを叫びに込めて互いを鼓舞」しようというアビラマと大して違いません(37巻)。吉良はそれを「後ろ向きな儀式」だと嫌がって乗ってくれませんが……。
でも、今回のお話で相棒が主人公さんに贈ったのは、とことん「前向きな言葉」です。“死”というおよそ後ろ向きな言葉を、“生きた証”と前向きに言い換えて激励してくれました。

つまるところ、この41話は原作に対するアンチテーゼで、対句みたいな二次創作なのです。

原作沿いとか言いながら、原作の反対を行く二次を書くってどうなのよ、と。私は自ら板と板の間に猪突し、身動きが取れなくなってしまいました。なんと間抜けなのでしょう。
しかしですね。私は最近、愛しかないアンチテーゼ作品を読んで感銘を受けていたはずなのです。しかも馬鹿長い感想まで書いて上げていたのです。但しそちらは二次の話ではなく、先発も後発も公式作品として発表されたものなのですけれど。別ジャンルの話をここでするのは場違いな気もしますが、申します。FGOのことです。第2部6章に対しての6.5章は、まさに私の理想でした。感想はこれです。読まれますと貴方様のお時間をかなり泥棒することになるので、「それでもいいよ」というFGOプレイヤーさんはリンクから飛んでみてください。あっ。そうだ、冒頭では少しFEの話もしてた……。

とかく斯くして、私の発作はトラオムの存在に励まされたおかげで治まりました。私もあんな風に、先発作品に対する愛と尊敬をふんだんに込めたうえで、それをなぞるだけではないお話を書いてみたかったのだった、と初心に返る事が出来ました。ありがとうFGO。


私の纏まりのない話に此処までお付き合いくださった貴方様にも、ありがとうを。


丸々一話を費やしても、『このほの』主人公さんの能力の全容はお伝えしきれませんでした。我ながら設定厨だなぁと思います。他にもまだまだ書きたい場面が山ほど控えているので、死なない限りは休み休みでも書き進めたいと思います。

一護とルキアの出番だって、遥か遠いことだしなぁ。

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BLEACH 2022/11/13
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