想像--超

小説を更新しとらんのに情熱が昂進した管理人の心なし雲をつかむようなトラオムの作文その一。

取り留めも定めも無いブログをここにのっけるのもご無沙汰です。書き残しておきたいことがないワケじゃなかったのに後回しにしてきたせいで書くことがいっぱい。でもまずは最近の事から。

【テリウス】のフィギュア

【トラオム】という物語

【ホームズ】と宿敵とシステム

【イベント】を繋ぐ蜘蛛の糸

【コンスタンティノス】三本立て

……あたりについて書き散らかしていきます。


はい【テリウス】!FE最愛テリウスの話をしよう!

「アローラ!」があるんだから「テリウス!」って挨拶があってもいいと思うんですよね。どんどん使っていきましょう。

去年2月にこのブログで騒いでいたアイク団長のフィギュアが私の手元にもやってきましたよ!やった〜!
ポーズが「両足を広げて踏ん張って神剣ラグネルを構えてさぁ振り抜くぞ」というシーンから切り取ったものなので、箱からして大きいです。まっすぐに立ってちょっとポーズ取ってるくらいのフィギュアの二倍はあるんじゃないかなって横幅。左面には北千里先生の元イラストが綺麗に印刷されているので、箱も本棚の上に飾っておくことにします。
箱から出すと……思ってた以上にデカいな!このスケールアイクと比べたらamiiboアイクなんて赤ちゃんですね。小人さんかな。ちょうど股の下にすっぽり置けちゃいます。更に言うとこのラグネルの長さはamiiboアイクの全長よりあります。2.5倍くらいあるのでは。
過酷な戦いを乗り越えてきたこと思わせる防具のキズ、色が薄れ泥のついたマント、引き締まった腕の筋肉。傭兵になりたてだった頃からずっと身に着けている端の擦り切れた鉢巻。台座はゴツゴツした石のようで、雰囲気をよりよく演出しています。ラグネルのキズも細かいですよコレ。かっこいいなぁ。迫力満点、大満足です。
指示通りにセットすると見えなくなってしまう部分ですが、靴底も造形が細かく、しっかりとした鋲がついています。これはフィギュアを作るにあたって北千里先生が三面図を描き下ろした際に設定されたもので、ゲームでのアイクの靴底がこうなっているという訳ではないそうです。この前Twitterで仰っていました。

そういえば我が家にはこれでラグネルが三本になったんですね。amiiboアイクのと、Armory Collectionのと、スケールアイクのと。どんどん大きくなってきててイイゾ〜、今度Fateのエクスカリバーとか鬼滅の日輪刀みたいに1/1ラグネルとか立体商品化しませんか。どうですか磐梯山。おい変換。そういえばFE関連商品はISさんがずっと自社でやってなさるから、要望出すとしたらそっちがいいのかしら。
今回は暁アイクだったけど、いつか蒼炎アイクのスケールも出たら嬉しいなぁ。並べたい。ソンケル先生から授かった奥義(16章『ベグニオンの贖罪』拠点会話に即した解釈)天空を発動して投げたラグネルを跳んで掴んで下ろすところのポーズなんていいと思いますよ。GC『蒼炎の軌跡』OPムービーで漆黒の騎士と剣をぶつけるあのカットの。あ、でもレンジャーアイクも捨てがたい……装備はグレイル団長から貰ったリガルソードで。うん、それがいい!上半身しか判明してないけどソフトパッケージのポーズとかオススメ。面白路線でキリバトモーションのレンジャーアイクの構えでもOK。
嗚呼、15年越しに大好きなゲームキャラのスケールフィギュアをゲットするという夢が叶ったもので更に欲張りになってしまう。漆黒の騎士も欲しい。兜を外すと中身は……いませんでした〜!っていう仕様でもアリ(原作に忠実)。鳥翼族の皆はフィギュア映えすること間違いなし、テリウス二作を知らなくても買うって方がでそう。仮にリュシオンが発売されたら購入者はもれなくオリヴァー呼ばわりされる。おぉ、麗しき私の小鳥よ!(←おまわr…ラグズ奴隷解放軍首領こいつです)
キャラ人気からいくと比較的実現しそうなのはセネリオ、ワユ、ミカヤ辺りかな。ミストちゃんも当時多くの男子プレイヤーの初恋をさらっていったそうだし可能性あるかも。ん〜でもやっぱり、私はユンヌ(が欲しいです)。さりげなく浮いてる公式絵の感じで。まぁ実際くるならミカヤに付属した小鳥ちゃん姿だろうけど……ねんどろも似合うぞ可愛いぞ。そういやねんどろアイクはいつ出ます?云年前から待ってますよ。くっ、来年こそは……テリウス二作のSwitch移植もまだですか?ゼルダはスカウォ、マリオはサンシャインとかギャラクシーが移植されてて羨ましい……うっ、来年こそは……。


切り替えないと延々とおんなじこと言ってそうなので、無理矢理話題を変えましょう。


FGO【トラオム】、6/8のPU2が来る前にクリアしてました。

それなのに感想を上げるのが何故こんなに遅くなったのかというと、自分の中で意見と異見が熾烈な戦いを始めたからです。セルフ見解の相違。噛み砕いて飲み込むのに時間がかかりましたが、漸く終戦したので吐き出します。スクロールバーをご覧なさい、それ(の3倍)が管理人の狂気の尺度ですよ。

以下、第2部6.5章クリアまでのネタバレになることばかりを曖昧模糊に綴っていますので、見たくない方はいざ尋常にブラウザバック。FGO以外のFateシリーズにも触れるのでご注意ください。

……OK?

私はドイツ語学習者ではないので、「トラオム」という単語とは今回こちらで初めましてでした。意味は公式配信でさっくり聞いていましたが、これがシナリオを読み終えてみると何ともしっくりきます。ドイツ語で「夢」。その・・まま・・でしかないのに、英語の「ドリーム」に対してとはまた微妙に違った印象を抱きました。

『死想顕現界域トラオム 或る幻想の生と死』

うーむ。シナリオに相応しいタイトルが付けられていたというのも無論だけれど、それより、私がシナリオから読み取ったあらゆる印象を「トラオム」の一語へ託した、と表すのが正確かもしれません。事前ではなく事後。
SNSでも掲示板でも「トラオム」って何ぞや?……と、聞き馴染みもないしよく分からないといった反応だった方は私の他にも多数いらっしゃったようにお見受けしたので、案外共感していただける気もしています。
それより「死想顕現界域」ってなんだろう、どういう意味だ。この特異点のサーヴァントたちのマスターは誰なのか、という謎に対するほぼ答えみたいな造語が“死想”なんじゃないの?って睨んでるんですけど。「ここは既に死んだ人の『汎人類史死ね』という想いから生まれた夢のような世界です」ってことですか?んん?
私は『Fate/EXTRA Last Encore』を一周視聴して「なるほどわからん」と諦めた分際なので、あの世界観でいう“死相デッドフェイス”みたいな概念をまた持って来られるのだとすると「なるほどわからん(再)」ってなっちゃうと思う。不安。私の頭はFGOの世界についていけるだろうか。どうか易しくしてください。

ええい、タイトルについてはいったん頭の外に追いやりまして。

史実、伝説、物語、そしてときに人々の夢想から生まれた英雄たちは、第二の生といえるサーヴァント(英霊または幻霊)として、あり得てはならない特異点トラオムに現界します。
クリームヒルトは生前には成し得なかった復讐ゆめを果たしに。ヨハンナは架空ゆめでありながら実在を夢みて。ドン・キホーテは一度理想ゆめを諦めてしまったけれど、次こそはと目標ゆめを掲げて。
三者三様、十人十色、百騎百式に、各々が夢を叶え、夢に破れ、夢と消えた。

3つの聖杯回収完了時点で頭の中に浮かんできたのは『夏草や兵どもが夢の跡』。皆様ご存知、芭蕉の句から。
特異点トラオムとは、これもまた或る夏の夜の夢の話だったのでしょう。且つ、6章『妖精円卓領域アヴァロン・ル・フェ』へのアンチテーゼ。もっとメタなこと言うと、同じ“世界くにの終焉”を描くにしても「より平和的に終わる結末はないか」とライター陣が模索した結果生み出された、もう一つの脚本。
(奇しくも「より平和的に終わる結末はないか」という言葉は、かの現代ヨーロッパ特異点にてメガネをかけた皇帝が別れ際に吐露した「聖杯を求めた理由」と同じである。)

6章では、いつか終わる世界ブリテンの惨さと儚さが描かれました。
女王モルガンが1万4千年かけて紡いだ妖精國という絵本を否定し、星と共に自滅する前に摘み取る旅。予言の筋書き通りではあっても、モルガンからすればカルデアは絵本に勝手に割り入ってきた異物であり邪魔者です。彼女は異聞帯を異世界として成立させ、この先もずっと“私の世界”を続けていくつもりでいましたが、夢半ばで殺されるという不幸な幕切れを迎えました。作者を亡くした世界はもう続きません。妖精たちの殆どは悪性を顕わにして阿鼻叫喚のなか滅び、氏族長も妖精騎士も予言の子も、誰もが自ら望まなかった役を負って倒れました。そしてオベロンは人に好き勝手に消費される『置いて行かれた物語』たちの代弁者として、怒涛のごとき憤激を発露し、押し付けられた役割からの解放を求めました。
カルデアは妖精たちの夢を壊しました。彼らにとっての悪夢でした。

6.5章は、これらへの反論(カウンター)。歴史げんじつではどうあっても叶えられなかった願望、行えなかった理想を、終わる世界トラオムであるからこそ成就させることができた幸福な人たちがいました。「叛逆者」という役を押し付けられて翻弄されていたかのように見せかけて、実は自分で好きな役を選んで没入していた人たちばかりだったのです。
汎人類史の英雄でありながら、汎人類史への叛逆を強制される特異点。狂気・復讐、矛盾・復権、悔恨・王道、様々な思惑が交錯し、いつしか万を超えるサーヴァントたちの三つ巴の戦争が始まりました。はじめこそ其処彼処に無造作な死が転がる地獄の様相を呈していましたが、カルデアの闖入によって膠着状態が打破され、物語は動きだします。特異点を解消するというカルデアの目的は依然として変わりませんが、そこにいたサーヴァントたちが創り上げた舞台に一緒に乗っかって、最後まで共に駆け抜けました。カルデアと現地サーヴァントたちは合作者であり共演者だったといえましょう。夢と誇りと霊核を以て、文字通り一所懸命に一つの物語がここに編まれました。それも、登場人物の殆どが望んだ場面で納得しながら退場したことで完結する物語です。
カルデアは英霊たちの夢を叶えました。彼らにとっては夢のようでした。

トラオムだからこその物語。
まるで新しい、ここだけの物語。

サロメはシートン(仮)にも「どう考えたって、唐突にアンタを殺しかねない災厄みたいなサーヴァントだ」と断じられるほど危険なバーサーカーで、クリームヒルトからも「サロメはきっと、我慢できない」と言われていた。彼女は“戯曲の登場人物サロメ”なのだと決めつけられていた。ところが、カルデアのマスターと出会った彼女は次第にここだけのサロメになっていった。愛する人がヨカナーンに見えて最後には首を斬る、という定められた結末を変えてみせた。弱い人を守るために戦う、ただの“優しくて強い女の子サロメ”になれた。
クリームヒルトは最後には復讐姫という伝説通りの役を捨てて、愛する人と一緒になれた。ジークフリートは嘗て伝えられなかった思いの丈を告白し、此度こそは彼女を“一番”にすることができた。ヴラド公は戦闘力こそ失ったものの、それは嫌っている吸血鬼としての力を使わずに済むことに繋がり、智将として存分に皆を導けた。ドン・キホーテは騎士として、また一人の人間として、憧れの英雄たちのようにカッコ良く人理守護に貢献することができた。コンスタンティノス11世は生前は護りたいものを護れず、絶望的な籠城戦の果てに散る悲劇に見舞われたが、今度はヨハンナという少女を護りきれたし、国の外に出て笑うことができた。しかも、皇帝という公人として己を律する必要も枷もなくて、完全なる私情で突き進めた。
ヨハンナは現界できたこと自体が“役からの解放”だったと言えるのかもしれない。人間から徹底的に非難され否定された偽者がサーヴァントとして実在できていたなんて、彼女はまさに体現された奇跡だったのでは。まして偽者が啓示を授かったり民草を言葉のみで従わせたりできるはずがないもの、ここでだけは確かな本物として在れていた。
ディルムッドも夢を叶えられた一人だ。フィオナ騎士団にいたころ、そして『Fate/Zero』で第四次聖杯戦争に召喚されたランサーであったときは、恋する乙女と嫉妬深い男に関わって生涯を滅茶苦茶にされてしまった。それがここでは“愛の黒子”の制御が効くセイバー霊基で現界できて、万一発動したとしても迷わず撥ね退けてくれるであろうキャスター徐福ちゃん&カルデア一行という最高の戦友と組めた。更に忠義を捧げる主(ここではカール大帝のこと)の元、殿という誉まで頂戴し、最後まで誇り高き戦士であれた。第9節『我らカール遊撃隊!』の選択肢によっては、死因でトラウマな魔猪も克服できて万々歳。
あの少年漫画っぽいアサシンも大切な仲間たちと絆のために戦えて満足だったろう。決死行を敢行した名もなき英雄7騎は名のある英雄に負けない勇姿をみせたし、復権界域でコンスタンティノスに最後までお供した彼らはどこか晴れやかですらあった。

カルデアのマスターが復讐界域へ連行される際、幻霊級の彼らはこう教えてくれました。「真名なんて覚えても無駄」と。トラオムではどんなに凄いやつでもサクサク死んでいくのが茶飯事だから。しかし、それとはまた異なる意味で、真名なぞ真に無駄、無意味だったのです。これより解説を試みます。拙さには目を瞑ってください。

Fateの聖杯戦争で一貫して真名を隠そうとするのは、真名にはその英霊についてほぼ全ての情報が凝縮されているからです。伝説となって広く知られていたり、歴史に名を刻む功績を残していたり、誰もが敬うような偉業を遂げていたり――そういった者だけが座に刻まれます。つまり、真名を知られるだけで宝具を見破られ、スキルを推測され、出身や死因まで丸裸にされる可能性が高い。なにせ世界規模の有名人ですからね。死後赤裸々に研究されたり無辜られたり、御愁傷様ですという他ありません(……と、一応補足説明してみましたが型月ファンの方には釈迦に説法ですみません)。
ちょっと話が逸れました。ここで重要なのは、真名とは「サーヴァントの行動を縛りかねない枷」であり、「人々からの期待を集める重荷」にもなるということです。当人が生前のあれこれを疎んでいようと誇っていようと、それは一種の呪いです。名前とヒトやモノは紐づけられるだけで相互に作用する、魔術的にも概念的にも無視できない要素なのです。

我々は、シャルルマーニュ十二勇士ならカール大帝に仕えて当然と考える。ローランには必ず全裸になる場面が用意されていると見る。サロメがサロメらしく愛した人の首を欲しがり手に入れる終曲を待ち望む。クリームヒルトの血みどろの復讐劇に喝采を贈りたがる。ジークフリートなら自己を犠牲にしても最期まで英雄たらんとするだろうと信を置く。ドン・キホーテのやることなすことに滑稽さを見出す。ヴラド公が吸血鬼然として敵を串刺しにする光景を瞼に浮かべる。コンスタンティノスが籠城戦で気高く奮闘する様を見たがる。モリアーティは犯罪界のナポレオンだから悪いことをするのだと先入観を持つ。ホームズがライヘンバッハで死ぬはずがないと楽観する。
要は、我々はサーヴァントを元ネタありきで消費せんとする、オベロンからすればそれはもう悍ましい傲りの塊、娯楽に集る虫ケラどもであります。「貴方は生前ああだったから、今生でも是非そうあれかし」と、幕が上がる前から役者に期待を押し付ける勝手気ままな観客たちです。
白状しますと、私めはコンスタンティノスの防衛戦にスポットライトが当たる場面があるものと思い込み、勝手に期待して勝手に裏切られた気持ちになって勝手に落ち込み済みでございます。コンスタンティノス=防衛戦じゃないの?って。真名から連想して、彼ならそういう行動をするだろうと型に嵌めて考えていた。先行実装からの歴代ローマ皇帝たちとの夢の共演共同防衛戦線、史実のコンスタンティノープル陥落に合わせた日程(5/29)に、報酬が獣の足跡(アーケード未プレイ勢だけど情報は仕入れていたのでビーストY“バビロンの大淫婦”絡みを期待した)。もう絶対くる!って。ブラド公もトラオム関連サーヴァントに選出されている!ならば氷室鯖スルタンメフメトU世もくるか!?って(無理に決まってた)。
それがいざ幕が上がると、トラオムはそんな観客たちの期待を見事に悉く裏切ってくれたワケです。すると酷評するプレイヤーが少なくないのも当然の帰結となります。ライターさん、絶対わかっててやってる。ブーイング覚悟でしょ。トラオムは何処も彼処も型破り。踏襲の払拭。でもこれって、言い換えると「真名という枷に行動を縛られなかった」「真名という重荷を降ろして自由になった」ってことになります。なんということでしょう、振り返るとマジで「真名なんて無駄」な物語でした。成程これは一本取られた、座布団十枚もってけ泥棒(国技館座布団の舞)!
真名解放ならぬ真名からの解放譚。クソ観客なんか知ったこっちゃねえと置いていく、役者の救済伝。なんだこのシナリオ、初見ではそれほど好印象もてなかったのに、深く読めば読むほど素材の調理方法と構成が最高級だぞ。あの6章の次にこんなのきたら唸るしかない。6.5章は美味なるスルメ章だったのだ。強いて欠点を挙げるとするなら、スルメゆえに何度も噛まないと飲み込めないってくらいかな。

トラオムは一度きりのもしも・・・の上演でした。伝説の再現や歴史の再演はなされませんでした。みな思い思いに第二の生を全うし、現実味なんかは捨て置いて全力で浪漫に耽ったのです。空想も幻想も偽装すらも肯定し、自分が決めた役を思うままやりきれる夢の世界。たくさん血が流れて、嘘が飛び交って、綺麗ごとは一握りしかない所だったけれど、夢はいっぱい溢れていた。みんなみんな死んだけど、いきいきと生きた。

かつて第1部6章にて、ダヴィンチちゃんはこう言っていました。
『観測ばっかりやっていると、つい記録に拘ってしまっていけない。たとえ記録にならずとも発生したものはある。それが形而上のものであったとしても――無駄ではない。無駄ではないだろう。そういうものを含めて、この宇宙は作られているのだから。』
続いて第2部6章のオベロンの主張も引用しておきたい。
『ああ。どれほど陳腐な王国でも、語られなかった脇役にも、意味はある。』

特異点や異聞帯での経験と思い出は無駄じゃない。立ち止まったりなんてしたら、パツシィが余計に許してくれない。

汎人類史カルデア一行は死にたくないから空想樹を切除してきた。カドックは死にたくないから異星の神に従って、死にたくないからカルデアに降伏した。
高潔な死を選べるのが英雄、無様でも生にしがみつくのが人間……なのかなぁ。「死にたくないから」という理由でここまで来たカルデアは、死にたくないから逃げていたドン・キホーテとサンチョのこと、死にたくないから裏切ったAチームのこと、責められないよなぁ。あれ、でもこの理論で行くと原初の交渉“命乞い”をしたモリアーティ青年は人間寄りってことに?まぁ神さま成分混ぜられていたとはいえ、この年頃の彼はただの将来有望な数学者だしなぁ。というかそういえば型月の抑止力というのがそもそもアラヤの「死にたくない」とガイアの「死にたくない」からくる概念だったわ。「死にたくない我等を存続させるために存分に使ってやるぞ」って召喚される存在がサーヴァントなんだから、なるだけ死んでも死を恐れず死ぬ気で対象を守護し死ぬまで戦えるやつがなってくれるとヨシってことだな?現界したら、どの道もっぺん死ぬんだもんな。死にたくない一心で物語を語り続けたシェヘラザードが「喚ばれて、しまいましたか……」「適材適所、はご存じの筈」と溜め息を吐くのも然もありなん。
少し分かった気もしてきたけど完全に理解する前にゲシュタルト崩壊してきた。死シシ尸。駄目だこりゃ。

突然ですが(この段落は陳宮ボイスで脳内再生どうぞ)、マスター藤丸立夏に聴かせて差しあげたい貴方のイメージソングがあるのでご紹介しましょう。フラワーカンパニーズの『深夜高速』!オリジナルが至高ですが、私はアルバム『生きててよかったの集い』に収録されている藤田大吾さんのアレンジカバーもおススメです。イントロのメロディーが曲の終わりまで繰り返し流れ続けるタイプなのですが、いつまでも飽きることがありません。欲張ってもう一曲、メガテラ・ゼロの『フューリア』!フューリアとは何か、ですか?フフン、野暮なことを訊くものではありません。歌とは時に魂に直に響いてくるものでしょう。さてこんな記事をこんなところまで読んでくださっているそこの貴方様、是非ともFGO第2部を振り返りながらお聴きくださいませ。そして歌詞の一字一句に胸をぶっ刺されるとよろしい。

カルデアのマスターは受け取ったものはぜんぶ忘れないで持っていく。でも一人の人間でしかないから、出会えなかった人の分まで拾い切れない。解り合えなかった人の分まで大切にできない。
取り零されたお話は、きっと大いなる星の内海が預かってくれることでしょう。

実は他にも「どうしてこんなにもこのキャラにピッタリなんだ!?びっくりしたー…」という個人的イメージソングがあるので載っけておきます。メインストーリー中での彼らの行動原理と渇望、そして最期に思いを馳せて、どうぞお聴きください。

どこにいるかもいないかも分からない妖精女王ティターニアのために奈落の虫となり世界を吸って人類史を根絶しようとした空想の妖精王オベロン・ヴォーティガーンへ
niKu『シオン』

確かに目の前にいるのにその存在を否定されている女教皇ヨハンナのためにしがらみを無視して世界に怒り汎人類史に叛逆したトラオムの皇帝コンスタンティノス11世・パレオロゴス・ドラガセスへ
RiRiE『さよならって言葉が好き』

夢想の地で出会った天真爛漫な少女ヨハンナへ
花鋏キョウ『Behavior』


さて、ここからは敢えてここまで触れてこなかった登場人物たちの話をしましょうか。
トラオムという物語において「夢を叶える人」とは少し違う役目もこなしていた人たちがいました。

シャルルマーニュは『Fate/EXTELLA LINK』が初出のサーヴァントです。彼がそこでどんな活躍をしたか……本当にザックリ説明しますと、「強大な敵を前に逃げ出すも、心強い仲間に出会って成長し、次こそ勇敢に立ち向かった」のです。そんな彼はプロフィールで「彼方からの贈り物として顕現した」と明かされています。トラオムにはお前こそが行くべきだと背中を押されて、LINKの世界から強引に飛んできたワケです。
果たしてその先でドン・キホーテを目にし、見守り、助けた彼は、過去の自分を見ているかのような気分がしたことでしょう。今度は自分が人の背中を押す番だ、それがここに来た意味だ、と自覚していたに違いありません。彼は物語出身のサーヴァントとして、後輩を助ける先輩役として駆け付けてくれたのです。
もう一つ、彼は正義の味方役でもありました。物語の王道・勧善懲悪をなす主人公ヒーローです。この世に生み出された数多の物語の中でも、『シャーロック・ホームズ』シリーズにおけるジェームズ・モリアーティほど有名な悪役はそういないでしょう。そんな悪役代表みたいなやつを倒すために、彼はカルデアと力を合わせて戦ってくれます。サポートとしてバトルに参戦するのが此処だけだったのも、「物語佳境の大一番で助けてくれる、カッコ良いヒーロー参上!」ということだったのだと思います。
シャルルマーニュは本当に最初から最後まで、この章のキーマンでしたね。

ブラダマンテは『恋するオルランド』『狂えるオルランド』というルネサンス期の叙事詩を原典とします。イタリアの有力貴族エステ家の起源を語り賛美するものとされますが、時代考証や東方諸国への理解が浅く、作者の知識の底が知れるファンタジーだとしばしば揶揄されます。一方で騎士道物語としては絶大な人気を誇り、今なお愛され続ける傑作でもあります。
この叙事詩に登場するブラダマンテはキリスト教徒であり、対立するイスラム教徒のロジェロに恋をします。彼のために数々の苦難を乗り越えていく愛に生きる女騎士として描かれ、十二勇士の紅一点でもありました。女性が騎士として活躍することが肯定的に描かれているのは、当時としても希少な作風です。
これらの事を踏まえて、もし架空の女教皇ヨハンナを支持してくれるサーヴァントがいるとしたら、それはやはりブラダマンテをおいて他にいないでしょう。男性しか許されないとされる役職に女性として就き、キリスト教を信仰しているという共通点は、お互いに縁を感じさせて絆を育む土壌となります。一たびヨハンナに出会ってしまえば、彼女を援けないという選択肢など頭から消えてなくなったはずです。ゆえにトラオムのブラダマンテは、主君カール大帝が統治する王道界域の存在を知りながら、意志を貫いて復権界域に仕え続けました。ドン・キホーテにとってのシャルルマーニュのように、ブラダマンテはヨハンナにとっての頼もしいお助け役だったのです。
そして同時に、色々ひっくるめた愛のために戦う騎士・コンスタンティノスの応援役も兼ねていたと思います。天命のような出会いを切っ掛けに、対立する宗派に属しながらも心を通わせる――コンスタンティノス(東方正教会)とヨハンナ(西方教会)のこの関係は、ブラダマンテとロジェロに類似しています。つまりコンスタンティノスとブラダマンテは愛を胸に邁進する騎士同士、三臨で輝くわっか・・・が頭にのる仲間。何故か一向に復刻されない『ホーリー・サンバ・ナイト』では拳系聖女との親和性も証明されていましたから、ピッタリの配役ですよ。プロレs……愛の伝道師ですからねブラちゃんは。

清姫は言わずもがな日本で有名な『安珍清姫伝説』が由来です。しかしこの伝説、原型とされる古い説話が幾つかあって、そちらでは焼き殺される僧も蛇になる女も固有名詞では語られていません。日本の説話では「どこどこであれしてた男」とか「なんとかいう辺りのこんな女」みたいなざっくばらんな説明しかないのは珍しくありません。安珍、清姫という名は“後付け”のものなのです。
FGOの清姫は第1部1章から登場して、しかもクリア後にプレゼントボックスに入っていましたよね。マスターを安珍様判定しているので伝説通りどこまでも追ってくるワケです(ここだけの話トラオムクリア後もボックスに入っているのを期待してた)。そしてこれは私が立てた根拠薄めな仮説なのですが、英霊・清姫は「誰が安珍様なのか」を“後付け”できるのではないでしょうか。安珍様という人の実在性やキャラがあやふやであるのをいいことに、「清姫の言ったもん勝ち」みたいなズルが罷り通る。安珍様とは誰か?証明不能なのを逆手にとって、どんなに突飛な答えでも仮定することが許される。
……おや?まだ悪の親玉としての才覚を開花させ切っていない、“悪”であるという証明が成り立たない若い内に「さぁ、僕が善である証明をしよう!」「何しろこの僕が言うのだから間違いない!」とかやって相対的に敵対者を“悪”ってことにしてしまうどっかのモリアーティも同じことしてない?プロフィールに「属性:混沌・中庸(?)」「実際には悪属性であることは言うまでもない」って書かれてるのも偽証明でズルしてるって意味ですよね?

「やっぱり貴方様が安珍様では?」
「君は悪で僕は善!」

困惑シャルルマーニュ「いやいや、いやいやいや。そうはならねえだろ!?……ならないよね?」

……いったん清姫だけの話に戻します。
現界した彼女が出会って一目惚れした相手、それ安珍様。男だろうが女だろうが安珍様。清姫は「わたくしのマスターだから」という理由で藤丸立夏を安珍様判定している訳ではありません。一目惚れするくらい好みタイプだからこそ、何度「初めまして」しても安珍様だとしてくるのです。思い出してもみてください。何時何処で会っても一途ですよ、怖いくらいに。フランスで初邂逅した彼女は、はぐれサーヴァントとして召喚されていましたが、カルデアのマスター・藤丸立夏に一目惚れしました。亜種平行世界の下総にいた彼女(“清姫”でこそないが清姫の姿をした女の子)も、異世界から来た客人・藤丸立夏に一目惚れしました。トラオムの彼女もまた、敵対する界域のサーヴァントだと認識していたキャスター・藤丸立夏に一目惚れしました。生まれ変わっても、違う世界に行っても、安珍は清姫に見つかる運命なのです。
もう何でもアリよ。思い込みだけで本当に竜種になっちゃうような日本人の女の子ですからね、最強です。恋する女の子は最強なんです。最強だから最強種になれるのもあたぼうなんよ。なんでさ。
とにかく、清姫は必然的に全てのプレイヤーと長い付き合いをしてきました。ならば彼女が“嘘が大嫌い”であることを知らぬ者はいないでしょう。ややメタな解釈になりますが、トラオムではこれが重要になってきます。
トラオムの清姫は、自身の口から復権界域に与していた理由を明かしています。

「復権界域こそは、嘘のない清廉とした領地。……そう信じたからこそ、わたくしは此処を選んだのです」

清姫が勘違いするのも無理はありません。各時代における聖人の頂点ともいわれる教皇と、キリスト教を信仰した初めての皇帝コンスタンティノスの末代が統治する界域なのですから。清姫でなくとも、誰でも「嘘のない清廉な領地」に違いないと幻想を抱くことでしょう。それはプレイヤーも然りです。コンスタンティノスは開幕から冷徹な面も見せていますが、あれは統治者としての強い決意ゆえの斬り捨てであるとも受け取れます。そうまでして成し遂げたい、清く正しいと信じる理念の元で戦っているのかもしれない、と予想した人は少なくないでしょう。あの復讐界域が敵対勢力だという事実も誤認に拍車を掛けます。復讐姫が君臨する狂気と絢爛の赤い宮と比較されては、ならこちらの青い城は清廉だろう、と錯覚するのも仕方ないことです。
しかしとうとう清姫から違うと判定ジャッジされてしまうのです。「わたくしの地雷」。嘘を吐いたのはアサシンか皇帝陛下か、どちらでも同じこと。清姫にはバレてしまいました。そう、復権界域の実態は清廉とは正反対だったのです。
そもそも、この界域は嘘から始まりました。コンスタンティノスがこの界域を作ったのは、自分とは合わないクリームヒルトの復讐界域とは別に動こうと思い立ち、汎人類史に叛逆する「らしい」理由を求めたことが切っ掛けです。見方によっては両者同じ穴の狢、先導者を騙る扇動者。しかもヨハンナを教皇として復権させることが目的であるとしながら、本音はただ彼女に人間の少女として普通に生きて欲しいというものでした。ヨハンナは自身が汎人類史側であることをコンスタンティノス以外の誰にも秘密にし続けました。そして、そんな二人の元に集うサーヴァント達もまた、二人とそう変わらない同類でした。寧ろもっと質が悪いかもしれません。「教皇様のため」というのは立派な建前になるでしょう。そのように叛逆を正当化させるに足る口実を求めて群がって、責任も預けて、安心して深く考えずに戦争に没頭する。建前、口実。それらは言い換えれば、嘘を嘘でなくしようと誤魔化すための言い訳です。つまり、嘘なのです。人理を裏切っているのに、見ない振りをし続ける。欺瞞を欺瞞と見做さず、高潔さを謳う。
よくぞここまで嘘だらけにしてみせたものだ。嘘で塗り固めて築いた勢力が「真なる壁」になろうはずもない。堅固なのは序盤限り、いつか必ず瓦解し崩落する。その壁の軸は既に歪んでいて、中身は虚構なのだから。
……筆がノッて復権界域への言及が長くなりました。すみません。要旨はズバリ、清姫の役とは判定役でした、ということです。

百貌さんがトラオムにいたのにもちゃんと理由がある気がしてなりません。万を超えるサーヴァントがいた特異点ですが、ネームドとしてシナリオに出てきたのには何かしらの意図を感じます。たくさんだけどひとつ、ひとりだけどみんな、のような……百貌さんにはマスターと似通った点がおありだったのでは。

――――――

これまで話に挙げた英霊たちとは一線を画す例外中の例外がまだいます。トラオム物語の土台を作った人。このお方だけ明らかに異質です。

物語は三界域が群像劇を繰り広げていくことで展開されました。第1節で勢力紹介がありましたね。赤の復讐界域クリームヒルト。青の復権界域コンスタンティノス。緑の王道界域カール。
しかしなんと、舞台裏には全てを操らんとする別勢力が隠れていました。はい、コマンドカード選択時に堂々と「黄色いのはないんかのう?」とか言っちゃってた張角おじいちゃんですよ。クリームヒルトの副官というのは覆面で、正体は実質特異点の御頭。曰く『人類代表』であるマスターに最初に召喚され、その意向を汲み、最も忠実に応えて動いていたのはこの大賢良師でした。
……余談ですが、この時点で「あっこれFE風花雪月み」って感じるの仕方ないですよね?きのこ先生もプレイ済みだって仰るし。それでも三つ巴なんて大昔から数え切れないほど酷使されてきたテンプレ且つ王道ですから、「FEがネタ元とは限らないでしょ?三国志っていうならまだ分かる」ってツッコまれると弱いんですけど……っちゅーか、張角といったら三国志の礎を築いたといわれるまさに其の御方、御本人なんですけど!?けど!マイケルが倉花千夏先生デザインなんだもの、これは狙っとるよね?狙ってないとかウソだぁ。んぐぐ、ここでも配役が完璧すぎるのよ。新たに三国もとい三界域の争いの火種をせっせと拵えて火付け役も自分ってかぁ〜?

張角の本体の魂胆は、汎人類史への直接攻撃となる特異点を拡大維持すること。そのために手っ取り早く合理的なのは何かと考えたとき、“戦争”という答えに行き着いた。

「この特異点に招かれた何者にも、死なないために必死になってもらおう。目前の危機への対処で精一杯になってしまえば、黒幕を暴きに行く暇なんぞなくなるじゃろ?マスターはどうやら夥しい人格をお持ちのよう、人格一つでサーヴァント一騎、二万ちょろっと召喚するのもお手のものですな。リソースとなる聖杯も三つ確保しておりますれば、余裕余裕。分身〜、お主はあまり深く考えず、やりたい放題に戦乱を扇って回ればよい。約束は一つだけじゃ。終わらせるな。続けよ。百年、いいやそれより続ける意気で臨め。どこかの陣営が勝利を収め戦乱が治まりでもしたら、目前にないものまで見ようとする者が必ず現れる。それだけはならぬ。柩を暴かれてはならぬ。この約束一つさえ死守すれば、あとは自爆でもなんでも浪漫に耽っていいのじゃよ。ああ、自爆はいいのう。遺体は四散し、勝手に検分なり凌辱なりされる心配もなくなるしのう。なぁに、死のうがいくらでも代わりは利くでな、安心せい。んじゃ、お主の記憶消しとくぞ〜。さぁ、仕上げに本体であるワシ自身を物言わぬ屍として封印すれば完成じゃ!」

Q.そこまでします?どうして?

A.ワシも、それなりに人理には思う所があるしのう。反りの合うマスターに忠を尽くすのは当然じゃろうて。……ワシってもしかして、そんなに信用ないの?

真面目な話をしますと、張角は二千年くらい昔の中国で太平道を唱えて宗教結社を組織した道士です。腐りきった後漢王朝を倒そうと、二人の弟と共に蜂起を企てました。
張角は太平の世を目指して黄色の旗を掲げ、同志を募りました。大願達成のためなら手段を選ばない人だったようで、懺悔と符水で病を治せるとして信者を増やしたり、人員を精査せず地方から掻き集めたりもしました。ハイリターンのためにはハイリスクも致し方なしとしたのでしょうが、残念ながら彼には成果より代償の方が大きく返ってくることになります。
奇跡の行使を謳ったばかりに、ひとたび戦に負ければ容易く求心力を失うことになりました。志のない者まで引き入れたせいで、ただの賊にも黄色の旗を利用される破目に陥りました。トドメと言わんばかりに弟子にも裏切られ、綿密に練った襲撃計画を王朝に密告されてしまいます。そのせいで、敵方に潜入していた腹心は捕らえられ、車裂きにされてしまいました。計画がバレたのですから中止または延期したい局面ですが、なにしろ太平道は「歳は甲子に在り天下大吉ならん」、つまりこの184年こそ革命の年であると教えていたため、退路は断たれていました。張角は強引にでも日程を早めて蜂起せざるを得なくなり、この戦の口切は非常に幸先の悪いものでした。
しかもこのとき既に病に侵されていた彼は、疲弊疲労が祟ったのか、戦乱の最中に病死するという無念の最期を遂げました。弟たちはその後も戦い続けますが、立て続けに後漢の武将に敗れて討ち死に。その後、同武将によって張角は柩を暴かれ、遺体に刑罰を受け、首を斬られて木に吊るされて晒しものにされたといいます。
(※史実記録上の張角の話であって、FGOの張角も全く同じ道を辿ったとは限りません)
「太平道」として蜂起した彼らは、頭に黄色い布を巻いていたことから「黄巾」と呼ばれました。そして革命を成せなかったのでこの戦いは「乱」とされ、叛徒「黄巾党」による「黄巾の乱」として歴史に刻まれました。

ここでプロローグから一部引用しておきましょう。
『いかなる時代、いかなる場所、いかなる思想においても。戦争ほど、成功が困難なものはない。』

「戦争の成功」とは何なのでしょうね。生前の張角なら、戦争での「勝利」が成功だと定義していたでしょうか。でもトラオムの張角は違いそうです。戦争の「継続」こそが成功、とか……もしかすると、継続の果てにいつかこの特異点を汎人類史に「知覚させ訪れさせる」ことができたら成功、という定義だったかも。そうだとしたらカルデアはまんまとやられたってことになっちゃうぞ☆知らんけど。

『蒼天已死 黄天當立』
ソウテンスデにシす コウテンマサにタつべし
この黄巾党標語兼宝具について勉強と浅はかな深読みをしてみたので、備忘録を残しておきます。いったい、どのような意味を持つのでしょうか。

説@
「蒼天」とは「後漢王朝」のことであると訳されがち。大体合ってるように見えて厳密に言うと大間違い。辞書・辞典の語釈には「あおい空」「天帝」「天の神」「春の空」など。
お歴々の研究では「儒教に於いて最高神とされる昊天上帝を蒼天と称している」のであって、蒼も黄も五行思想の色とは関係ない、とする説があるらしいです。その線で「蒼天已死」をざっくり訳すと「貴様らの天下はもう終わってんだよ」。「お前の崇める神はもう死んでいる」でもいいのかな。煽ってんなぁ。王朝に直球で喧嘩売ってますね。
更に同説では「黄天」とは太平道が蒼天に代えて立てようとする神格「黄天太一たいいつ」であるとしています。
「たいいつ君」ってどっかで聞いたことありませんか。私の場合は『ふしぎ遊戯』で聞きましたね。「太一(表記ゆれ:太乙・泰一)」とは古代中国の思想における万物の祖、宇宙の根元、原初の混沌たる気の概念として『荘子』に、天上の真中にある宮(北の天宮、きゅう、紫宮)に座す星として『淮南子』『史記』にそれぞれ記述があります。なにぶん紀元前からある言葉なので、その定義は揺らいだり途中で他の何かと混ざったり、最初に言い始めた古代人の意図を確定させるのは現代ではほぼ不可能です。「宇宙を生成した神」「天地の神」「太極」「陰陽二元のもとの一」「北極星」また「北極星を神格化したもの」と、色々に訳されます。「カオス」って訳してもいいのかもしれない。
「黄天當立」をぱっぱと訳すと「今まさに太一君が天に立つ」。漢王朝が立てている神や王とは異なる、我々太平道が崇める原初の神がまた新たにお立ちになる時だ、と。

閑話〇太一について
『春秋合誠図』には「天皇大帝は北辰の星であり、元を含み陽をり、精をべ光を吐き、紫宮中に居りて四方を制御する」とあるそうです。天空にて不動であらせられる北極星(ホントはちょっと動くらしいと後世で明らかになるけども)を絶体的かつ神秘的なものと見做し、国で一番偉い王様と重ね見るのは、自然な成り行きであるように思います。
日本には飛鳥時代かそれ以前に陰陽五行思想と共に伝わってきていて、大雑把に言えば「はじまりの神……つまり我が国でいう天照大神のことですか?」てな感じで混同・習合されたせいで、天照=太一とする書物も見られます。やまとで最も篤い信仰を捧げられてきた太陽の神ではあるけれど、宇宙や天地創造の神ではなくね?というツッコミは当時不在だったようだ。伊勢神宮の式年遷宮に従事する作業員さんの帽子やヘルメットに「太一」と徽章がついているほか、そまはじめさいで御神木を伐ろうと臨む際にはのぼり法被はっぴにも大きく「太一」と書かれています。伊勢のおとなり志摩では、伊雑宮いざわのみや御田おたうえまつりにて、田を挟んで東にある鳥居に向けて反対の西に立てられる大翳おおさしば(竹取神事で使う大きなうちわ)に墨で「太一」と書かれているとか。私は生で見たことはないのですが、三重近辺在住の方は是非そのあたり注目してご覧になってみてはいかがでしょうか。
古の大和朝廷の天皇は、自らを天の帝・最高位の神として位置付けるために、相応する伊勢の天照の格を何やら大陸から伝わった「太一」という宇宙神と同じくらいにまで上げていこうとする流れがあったみたいですね。天武・持統期に。そういえば以前は「大王おおきみ」であって「天皇てんのう」とは呼称していませんでしたもんね。成程、もっと古くからある「すめらぎ」の訓を後から「皇」の字に当てたのもそこからだな?「日ノ本の国の王」なのに太陽神と同格に留まらず宇宙の一番星になろうとしていたかもしれないとか、卑弥呼さまはどう思います?
「北辰信仰」というのもあるそうで。剣術の「北辰流」もそこから来ているそうですよ坂本さん!それに『ぐだぐだ龍馬危機一髪!』で日本神話でいうところのヒルコかもしれないことが判明したお竜さん!蛭子は日子、日の子、星(ヒコ)、足がなく動かない星、としてヒルコ=北極星とする説なんかもあるそうですよ!太一=お竜さんとかいうブッ飛び理論も振りかざせる!?……あれ、確か坂本さんって『ぐだぐだ帝都聖杯奇譚-極東魔ジン神人戦線1945-』で配布された後、どっかで「僕たちは抑止力として召喚されたのに、まだ消えないままカルデアにいる……まだ仕事があるってことかな?取り敢えず見守ろうか」的なこと仰ってませんでした?もしかして第2部終盤のキーマンであらせられたりは……?
これ以上つながりを追おうとすると、知識探求の遠い旅が始まってしまうので、ここで中断しますね。話をぶった切って戻します。

説A
@とは全く異なる説もあります。私個人はこちらを推しとう存じます。「蒼天」も「黄天」もやはり五行思想の色からきているのだ、とする説です。
五行思想には、五行相剋と五行相生というものがあります。よく分からないという方は「五行図」で画像検索してみてください。図の☆が相剋、〇が相生の関係です。
さて、これは先にも述べたことの繰り返しになりますが、蒼は漢王朝の色ではありません。もし蒼(青)だとしたなら、黄巾党の掲げる黄は五行思想で考えるなら青には不利な色ですから、張角は当時民衆にさえ広く知られていた五行を知らぬ愚者ということになってしまいます。五行相剋で青に勝つのは白です。革命を呼びかける檄文で「我々は黄だから青の王朝には勝てません」宣言をする馬鹿はいないはずです。張角はそんな馬鹿じゃない。ないない。青じゃない王朝を青だって言っちゃう間抜けでもない。そもそも、指導者がそんな初歩的なことを間違えていたら、誰も付いて来てくれないじゃないですか。黄巾の乱は中国史上最初で最大の宗教叛乱ですよ。いっぱい信者がいたんですよ。
蒼天已に死す。已に。すでに。「もう死んでいる」と言っています。当時、これから倒そうとしていた漢王朝は現役です。生きています。張角が革命を起こさんとした時に既に死んでいるのは、漢王朝ではありません。その一つ前の周王朝です。
張角の生きた時代、前漢末の頃に、五行相生が新興思想として唱えられ始めます。昨今でもそちこちで耳にする機会のある木火土金水もっかどごんすいというのがこれです。そしてこの五行相生では、周王朝の色が青(蒼)とされているのです。
漢王朝の色は赤です。五行相剋で赤に勝つのは黒、五行相生で赤の次に来るのは黄です。赤の漢王朝の次に立つのが黄なら、革命で掲げる旗色に黄色を採用するのは順当ですね。赤に勝つ黒にはしなかった事実から、張角は五行相剋ではなく、五行相生の考え方に則って決めたのだと分かります。
さあここからです。改めて『蒼天已死 黄天當立』を訳してみましょう。分かり易くするために意訳を添えておきますね。学校の漢文の授業でやった反語の訳みたいなものです。「〜だろうか(いや、〜ではない)。」と同じで、(カッコの中)こそが重要なのです。
「蒼の周王朝は既に死んだ(ならば、黄に勝てるものはもういない。そして、現在の赤の漢王朝の次に来るとされるのも黄だ。だから、次は黄を掲げるものの時代がやって来る)。さあ、まさに今、我ら太平道が黄色の旗を立てたぞ!」
……となります。迂遠な言い回しは東洋の文化です。そのとき立っている漢王朝を倒すのに、直接的に「赤をぶっ殺す」とは言わない訳です。仮にも秘密結社ですから、暗号っぽくしたかったのではないでしょうか。バレバレな言い方をして、もし王朝側の人間の耳に入りでもしたら、直ちに叛逆者としてしょっぴかれて終わりでしょうから。

まとめ〇FGOでは
FGOにおける設定では「黄天」とは何であることにしているのでしょうか。創作の設定として取り入れるなら敢えて@にしておいた方が色々と料理しやすくて美味しいっちゃ美味しいんですよね。黄天とは宇宙神である、とすれば第2部のストーリーにも沿いますもの。新たなる宇宙の神、ここに立つべし!

「ハーイ!地球の神々に代わって、新たに異星の神・地球国家元首U-オルガマリーがオシオキよ!」(???)(頭痛が)

オルガマリーは噛ませ犬という線も消えてはいないので、この予想は的外れな可能性もあります。よその宇宙神……クトゥルフ方面か、セファール系列か、オリュンポスの神々の母星関連の何か……等が「黄天」かも分からない。
架空の宇宙神または北極星の神格化「太一君」のような突飛なものが本当にFGOに出てくるのか?関係あるのか?という疑問に対しては、仮想の惑星の神格化である「太歳星君」が配布されたばかりですよね、と答えておきましょう。黄巾傀儡が次々と押し掛けてくるギミックがあった張角暗殺バトルでは、太歳星君ことコンちゃんが十全に性能を発揮できる仕様になっていました。これで無関係と思う方が無理です。
掘れば掘るだけ、トラオムにおける張角の配役がハマリ役だったと理解できて戦慄しちゃうな。こんなことできるのは貴方しかいない、アドリブ王(それは中の人)!

「蒼天已死」の方も、「青い空は既に死んだ」という至極そのまんまな意味として捉えると、うまいことFGOのストーリーに噛み合うようになります。
第1部のエンドでマシュと仰いだ美しい青い空。第2部6章で奈落に堕ちていくオベロンが最後に見上げた、妖精國の黄昏ではない、汎人類史の綺麗な青い空。カルデアが取り戻そうとしている大切な元の世界は、“あおい空”に象徴されてきました。それを張角は「もう二度と取り戻せず、見ることは叶わない」と告げているのだとしたら――。

謎のマスターにとって、最初に召喚できたのが張角だったのは大当たりだったんじゃないかな。物凄く相性よかったんじゃない?やってほしいことを実行できる力も術も逸話も持っていて、思想も噛み合う。同じ種類の怒りをもっていて、全力で舞台を整えてくれる。
第1節のタイトル『棺桶屋だけが友達なのさ』ってつまりそういうことよね?

さぁさぁ、雲行きが怪しくなってきましたね。

その二

FE Fate 2022/07/08
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