エンペルトの背に乗って湖を渡る間、アケヒの意識はまた過去に沈んでいた。この現状はまるで聞いた話のようだな、と思ったからだ。時代を遡るなら古 ともいえるほど昔の話。ただし、この身からすればたった数年前の話。
曰く、細長く大きな体をもつ竜が現れた。尾の一振りで森を薙 ぎ、天の一声で空を繰 る。意思の疎通はままならぬ。ままならぬのに、覚えぬ間に逆鱗に触れてはどうにもならぬ。人は竜の前では無力、ただ無力。竜の息吹は人の灯火を容易に消す。抗う術なし、惑い翻弄されるは汀 の砂の如し。破壊の限りを尽くされようと、矜持尊厳を砕かれようと、いつとも知れぬ幕まで無様に這い逃げねば死ぬるのみ、と。
つまり、ドラゴンポケモンが本気で怒って暴れれば、人の営みも命もあっという間に消し飛ぶという話だ。
ヒスイの空に裂け目ができたあの日から、人とポケモンを取り巻く世情は目まぐるしく変わっていった。ギンガ団の長デンボクは、人を威 しうるポケモンを人を護らんが為に敵視していたが、数々の事件に遭 うなかで心を揺らし、遂にはショウとも和解して、人とポケモンが共生する道を模索するようになった。しかしだからといって、嘗てポケモンに故郷を焼かれ、大切なものを奪われた記憶が薄れることはない。深く傷ついた心が全くの元通りにはなることは決してない。
「命は特に、取り返しがつかぬのだ」
デンボクの語り口はいつにも増して重々しいものであった。彼は日頃から険しく威厳に満ちた面持ちの御仁であるが、ここまで心内を表に晒してみせたのは後にも先にもなく、この場限りだったのではないかとも思われる。当時に己が抱いた恐れや怯えを恥として隠すことよりも、いかに怒り悲しんだのか伝えることを優先しているようだった。辛い事をあえてまざまざと思い出すその様はあまりにも可哀相に見えて、「ご無理なさらないでください」と口を挟まれるのも二度三度ではきかなかった。それでも、デンボクはアケヒに語って聞かせた。
「何故そこまでなさるのですか。どうして私にそのお話を?」
「おまえは指折りの調査隊員だ。必ず生還してもらわねば大きな損失となる」
「慣れに驕 らず、『ポケモンは怖い生き物だ』と改めて肝に銘じよ、と仰せなのですね」
デンボクは黙って瞼を伏せ、長考の姿勢を見せた。アケヒの受け取り方と態度は、彼が望むものとは違っていたからだ。
デンボクは何とかしてこの困り者を矯正したかった。組織の上に立つ長として、身近な年長者として、そして何より、愛する者をポケモンによって喪 った同士として。ある時から彼女は、大丈夫そうに見えて全然大丈夫ではない。身内には見事に隠し通しているその危うさを確かに見抜けたのは、似たような経験をした他人――デンボクとムベくらいのものだった。彼女の心持ちに共感したうえで諭せる者は限られているからと、慣れない説教など試みて、こうして静かに失敗したのだった。
そもそもが寡黙にして口下手、そこに凝り固まった観念と気位の高さも邪魔をするような古い男が、若い女に素直に端的に告げられるはずもなかったのだ。何度も言われたその通り、ご無理なさるものではない。
しかしアケヒは決して察しが鈍い訳ではなかった。デンボクが回りくどいものだから、彼の優しい本意に気付かなかったフリをしただけだった。
――己をもっと大切にしろ。
冗長な説教のその心は、きっとそんな一言に尽きるものだった。間 よくば、「おまえが任務中にポケモンのせいで死ぬようなことがあれば、おまえの家族や友人は怒り悲しみ、このわたしのように一生負の感情を抱え続けるハメになってしまうのだぞ」ということを理解 らせたかった。大多数の者の目には勇敢で積極的な働き者として映る近頃のアケヒの生き方は、彼には死に急ぎに見えて仕方がなかったのである。実際、慧眼であった。
アケヒが調査隊に入った理由として、ポケモンの生態に関心があったのは本当で、コンゴウ団とギンガ団の繋がりを強める一助になりたかったのもまた確かだ。調査で得られた知識が人々の役に立つのが嬉しく、やりがいを見出していたのも間違いない。嘘偽りない本心の陰に、本人でさえ自覚の曖昧な、誰にも教えていない志望理由がもう一つ、密 やかにあっただけ。
――危険な調査だというなら、ニア の元へは遠からず。
「ご心配痛み入ります。団長もどうかご無理なさいませんよう」
ギンガ団本部を後にすると、赤い残照の薄れゆく空に流れ星が一つ。もう一つ来やしないものかと立ち尽くしていれば、音もなく背後を取られた。首筋に冷やい鉄が当てられる。シノビの暗器だ。
「自死を選ばぬだけまだ良し、とでも?年寄りの心労をあまり増やしてくれるなよ」
「こんばんは、ムベさん。私はあなたの主に何か不敬でも働いてしまったのでしょうか。見かねてとうとう送りに来られましたか」
「いいや、迎えだ。セキのやつがご近所に夕飯を振る舞いたいそうでな。おまえの姉さんも先に招かれてイモヅル亭で待っているぞ。……しかしなぁ、もう少し怖がらんか。まったくこれやから」
手に負えない、と言いながらムベはその後もやけにアケヒの世話を焼いた。「わしが鍛えてやればいくらか死は遠ざかろうよ」だそうな。彼は料理とシノビの技教えを請うセキの隣に何彼 につけてアケヒを並び立たせ、二人目の弟子のように扱った。おかげさまで、オヤブンポケモンと相対したり、一文無しで未来の世界に放り出されたくらいではそう簡単に死なない、いや死ねない、くノ一モドキに仕上がってしまった訳である。
デンボクとムベの故郷であった地は、竜の怒りによって均 されるどころか抉 り削られて落ち窪 み、水が溜まって底に沈んだ。現代では“いかり”という名の湖になっているという。では、ここパルデアにおいて強き竜たちが集い住まうというこの“オージャ”の湖には、どんな謂 れがあるものか。
降りしきる雨の中、荒れる湖上。
竜巻く水の柱を何本も躱 し行く。
アケヒとエンペルトの意気はぴったりだ。ちょっかいを仕掛けにとびだしてきた何匹かの好戦的なポケモンを撒 き、目指していた小島に難なく辿り着いた。ぐったりと倒れているミニリュウを見つけて助け起こし、簡単な手当てをすると、先程トーフ好きの男性がトーフと一緒に渡してくれた新しいモンスターボールに入れてやった。自分の旅の道連れにする気はないが、風雨を凌げる物陰もないのに置いてはいけない。彼女たちは周囲に他に何もいないか確認してから、迷いのない足取りで更なる渦中へと向かった。
***
竜吟ずれば雲起こる。
彼女は光るオーラを全身に纏い、人智を超える神秘の力を暴走させていた。首と尻尾についている青水晶のような玉からは天候を操る莫大なエネルギーが発せられ、湖面を叩いて乱高下する波紋はさながら世界有数のアトラクションレール、イッシュ地方はライモンシティのシャイニングジェットコースターにも勝る。呼び起こした雨雲は今やパルデア全土を覆いつくさんとしていた。さもするとこのままでは暴風域も広がっていき、未曾有の大災害に化けるであろうことは想像に難くない。
だが、彼女はパルデアの全てを滅茶苦茶にしたいとまでは思っていなかった。ただ泣いて嘆きたかったのだ。心がきりきりと痛んで張りつめて、ぱんとはち切れてしまった。一度そうなると抑えきれず、我を忘れて鳴き続けると、それに伴って秘めていた力が自然と発露されてしまっていただけだった。
「そこのハクリュー!!こっちこっち!!」
気を引くために確 と張り上げられた声がした。上下する波の向こうに、ある一人と一匹が見え隠れしている。
――誰? 知らないエンペルト……と、知らない人間……人間だ。使い捨てるくせに、また捕まえるというの? バトルに出してもくれず閉じ込めておくのに、珍しいでしょうと見せびらかすの? それとも、もっとタマゴを産めと? ……やだ、もう嫌だ!
彼女は相手をにらみつけて威嚇した。辺りに浮遊して無造作にうねっていた数えきれないほどの水の紐が、急に重力の存在を思い出したとでもいうように、土砂降りの勢いで着水する。それから纏まってぐんと迫 り上がり、近づくものの左右に巨大な水の壁となって聳 えた。
彼女に虚仮 脅しのつもりはない。来るなら拒むし、寄らば阻む。
――それ以上、わたしに近付くな!
止まってくれない一人と一匹に対して、水の壁が容赦なく動きだした。本を閉じるように、手を合わせるように、間にあるものを挟み込んで潰す。固体でないぶん流石にぺちゃんこにはならないが、それでもくらえばかなりの衝撃を受ける。北国の切り立った岬で鳴るような、冷たく激しい音がした。
二つが一つになった水の壁は、まるで水の巨塔だ。その中で洗濯物のように揉まれる一人と一匹は、体勢を崩されながらもぴたりと離れず、なおも突き進んでくる。意外だった。みずタイプのエンペルトにはあまり効果がなくとも、人はこれで振り落とせると思ったのに。彼女は驚いて目を凝らして、そして気付いた。『アクアリング』だ。エンペルトが出した水のベールが人を包み込んでいて、それが水流の衝撃を和らげる盾となり、命綱の役割も果たしている。
あの子は、人を、まもっている。
――どうして。 どうして? どうして!
理解できない。憎い。来るな。嫌い。許せない。寄るな。信じられない。見たくない。帰れ。狡い。辛い。理解したくない。
――羨ましい。
「ハクリュー!!どうか鎮まって!!」
くだくだと考えていたせいで、道を鎖 すのが疎 かになっていた。ぐるぐると迷っているうちに、もうこんなに近く。
「泣かないでハクリュー!悲しいならそのワケを教えてほしい!」
――どうして、“怒っている”ではなく“悲しんでいる”と――?
「でもまずは鎮まってちょうだい!話はそれからにしましょう!」
エンペルトはアクアリングを保ちながら、なみのりからのダイビング、続けてウェーブタックルを繰り出し、ナミイルカがショーで見せるのと似た動きで水中から空中へと舞い上がった。とても高さがある。滞空しているその隙に、背に乗る人もエンペルトも、さっと何かを手に持って掲げた。彼女の位置からでは、逆光に翳 されてよく見えなかった。
「せーのっ、『なげつける』!!」
それらは彼女に的中した。何か投げつけられて攻撃されたというのに、全然痛くなくて、状態変化を付与されてもいなかった。
――やわらかい。何?白い。マメみたいな美味しそうな匂いがするけど、何だか分からない。何コレ?
「おっ、おいしいよ!!お豆腐!!食べたら元気出る!!……かも!!」
かくして、荒ぶるハクリューは鎮められた。というか、大量のトーフをぶつけられて正気に引き戻された。たとえば自分より緊張している人が側にいると何だかこちらの緊張が解 けてくるのと同じように……かどうかは怪しいが、狂気と混乱には更なるそれをぶつけてやると、案外落ち着いてくれるものらしかった。
***
竜巻はゆるゆると解 けていき、湖面の波はしずしずと引き、残すところ余波のみとなった。上空に寄り集まった雨雲も次第に散って消えていくだろう。
アケヒとエンペルト、そして平静を取り戻したハクリューは、近くにあった小島に上陸して向き合っていた。ハクリューがこのまま去るつもりならアケヒに追う気はない。「もう行ってもいいのよ」と言おうとしたときだった。
――どうか、聞いてもらえませんか。
真っ直ぐに見詰めてくる彼女が、そう言った気がした 。
「……あなたの力になれる保証はできないけれど、それでもいいなら」
アケヒが音のない問いに声を出して応えると、ハクリューは驚いたように頭の羽をぴんと立てた。傍らで様子を見守っていたエンペルトは、ハクリューに向かって頷いてみせる。ハクリューはまた羽をぴくぴくと揺らした。エンペルトは小さく短い鳴き声を上げて、右翼でアケヒのポーチをツンツンつついた。するとパッと咲く水色の光と共に、一匹のポケモンが姿を現した。アケヒの手持ちのはどうポケモン――ルカリオだ。
ルカリオは離れて向かい合うアケヒとハクリューの中間辺りまで歩いていくと、そこで腕を組み、少々乱暴な動作でドッと胡坐 をかいて座り込んだ。ゆっくりと片目を薄ら開けて、じぃっとアケヒを見てくる。彼のその眼光は、射られる者に気付かないふりすら許さない批難と呆れの色が滲んでいて、アケヒは下手な微笑み上戸 になるしかない。エンペルトは両翼をバタバタさせて、さっきよりも大きな声で鳴いた。「ちょっとアンタ!気持ちは分からなくもないけど後にしなさいよ!」というように。
「あはは……ルカリオ、お願いできる?」
――話そうとしてくれている彼女を待たせるのは悪いからな。だが、後で覚えてろよ。
「んー……後で何を覚えてほしいって?」
困り笑いするアケヒを今度は両目でじぃっと見て、ルカリオは短い、けれど深い溜息を吐き捨てた。こちらの言いたいことが齟齬 なく伝わっていることは“波動”で筒抜けだというのに、強情で往生際の悪い。昨晩こちらがボールの中で寝ている隙に置き去りにして何を企んだものか。今のこの状況も、結果的にはポケモン助けになったし一概には責められないが、アケヒは捨て身を厭わなかったからこそ迷わずこの件に体当たりしにいった訳で――。「言われなくても分かってる」と思われようが、言いたいことが山ほどある。だが今は第三者も居合わせている場だ。無理にでも留飲を下げるしかなかった。
何もしていないのに疲れたルカリオだったが、仕切り直してハクリューに伝える。
――話していいぞ。伝えたい内容をイメージするのでもいい。この人間は少しは話せる が、長かったり複雑だったりするとそうもいかない。だから俺が波動で仲介して……まぁ、以心伝心の増幅器か、翻訳機みたいなものと思ってくれればいい。
彼はアケヒにとって最初の一匹で、詳細は省くが特殊な経歴の持ち主で、実はちょっと特別な力を持っている。アケヒがハクリューの話をきちんと聞いてあげるには、彼の助力が必要だった。
ルカリオというポケモンは“波動”と呼ばれる不思議な力を操れる存在だ。あらゆる物が発しているという波動を敏 く感じ取れる。それは俗にいう透視や読心 に似たもので、集中すれば1キロも離れた先にどんな生物がいるのか分かるし、それらの動きも読めるし、気持ちを知ることもできる。また、ルカリオが精神集中して放つ波動は、大岩をも粉々に砕く恐るべき威力を発揮する。ここまでは、ルカリオの仲間であれば皆が備えている、種族としての基本能力だ。
アケヒのルカリオが他のルカリオと違って特別なところは、波動を使えないヒトやポケモンが相手であっても、波動で精神感応 の真似事ができるところだ。この特別な波動に攻撃性はない。伝えられたヒトやポケモンは、それぞれ自分が使う言語で脳に直接語り掛けられているような感覚に陥る。更に、伝えられる者自身が精神の集中を高めてその波動を受け取れば、まるで脳内で映画が流れるみたいに、音声付きの映像として話を聞く、という芸当も可能になる。この特別な波動を使える個体は、当時ラベン博士が把握する限りでは、アケヒの相棒となったこのルカリオのみだった。
大変便利だが、彼はアケヒと二人きりだろうといつもこの波動を使ってくれる訳ではない。専ら今回のような場合に限り、必要最低限にして出し惜しむ。
――ありがとう。それなら、せっかくだから詳しく話してみましょう。もう三年くらい前になります……
ルカリオはハクリューのイメージを受け取りながら、なるべくそのままを波動にのせて、アケヒとエンペルトに伝えていく。
彼女は――静かな川で、静かに暮らしていた。仲間のミニリュウたちと穏やかで変わらない毎日を送る。それだけで幸せで、他に望むことは特になかったそうだ。
ところがある日、異変があった。同じ川を住処としているニョロモやニョロゾたちの数が明らかに減っていた。はじめは群れで引っ越しでもしたのかと考えたが、辺りを注意深く観察してみると、釣り糸が何本も垂らされているのが見えた。通りすがりのニョロモが早速かかってくんと引っ張り上げられ、地上に姿を消した。
人が釣りをしている。それだけならよくあることだ。釣り上げられたポケモンはその人のパートナーになってみるか、バトルを楽しんでから小さくなって帰ってくるか。そういう気分でなかったら早々に逃げることだってできる。それに、釣り人というのは釣りそのものを楽しむ傾向が強い。一度つかまえても、その日の釣果を記録したら元の場所にリリースしてくれる場合が多い。普通ならあまり心配は要らない。
だが、その日は普通ではなかった。一定の間隔で並び垂れる釣り糸の揺れ方を見れば、その先の竿を人が手に持っているのではないことは分かった。何か道具を使って地面に竿を固定していたのだろう。数本であれば「ちょっとせっかちで欲張りな釣り人が来たのかな」で済むかもしれなかったが、二十本越えというのは、不気味で異様に思えた。近辺はまず人が来ること自体それほど多くない秘境であるから尚更だった。
彼女は――仲間のミニリュウたちには、「釣り糸には触れないようにしなさい」とよく言って聞かせていたそうだ。
元々、人目を避けて静かに暮らしてきた。自分たちが秘め持つ力は強大だから、人に委ねるには慎重を期さなくてはならないし、人を傷付けないためにも適切な距離を保つ必要があった。人に興味を持った仲間を「行ってらっしゃい」と見送ることは希 にあったが、その際はパートナーはよく見極めるものだ。古くから世襲されている“ドラゴンつかい”と呼ばれる一族なら、こちらの特性や習性を熟知しているから、大抵の仲間は彼らを選ぶ。或いは、既に何匹かのポケモンを連れていて大切にしているトレーナーであれば、何か特別な肩書がなかろうと花丸だ。パートナーとして信頼に値する。
しかし、あの釣り糸を垂らしている人間はどうか。嫌な予感がしてならなかった。針にかからないように注意しつつ川岸に近付いて、そこにいる人間の会話に聞き耳を立ててみた。
「なあ、もうずいぶん捕まえた。あんたが貸してくれたダストダスだって、『どくガス』も『どくどく』も吐きつくしたみたいだし……今日はもうやめにしないか」
「貴様の手持ちにはロゼリアがいたはずだ。『しびれごな』でも『くさぶえ』でも使えばいいだろう」
「おれのロゼリアちゃんは、その技は覚えていないんだ……」
「なに?捕獲に向いた技を覚えさせていないのか。『どくばり』は?『どくどく』は?」
「使えるのは、『せいちょう』、『あまいかおり』、『ねをはる』、『こうごうせい』……」
「またふざけた構成だな。ろくに戦わせられないではないか。やる気がないのか?そんなザマでは貴様の子をフレア団に入れてやらんぞ」
「ま、待ってくれ、それは勘弁してくれ……もうすぐ生まれるんだ……死なせたくない……」
「ならばもっと捕獲しろ。その技構成なら耐久は出来るだろう」
「そんな……ロゼリアちゃんをサンドバックになんて……」
「貴様に弱音を吐く暇など与えられていない。これでも私は譲歩している。もう500万支払えなければ貴様の子は入団できないところを、働いてフレア団に貢献すれば足りない分は私が肩代わりしてやると言っているのだ。ポケモンの生命エネルギーはあればあるだけいい。ボスもお喜びになるだろう」
「……具体的には、あと何匹くらい捕まえれば……?」
「そうだな……貴様のボックスにこれ以上入りきらない、というほどになれば、まあよかろう」
「このクーラーボックスなら、もういっぱいなんだけど……ダメ?」
「ダメだ馬鹿め。ポケモンボックスの話に決まっているだろう」
「無茶な……一体いつになると……」
「さあ?そのペースのままでは間に合わないかもしれないな。だが今のはニョロモばかりでは、という場合の話だ。より強いエネルギーを持つドラゴンポケモンを提供できるというなら、多少まけてやらなくもない」
「本当か!?さ、さっきミニリュウを一匹つかまえたんだ!」
「ほう?それなら欲しがるマニアも多いだろう。売れば結構な額になる。貴様自身が闇競売にかけて不足分を稼ぐか、私に任せて何ボックス分かの捕獲数をまけてもらうか……どちらでもいいが、早めに決めろ」
彼女は――急いで、自分の群れの仲間たちの元へ戻った。呼びかけて集めて、誰が捕まってしまったのか確認してみると、群れの中で最も幼く好奇心旺盛な子がいなくなっていると分かったそうだ。
助けなければ。話の内容は理解できない部分もあったが、とにかく、あの人間たちは善なるものではない。仲間を託すことなど到底できない。ポケモンの生命エネルギーを使うなどと、ろくな目的ではないだろうし、そもそも搾り取られたらどうなるものか、おおかた予想はつく。売り飛ばされるのも堪ったものではない。珍しさに欲をかいて金で取引きするような者が、良いパートナーになり得る道理はない。あの人間たちにこのまま好き勝手させていては、仲間はどんどん連れていかれ、悪用されてしまう。
彼女は――どうにかして捕まった仲間を逃がす作戦を考えようとした。周辺に暮らすポケモンたちの中で、知恵・力・経験のどれも一番持っているのは自分なのだと理解していたが、単独では不確実だとも理解していた。だから慎重に、群れの皆と協力して挑みたいところだった。だが……
「あ、あのー……空のモンスターボール、もうなくなっちゃいました……」
「それは早く言え。これ以上釣っても無駄になるだけだろう。網に詰めておく手もあるが、この場までは道も悪かったのだし、欲張ると運搬が難しくなる。一応、私はまだボールを持っているが……これは貴重なものだからな。今日は切り上げるぞ」
「はい!急いで片付けます!」
垂らされた釣り糸が次々と水中から引き上げられていくのを見て、焦燥に駆られた。今日これ以上の被害が出なくなるのはいいが、あの人間たちがこの水辺からもう少しでも離れて行くと、仲間と協力してどうにかするのは難しくなる。ミニリュウたちは陸上での行動がまだ覚束ないゆえ、深追いすればあの人間たちの手持ちポケモンたちに軍配が上がる可能性が高いからだ。未成熟な仲間たちを危険に晒す訳にはいかない。捕まってしまった仲間もこのまま連れて行かせる訳にはいかない。だから――
彼女は――水中を飛び出した。ミニリュウたちよりは動けるとはいえ、ハクリューもまた陸上は得意とはいえない。無謀だったが、やるしかなかった。
飛び上がってすぐにたつまきを放って、背を向けて去ろうとする人間の手にあったクーラーボックスを壊した。こうそくいどうしながら地面に転がったモンスターボールを尾で打って次々と川の中へ放り込んだが、その間に敵のロゼリアのあまいかおりを嗅いでしまった。おかげでダストダスのクリアスモッグをもろにくらい、動きを止められてしまった。それでもモンスターボールがまだ幾つか木々の根元に転がっていたから、己に鞭打って地面をたたきつけることで大きく這い回り、二匹の猛攻を受けながらも、もう一度放ったたつまきに残りのモンスターボールを巻き込んで川へと吹き飛ばした。直後ダストダスがのしかかってきて一時行動不能となったが、相手は体内で生成した毒の類は吐きつくしている状態で、右腕からお得意のトドメの毒液が噴出されなかったのは不幸中の幸いだった。のしかかり続けるダストダスに負けじとまきついて死に物狂いで抵抗し、どうにか相手を先にひんしにさせたハクリューは、急いで逃げようとした。
「ああ!あぁ!今日の釣果が台無しだ!おれの子がフレア団に入れなくなってしまう!どっ、どうしよう!どうしよう!?でもそうだ、ハクリュー!ハクリューなら……!!こいつ一匹さえいれば……!!」
気の弱そうな方の人間が、なんと生身でハクリューに飛びかかってきた。予想外の障害に驚いて、ほんの一瞬、這う体が縺 れた。人間が覆い被さってくる。両手で胴を掴まれたが、体表に『でんじは』を帯びて痺れさせたうえで尾で腕の関節を絞め返し、ずるりと抜け出した。
「馬鹿め!だがいい足止めになった!いけ!フレフワン!」
気の強そうな方の人間がまさかの次鋒をくりだした。桃色の体毛に包まれ、ダストダスに負けず劣らずのきつい体臭を漂わせている。そのときのハクリューにとっては、見たこともない、知らないポケモンだった。こちらが先手で『りゅうのいかり』を発して見事命中、ともすれば急所に当たったかに思えた。
「フン、フェアリーにドラゴンが効くものか!フレフワン、『ムーンフォース』だ!」
目の前がまっくらになった。
彼女は――気付いたときには捕まっていた。ボールを中から壊して逃げようとしたが、出来なかった。
ハクリューは闇競売にかけられた。強いうえに珍しいボールに入れられているからと、より高値がつけられた。トレーナーとなったのはどこかの国のおぼっちゃまだった。事ある毎に見せびらかせられて、自慢の材料にされた。バトルには一切出してもらえなかった。トレーナーや他のポケモンと触れ合ったり共に過ごしたりする時間も一切なかった。そう経たないうちにポケモン交換された。オーダイルやラグラージのオスとよく一緒にいさせられた。トレーナーとなった人間の顔も、取り上げられたタマゴから生まれた子たちの顔も、最後まで見る機会はなかった。船で輸送された。ボールから出された代わりに、透明な筒型のケースに閉じ込められた。よく分からない薬を投与されて、気を失う日があった。またボールに戻された。何かの悪の組織の一員らしい人間に引き渡されて、アタッシュケースに入れられた。暗い。揺れる。怖い。寂しい。随分と長い間そのまま、エサもくれられず、どこかへ運ばれていく。
「ひいっ!!ぎゃあああぁぁっ!?」
人間の男の叫び声が聞こえて、すぐさま衝撃があった。ケースごと放り出されて落下したらしい。頑丈なアタッシュケースがミシミシと音を立てた。とても重たい何かがのっかってきたみたいだった。更に負荷がかかってきて、緩衝材に包まれていようがボールもミシリと音を立てた。ギシギシ、ビキビキ――パキン。どうやっても壊せなかったボールが、とうとう割れた。負荷は消えて、開いた隙間から外の空気が流れ込んできた。
彼女は――外に出た。久し振りの、本当の外だ。辺りを見渡してみると、そこは星空のきれいな夜の湖畔だった。それがこの場所、オージャの湖だった。
「ああクソッ!ボスに献上するハクリューだってのに……!」
向こうで、黒ずくめの人間の男が震えた声を上げ、焦った様子で新品のボールを構えた。捕まえなおす気だ。ボールがこちらに向かって投げられる。ハクリューは尾で撥ね除けようとしたが、先に目の前に『かみなり』が落ちてきて、ボールは空中で真っ黒焦げの塵になった。
「ひいいいぃっ!!やっぱ無理!!」
男は一目散に走って逃げていった。ハクリューが呆然とその背を見送っていると、ぬん、と頭上に影が差してきた。夜であっても満天の星明りがあったのにそれが急に遮られて、息を止めて振り向いた――が、視界いっぱい、大きなまるっこいおなかしか見えなかった。
――やあ。キミ、だいじょうぶ? あいつ、悪いヤツ……で、合ってるよね? とっさに追い払っちゃったけど……
とても大きな、とてつもなく大きなポケモンが、長い首をのそりと動かしてその顔を見せた。一風変わった、大きな大きなヌメルゴンがそこにいた。とても優しい声で、とても優しい顔をしていた。だんだん、どんどん、うるうると歪んでよく見えなくなってきた。
――ああっ、泣かないで。やっぱり何かツライめにあったんだね? よしよし、もうだいじょうぶ。
ハクリューは一頻り泣いた後、大きなヌメルゴンと話をした。ここはどこ。わたしはハクリュー。ぼくはヌメルゴン。遠いところから来たの。じつはぼくも。
――ほら見てよ、この背中のカラ。このへんのコたちにはないみたい。誰にきいても、見たことないって。
――わたしも初めて見る。
――なんかモヤモヤした空間に囲まれて、ふと気付いたら知らない場所にいたんだぁ。あの、内陸のずーっと向こうの真ん中へんに大きなお山があるの、見えるでしょ?ボク、元いた場所から、あのお山の中に飛ばされちゃったみたいなの。
――お山の、中?
――うん。フシギだよね。あのお山の中は空洞になっていて、すごく広いんだ。地下も深くて、あの通り高さもあるし、しかも他では見かけたこともないような強くて暴れんぼうのコたちがたくさん住んでいて、出てくるのは大変だったよ。カラに隠れてやり過ごしたりもして。
――あなたも強いし大きいのに。
――それでもさ。この湖のコたちも強いほうだけど、お山の中はもっともっとだ。危ないから、きみも行かないほうがいいよ。それとね、ボクは元々体は大きいほうだったけど、こんなにも大きくなったのは、この湖に来てからなんだ。
――えっ。 あっ。
ハクリューは「えっ」と驚いた直後に、きゅるるとお腹が鳴ってしまった。そういえば、ずっと何も食べていなかったのだった。
――おなかが空いているんだね。ちょうどいいや、すてきな場所を教えてあげる。食べるとすごく元気が出るものがある場所なんだ。ボクがこんなに大きくなったのも、たぶんそれのおかげ。
――わたしも大きくなっちゃう?
――あはは。ちょっとなら平気だと思うよ。ボクはついいっぱい食べちゃったからねぇ。安心してよ、フツウのきのみとかもあるから。
大きなヌメルゴンのおかげで空腹は満たされたし、傷だらけだった心にもかさぶたくらいはできた。何日か過ぎると新しい環境にも慣れて、同じハクリューやミニリュウの新しい仲間たちもできた。たくさん辛い目に遭ったけれど、また頑張れそうだと思えた。
そんな矢先のことだった。
――いない。いない、いない!
あの子も、あの子も、あの子もいない!
友達になったハクリューたちが、次々と姿を消していた。「ここでずっと一緒に暮らしたいね」と言っていた子たちだ、誰かトレーナーに付いて行くことにしたとは思えない。しかもこんなにみんな立て続けに、一言もなしに。
彼女は――大きなヌメルゴンに相談したそうだ。すると、彼はこう言った。
――そうなんだ……あのね、最近あやしい人間たちを見たって言うコが増えてるんだ。黒ずくめで、すばしっこい船に乗って夜な夜なやってきて、それで……ハクリューの女のコばかり捕まえていくんだって。
――あぁ、そんな……そんな……きっとわたしのせいだ……わたしが逃げたから……!
――それは違うよ!キミのせいなんかじゃない!悪いのは、悪いことする悪い人間だ。仲間たちには、人間の船の音が聞こえたらすぐ水の中に隠れるように言おう。キミもそうして。ボクはそんなに早く泳げないから、船を追いかけたりするのはむずかしいけど、見回りとかしてみるよ。
湖に暮らす仲間たちは、大きなヌメルゴンの言う通りにした。彼は率先して夜の水上警戒にあたってくれて、その効果はばつぐんだった。湖から突き出た丸い岩か何かと思って油断して近付いた人間たちを懲らしめて、追い払ってくれた。
しかし今度は、湖周辺の陸地に黒ずくめの人間たちが現れるようになった。経緯は不明だが、ターゲットをハクリューのメスからシャリタツに切り替えたようだった。
――ボク、許せない。あんなに捕まえていって、みんな大切にしてくれているとはとても思えない。これからは陸のほうを見回るようにするよ。キミはまだ隠れているんだよ。もうこっちに来ないとは限らないからね。
大きなヌメルゴンは陸にあがって過ごすようになった。でも、彼だってヌメルゴンだ。水辺や湿地に暮らすポケモンなのだ。ヌルヌルの粘液で体を守るために多くの水分を必要とする。体が大きいのだから尚更だ。ヌメルゴンの仲間は、水分が足りず皮膚が乾燥すると、重大なダメージを負ってしまう。もし陸でひでりに晒されでもしたら、干乾びて死んでしまう可能性だってある。陸地で長時間過ごすことは、彼にとってあまりにもリスクが大きいのだ。
そんな彼の頑張りを見て、シャリタツたちも奮起した。自分たちが囮になるから、その隙に悪者をやっつけてほしい、と大きなヌメルゴンに協力を申し出た。
彼女は――その話を聞いて、「もう自分ばかり隠れていたくない」と思ったそうだ。大きなヌメルゴンとシャリタツたちのために、神秘の力を使って雨を降らせようと決めた……なるほど、それで。
――わたし、広範囲に雨を降らせようとしたことなんて今まで一度もなくて……初めて、全力を出しました。きっともう最初から、力加減を間違えていました。でも、暴走するつもりではなかったんです。わたしと間違われて連れ去られたのであろう彼女たちを想ったら、どうしようもなく悲しくなってきて……そうしたら、今までの辛い出来事も思い出してしまって……嫌なのに、止まらなくて……。
――無理もない、フラッシュバックってやつだ。俺にも覚えはある。気力でどうこうするにも限界があるんだ、誰しもな。だからそんなに自分を責めるなよ。
「……ルカリオ、あなたいつそんな言葉覚えたの?現代の用語よね、それ」
ルカリオは立てた片膝の上に肘を置き、頬杖をついてアケヒを見た。見ただけ。見ただけで、気持ちも何も伝えてこない。教えてくれる気がないらしい。
宿泊先で一緒にテレビを見たりしたことがあったから、そこからだろうか。そういえば、宿泊先のロビーや街中で本や新聞を広げている人がいると、勝手に出てきてじっとそちらを見ていた、なんてことも何度かあったような。それでなくとも、ルカリオにとって人の頭の中なんてスケスケなのだから、何某かの専門家を見つけて集中して観察すれば、もうそれはルカリオにとって辞書無料読み放題も同然、みたいなことになるのかもしれない。
以上ただの思い付きだったが、ルカリオはプイっとアケヒから目を逸らした。当たりだったのかもしれない。逸らしただけかもしれない。
波動による意思疎通の仲介は一区切りつけられたようだと思ったハクリューは、再び真っ直ぐにアケヒに向き直った。
――もしあのままでいたら、湖も大地もメチャクチャにしてしまうところでした……止めてくれて本当にありがとう。それと、ひどく攻撃してごめんなさい。
「いいのよ、どういたしまして。ポケモンが荒ぶることは割とよく…?…あるのだし。事情を聞かせてくれてありがとう。念のために一つ訊きたいのだけど……」
――何でしょうか?
「力が荒ぶる前に、えぇと……偉大なポケモンが放つ、稲妻のような光を浴びた……なんてことはない?」
――ないですね。ヌメルゴンさんは、わたしにそんなことしませんよ?
「しないもん……って言ってる?あっ、違う違う!もちろん彼のことじゃなくて。心当たりがないならいいの」
もしやアルセウスの影があるのではないかと疑ったが、その線は薄そうだ。ヒスイの英雄ショウに分身を託して同じ視点で世界を見ようとしたこともあるあの創造神さまは、現代には降臨なさっていないのだろうか。ハクリューが話してくれた大きなヌメルゴンというのも、おそらくはヒスイのヌメルゴンだろうし、無関係というにはどこか引っかかる。しかし、関係があると断言するのもこじつけになる気がする。
――気になるなら調査すればいい。湖の周囲のどこかにはいるんだろう?
ルカリオがすっくと立ち上がって問うた。
――俺たちはそのヌメルゴンに会いに行く。君はどうする?
ハクリューはやや前のめりになって答えた。
――わたしも行きます。一緒に行かせてください!というか、わたしがお連れします!
ハクリューはアケヒの腰にするりと巻き付いた。締め過ぎないように優しく、それでいて守るように強く。アケヒは彼女の青い鱗肌に手を添えて頷き、エンペルトとルカリオはそれぞれ返事をしてボールに戻った。
長くしなやかな身体をくねらせて、くるりふわりと宙に浮く。頭の羽は小さくても、神秘の力で風を操り、ハクリューはそらをとべるのだ。眼下に広がる湖は深く蒼く、静謐な元の姿を取り戻しつつある。
「見えた、あそこね。あれはまさにキング サイズだわ……」
大きな大きなヒスイのヌメルゴンを見つけたアケヒは、現代人が言うのとは若干ズレた、ヒスイの民的感性からくる同音異句でそう評した。遠目からでも分かるほど、彼もまた大いに荒ぶっている。彼が落とした『かみなり』が木橋に直撃し、火柱が上がった。目も爛々と燃えるように赤く、野生の力に満ちあふれ、まるで荒ぶるキングかつオヤブンといった様体 だ。但し、ヒスイの地で荒ぶったキングやクイーンたちは全身から黄金色のオーラを発していたのに対して、あのヌメルゴンにはその兆しは見受けられない。残念だが、やはりアルセウスとの繋がりは望めないのかもしれない。
大きなヌメルゴンの前方には、何人かの人間がいる。例の黒ずくめではないようだが、彼の怒りを買ったからにはタダでは済むまい。
近付くにつれ窺えた面々は随分と若く見えた。何事か犯したならば過ちは過ち、糾 され正すは当然としても、若さゆえの過ちならば命で贖 わせるのは流石にやり過ぎになるか。アケヒとハクリューとで、ヌメルゴンを宥められると良いのだが。
現場は目前だ。地上のヒトたちが、上空のアケヒに気付いて一斉に顔を上げた。アカデミーのいじめっ子が五人に、スター団のピーニャとメロコで計七人……と思われた寸後 、燃える木橋のあちら側にもう一人。この場に登る人物紹介で掉尾 を飾るには些か役者不足な中年サラリーマンが、いま再び――。
曰く、細長く大きな体をもつ竜が現れた。尾の一振りで森を
つまり、ドラゴンポケモンが本気で怒って暴れれば、人の営みも命もあっという間に消し飛ぶという話だ。
ヒスイの空に裂け目ができたあの日から、人とポケモンを取り巻く世情は目まぐるしく変わっていった。ギンガ団の長デンボクは、人を
「命は特に、取り返しがつかぬのだ」
デンボクの語り口はいつにも増して重々しいものであった。彼は日頃から険しく威厳に満ちた面持ちの御仁であるが、ここまで心内を表に晒してみせたのは後にも先にもなく、この場限りだったのではないかとも思われる。当時に己が抱いた恐れや怯えを恥として隠すことよりも、いかに怒り悲しんだのか伝えることを優先しているようだった。辛い事をあえてまざまざと思い出すその様はあまりにも可哀相に見えて、「ご無理なさらないでください」と口を挟まれるのも二度三度ではきかなかった。それでも、デンボクはアケヒに語って聞かせた。
「何故そこまでなさるのですか。どうして私にそのお話を?」
「おまえは指折りの調査隊員だ。必ず生還してもらわねば大きな損失となる」
「慣れに
デンボクは黙って瞼を伏せ、長考の姿勢を見せた。アケヒの受け取り方と態度は、彼が望むものとは違っていたからだ。
デンボクは何とかしてこの困り者を矯正したかった。組織の上に立つ長として、身近な年長者として、そして何より、愛する者をポケモンによって
そもそもが寡黙にして口下手、そこに凝り固まった観念と気位の高さも邪魔をするような古い男が、若い女に素直に端的に告げられるはずもなかったのだ。何度も言われたその通り、ご無理なさるものではない。
しかしアケヒは決して察しが鈍い訳ではなかった。デンボクが回りくどいものだから、彼の優しい本意に気付かなかったフリをしただけだった。
――己をもっと大切にしろ。
冗長な説教のその心は、きっとそんな一言に尽きるものだった。
アケヒが調査隊に入った理由として、ポケモンの生態に関心があったのは本当で、コンゴウ団とギンガ団の繋がりを強める一助になりたかったのもまた確かだ。調査で得られた知識が人々の役に立つのが嬉しく、やりがいを見出していたのも間違いない。嘘偽りない本心の陰に、本人でさえ自覚の曖昧な、誰にも教えていない志望理由がもう一つ、
――危険な調査だというなら、
「ご心配痛み入ります。団長もどうかご無理なさいませんよう」
ギンガ団本部を後にすると、赤い残照の薄れゆく空に流れ星が一つ。もう一つ来やしないものかと立ち尽くしていれば、音もなく背後を取られた。首筋に冷やい鉄が当てられる。シノビの暗器だ。
「自死を選ばぬだけまだ良し、とでも?年寄りの心労をあまり増やしてくれるなよ」
「こんばんは、ムベさん。私はあなたの主に何か不敬でも働いてしまったのでしょうか。見かねてとうとう送りに来られましたか」
「いいや、迎えだ。セキのやつがご近所に夕飯を振る舞いたいそうでな。おまえの姉さんも先に招かれてイモヅル亭で待っているぞ。……しかしなぁ、もう少し怖がらんか。まったくこれやから」
手に負えない、と言いながらムベはその後もやけにアケヒの世話を焼いた。「わしが鍛えてやればいくらか死は遠ざかろうよ」だそうな。彼は料理とシノビの技教えを請うセキの隣に
デンボクとムベの故郷であった地は、竜の怒りによって
降りしきる雨の中、荒れる湖上。
竜巻く水の柱を何本も
アケヒとエンペルトの意気はぴったりだ。ちょっかいを仕掛けにとびだしてきた何匹かの好戦的なポケモンを
***
竜吟ずれば雲起こる。
彼女は光るオーラを全身に纏い、人智を超える神秘の力を暴走させていた。首と尻尾についている青水晶のような玉からは天候を操る莫大なエネルギーが発せられ、湖面を叩いて乱高下する波紋はさながら世界有数のアトラクションレール、イッシュ地方はライモンシティのシャイニングジェットコースターにも勝る。呼び起こした雨雲は今やパルデア全土を覆いつくさんとしていた。さもするとこのままでは暴風域も広がっていき、未曾有の大災害に化けるであろうことは想像に難くない。
だが、彼女はパルデアの全てを滅茶苦茶にしたいとまでは思っていなかった。ただ泣いて嘆きたかったのだ。心がきりきりと痛んで張りつめて、ぱんとはち切れてしまった。一度そうなると抑えきれず、我を忘れて鳴き続けると、それに伴って秘めていた力が自然と発露されてしまっていただけだった。
「そこのハクリュー!!こっちこっち!!」
気を引くために
――誰? 知らないエンペルト……と、知らない人間……人間だ。使い捨てるくせに、また捕まえるというの? バトルに出してもくれず閉じ込めておくのに、珍しいでしょうと見せびらかすの? それとも、もっとタマゴを産めと? ……やだ、もう嫌だ!
彼女は相手をにらみつけて威嚇した。辺りに浮遊して無造作にうねっていた数えきれないほどの水の紐が、急に重力の存在を思い出したとでもいうように、土砂降りの勢いで着水する。それから纏まってぐんと
彼女に
――それ以上、わたしに近付くな!
止まってくれない一人と一匹に対して、水の壁が容赦なく動きだした。本を閉じるように、手を合わせるように、間にあるものを挟み込んで潰す。固体でないぶん流石にぺちゃんこにはならないが、それでもくらえばかなりの衝撃を受ける。北国の切り立った岬で鳴るような、冷たく激しい音がした。
二つが一つになった水の壁は、まるで水の巨塔だ。その中で洗濯物のように揉まれる一人と一匹は、体勢を崩されながらもぴたりと離れず、なおも突き進んでくる。意外だった。みずタイプのエンペルトにはあまり効果がなくとも、人はこれで振り落とせると思ったのに。彼女は驚いて目を凝らして、そして気付いた。『アクアリング』だ。エンペルトが出した水のベールが人を包み込んでいて、それが水流の衝撃を和らげる盾となり、命綱の役割も果たしている。
あの子は、人を、まもっている。
――どうして。 どうして? どうして!
理解できない。憎い。来るな。嫌い。許せない。寄るな。信じられない。見たくない。帰れ。狡い。辛い。理解したくない。
――羨ましい。
「ハクリュー!!どうか鎮まって!!」
くだくだと考えていたせいで、道を
「泣かないでハクリュー!悲しいならそのワケを教えてほしい!」
――どうして、“怒っている”ではなく“悲しんでいる”と――?
「でもまずは鎮まってちょうだい!話はそれからにしましょう!」
エンペルトはアクアリングを保ちながら、なみのりからのダイビング、続けてウェーブタックルを繰り出し、ナミイルカがショーで見せるのと似た動きで水中から空中へと舞い上がった。とても高さがある。滞空しているその隙に、背に乗る人もエンペルトも、さっと何かを手に持って掲げた。彼女の位置からでは、逆光に
「せーのっ、『なげつける』!!」
それらは彼女に的中した。何か投げつけられて攻撃されたというのに、全然痛くなくて、状態変化を付与されてもいなかった。
――やわらかい。何?白い。マメみたいな美味しそうな匂いがするけど、何だか分からない。何コレ?
「おっ、おいしいよ!!お豆腐!!食べたら元気出る!!……かも!!」
かくして、荒ぶるハクリューは鎮められた。というか、大量のトーフをぶつけられて正気に引き戻された。たとえば自分より緊張している人が側にいると何だかこちらの緊張が
***
竜巻はゆるゆると
アケヒとエンペルト、そして平静を取り戻したハクリューは、近くにあった小島に上陸して向き合っていた。ハクリューがこのまま去るつもりならアケヒに追う気はない。「もう行ってもいいのよ」と言おうとしたときだった。
――どうか、聞いてもらえませんか。
真っ直ぐに見詰めてくる彼女が、そう言った
「……あなたの力になれる保証はできないけれど、それでもいいなら」
アケヒが音のない問いに声を出して応えると、ハクリューは驚いたように頭の羽をぴんと立てた。傍らで様子を見守っていたエンペルトは、ハクリューに向かって頷いてみせる。ハクリューはまた羽をぴくぴくと揺らした。エンペルトは小さく短い鳴き声を上げて、右翼でアケヒのポーチをツンツンつついた。するとパッと咲く水色の光と共に、一匹のポケモンが姿を現した。アケヒの手持ちのはどうポケモン――ルカリオだ。
ルカリオは離れて向かい合うアケヒとハクリューの中間辺りまで歩いていくと、そこで腕を組み、少々乱暴な動作でドッと
「あはは……ルカリオ、お願いできる?」
――話そうとしてくれている彼女を待たせるのは悪いからな。だが、後で覚えてろよ。
「んー……後で何を覚えてほしいって?」
困り笑いするアケヒを今度は両目でじぃっと見て、ルカリオは短い、けれど深い溜息を吐き捨てた。こちらの言いたいことが
何もしていないのに疲れたルカリオだったが、仕切り直してハクリューに伝える。
――話していいぞ。伝えたい内容をイメージするのでもいい。この人間は少しは
彼はアケヒにとって最初の一匹で、詳細は省くが特殊な経歴の持ち主で、実はちょっと特別な力を持っている。アケヒがハクリューの話をきちんと聞いてあげるには、彼の助力が必要だった。
ルカリオというポケモンは“波動”と呼ばれる不思議な力を操れる存在だ。あらゆる物が発しているという波動を
アケヒのルカリオが他のルカリオと違って特別なところは、波動を使えないヒトやポケモンが相手であっても、波動で
大変便利だが、彼はアケヒと二人きりだろうといつもこの波動を使ってくれる訳ではない。専ら今回のような場合に限り、必要最低限にして出し惜しむ。
――ありがとう。それなら、せっかくだから詳しく話してみましょう。もう三年くらい前になります……
ルカリオはハクリューのイメージを受け取りながら、なるべくそのままを波動にのせて、アケヒとエンペルトに伝えていく。
彼女は――静かな川で、静かに暮らしていた。仲間のミニリュウたちと穏やかで変わらない毎日を送る。それだけで幸せで、他に望むことは特になかったそうだ。
ところがある日、異変があった。同じ川を住処としているニョロモやニョロゾたちの数が明らかに減っていた。はじめは群れで引っ越しでもしたのかと考えたが、辺りを注意深く観察してみると、釣り糸が何本も垂らされているのが見えた。通りすがりのニョロモが早速かかってくんと引っ張り上げられ、地上に姿を消した。
人が釣りをしている。それだけならよくあることだ。釣り上げられたポケモンはその人のパートナーになってみるか、バトルを楽しんでから小さくなって帰ってくるか。そういう気分でなかったら早々に逃げることだってできる。それに、釣り人というのは釣りそのものを楽しむ傾向が強い。一度つかまえても、その日の釣果を記録したら元の場所にリリースしてくれる場合が多い。普通ならあまり心配は要らない。
だが、その日は普通ではなかった。一定の間隔で並び垂れる釣り糸の揺れ方を見れば、その先の竿を人が手に持っているのではないことは分かった。何か道具を使って地面に竿を固定していたのだろう。数本であれば「ちょっとせっかちで欲張りな釣り人が来たのかな」で済むかもしれなかったが、二十本越えというのは、不気味で異様に思えた。近辺はまず人が来ること自体それほど多くない秘境であるから尚更だった。
彼女は――仲間のミニリュウたちには、「釣り糸には触れないようにしなさい」とよく言って聞かせていたそうだ。
元々、人目を避けて静かに暮らしてきた。自分たちが秘め持つ力は強大だから、人に委ねるには慎重を期さなくてはならないし、人を傷付けないためにも適切な距離を保つ必要があった。人に興味を持った仲間を「行ってらっしゃい」と見送ることは
しかし、あの釣り糸を垂らしている人間はどうか。嫌な予感がしてならなかった。針にかからないように注意しつつ川岸に近付いて、そこにいる人間の会話に聞き耳を立ててみた。
「なあ、もうずいぶん捕まえた。あんたが貸してくれたダストダスだって、『どくガス』も『どくどく』も吐きつくしたみたいだし……今日はもうやめにしないか」
「貴様の手持ちにはロゼリアがいたはずだ。『しびれごな』でも『くさぶえ』でも使えばいいだろう」
「おれのロゼリアちゃんは、その技は覚えていないんだ……」
「なに?捕獲に向いた技を覚えさせていないのか。『どくばり』は?『どくどく』は?」
「使えるのは、『せいちょう』、『あまいかおり』、『ねをはる』、『こうごうせい』……」
「またふざけた構成だな。ろくに戦わせられないではないか。やる気がないのか?そんなザマでは貴様の子をフレア団に入れてやらんぞ」
「ま、待ってくれ、それは勘弁してくれ……もうすぐ生まれるんだ……死なせたくない……」
「ならばもっと捕獲しろ。その技構成なら耐久は出来るだろう」
「そんな……ロゼリアちゃんをサンドバックになんて……」
「貴様に弱音を吐く暇など与えられていない。これでも私は譲歩している。もう500万支払えなければ貴様の子は入団できないところを、働いてフレア団に貢献すれば足りない分は私が肩代わりしてやると言っているのだ。ポケモンの生命エネルギーはあればあるだけいい。ボスもお喜びになるだろう」
「……具体的には、あと何匹くらい捕まえれば……?」
「そうだな……貴様のボックスにこれ以上入りきらない、というほどになれば、まあよかろう」
「このクーラーボックスなら、もういっぱいなんだけど……ダメ?」
「ダメだ馬鹿め。ポケモンボックスの話に決まっているだろう」
「無茶な……一体いつになると……」
「さあ?そのペースのままでは間に合わないかもしれないな。だが今のはニョロモばかりでは、という場合の話だ。より強いエネルギーを持つドラゴンポケモンを提供できるというなら、多少まけてやらなくもない」
「本当か!?さ、さっきミニリュウを一匹つかまえたんだ!」
「ほう?それなら欲しがるマニアも多いだろう。売れば結構な額になる。貴様自身が闇競売にかけて不足分を稼ぐか、私に任せて何ボックス分かの捕獲数をまけてもらうか……どちらでもいいが、早めに決めろ」
彼女は――急いで、自分の群れの仲間たちの元へ戻った。呼びかけて集めて、誰が捕まってしまったのか確認してみると、群れの中で最も幼く好奇心旺盛な子がいなくなっていると分かったそうだ。
助けなければ。話の内容は理解できない部分もあったが、とにかく、あの人間たちは善なるものではない。仲間を託すことなど到底できない。ポケモンの生命エネルギーを使うなどと、ろくな目的ではないだろうし、そもそも搾り取られたらどうなるものか、おおかた予想はつく。売り飛ばされるのも堪ったものではない。珍しさに欲をかいて金で取引きするような者が、良いパートナーになり得る道理はない。あの人間たちにこのまま好き勝手させていては、仲間はどんどん連れていかれ、悪用されてしまう。
彼女は――どうにかして捕まった仲間を逃がす作戦を考えようとした。周辺に暮らすポケモンたちの中で、知恵・力・経験のどれも一番持っているのは自分なのだと理解していたが、単独では不確実だとも理解していた。だから慎重に、群れの皆と協力して挑みたいところだった。だが……
「あ、あのー……空のモンスターボール、もうなくなっちゃいました……」
「それは早く言え。これ以上釣っても無駄になるだけだろう。網に詰めておく手もあるが、この場までは道も悪かったのだし、欲張ると運搬が難しくなる。一応、私はまだボールを持っているが……これは貴重なものだからな。今日は切り上げるぞ」
「はい!急いで片付けます!」
垂らされた釣り糸が次々と水中から引き上げられていくのを見て、焦燥に駆られた。今日これ以上の被害が出なくなるのはいいが、あの人間たちがこの水辺からもう少しでも離れて行くと、仲間と協力してどうにかするのは難しくなる。ミニリュウたちは陸上での行動がまだ覚束ないゆえ、深追いすればあの人間たちの手持ちポケモンたちに軍配が上がる可能性が高いからだ。未成熟な仲間たちを危険に晒す訳にはいかない。捕まってしまった仲間もこのまま連れて行かせる訳にはいかない。だから――
彼女は――水中を飛び出した。ミニリュウたちよりは動けるとはいえ、ハクリューもまた陸上は得意とはいえない。無謀だったが、やるしかなかった。
飛び上がってすぐにたつまきを放って、背を向けて去ろうとする人間の手にあったクーラーボックスを壊した。こうそくいどうしながら地面に転がったモンスターボールを尾で打って次々と川の中へ放り込んだが、その間に敵のロゼリアのあまいかおりを嗅いでしまった。おかげでダストダスのクリアスモッグをもろにくらい、動きを止められてしまった。それでもモンスターボールがまだ幾つか木々の根元に転がっていたから、己に鞭打って地面をたたきつけることで大きく這い回り、二匹の猛攻を受けながらも、もう一度放ったたつまきに残りのモンスターボールを巻き込んで川へと吹き飛ばした。直後ダストダスがのしかかってきて一時行動不能となったが、相手は体内で生成した毒の類は吐きつくしている状態で、右腕からお得意のトドメの毒液が噴出されなかったのは不幸中の幸いだった。のしかかり続けるダストダスに負けじとまきついて死に物狂いで抵抗し、どうにか相手を先にひんしにさせたハクリューは、急いで逃げようとした。
「ああ!あぁ!今日の釣果が台無しだ!おれの子がフレア団に入れなくなってしまう!どっ、どうしよう!どうしよう!?でもそうだ、ハクリュー!ハクリューなら……!!こいつ一匹さえいれば……!!」
気の弱そうな方の人間が、なんと生身でハクリューに飛びかかってきた。予想外の障害に驚いて、ほんの一瞬、這う体が
「馬鹿め!だがいい足止めになった!いけ!フレフワン!」
気の強そうな方の人間がまさかの次鋒をくりだした。桃色の体毛に包まれ、ダストダスに負けず劣らずのきつい体臭を漂わせている。そのときのハクリューにとっては、見たこともない、知らないポケモンだった。こちらが先手で『りゅうのいかり』を発して見事命中、ともすれば急所に当たったかに思えた。
「フン、フェアリーにドラゴンが効くものか!フレフワン、『ムーンフォース』だ!」
目の前がまっくらになった。
彼女は――気付いたときには捕まっていた。ボールを中から壊して逃げようとしたが、出来なかった。
ハクリューは闇競売にかけられた。強いうえに珍しいボールに入れられているからと、より高値がつけられた。トレーナーとなったのはどこかの国のおぼっちゃまだった。事ある毎に見せびらかせられて、自慢の材料にされた。バトルには一切出してもらえなかった。トレーナーや他のポケモンと触れ合ったり共に過ごしたりする時間も一切なかった。そう経たないうちにポケモン交換された。オーダイルやラグラージのオスとよく一緒にいさせられた。トレーナーとなった人間の顔も、取り上げられたタマゴから生まれた子たちの顔も、最後まで見る機会はなかった。船で輸送された。ボールから出された代わりに、透明な筒型のケースに閉じ込められた。よく分からない薬を投与されて、気を失う日があった。またボールに戻された。何かの悪の組織の一員らしい人間に引き渡されて、アタッシュケースに入れられた。暗い。揺れる。怖い。寂しい。随分と長い間そのまま、エサもくれられず、どこかへ運ばれていく。
「ひいっ!!ぎゃあああぁぁっ!?」
人間の男の叫び声が聞こえて、すぐさま衝撃があった。ケースごと放り出されて落下したらしい。頑丈なアタッシュケースがミシミシと音を立てた。とても重たい何かがのっかってきたみたいだった。更に負荷がかかってきて、緩衝材に包まれていようがボールもミシリと音を立てた。ギシギシ、ビキビキ――パキン。どうやっても壊せなかったボールが、とうとう割れた。負荷は消えて、開いた隙間から外の空気が流れ込んできた。
彼女は――外に出た。久し振りの、本当の外だ。辺りを見渡してみると、そこは星空のきれいな夜の湖畔だった。それがこの場所、オージャの湖だった。
「ああクソッ!ボスに献上するハクリューだってのに……!」
向こうで、黒ずくめの人間の男が震えた声を上げ、焦った様子で新品のボールを構えた。捕まえなおす気だ。ボールがこちらに向かって投げられる。ハクリューは尾で撥ね除けようとしたが、先に目の前に『かみなり』が落ちてきて、ボールは空中で真っ黒焦げの塵になった。
「ひいいいぃっ!!やっぱ無理!!」
男は一目散に走って逃げていった。ハクリューが呆然とその背を見送っていると、ぬん、と頭上に影が差してきた。夜であっても満天の星明りがあったのにそれが急に遮られて、息を止めて振り向いた――が、視界いっぱい、大きなまるっこいおなかしか見えなかった。
――やあ。キミ、だいじょうぶ? あいつ、悪いヤツ……で、合ってるよね? とっさに追い払っちゃったけど……
とても大きな、とてつもなく大きなポケモンが、長い首をのそりと動かしてその顔を見せた。一風変わった、大きな大きなヌメルゴンがそこにいた。とても優しい声で、とても優しい顔をしていた。だんだん、どんどん、うるうると歪んでよく見えなくなってきた。
――ああっ、泣かないで。やっぱり何かツライめにあったんだね? よしよし、もうだいじょうぶ。
ハクリューは一頻り泣いた後、大きなヌメルゴンと話をした。ここはどこ。わたしはハクリュー。ぼくはヌメルゴン。遠いところから来たの。じつはぼくも。
――ほら見てよ、この背中のカラ。このへんのコたちにはないみたい。誰にきいても、見たことないって。
――わたしも初めて見る。
――なんかモヤモヤした空間に囲まれて、ふと気付いたら知らない場所にいたんだぁ。あの、内陸のずーっと向こうの真ん中へんに大きなお山があるの、見えるでしょ?ボク、元いた場所から、あのお山の中に飛ばされちゃったみたいなの。
――お山の、中?
――うん。フシギだよね。あのお山の中は空洞になっていて、すごく広いんだ。地下も深くて、あの通り高さもあるし、しかも他では見かけたこともないような強くて暴れんぼうのコたちがたくさん住んでいて、出てくるのは大変だったよ。カラに隠れてやり過ごしたりもして。
――あなたも強いし大きいのに。
――それでもさ。この湖のコたちも強いほうだけど、お山の中はもっともっとだ。危ないから、きみも行かないほうがいいよ。それとね、ボクは元々体は大きいほうだったけど、こんなにも大きくなったのは、この湖に来てからなんだ。
――えっ。 あっ。
ハクリューは「えっ」と驚いた直後に、きゅるるとお腹が鳴ってしまった。そういえば、ずっと何も食べていなかったのだった。
――おなかが空いているんだね。ちょうどいいや、すてきな場所を教えてあげる。食べるとすごく元気が出るものがある場所なんだ。ボクがこんなに大きくなったのも、たぶんそれのおかげ。
――わたしも大きくなっちゃう?
――あはは。ちょっとなら平気だと思うよ。ボクはついいっぱい食べちゃったからねぇ。安心してよ、フツウのきのみとかもあるから。
大きなヌメルゴンのおかげで空腹は満たされたし、傷だらけだった心にもかさぶたくらいはできた。何日か過ぎると新しい環境にも慣れて、同じハクリューやミニリュウの新しい仲間たちもできた。たくさん辛い目に遭ったけれど、また頑張れそうだと思えた。
そんな矢先のことだった。
――いない。いない、いない!
あの子も、あの子も、あの子もいない!
友達になったハクリューたちが、次々と姿を消していた。「ここでずっと一緒に暮らしたいね」と言っていた子たちだ、誰かトレーナーに付いて行くことにしたとは思えない。しかもこんなにみんな立て続けに、一言もなしに。
彼女は――大きなヌメルゴンに相談したそうだ。すると、彼はこう言った。
――そうなんだ……あのね、最近あやしい人間たちを見たって言うコが増えてるんだ。黒ずくめで、すばしっこい船に乗って夜な夜なやってきて、それで……ハクリューの女のコばかり捕まえていくんだって。
――あぁ、そんな……そんな……きっとわたしのせいだ……わたしが逃げたから……!
――それは違うよ!キミのせいなんかじゃない!悪いのは、悪いことする悪い人間だ。仲間たちには、人間の船の音が聞こえたらすぐ水の中に隠れるように言おう。キミもそうして。ボクはそんなに早く泳げないから、船を追いかけたりするのはむずかしいけど、見回りとかしてみるよ。
湖に暮らす仲間たちは、大きなヌメルゴンの言う通りにした。彼は率先して夜の水上警戒にあたってくれて、その効果はばつぐんだった。湖から突き出た丸い岩か何かと思って油断して近付いた人間たちを懲らしめて、追い払ってくれた。
しかし今度は、湖周辺の陸地に黒ずくめの人間たちが現れるようになった。経緯は不明だが、ターゲットをハクリューのメスからシャリタツに切り替えたようだった。
――ボク、許せない。あんなに捕まえていって、みんな大切にしてくれているとはとても思えない。これからは陸のほうを見回るようにするよ。キミはまだ隠れているんだよ。もうこっちに来ないとは限らないからね。
大きなヌメルゴンは陸にあがって過ごすようになった。でも、彼だってヌメルゴンだ。水辺や湿地に暮らすポケモンなのだ。ヌルヌルの粘液で体を守るために多くの水分を必要とする。体が大きいのだから尚更だ。ヌメルゴンの仲間は、水分が足りず皮膚が乾燥すると、重大なダメージを負ってしまう。もし陸でひでりに晒されでもしたら、干乾びて死んでしまう可能性だってある。陸地で長時間過ごすことは、彼にとってあまりにもリスクが大きいのだ。
そんな彼の頑張りを見て、シャリタツたちも奮起した。自分たちが囮になるから、その隙に悪者をやっつけてほしい、と大きなヌメルゴンに協力を申し出た。
彼女は――その話を聞いて、「もう自分ばかり隠れていたくない」と思ったそうだ。大きなヌメルゴンとシャリタツたちのために、神秘の力を使って雨を降らせようと決めた……なるほど、それで。
――わたし、広範囲に雨を降らせようとしたことなんて今まで一度もなくて……初めて、全力を出しました。きっともう最初から、力加減を間違えていました。でも、暴走するつもりではなかったんです。わたしと間違われて連れ去られたのであろう彼女たちを想ったら、どうしようもなく悲しくなってきて……そうしたら、今までの辛い出来事も思い出してしまって……嫌なのに、止まらなくて……。
――無理もない、フラッシュバックってやつだ。俺にも覚えはある。気力でどうこうするにも限界があるんだ、誰しもな。だからそんなに自分を責めるなよ。
「……ルカリオ、あなたいつそんな言葉覚えたの?現代の用語よね、それ」
ルカリオは立てた片膝の上に肘を置き、頬杖をついてアケヒを見た。見ただけ。見ただけで、気持ちも何も伝えてこない。教えてくれる気がないらしい。
宿泊先で一緒にテレビを見たりしたことがあったから、そこからだろうか。そういえば、宿泊先のロビーや街中で本や新聞を広げている人がいると、勝手に出てきてじっとそちらを見ていた、なんてことも何度かあったような。それでなくとも、ルカリオにとって人の頭の中なんてスケスケなのだから、何某かの専門家を見つけて集中して観察すれば、もうそれはルカリオにとって辞書無料読み放題も同然、みたいなことになるのかもしれない。
以上ただの思い付きだったが、ルカリオはプイっとアケヒから目を逸らした。当たりだったのかもしれない。逸らしただけかもしれない。
波動による意思疎通の仲介は一区切りつけられたようだと思ったハクリューは、再び真っ直ぐにアケヒに向き直った。
――もしあのままでいたら、湖も大地もメチャクチャにしてしまうところでした……止めてくれて本当にありがとう。それと、ひどく攻撃してごめんなさい。
「いいのよ、どういたしまして。ポケモンが荒ぶることは割とよく…?…あるのだし。事情を聞かせてくれてありがとう。念のために一つ訊きたいのだけど……」
――何でしょうか?
「力が荒ぶる前に、えぇと……偉大なポケモンが放つ、稲妻のような光を浴びた……なんてことはない?」
――ないですね。ヌメルゴンさんは、わたしにそんなことしませんよ?
「しないもん……って言ってる?あっ、違う違う!もちろん彼のことじゃなくて。心当たりがないならいいの」
もしやアルセウスの影があるのではないかと疑ったが、その線は薄そうだ。ヒスイの英雄ショウに分身を託して同じ視点で世界を見ようとしたこともあるあの創造神さまは、現代には降臨なさっていないのだろうか。ハクリューが話してくれた大きなヌメルゴンというのも、おそらくはヒスイのヌメルゴンだろうし、無関係というにはどこか引っかかる。しかし、関係があると断言するのもこじつけになる気がする。
――気になるなら調査すればいい。湖の周囲のどこかにはいるんだろう?
ルカリオがすっくと立ち上がって問うた。
――俺たちはそのヌメルゴンに会いに行く。君はどうする?
ハクリューはやや前のめりになって答えた。
――わたしも行きます。一緒に行かせてください!というか、わたしがお連れします!
ハクリューはアケヒの腰にするりと巻き付いた。締め過ぎないように優しく、それでいて守るように強く。アケヒは彼女の青い鱗肌に手を添えて頷き、エンペルトとルカリオはそれぞれ返事をしてボールに戻った。
長くしなやかな身体をくねらせて、くるりふわりと宙に浮く。頭の羽は小さくても、神秘の力で風を操り、ハクリューはそらをとべるのだ。眼下に広がる湖は深く蒼く、静謐な元の姿を取り戻しつつある。
「見えた、あそこね。あれはまさに
大きな大きなヒスイのヌメルゴンを見つけたアケヒは、現代人が言うのとは若干ズレた、ヒスイの民的感性からくる同音異句でそう評した。遠目からでも分かるほど、彼もまた大いに荒ぶっている。彼が落とした『かみなり』が木橋に直撃し、火柱が上がった。目も爛々と燃えるように赤く、野生の力に満ちあふれ、まるで荒ぶるキングかつオヤブンといった
大きなヌメルゴンの前方には、何人かの人間がいる。例の黒ずくめではないようだが、彼の怒りを買ったからにはタダでは済むまい。
近付くにつれ窺えた面々は随分と若く見えた。何事か犯したならば過ちは過ち、
現場は目前だ。地上のヒトたちが、上空のアケヒに気付いて一斉に顔を上げた。アカデミーのいじめっ子が五人に、スター団のピーニャとメロコで計七人……と思われた