5 木綿絹漉し抜けた腰
「大変だ助けてくれ!……とは言ったが、果たしてお姉さんは助けられるほど強いのか?小手調べさせてくれ!」


 降りしきる雨のなか、藪から棒に申し込まれたポケモン勝負。とはいえ、アケヒはこんなことは案外もう慣れっこであった。焦ることもなく受け入れて、すっかり切り込み隊長となっているエンペルトをくりだす。対抗、坊主頭に黒いタンクトップ姿の相手の男性がくりだしたのはヤドンだ。ガラルで見られたすがたとはやや異なっている。
 ヒスイではポケモンを戦わせる人は少なかったが、未来の世界ではその逆だ。旅をしていると、道端で目が会えば誰もが問答無用で勝負をしかけてきた。当初は当然慣れず、野生のポケモンがうろつく大自然の中でもあるまいに、アケヒはそことあまり変わらない緊張感をもって道を歩くことを強いられたのだった。「目と目が合ったらポケモン勝負」。子どもからお年寄りまで、仕事中のおまわりさんや炭鉱のさぎょういんも、果てはぼうそうぞくだって厳いかつい自動二輪車を止めてわざわざ、それはそれは否応いやおうなく。嫌でも慣れるというものである。ヒスイの未来のすがたであるシンオウでも、イッシュ、アローラ、ガラルでもそうだった。そういえば、ここパルデアに着いてからはそうでもなかった気もするが、今回は何が始まりの合図だったのだろうか。兎角、今は目の前の勝負に集中する。

 勝敗はすぐに決した。相手のヤドン、コダック、マリルの三匹とも、アケヒのエンペルトのメタルクローの一撃に敢えなく倒れたのだった。
 ポケモン勝負に勝つと相手から賞金を貰える。これも、はじめはアケヒにとっては馴染みのない習慣だった。初対面の子どもからもお金を受け取るなんて出来ないと断ったのだが、職業も年齢も関係なく、ポケモン勝負は売っても買っても、真剣に挑んで負けたなら少額でも賞金は渡す。それがこの世界におけるポケモン勝負のきまりらしい。当時そうとは知らずに負かしたむしとりしょうねんから「ねーちゃん、そんなこともしらないの!?」と驚かれた後に丁寧に現代の常識を教わったのは少し恥ずかしい思い出である。大人相手に己の異物さゆえの無知を晒すよりは変に疑われずに済んで寧ろ良かったのかもしれない。正直な話、仕方なく風来坊をやっている身にとっては大変ありがたい路銀の足しにもなるので、今では素直に受け取るようにしている。


「おったまげたぜ!お姉さんすっごく強いね!これは頼りにしても大丈夫そうだ! あ、まずは賞金をどうぞ」


 男性はそう言ってスマホロトムを取り出した。やっぱりそうよね、とアケヒは思った。最近はこのパターンが多い。申し訳ないと思いながらも、いい加減言い慣れてきた台詞を口にする。


「すみませんが、現金でお願いできますか?お手持ちが無ければ無いで、賞金は頂かなくても構わないのですが……」

「ややっ、お姉さん現金派かい?若い人にしちゃ珍しいな。いいよ!サーバーの不具合とか、もしもの時のために現金も少しは持ち歩いてるからさ!」


 嫌な顔一つせず、ちょっと色をつけた賞金を渡してくれた。「これから難題もお願いしようとしてるからね!」と爽やかなウインクもおまけ付きだ。


「私でお力になれることだと良いのですが。改めて、どうされましたか?」

「うん、実は――」


 男性の依頼は、一匹のポケモンを助けてほしいというものだった。そして、話は現在の天候にも関わる。
 この坂道を下りきった先にあるオージャの湖の畔に、彼はよくピクニックをしに来るそうだ。今日もいつものようにそこを訪れたのだが、いつもと違ったのは、この空模様である。パルデアの雨といえば俄か雨か通り雨が常であるのに、今日はどこか様子が違って、早朝からずっと降り続けている。アケヒの感覚ではこのくらいの雨に思う所は特にないのだが、パルデアに住む人々の感覚からすると異常に思える程らしい。彼も最初は「どうせすぐに止むだろう」「こんな天気もたまにはあるだろう」と楽観していたと話す。しかし小一時間経っても一向に止まず、風も勢いを増すばかりなので、そろそろ帰ろうとしていたらしい。そして、その矢先に事は起こった。なんとあの大きな湖全体が渦を巻くようにして荒れだし、次第に激しく波打ち天に逆巻き始めたのだという。


「この天気の原因は、どうもあそこにいる野生のハクリューのせいみたいなんだ」


 ハクリュー。ミニリュウの進化形のドラゴンポケモン。どちらも目撃例が非常に少なく、長らく幻のポケモンと言われてきたが、近年とあるつりびとがたまたまミニリュウを釣り上げたことで、漸ようやく確かに世に存在を認められることとなった珍しいポケモンである。今やシンオウのテンガン山ほか各地の秘境にある滝等で生息が確認されているそうで、もしかしたらアケヒのいたヒスイのどこかにも暮らしていたのかもしれないが、ギンガ団の調査では発見に至らなかった。もし元の時代に帰れたなら、ラベン博士に報告して皆で釣りに行って探してみたいなぁ、と考えたこともあったポケモンである。


「ハクリューにそんな凄いパワーがあるとは知らなかったし、この目で見た今も信じられないんだけど……体をぼんやりと光らせて、大渦おおうずの中心にいてさ。しかも鳴き声に呼応してどんどん雨も風も酷くなっていって……」

「そうですか。神秘的なのは見た目だけでなく、まさにそのような力を持っているのですね」

「それで、あの湖に暮らすポケモンたちは、水中に潜って隠れたり、周りの崖の上まで登ったりしてゾロゾロと避難していったんだけど……湖に浮かぶ小島の浅瀬にいたミニリュウが一匹、逃げ遅れたみたいなんだ。なんかいるなーって遠目に見えたからカメラでズームしてみたら、風に煽られて岩に体をぶつけちゃって、それきりぐったり倒れているんだ……」

「そのミニリュウを助けてあげたい、というのですね?」

「ああ。湖は大荒れでなみのりするのもキツそうだし、そうでなくとも生息している野生のポケモンが強いから、オレとのんびりやな手持ちたちじゃとても歯が立たない……でも、お姉さんとエンペルトならいけるはずだ!」

「――ですって、エンペルト。いけそう?」


 エンペルトは迷う素振りも見せず、威勢よく鳴いて応えた。元来がんばりやで正義感の強い、優しく逞しい女の子である。嵐の海も平気で渡ってしまえるような、イダイトウに負けず劣らずの泳ぎ達者なのだし、心配無用だろう。


「ではお引き受けします」

「ありがとう!本当は近くの街のジムリーダーに頼むのが良いのかもしれないけど、そういえばチャンプルのジムリーダーがどういう誰でどれくらい強いのか、オレ全然知らないんだよなあ。そもそも、ノーマルタイプ使いじゃどうしようもなさそうだろ?ひこうかみずタイプじゃないと近付けもしないだろうしさ」

「ですが、ハクリューが荒ぶっているとは知らず湖に近付く人がいては大変です。近隣に周知するためにも、ポケモンセンターやジムの方にはお知らせしたほうが良いのではないでしょうか」

「それもそうだな!じゃあ、オレはチャンプルまでひとっ走りして知らせてくるよ!」

「はい、お願いします。……さてしかし、ミニリュウを助けてもハクリューがおとなしくなってくれなければ被害は拡大しそうですね。何か……ハクリューの好物などあれば、鎮めることができるかもしれないのですが……」


 思い出すのは、嘗て荒ぶるキングやクイーンに果敢に挑み、鎮めてみせたショウのことだ。あれらの場面では、ラベン博士が考案し、各キャプテンたちも製作に協力した或る道具が使われていた。そのポケモンの好物や鎮静効果のある薬を調合して袋に詰めた物。シンジュ団のカイが命名したという、投げて使うそれはたしか――“シズメダマ”。
 今はそれを用意できるような時間的余裕はなさそうだが、好物を与えられたらそれだけでも若干の効果が期待できるかもしれない。しかし生憎と、ヒスイのポケモン図鑑には載ることのなかったポケモンの生態や好物について、アケヒはあまり明るくない。こんなときは、ショウが言っていたあの作戦――『投げるのはモンスターボールとフェザーボールと、あとはオレンの実とむしくいぼんぐりだけあれば大概なんとかなりますよ』の意気でいくしかないだろうか――と頭を過ったものの、更に生憎と、その中でいま持ち合わせがある物といえばオレンの実だけだった。このままいくと、何が相手でもオレンの実ばかり投げていた彼女のことを悪く言えなくなる。軽く苦笑いが込み上げた。


「……あっ!それならこれはどうかな!?」


 アケヒと一緒になってうんうんと頭を悩ませ、まだこの場に留まっていた男性が得意満面に取り出したるは――


「それは何ですか?」

「トーフだッ!!」

「とっ……トーフ?」


 そう、白く四角く柔らかい、それは豆腐。アケヒにとって馴染み深い故郷の食材の一つだが、まさかこんな時に、しかも異国の地で、バーンと掲げられたものを目にすることになるとは思いも寄らなんだ。目を丸くする彼女に、彼は力説する。「オレも大好き、みんな大好き!トーフ!」「ほのかな甘味に、えも言われぬ食感!」「ヘルシーなのに栄養満点!」「パルデアではマイナーだけど、それだけにサンドウィッチの具材として可能性は未知数!」「トーフサンドの元祖とはオレのことよ!」……後半、ちょっと何言ってるのか分からなかった。


「な、何故にお豆腐……?」

「なんでって?そりゃあ美味しいからさ!」

「ええ、まあ、知っていますが……」

「お姉さんトーフ知ってるんだ?イケるクチだね!トーフ料理は何がオススメ?」

「お味噌汁……」

「ほう、ミソスープか!伝統的だね!でも実はサンドウィッチにも合うんだぜ!レシピを教えてあげるから、今度試してみてよ!」

「えーと……ハクリューもお豆腐が好き、なのでしょうか……?」

「もちろん!オレはここでのピクニックでもよくトーフサンドを作るんだけど、野生のミニリュウたちが食べたそうに寄ってくるものだから、いつも分けてあげているんだ!」

「そ、そうなのですか?それが本当なら、試してみる価値も……」

「ああ、本当だって!試してごらんよ!いま持ってるだけ全部あげるから!」


 するとどこにそんなに隠し持っていたのか、するする出てくる、出るわ出るわトーフの山。アケヒの旅行鞄にはとても入りきらなかったので、彼のピクニック用のバスケットを貸してもらった。


「じゃあ行くとしよう!健闘を祈る!でもいいかいエンペルト、無理は禁物だぜ!」


 エンペルトは「任せろ」というように胸に翼を当てて鳴いた。男性は「よし!」と言って快活な笑顔を浮かべると、坂を駆け上っていった。その背を見送るのも程々に、アケヒもまた急ぎ足で現場へと向かう。間もなく湖が見えてくると、その信じ難い光景に思わず目を瞠みはった。話が盛られているとか思っていた訳でもなかったが、本当に湖で大渦が巻き起こり、天に伸びんと水を巻き込みながら竜巻が立つ様を実際に目にしてみると、まるでこの世のものとは思えなかったのである。


「わぁ……!」


 このまま放っておけば大変な天災に成り得る事態ではあるのだが、現代人でも中々見られないであろう珍しい現象に、アケヒのギンガ団調査隊員としての心が擽くすぐられた。ポケモンはやはり怖い生き物だ。でも、それ以上に面白くて、不思議で、凄い生き物だ。件くだんのハクリューは、あの大渦の中心にいるはずだ。
 荒々しく波打つ湖畔にて、アケヒは手套しゅとうを脱す。濡れるのにも構わずカッパを脱ぎ捨て、実は度の入っていない伊達眼鏡も外す。旅行鞄からギンガ団服の帯とポーチを取り出し、着ている私服の上から腹回りに装着した。何だかキテレツな身なりで、まるで時空の裂け目から降ってきたばかりの頃のショウみたいな恰好だ。テルやウォロが見たら、きっと腹を抱えて笑うに違いない。見た目はヘンテコだろうが、やはりこの帯を巻くと動きやすさが段違いなのだ。
 旅行鞄はここに置いて行くことにして、手持ちのボールや入り用になりそうな道具はポーチに移し、山ほどのトーフが入ったバスケットは取っ手を片腕に通して持った。なんとおかしな有り様だろう。しかもこれから、このトーフをぶつけてハクリューを鎮めようというのだ。これはあのムベでも流石に笑いを堪えきれないかもしれない。


「ふふっ、あはは!よし行こう、エンペルト。準備は良い?」


 エンペルトは小さく頷き、腹這いになって湖面へ滑り込むと、その背にアケヒを乗せて荒波に乗った。湖だというのに海の沖の潮の如くうねる水を、飛沫しぶきをものともしない。まずは、ミニリュウが倒れていると聞き及んだ手前の小島を目指してスイスイと泳いでいった。
 普通なら身も心も縮ちぢこまってしまうような、考えてみれば命の危険さえあるような現場に、みずタイプポケモンのエンペルトはともかく、アケヒも迷わず飛び込んだ。それは、彼女に勇気があるから出来たことなのだろうか。それとも、逆に――? 唯一その心の波動を察したとある一匹は、彼女のポーチの中のボールの中で、しみじみと頭を抱えた。


***


 ――どうしよう。本当にどうしよう。運の尽きかも。


「だ、誰かぁ……助けてぇ……」


 ただいまの時刻は午前十時半。オモダカとチリは休憩を終えて仕事を再開し、ピーニャとメロコは自主特訓を終えて休憩に入ろうとしていた頃。
 消え入る声で助けを求めるこの声の主は誰あろう、オージャ第2物見塔担当のパルデアリーグ職員のおじさんである。塔の天辺で身動きもとれないまま雨に打たれる彼は、寒いし遣る瀬ないしで、今にも泣きだしてしまいそうだった。

 彼の受難を解説するには、まずはこの一言である。「スマホを落としただけなのに」。

 物見塔担当とは日毎に交代する当番制で、リーグ職員からの人気が高い仕事だ。美しい自然に囲まれた塔の周辺で日がな一日上司の目もなく寛くつろいでいられるため、「実質有給ピクニック休暇だ」という者もいるくらいである。やることといえば、塔の上から見渡せる範囲でポケモンの大量発生等の異常が起きていたらそれを上に報告するだけだ。それも大半の場合は「異常なし」のままで終わる。バトルイベントキャンペーン開催期間中であれば、一般から募集したトレーナーを数人招待してエリア内の指定位置についてもらい、彼ら全員とポケモン勝負をして見事勝利したトレーナーに景品を配るという仕事もあるが、現在はそれもない。
 そんな具合に一見とても楽でラッキーに思える仕事をしに彼が物見塔に出勤したのは、午前九時近くのことだった。久々に回ってきた楽しい当番だ。今朝は雨に降られてもウキウキして、鼻歌なんて歌いながらやって来た。
 ところが到着して塔に上って早々、彼は異常を発見することになった。眼下に見えるオージャの湖の中心付近に、光るオーラを纏まとったハクリューがいたのである。ハクリューの周囲の水はゆっくりくるくると円を描きながら流れ、青く澄んでほんのりと輝いていた。幻想的かつ神秘的な光景に目を奪われ、暫くのあいだ見入って感動していたのだが、異常は異常だ。報告義務を怠ってはならない。彼は防水機能付きのスマホロトムを取り出して、上司に送る文書を作成しようとした。が、雨のせいで手を滑らせ、塔の上からスマホを落としてしまった。
 スマホロトムは、その名の通り一台に一匹のロトムが内蔵され……いや、住み着いている。持ち主の手から離れてふわふわ宙に浮くことなど当たり前で造作もないのだが、このときこのロトムは少々寝惚けていた。原因は、持ち主の夜更かしに付き合ったことにある。「翌日の仕事は楽なはずだから」と、持ち主と一緒になって遅くまでソーシャルゲームをして盛り上がったせいで、非常に眠たかったのである。おねむなロトムは、不意に持ち主の手から滑ってそのまま、まんまと落下したという訳だ。

「ロトッ!?」

 しかしスマホは頑丈な作りであるし、衝撃を吸収するカバーも取り付けてあった。加えて落ちた先が芝生だったこともあって、多少の衝撃はあったものの、ロトムはびっくりしただけで全然平気だった。おかげさまで目が覚めたくらいだ。すぐに飛んで戻ろうとした。ところがアンラッキーなことに、この一瞬の隙が命取りとなってしまった。

「トロトロォー!?」

 そう、トロトロ。気付いたときにはとろりとしてヌルヌルな粘液に塗まみれていて、飛べなくなってしまったのだ。この粘液の正体はというと、お察しの通りヌメイルの分泌液である。人知れず辺りに隠れ潜んでいた大量のヌメイルたちが丁度一斉に目を覚まし、荒ぶるハクリューが降らせる雨に喜び、次々と姿を現していたのである。いくら防水機能を備えた機種といえども、理性がややない分ヌメルゴンのそれよりも強力な、骨でも何でも溶かしてしまうヌメイルの粘液の前では形無しだった。ロトムは急いでスマホの中から脱出し、辛うじて命拾いしたが、スマホは内部データまでみちづれにしてそのまま昇天してしまった。
 殻のような、家のような……大切な拠り所スマホを失ったロトムは、身一つになってしょんぼりと持ち主の元へ舞い戻った。塔の上からその様子を見ていた彼は、「仕方ないさ、スマホはまた買うから、そう気を落とすなよ」とロトムを励ました。ただ、連絡手段を失ったので、異常を上に報告できない。塔の足元はわんさか湧いて出てきたヌメイルに囲まれてしまって、降りようにも降りられない。彼はそこまでポケモン勝負が強くなかったので、あの数のヌメイルを相手取って無事に切り抜けられる保証など皆無だった。身動きがとれず、助けも呼べず、万事休す。
 オージャ第2物見塔担当のパルデアリーグ職員のおじさんは、塔の下で無惨に溶けゆくスマホと、北西の湖面で益々ますます荒ぶりゆくハクリューと、気付いているのかいないのか、南西の草原でヌメイルと次々対戦しては少しずつ野生のヌメルゴンを増やしてゆく少年少女を、ドキドキしながら眺めることしか出来なかった。

「ロトォ……」

 ロトムもすっかり意気消沈した様子で、彼の隣で悲しそうにふよふよと漂ただようばかりであった。

 ――嗚呼、せめて向こうの物見塔担当者が、こっちの異変に気付いてくれたらなぁ。

 そんな時である。彼が、エンペルトに乗って大渦の中心に突き進んでゆく女性を見たのは。


***


 ――何だアレ!? な……何だアレ!?

 一方こちらは、向こうの物見塔担当者こと、オージャ第1物見塔担当のパルデアリーグ職員のおじさんの心の声である。

 ただいまの時刻は午前十時四十五分。彼は、どうやら担当エリア内でシャリタツが大量発生している気配があったのでそれを速やかに上に報告した後、ふと異様な何かを見付け、それ以降はずっと夢中になって単眼望遠鏡を覗き続けていた。つまりこの間、彼の視野は極端に狭まっていた。焦点を当てた所はよく見ても、その他周囲は等閑おざなりになってしまっていた。だから、この塔の東にある橋の辺りで五人のアカデミー生が闇バイトのためにシャリタツを乱獲していたことや、その更にもう少し東でヌメイル改めヌメルゴンが大量発生し始めていたことには、全く気付けていなかった。因みに、彼のいる位置からは件のハクリューはちょうど湖の中央に浮かぶ小高い小島の陰になっていたため、そもそも見えていなかったようである。
 さて、彼は一体何をそんなに夢中になって覗いたのか。答えは、あの超巨大ヒスイヌメルゴンである。
 「シャリタツほどではないけど、今日は何だか全体的にポケモンの数が多い気がするなぁ」と思いながら、ひとまずの報告を上げた彼が塔の天辺からぐるりと辺りを見渡したのは、つい十五分ほど前のこと。その際、どうにも腑に落ちない違和感があった。彼は何度かここの当番を経験していたが、今日のこの景色は、いつもとは違う物があるような、そんな気がしてならなかった。それは草木の伸び具合といった微々たるものではなく、天気による色彩の変化というものでもなく――そして数十秒後、彼は気付いた。

 ――そうだ。あんなデカいオブジェクト、あそこにあったっけ?

 方角は北北東。ちょうどオージャの大滝がある方を向いて、位置は湖の手前、陸地にある崖の上。その辺りには数本の針葉樹が生え、幾つかのゴツゴツとした岩が転がっている。だが、今日はそこに加えて、あまりにも大き過ぎる――岩?うむ、岩にしては丸っぽくてツルツルした殻みたいな何かとても大きな物が、どしりと鎮座していた。あんな物は以前は無かったはずだ。高さは針葉樹と同じくらいかそれよりもあって、長さはその辺に転がっている岩の倍の倍の倍……は、言い過ぎか?いや、言い過ぎということはない。とにかくでっかい謎の未確認物体があった。そんな物を見付けてしまったなら、誰だって単眼望遠鏡があるならそれを使わない手はないだろう。

 ――嘘だろう!?アレ、もしかして生きてる?
 ――やっぱり!じりじりと移動しているぞ!?

 あれほど超巨大な何かが、ひょっとして未知のポケモンだとしたら、とんでもない大発見だ。噂でしか聞いたこともなかったが、何かしらの条件が重なって超巨大化したヌシポケモンというやつかもしれない。彼は静かに興奮して、レンズ越しにその生物の観察を続けた。対象が右にじりじり動くのに合わせて、彼も右にじりじり身体を回す。

 ――自分程度の腕前の者がアレと戦ったりしたら、きっと一溜まりもないだろうな。
 ――だってあれじゃ怪獣だ。おお、怖い怖い。

 ひしひしと恐怖を確かに感じながらも、アドレナリンもドバドバ。文字通り高みの見物をしていた彼だったが、再びじりと望遠鏡を動かしたとき、瞬く間にさあっと血の気が引いて我に帰った。背筋が凍るとはこういうことか、と。


「あ゛っ!?だっ、たーたた、タタタ大変ダ――!?!?」


 今さら学生たちの存在をそこに認めた彼は、あたふたと慌てふためいた。望遠鏡から目を離し、やっと肉眼で広範囲の状況を見てとって、そしてこれ以上ないほどまた慌てた。
 超巨大なヒスイヌメルゴンはとうとう学生たちの真後ろまで迫り、殻から出てその全貌を露あらわにした。

 ――まずい!子どもたちが、アレにやられてしまう!

 そんな時である。彼が、ハクリューに掴まってひらりと天から舞い降りてくる女性を見たのは。


***


「なっ――ピーニャ!!どうしたてめえも急げ!!」

「メロコ……ボ、ボク、腰抜けたかも」

「なんだと!?ったくこのコシヌケ!!」

「だからそうだよ!!??」


 もう抜ける腰のないピーニャは、おそるおそる振り向いて、見た。ヌシと思われる変わったすがたの超巨大ヌメルゴンの背後で、普通のすがたのヌメルゴンたちが犇めくように闊歩しているさまを。


「い、いつの間に……」


 そしてふと上空に、見た。突如として薄墨色の空が割れ、そこから差す陽光と共に降ってくるように現れた、キテレツな身なりの女性の姿を。


「えっ!?ここ、今度は何!?……ボク混乱して幻覚でも見てる?」

「おー……安心しろよピーニャ、多分オレにも同じ幻覚が見えてる」


 ただいまの時刻は午前十一時。天気は、晴れ。


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