被鷹視狼戻懐鷹揚

追想
ひようしろうれいかいおうよう

 『被褐懐玉ひかつかいぎょく』という言葉がある。褐かつを被こうむり玉たまを懐いだく。うわべは汚く粗末に思えるが、心の内は珠のように美しく、また優れているという意味だ。あいつは正にそれだった。
 より詳細に人柄を思い描きたければ、名にもある「鷹」からあたれば大凡おおよそ相違ない。時に怖いくらいに勇猛だが欲はなく、決して道義に悖もとることはしなかった。
 但し、それを知るには根気が要った。何せ、あいつは人との関わりを頑迷に拒むのだ。しかもかなり、かなり捻ひねくれていた。着せられた濡れ衣や被せられた汚名は着た切り雀で返上しようともしない。それらがあれば近付く者が減ってくれるから、と。寄ると不幸になるだとか、触ると火傷じゃ済まないとか。他人も当人もそれはそれは五月蝿くて、懐に入るにも入れるにも苦難の連続だった。

 そしてこれは、俺がぶち当たった最初の苦難の話である。


***


「ボクもやめといた方が良いと思うな」


 親友の京楽春水も、このように諭してくるばかりであった。
 護廷十三隊に入隊した年のことである。浮竹十四郎には、気になる同期入隊隊士がいた。何の集まりにも姿を見せず、悪い噂が絶えず聞こえてきて、彼の名を挙げれば聞く者は途端に渋を舐めたような顔をする。かつて統学院時代に同じ釜の飯を食った覚えもなく、そもそも彼は学び舎の屋根の下にいたことすらなかった。素性も顔も知らぬ同期――たった一つ既知であるのは、“志波しば天鷹てんよう”という名前だけである。


「どうして皆そこまで反対するんだ。噂はあくまで噂だろう。一度会ってみようかというだけなのに」

「癒えない心労の種が増えて終わりだよ。あんな希死きし念慮ねんりょの怪物みたいな奴、会えばこっちも疲れるだけさ」

「……お前は会ったことがある口振りだな」

「彼、一応五大貴族だからね。昔お固い場で何度か――ん、ヤメヤメ、とにかくお勧めしない。ああもう、どうして選よりに選って彼に興味もっちゃったかなぁ」

「だって一番隊所属なんだろう?先生がご自分で招き入れたであろう彼が、そんな悪いやつだとは……」

「“悪あく”というより“厄やく”というかねぇ……山じいの考えてることなんて分かんないけど、直々に手綱を締めておこうとでも思ったんじゃないの」


 肯定を否定される度に、却って気になる気持ちは大きくなっていった。
 浮竹は誰にも内緒で幾度か一番隊舎まで足を運んでみたが、件くだんの彼に見まみえることは叶わなかった。彼のことを「目が合うと呪われる」とか「災いの擬人だ」とか言う人もいたが、根も葉もなくて実に不快な悪口だと思って日々聞き流した。相変わらず抽象的な中傷が風にのって流れてくるし、彼の異常に膨大な討伐任務遂行記録は浮竹の事務仕事にも影を落としてくるのに、実体が掴めない。探しても行き当らず、待ってどうにかなるはずもなく、いつまで経っても埒らちが明かなかった。
 周囲の人々が志波天鷹を煙たがって遠ざけようとする一方で、浮竹は星かなにかに手を伸ばすような心持ちで彼の実態を知りたがった。

 浮竹が漸く彼の姿をその目に捉えることができたのは、それから半年は経った或る夜。京楽と共に窮地に立たされた時だった。

 その日、二人は数名の上官に率いられて遠い流魂街の或る所に虚討伐に赴いていた。信用に足る数件の目撃情報を頼りに訪れたその先で、彼ら死神は地区住民たちに歓びを以て迎えられた――かに思われた。驚く勿れも無理な彼、住民たちは或る奇異なる虚こそを神のように崇拝していたのである。死神たちは、その虚への供く物もつとして誘いざなわれたに過ぎなかった。
 この狂宴きょうえんから辛うじて脱出できたのは、ちょうど下座にいた浮竹と京楽の二人だけであった。住民たちに饗もてなされてすっかり気の緩んでいた上官は、上座に突如出いで来た虚の饗膳きょうぜんとなり、一人残らず度肝を抜かれて逝いった。


「くっ……嫌やんなっちゃうねぇ!こんなのってアリ!?」

「まるで歯が立たない……!悪い夢を見ているようだ……」


 相対する虚は、身の丈は三十尺を優に超え、頭は牛に似て角もあるが、それ以外は人のような形をしている。体躯は筋骨隆々として、鋼も負ける硬度の皮膚で覆われていた。浮竹も京楽も、その皮膚に出鼻を挫くじかれて始解前の斬魄刀を折られてしまっていた。逃げ回りながら鬼道を撃ってはみるものの長い詠唱をしていられる余裕はなく、小技の連発で小間稼ぎするのが精一杯だった。
 現状では勝てないとみて二人は離脱を試みるが、必死に走ろうと撒けるほどの距離は中々開けない。家々の陰から陰へ、それから森へ。そのとき、浮竹の右足に激痛が走った。


「あ゛ぅっ!!」

「浮竹!?どうしたの!?」


 なんとも原始的な、しかし覿面てきめんな罠。見れば足は鉄製の虎挟とらばさみに捕らわれて鋭利な歯が食い込んでいた。あまりの痛々しさに京楽は堪らずあぁ、と嘆く。その嘆きを嗤わらうかのように虚が嘶いななきを上げた。もうすぐそこまで追ってきている。


「走れそ――いや出来る訳ないよねごめん!待って、すぐ壊すから!」

「京楽!壊したとしても無理だ!」

「走れないならおんぶしていく!」

「やめろ!それじゃ二人とも追いつかれて終わりだ!俺のことは――」


 すぐ後ろで大きな足音がして、地面がドンと揺れた。おそるおそる振り向けば、神々こうごうしい牛頭の大きな金色の瞳に映る情けない自分たちの姿が見えた。


「――神というのも、強ち間違いではないのかもしれないな……」


 それからすぐ、ガパッと開かれた虚の口内の赤色で視界は覆い尽くされた。――それから。


「挂かかれ『黒耀こくよう』」


 真っ黒に塗り替えられた。一瞬、虚の口の中に納められてしまったのだと思ったが、違った。虚がいる側がわと自分たち二人の側を分かつようにして、間の地面から真ま黒くろい壁が高く迫せり上がり、視界を遮ったのだ。浮竹はまたおそるおそる、後ろから前へと首の向きを直す。


「へえ。君はあんなものを神のようだと思うか」


 少し低めのとても落ち着く声だった。知らない死神が独り立っている。暗くて顔貌かおかたちはよく見えないのに、血のように赤い両瞳だけは確と見えて、怖畏ふいから息を呑んだ。


「俺は嫌いだね。馬鹿がみる夢に出てきそうな化け物像をそのまま投影したみたいなところとか」


 雲間が覗いたのか、男の顔が月明りに照らされる。顔の左半分に大きな痣があって、左目には瞼を閉じると上下が繋がる傷痕があるのが見えた。あともう少ししげしげと眺めていたかったが、後ろの真黒い壁が虚に蹴られて大きな音を立てたので急に現実に戻された気分になった。右足には虎挟みが噛みついたままだが、京楽に手伝われて片足で何とか立ち上がる。


「ん?そっちは見た顔だ――あぁ思い出した。京楽家だろう、確か」

「どうも。あー……悪いけどアレの相手、頼んでもいいかい」

「応おう。連れと一緒に下がってな。……どれ、二本足で立っていることだ。少しは骨もあろう?なぁ」


 男の手にあるのは身の丈ほどもある漆黒の大刀たちだった。それを悠々と一振りすると、虚が蹴ってもびくともしなかった壁がまるで墨汁にでもなったみたいにすぅと傾なだれて、闇に溶けるように消えていく。そして再び相見えた虚は、自分よりずっと小さいその男を見て、何故か恐れをなしたように固まってしまった。


「なんだい。化け物が化け物を見たような反応して」


 男が地を蹴ったのを合図に、虚は気が狂ったような叫び声を上げながら暴れだした。振るう剛腕は当たった先から周囲の樹木や石塀を粉々に破壊していくが、男にはまったく掠かすりもしない。浮竹の目で追いきれない瞬歩を繰り返す赤瞳あかめの彼は、ふと気付いたときには地面に両腕を振り下ろして屈む恰好になった虚の背中の上に立っていた。即刻、そこに旗でも立てるように大刀を突き刺す。


「黒錵くろにえ」


 次の瞬間、ドッという鈍にぶい音と共に真黒い柱が虚の胸の孔――あたりから突き出て伸びて、そのまま地にも突き刺さった。浮竹はふと、こう思った。「あの虚の胸に孔はあっただろうか?」と。確かめようにも、あの太い柱が孔を通ったのか、はたまた孔を創ったのかは、今更もう判別しようがなくなっていた。
 男は虚の背中から大刀を引き抜く。どうやら斬魄刀が巨大になって柱と化していたのではないらしかった。さっきの壁といい、いま虚を地面に縫いつけている柱といい、あの『コクヨウ』という斬魄刀は“真黒い何か”を生み出す能力があるようだ。流水系なら水を、炎熱系なら炎を、云わばそれぞれ生み出す能力が備わっている訳だが……あの真っ黒は、いったい何なのか? 黒曜石に見えなくもないが――


「燐堝りんか」


 男は虚の背中の上から飛び降り、落ちる最中に目を閉じて技の名を唱えた。すると柱から黒い焔が揺らぎ立って、虚の巨体は瞬く間に燃えあがった。「黒焔こくえん」――とは表ひょうしてみても、普通の炎とは些か印象が異なる。「燃えている」というよりは「燿かがやいている」と言った方が相応しい気にさせる光景だった。きらきらの夜空が、容かたちをとってゆらゆらと動いているかのような。


「……おかしい……存外儚はかない。その風体でこの程度か。少しは終幕を期待したのに、くれたのは幻滅の悲哀だけとは……」

「いやいや何言ってんの強かったよアレ!おかしいのキミの方だからね!?」


 京楽が思わずといった風に声を上げた。浮竹はそんな彼に驚いてあんぐりと口を開け、疲れた横顔を凝視する。


「……まぁ、いいさ。死に場所はまた別にあるのだろう」

「まだそれ言ってんの?……はぁ……」

「京楽、彼は――?」

「……志波だよ。例の」

「『苗字で呼ぶのはやめてくれ』と俺は前にも言わなかったかな、京楽なんとか」

「ものすごく説得力がない」


 言い合いの間まに、向こうでは虚が燃やし尽くされて跡形もなくさっぱりと消えていた。赤瞳の彼が始解を解けば、身の丈ほどもあった漆黒の大刀は標準大の刀に戻る。しかしどういう訳か、柄も鍔も刀身も色は真黒いままだ。彼はそれを片手で遊ぶようにくるりと回した後、腰に佩はいた鞘へと納めた。


「そういや名を聞いた覚えがなかった。では訊こう、名は何と」

「え〜……どうせ聞いても仲良くする気なんてないんでしょ」

「便宜びんぎってものよ。この場に俺の他に二人いるんだ、お前に君ではややこしかろ」

「俺は浮竹十四郎だ」

「え?」
「ほう」

「そしてこいつは京楽春水だ」

「へ?」
「あい合点がってん」


 にこにこと他己紹介までした浮竹に、今度は京楽があんぐりと口を開ける番だった。


「よろしくな天鷹」

「よろしくはせんよ」

「何故だ!?」

「流せ。十四郎、今少しじっとしてな」


 流す気になれずまた「何故だ!」と言おうとしたが、己の右足から急に黒焔が上がったので驚いて言葉を失った。浮竹の頭の中には更なる「何故だ」の他に、どういうつもりで、斬魄刀は仕舞ったはずだろ、どうやって点けた、さっきの焔と何か違うような、あれ別に熱くない、どうしてだ、とそれはもう多くの疑問が忙しなく浮かんだ。しかも混乱しているうちに黒焔はとっくに消えていて、あの食い込んでいた虎挟みが無くなっていた。足自体は別に何ともなくて、火傷もしていない。


「ありがとう!でも何をどうやったんだ?」

「さてね。……? おっと、殺気だ」


 灯りのある方から、厳いかめしい顔つきの住民たちがぞろぞろと現れた。手には鍬や斧や鎌を持ち、どう見ても物騒な一揆が始まる予感しかしない。


「彼あれらはどういうつもりなんだ?化け物退治に加勢する気でいた様子でもなさそうだが」

「わっ、さっきの虚を変に奉ってた奴らだよ!洗脳されてるんだか本気で信じてるんだか……とにかくまずい、逃げちゃおう!」

「逃げる?あの面つらを見な、どこまでも執念で追ってくるよ。瀞霊廷まで付いて来られても事だろう。清算していこう」

「一理あるかもしれないが、彼らの足では此処から瀞霊廷まで何日もかかる。他所よその区を無事に抜けてこられるとも考え難にくい。なにもそこまでは……」

「キミたち悠長だねぇ?ボク面倒事はもうお腹いっぱいだってば!」


 異を唱えられても、天鷹は悩む素振りも恐れげもなく彼らに歩み寄っていく。住民たちは神を殺した不肖の者に鉄槌をと言わんばかりに怒りを爆発させ、言葉にもならない叫びを上げた。勢いだけは戦国の合戦かっせんさながらに、獲物は天鷹のみに絞って数十人が一斉に襲い掛かった。
 虚に与くみする住民の存在を護廷が知れば、野放しにしておく筈がないのも明白。天鷹の言い分は死神として合理的で至極真っ当である。さっきの化け物を相手に何の苦労もなく勝利した彼にとって、流魂街の一般魂魄なんてのは尚なお有象無象だろう。止めても無駄か――。


「…天鷹……!?」


 浮竹は目を疑った。てっきり造作もなく纏めて撥ね除けるか、一刀のもとに斬り伏せるかするのだと思った。
 しかし天鷹は何もしなかった・・・・・・・。防ぎも、避けも、守りもしなかった。振りかぶって降ろされた鈍なまくらの全てが、そのまま彼に直撃した。ぞっとする鉄錆てつさびの音が鳴って、京楽も浮竹も暫く思考が停止した。攻撃した彼らまでもが信じられないモノを見る目をして困惑している。


「……打撲くらいにはなるかねぇ。お前さん方、もっと頑張れないかい。寄って集たかって傷の一つも付けられないでは、振られる刃やいばが立場もなくて泣いちまうよ」

「なっ……天鷹!!お前なにを!!」

「言ったろう。清算さ。しかしこれでは、鉾持そっちも鉾先こっちも残念な結果だったな。すっきりしないよ、どうも」

「自ら捌はけ口に……っ、馬鹿な真似はよせ!いくら体が傷付かなくても……!」

「――ホラね。だから『やめとけ』って言ったんだ」


 京楽は苦虫を噛み潰したような顔をして、浮竹にだけ聞こえる小声で呟いた。住民の何人かは武器を取り落とし、震えながら後あと退ずさりしている。天鷹は一歩も動くことなく静かに肩を落とすと、ゆっくりと両の目を開いた。


「十四郎。君は甘いな、随分と」


 業ごうっ、と。
 住民はみな黒焔に包まれ倒れていった。

 殺してはいない。怪我すらさせていないだろう。しかし、彼らは体ではない何かを燃やされて何かを失った。起き上がった彼らは、自分たちが何の為に此処にいて、何をしようとしていたのか――崇めていた神のことをきれいに忘れてしまったみたいだった。剣難けんのんさはもう欠片も見せず、不思議そうに首を傾げながらそろりと家の中へ帰っていく。


「だが、嫌いじゃないぜ。そういう甘さ」


 こちらを振り向いてそう言った彼の瞳は血のように赤いが、涙はなかった。何故だかこっちが泣きそうになった。


「……なぁ、天鷹」

「ん。なんだね」

「よろしくな」

「…………こいつは手強そうだ。春水、言ってやれ。『キミの友達はボクだけで万々まんまん満足だろ』と」

「えぇっ!?何ソレ!?そんな恥ずかしいこと言えって!?やぁだよ知らないよ!……二人ともさぁ、頼むからこの先ボクを巻き込んで皺寄せとかしてこないでね?」


 げんなりする京楽の脇で、浮竹は瞬きも忘れて天鷹を見詰め続ける。そうしたら赤瞳の彼は居心地が悪くなったのか、ぷいと顔を逸らして溜息を零した。
 騒ぎが収まって漸く静寂が訪れたこの一帯で、息を殺していた秋の虫が澄んだ音色を奏で始めた。鈴が踊っているような綺麗な声が夜空に響いている。天鷹は緩慢に目玉だけを動かし、この場から去る前にもう一度だけ浮竹と目を合わせてくれた。


「おや――君にも何か憑いてないか?」


 何もかも見透かしてきそうな赤色は、美しいほど怖かった。






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