いっしきさんげ
1881年1月27日。
1881年1月28日。未明、空が見えず。尸魂界と虚圏、二世界が混濁する終末の兆しと見られる。西流魂街に突如として黒の巨塔が聳え、後に忽然と消失。
1881年1月29日。昼中、流魂街各地で虚との戦闘が未だ継続中。護廷隊士殉職の報も止まず。瀞霊廷内に於いても情報が錯綜し大混乱が起きている。隊長格の生死不明者有りとも。
1881年1月30日。夕刻、全事態収束を宣言。四番隊綜合救護詰所満床に就き、二番隊及び十三番隊隊舎を臨時救護施設として開放されたし。中軽症者は各隊舎にて各自療養を求む。
***
空が消えたが戻ってきた。
月も消えたが
でも、星は――もう返らない。
燃え尽きた星はどこへゆくのだろう。塵となって真っ暗闇を
一つ確かであると思うのは、俺がどうやっても手の届かない遠いところへ行ってしまったということだ。あいつが形見に遺していった鷹の目貫を握りしめ、その手を懐に仕舞い込んだ。
――――――
「こんばんは、浮竹隊長。あなたにお話があります」
上級救護班員が忙しなく行き交う十三番隊舎を抜け出し、喧騒から離れてすぐのことだった。耳は明瞭にその声を捉えたが、目は
「……用なら明日書面でも持ってきてくれ。すまないが、急ぎだとしても今は何も手に付きそうにない」
道を塞ぐ人影は立ち去らない。聞こえていないはずはなかろうに、うんともすんとも返答がない。既に手に余るほど抱えていた遣る瀬なさがこの些細なことで膨れ上がり、
「帰ってくれ……一人にしてくれ!ぼうっと立つ足があるなら何処へなりと行ってくれないか!!」
「……
「何も考えられない、もう何もしたくないんだ……!こんな役立たずに何の用がある!?」
「それは――天鷹サンの子の命が懸かっているとしても、ですか」
「…………な、に……?」
「襲来した虚の親玉の元々の狙いは、或る虚の心身の奪回――……いえ、奪略でした。しかし奴は途中から気が狂った。目的の虚を手に入れるうえでの障害であるとみた死神への当てつけとしてだけで、自殺覚悟で尸魂界を丸ごと潰そうとし……それは失敗に終わりましたが、まだ安心はできません」
「なんだ……何を言ってる?」
「あなたも本当は解ってるでしょう。天鷹サンが護ってくれたからこそ、ボクも、あなたも、尸魂界も、こうしてまだ存在してるんス。それなら、天鷹サンが本当に護りたかったものを、ボクらが護らないでどうするんですか――」
相手は初め毅然としていたかに思えたが、それは見せ掛けだった。一夜城に到底及ばない張りぼては瓦解した。途中から声は情けなく震えだし、足は一人で立つ力も残っているかどうか危うい。いま俺がこの胸倉から手を放したら、彼は膝から崩れ落ちるだろう。やっと相手の顔をよく見てみれば、可哀想なくらい涙でぐしゃぐしゃだった。
「――そうか、君が…浦原喜助……二番隊三席か」
「はい。……お初にお目に掛かります、浮竹隊長」
「っ……まだ安心できない、とは……どういうことだ」
彼は胸倉を掴んでいる俺の腕に力なく手を添えた。「もう大丈夫だ」というのだろう。手を放すと彼は二、三歩よろけたが、ちゃんと地に足をつけてゆっくり深呼吸をした。こちらもつられるように空気を吸い込めば、肺と頭がキンと冷えた。
「親玉である桃色の最上級大虚――仮に“桃色の悪魔”とします。奴は天鷹サンに対して並々ならぬ怨恨……狂熱の憎悪ともいえる激情を向けていました」
「どうして……そこまで恨みを買うことになったんだ」
「奴のアレは狂気としか言い様がないものです。
「……あの瞬間……あいつの一番近くにいたのは、俺だ」
「! ……聞かなかったことにします。既に別の人から同じ台詞を聞きましたんで」
彼は息を呑んだが、俺の自白は飲まなかった。誰にも彼にも気を遣わせて、まったく腑甲斐ないことこの上ない。隊長が廷内守護の任を放り出していたなんて前代未聞だろう。お歴々に知れれば大問題、公になればまず首が飛ぶ。
「虚圏は未だ全てが謎に包まれている世界です。痛恨ながら、向こうで何が起きていたかを我々は一切知り得ません。ですが天鷹サンはきっと“何か”を燃やしてくれたはずです」
「君は……黒焔のことも知っているのか」
「エッ それは……あの人、別に隠してるワケでもなかったんじゃないスかね……というか結局どういう力なのか本人すらもよく解ってないみたいな感じでしたし……」
「あれ?……それもそうか……」
「……え、えっと……それで……恐らくはそのお蔭で、桃色の悪魔が持っていた『尸魂界そのものを害そう』という意は絶たれました。でも、天鷹サンが向こうで奴を倒しきれたという保証は……どこにも無いんス」
解っている。俺も頭のどこかで予想していたことだ。それでも、聞きたくもない話だと思った。
天鷹は尸魂界からいなくなったあの時点で力を使い過ぎていた。霊力も、体力も。とっくに心尽き果てていてもおかしくなかった。そんな状態で虚の世界に単身乗り込んだのだ、無事でいる可能性は限りなく低いだろう。解っているが、分かりたくない。回る己の頭が恨めしかった。
「……浮竹隊長。護りたいものを護るためには、いつでも最悪の事態を想定しなくちゃなりませんよ」
「ふぅ……なぁ、思考を読まないでくれないか」
「ス…スミマセン、僣越な真似を……」
「……だが、君も気持ちは同じだろう。俺の方こそすまない。こんな感傷は今は度外視しなくてはな。改めて、聞かせてくれ。君が想定しうる最悪の事態と、最善の対策を」
――――――
深夜。現世は
この辺りは昔から十三番隊管轄で、長く所属している者であれば一度は駐在任務に就いたことがあるという場所である。かくいう俺もそうだ。俺が此処に立つのは、まだ入隊して十年も経っていない若輩であった頃以来になるか。
「天鷹が出会ったあの女性は、此処の人だったのか……」
「アラッ?……ご存知なかったんスか……?」
「人間の女性――干歳さん、だったか?あの子が生まれたあと、瀞霊廷にいた半年間に何度か会ったが……故郷を尋ねても、どうせ俺では分からないと思っていたからな」
俺が天鷹から彼女のことを初めて明かされたのは、あの子が生まれる一週間ほど前のことだった。仕事後の羽伸ばしに俺の処まで茶を飲みにきてくれたあいつは、いつもなら目もくれなかった俺の本棚を漁りながら、開口一番こう言ったのだ。
「なぁ十四郎。もうすぐ女の子が生まれるんだが、どんな名前がよかろうな」
驚きすぎて目玉も心臓も飛び出るかと思ったが、その唐突さはあまりに
「……思い出に浸っている場合じゃないな。早く取り掛からなければ――」
「――死神、さん?」
背後から声を掛けられてどきりとした。浦原三席も同じく思ったようで、二人揃って徐に首を回す。……およそ三年振りに見る、干歳さんの姿があった。
「ああ、やっぱり。喜助さんに、十四郎さん。いらっしゃるなら、そろそろかと思っていたところです」
「干歳サン……そろそろ、って……」
「なんとなくわかるんです。天鷹さんも。ニルも。私たちは見えない糸で繋がっているから」
彼女は胸に手を当て、微笑みながら涙を一筋だけ流した。
「天鷹さんね、最後に会いにきてくれたとき、こう言ったんです。『もういくよ』って。いつもは『いってくる』だったのに」
両瞳はしっかりと俺たちを映している。黒い瞳なんて一風も変わらないよくある色なのに、彼女のそれはあいつの焔を連想させた。暫くの間を置いて、彼女はすいと夜空の星々に目を移す。
「もう会えないのは、とっても淋しいですよ。でも……彼はがんばって護りました。彼が愛していたみんな、みんなを」
「……干歳さん、これを」
「これ……彼の目貫、ですね。置いていっちゃったんですか?お気に入りだって言ってたのに」
懐から取り出した鷹の目貫を差し出すと、彼女はそれを摘まんで星に透かすように持ちあげた。目を細め、記憶にしっくり焼き付けるように、じっくり眺めた。
「よくできてますよねぇ。色々不器用なのに、こういうのは得意だったんだから……ふふ。はい、これはあなたにお返しします」
「えっ……でも、これはあいつの――」
「形見。……それでしたら、私にはあの子がいますから。これは天鷹さんのいちばんの親友の、あなたが持っていてください」
彼女はやおら俺の手を取り、きゅっと目貫を握らせた。外気に触れていた目貫はひんやりとして、却って俺の手の中で強く存在感を放った。「ありがとう」と告げて懐に仕舞えば、彼女は喜ばしそうに頷いた。
「――あら?いつの間にか喜助さんがいませんね」
「――あ。本当だ……」
のんびりしていて良い時ではないというのに、つい話し込んでしまった。俺も早く手伝いに行かなければ――
「ねぇ、十四郎さん」
「な、なにかな?」
「……この先、あの子は大きく成長していくでしょう。心身だけの話ではありませんよ?なにしろ、私と天鷹さんの子ですから。よくないモノも引き寄せてしまうかも」
「そう、だね……」
「私では護りきれない時がくるかもしれません。ですから、ね?……陰ながらでも、遠くからでも。あの子を見守ってくれる人が多いに越したことはないのです。私たちに悪い――なんて、思わないでくださいね」
「う……干歳さんは……その……物凄く勘がいいんだな……?」
「いーえ。たぶん、蒼純さんや清之介さんには負けますよ」
……とは言うが、どうも彼女は人間離れした神秘的な雰囲気をもっている。全く以て不思議なことだが、そういう血筋なのだと考えるほかないだろう。この山の天辺に暮らす人間は何故か強い霊力を持っていることが多いのだ。これまでにも駐在員が何名か「人間に姿を見られてしまった」と慌てて相談してきたことがあった。しかし聞いてみれば「『こんにちは』と普通に挨拶をされた」とか「『ほう、これが曾爺さんの言ってた』って面白がられた」とかそんなのばっかりだ。今じゃ此処の担当者はなるべく山の天辺には近づかないように、というのが隊内の暗黙の了解になっていたりする。
俺も昔、此処で人間に姿を見られているのだが――それはまた別の話である。今は置いておこう。
「……あの、浮竹隊長」
「浦原三席。すまない、一人でやらせてしまって……どれ、今から俺も」
「いえ。カメラも霊圧観測機も結界装置も全部設置し終わりましたンで、ご報告を、と」
「えっ……もう終わったのか?さすが隠密機動だ……」
彼は俺の斜め後ろに立って囁き声で話してくるが、こそこそ隠れてやる意味は実はもう無くなっているよ……と、伝えるべきだろうか。ふらりと断崖の方へ歩いていっていた干歳さんは、こちらに背中を向けたままクスクスと笑っている。
「お二人とも、もうお帰りですか?」
「ああ……あまり瀞霊廷を空けて、勝手に現世に来ていることがバレてもいけないからな」
「……浮竹隊長。次はいつ来られるか分かりませんよ。もし最悪の事態になれば、そのときは駆けつけることになるでしょうけど……ボクやあなたとしては、もう二度と此処には来ない、と……そうなることが一番なワケですし」
「……そうだな……あの、干歳さん。帰る前に、あの子の顔を見ていっていいかな」
「もちろん。今はすやすや夢の中ですが、どうか会ってあげてくださいな。あなたはあの子の名付け親ですもの」
「――ああ。ありがとう」
彼女の案内で屋敷の寝室にお邪魔した。小さな布団に、小さな子が眠っている。
畳に正座して、すやすやと眠る女の子の頭に手を伸ばし、そっと撫ぜる。こんなに小さい子が、もう父親に会うことができないのか――そう思うと、胸が張り裂けそうだった。
ごめん。ごめんな。君のお母さんはもう泣いていないのに、俺が泣いたらだめだよな。
屋敷から出てすぐ、浦原三席が穿界門を開いた。名残惜しいけれど、どうか。もう来ることがありませんように。
門が閉じきる前に一度だけ振り返ると、干歳さんが手を振ってくれていた。
(さようなら)
小さく口を動かして、微笑んで――ふわり、と。彼女の肩に白い鳥がとまった。ずっと昔にも目にしたことがあったような、絹のような白さだった。
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