無辜の血眼 –穢流–

追想
むこのちまなこ –あいながし–

 ――『たっとい』ってなんだっけ。

 尸魂界において、貴族とは、権力と財力をほしいままにする支配層である。
 護廷十三隊に参入して自らも前線に立ち、誇りと正義を謳い戦う者もいるにはいるが、それも一斑いっぱんに限られる。朽木家がその最たる脈であり、他に一般にもよく知られている代々の死神貴族といえば、実のところ京楽家くらいのものだ。志波家も昔は優秀な死神を多く輩出していたそうだが、本格的に拠点を流魂街にうつしてからここ何百年かは護廷との縁も途絶えているという。
 「貴族だが死神をやっている」というだけなら腐るほどいる。しかし、それは分家から出される奉公人じみていたり、惰性で所属しただけでやけに志が低かったりする。下級貴族は“貴族”と付いてはいるが、押しべて五大貴族や上級貴族に帰属する腰巾着だ。武力や商売といった特技で成り上がった元平民である場合も案外多い。例外として、四楓院家の長が組織し始めた隠密機動は護廷と密接になりつつあるが、それも最近の事である。

 剣を手に堂々と戦って死ぬのと、汚い手でおりに沈められて死ぬのは、どちらがましか。

 有力貴族の殆どは、態々危地に飛び込んで命を張ろうとはしない。護るのではなく、護られる存在として君臨する。何か命を懸けなくてはならない手が必要になれば、そのときは下々の駒を使うか、醜く互いを蹴落とし合う。なんなら、特段命を賭ける必要もないのに、更なる利権を得たいが為に水面下で陥れ合い潰し合う。そういう世界だ。矛盾だらけだ。
 貴族同士の権力争いに負けた者達は、様々な罪をでっちあげられ着せられて、地獄蝶無しで断界に追放されたり、使用人を含む一族郎党が処刑場で虚にいたぶり殺されることもあった。

 ひとつ龍堂寺ふたつ痣城みっつ藤坂――まだまだ。
 今もどこかに消えた命がある生き残っているかもしれない。

 鬼より鬼らしかろう。貴が貴を殺すなど、さして珍しくもない事なのだ。弱肉強食、諾諾だくだく虚飾。高みにある羨望の的はように狙われる、白羽の矢が立たぬよう精々骨に刻むといい。水面みなもに浮かぶ一葉いちようは余りに目立つ、投げ石で沈まぬよう呉々くれぐれ気張り給え。
 複数の貴族が結託すれば、標的として指し示された者は、そこで終わりだ。

 
『だがこれが、五大貴族本家の長男が的ともなると、たばかろうにも難航するらしくてね?』


――――――


 春水少年の元に『無駄な集まり』への招待状が届いたのは、梅雨入りの頃だった。十中八九、時灘少年による余計な世話だ。嫌がらせと言っても差し支えない。彼が綱彌代家当主である大叔父に口添えでもしたのだろう。京楽家が『無駄な集まり』に仲間入りしてくれる可能性が僅かでも有るなら、招待するだけしてみようとでも考えたか。
 「僅かも無いよ」。春水少年は無論この誘いを蹴った。

 蹴ったがしかし、行ってみた。『無駄な集まり』の終了時刻からうんと過ぎてから行ってみた。小雨の降る夕涼ゆうすずに、淡い紫色の空を菅笠すげがさの内から眺めながら一人で歩いた。
 会場は家からそう遠くなくて、これまでにも何度か訪れたことのある所だった。そこは貴族専用の公民館のような施設で、三階建てで部屋数は大人でも迷うほどあって、目と鼻の先には美しい花園と清らかな小川がある。散歩道として有名な辺りだ。が、天気と時間帯のせいか往来はまばらだった。
 春水少年は楼門ろうもんを潜ったあたりで確信した。――近くにあいつがいる。霊圧を探ったとか痕跡を見つけたとかではなくて、直感みたいなものだった。会いたくないと思っていたのに、足は止まらなかった。二連打ちが続く敷石の案内を無視して脇道に逸れ、ぐろの玉砂利の上を飴色の竹垣に沿って進んだ。実家でもない敷地に踏み入って砂利を鳴らすとは失礼で行儀の悪いことだが、音を聞きつけて咎める人の気配などなかったから、構いやしなかった。


「……キミさァ、血塗れで花にうもれるのが趣味なの?」


 棺桶と別れ花が連想される光景だった。春水少年の首の高さまでふんわりとある瑠璃色の紫陽花あじさいの根元に、赤い少年がもしゃりと仰向けに倒れ込んでいた。気怠げに瞼が開かれ、あの赤瞳がこちらに向いた。


「誰かと思えば……また変人か」

「狂人に言われたくないってば」


 前回より出血量は少なそうだが、大怪我であることに変わりはない。雨水に流し清められようと、まだ微かに鉄臭さが残留していた。事情も知らないうるわしい御仁がこの有様を見掛けたら、腰を抜かして泣いてしまうだろう。


「ねぇ、その腕……ちゃんと動く?」

「動くとも。さっきまで血が止まらなくて鬱陶しかったが、大事ない」


 彼は二の腕に刀で斬られたのであろう大きな傷を創っていた。痛みで叫んだっておかしくない。その胸にある傷だって、死んでしまってもおかしくない。


「なんで来るの?何回目なの?わかってるんでしょ?……自分を暗殺するために呼んでるんだって……わかってて、わかってて!……どうして来るの」

「……はは、もう世間知らずとは言えんな」

「笑うような時じゃないでしょ。なんにも面白くなんかない。笑わないでよ」


 ――キミがそんなんだと、ボクがツラいの、バカみたいじゃない。

『わかるかい?春水。手間で面倒な権謀けんぼう術数じゅっすうを巡らすよりも、堂々とお招きして、そこで不幸にも辻斬りに遭って頂こうという寸法さ。集まりの名目は何でもいい。講演会でも、茶会でもな。集まる貴族の数は多ければ多いほどいい。そうすれば、最終的にどこの家の手の者がやったのか、より不確かに――おっと、違った。辻斬りだ。何故か毎回正体不明の辻斬りが忍び込むのだったな?まあ、仮に無粋ぶすいやからが突き止めたとしても、何方どなたかが何もかも握り潰してしまわれるだろう。寧ろ、やり遂げた者の元には望むだけ金子きんすが降ってくるかもしれないな?いや、私も詳しい事は知らないさ。だがどうやら、彼には生きる価値がないが、挙げた首には価値があるそうだ』

 ――おかしいと思うのに、おかしい奴だらけなせいで、自分こそがおかしい気さえした。


「『京楽も呼んだが来なかった』と聞いた。君のことだろ?大遅刻で今更どうしたね」

「……べつに、散歩だよ」

「そうかい、それは災難。せっかくの時に目汚しすまなかったな。見なかったことにして家に帰るといい」


 ――『人扱い』してくれている。前にあんなこと言ったから。変なとこで実体じっていなやつ。


「……志波は帰らないの」


 言うと、赤い少年の表情にかげりが差した。しかしすぐに取り繕うように薄く笑って、困ったやつだ、と――そういうつもりの顔なのだろうが、どうにも、春水少年の目には悲しそうに映った。そうあれかしと願ったために、そう見えただけかもしれない。降られっぱなしでいた彼の顔についている水滴は、涙ではないのに。


「苗字で呼ぶのはやめてくれないか」

「……名前、なんていったっけ」

「そうじゃない。……そうじゃない。俺のことは『キミ』で十分」

「うん。キミは志波でしょ」

「君、聞かずだな?ことけ良しの異見聞かず」

「苗字で呼ばれることの何が嫌なのさ。家が嫌い?」

「……いいや。家族は好きだよ。だが、そうじゃなくなろうと思う」

「はぁ?」


 また訳の分からないことを、と思った。でも、嘘吐きにはとても見えない真剣な目をしていた。彼がずえの露をねさせながら身を起こすと、清楚な瑠璃色の枕のようである周辺の花にぬるい赤が塗り付けられた。


「家を出る。そうすればもう志波でなくなるだろ」

「苗字ってそう勝手に捨てられるモンじゃないでしょうが」

「呼ばせず、名乗らず、徐々に忘れてもらうとするさ」

「……名前を失くしてどうするつもり?本当に大悪人になってみるとか?」

「さてどうしようかね。序でに顔も隠せば、誰からも誰だか分からない何かになれるかな」


 名前を失くして、顔を隠して。そんなのって、なんだか――


「……虚にでもなるの?」

「ああ。そうなれたら、皆もっと本気でかかってきてくれるかもな。ところで君、虚については明るいか?」

「あんまり……だけど兄貴が死神やってるから、他の子よりは知ってると思う」

「何者が虚に成り得るか、というのは?」

「知ってるよ。現世で死んだ人間の魂魄でしょ?早く尸魂界コッチに連れてこないと、ずっと放っておくとなっちゃうんだって」

「そう。つまり、尸魂界こっち生まれの俺は残念ながら虚になれない」

「アッ……キミ、またボクのこと馬鹿にしたでしょ?『なれない』のに『なるのか』とか訊いたからお馬鹿さんだと思ったね?」

「はて?何のことやら……それに『また』でもないさ。最初だって『そのつもりはない』と言ったろ?……ふふ」


 ――笑わないでよ、とは言わなかった。先と違って、ちょっとくらい笑ってもいい時だと思ったからだ。罪おかしいの同胞はらからからのしいたげに耐えて自嘲するのではなくて、年相応に、同年代である自分と話して「可笑おかしいの」と思って笑ってくれるなら、それはいい。良い事だ。むかつくけれど、同じだけ嬉しくもあった。
 赤い少年は「さてと」と立ち上がった。春水少年は紫陽花に付いた赤がそのままである様を見て、雨が止んでいたことに気付いた。殺人未遂現場であった証拠となる血液の殆どは黒い玉砂利の下に吸われていて、どれほど流れ落ちたのかもよく見えなくしていた。


「もう暗い。君は家に帰れ。じゃあな」


 そう言うと、くるりと背を向けて歩き出した。着物の色は何色だったか、薄闇うすやみかすんでそろそろ判然としない。あれなら人とすれ違っても血塗れだとは気付かれないだろう。しかし、彼はどこへ行くのだろうか。

 ……家ではなく、どこへ?






※まだ続く。


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