暴虐は達観の果て

 デイン王国軍四駿・ガウェイン将軍配下のゼルギウスがその訃報を聞いたのは、野外演習場にて、燃えるように赤い落陽を見届けた直後であった。

 王弟と第一王子が、突如、続けて薨御されたというのである。

 絶句。誰もが耳を疑った。二者共に持病も疾病もなく、つい先日まで何の滞りもなく公務に励まれていたはずの御身だ。ゼルギウスと時と場を同じくしてこれを知った同僚の兵士の中には、先週、王弟殿下が狩りに出掛けられた際に供をしてきたという者がいた。第一王子殿下の御子に稽古をつけ、その御講評を頂いたばかりだったという騎士もいた。
 間違いなく健康体であった王族二名の突然死。それは、栄光の未来を夢見ていたデイン王国全土に風雲急を告げた。

 当然、何事も定かでない内から暗殺説が実しやかに囁かれた。遺体に傷が見当たらないことから、毒殺の線が有力だとされた。王位継承権を有する一族の多くが恐慌状態に陥り、王宮内は瞬く間に殺伐とした。固陋な大臣や将公達は、次期王位継承者として王弟を推挙せんと目論んでいた者と、第一王子を擁立すべきと主張していた者とに別れ、互いが互いを卑怯かつ不敬たる暗殺犯に違いなしと断じて目角を立てた。

 一介の軍属でしかないゼルギウスは、只々、日々荒れゆく情勢を横目に見た。此の身には、この乱の兆しに蓋をできるような器量など欠片もないのだとして傍観に徹した。仮に欠片があったとして、まず自分がどうにかしようという志高き勇者のような土気を塵一粒すら持ち合わせていない故に、どの道であれ彼は無視を決めただろう。見て見ぬ振りがまだ善く見える、見た振りをした。装わぬ無関心であった。
 デイン王家がどうなろうと正直どうでも良いと思いながら、一人だけ変わらない毎日を過ごした。背中にある忌々しい“印”が元で、生まれ落ちた瞬間から冷遇されてきた彼は、孤独の旅の末に食う為だけに離れた土地で仕官した。所詮そういう経歴だ。恋の如しに盲目に忠誠を誓える主など、この世の何処にもいない。常人とは異なる速度で成長をする肉体が奇異の目に晒されることを悚れて、屋内でも鎧兜を纏い、親しい相手を一人も作らなかった。そんな彼の心配事は、目下、師ガウェインから剣技の指南を得られなくなる日を迎える可能性について。唯、此れ・・の身・・であった。

 やがて間もなく、二勢力の疑いの目と責め口は順当に或る別方へと向いた。この場合に最も得をする者は誰かと思案したとき、真先に導かれる立場にあった、第二王子コバルトとその派閥等こそが黒幕だと決めかかる輩が続出し、声高に糾弾されだしたのである。
 するとこの時、それまで沈黙を貫いていた国王が首を振った。

 ――『コバルトではない』。

 王による庇い立ては、更なる憶測を呼んだ。特に目を掛けていた二番目の息子に位を譲るために、王自ら二人に手を下したのではないか。コバルト王子は叔父と兄の悪評を父王に巧みに吹聴し、教唆したのではないか。王は御乱心だ。第二王子の高潔は上面か。もしくは、それとも、まさか――

 全ては、あの第二王子妃による謀略ではないのか?

 第二王子妃ヘスペラは、その出自と血統の正確性が疑問視されることが度々あった。コバルトとの婚約当時、王家が民に向けて公に説いた叙事に拠ると、ヘスペラはベグニオン歴前百年にまで遡ることのできる貴族に列する家柄であり、由緒正しい淑女であるという。しかし、彼女の外戚がデイン国家に纏わる何かしらの役職に参じた記録は先にも今にも無く、彼女の両親や兄弟と会合した事があるという者も無い。国王の次男の妃として王宮に迎えられたというのに、彼女の家人は一名たりとも、デイン王家に薄明の影すら落としていなかったのだ。
 そうとなれば、やはり風説が沸く。ヘスペラ妃は自身の経歴を嘯き、国王と王子を騙してデイン王家に入り込んだ姦計の徒たる疑惑――無きの有らんや、と。彼女が人々の羨望の眼差しを一身に集めるほど妖艶な美しさを湛え、寡言で神秘的な雰囲気を醸していたことも、噂を盛られる大きな要因となっていた。

 ――『ヘスペラ妃は夫コバルト王子を国王に立てて王妃となり、更に息子セヴェンを第一位の後継とすることで、国家の全てを牛耳ろうとなさっているのかもしれない』。

 悲しいことに案の定と言うべきか、大衆の多くはその噂を持て囃した。コバルトとヘスペラは誹謗中傷非難轟々の的にされ、或いは、望まずして新生王家の旗印として担がれ、熱狂的に祭り上げられた。才気煥発のコバルト王子が次期国王に即位されるのならそれも良いと、一定の支持さえ得ていた。
 王宮内で当の王族を差し置いて繰り広げられる権力争いは、政敵を視線と言葉で牽制するものから、いつしか刃と蹄鉄で狼藉の限りを尽くすものへと変貌していった。王は子宝に恵まれていたため、その数だけ有る陣営が各々の主を国家君主へ押し上げようと躍起になった。デイン王宮内は、未曽有の無秩序に混沌と化した。かつてないお家騒動かと思われた。

 四駿が一人ガウェイン将軍は、予てより有望視していた王孫セヴェンの身の安全と将来を心から案じた。そしてゼルギウスは、我が師ガウェインが、渦中のその王孫殿下の亡命を援ける心算でいるならば、逃避行、いや決死行であろうとも、付き合わぬでもないと考え始めていた。先に言ったように、ゼルギウスが最も危惧する事態とは、まだ自分が剣を究められない内に、目の前からガウェインがいなくなる事のみであるからだ。
 ゼルギウスにとって、ガウェインは絶対の目標だ。剣の腕で彼を超えられたら、其の時こそ我が人生の終着点であると定めたほどだ。依然としてまだ追い付けていない。もっと教導を授けて頂かねばならない。私の剣は未完成であり、大成を迎えていない。この道の途中で師を失うような事になれば、私の人生は真に無意味なものに成り下がろう――。
 紫紺の夜明けが訪れ、新たな訃報が告げられた。

 コバルト。ヘスペラ。セヴェン。
 前触れもなく儚く薨御されたと。

 続報。第一王子の御子と妃。王女、悉く。
 急報。王家傍系諸侯に将軍、次々に急逝。

 死因は不明。もうこれは呪いだ。いいや、そんな馬鹿な。これは未知の病だ。きっとそうだ。王族でない、王宮に駐在する臣や軍人も多く死んだそうだ。だからこれは、不幸な流行り病だったのだ。なんと不運なのだろう。なんと凄惨な悲劇だろうか。嗚呼、お可哀想に。おお、おいたわしや。
 王宮に立ち入れない民たちは、空論をそのように纏めた。
 国王の崩御という一大の訃報も、倣ってそのように受け取られた。

 これには流石のゼルギウスも不動ではいられなかった。城内くまなく走り回り、必死で林野に馬を駆り、血眼になって上官の姿を探した。しかしとうとう、見当てること叶わなかった。
 神騎将ガウェインは失踪した。

 ――連れて行って頂けなかった。

 ゼルギウスは、絶対の目標を見失ってしまった。ゆえに彼もまた、大混乱の最中にあるデイン王国を去ることにした。どうせ数年以内には除隊して他所へ行くつもりであったのだから、それが少々早まっただけの事だと、そう自分に言い聞かせた。辛くはない。辛くはないのだ。
 「官軍でありながら傾いた国を見捨てるのか」と詰め寄られたら、彼は平然として「それは違う」と答えるだろう。彼は最初からデイン王国など見ていなかった。彼の双眸が遠く見据えるは、目標としていた壁が打ち崩れて消えた先の荒野。迷える剣の道の果てで光る残照である。

『私は君の苦しみを…誰より理解してあげられます』

 ――そうだ。嘗て己の身の上を打ち明けた、あの賢者殿の元に行こう。

『これから成すべき野望に、君の助けが得られれば心強い』

 ――私の剣の全ては、あなたに預けよう。

『君は1人ではなくなる』

 ――交わしたあの約束を、果たす時が来たのだ。

 心は決まった。これより、彼は目を閉じる。行き先は闇の中である。元より隠れ潜んで怯えながらしか生きられぬ運命にあったのだから、世界は暗さを取り戻しただけだ。
 こうして、印を負った孤独な魂は、印を生んだ孤独な魂の元へと参じんがため旅立った。若き孤高の剣士ゼルギウスは、己の剣の道に決して後戻りを赦さない。光が失われようとも、不退を誓って茨に身を投げ進み征く。


***


 デイン王国は国家瓦解と王家没落の危機に瀕したが、王族で唯一生き残ったとされる男が凱旋し、その頭角を現した。王位継承の最も遠い位置にいるとされてきた問題の御子。血に染まることも染めることも恐れぬ戦いの天才であり、剛腕の猛将と呼ばれる彼は、ベグニオン国境付近の戦場に赴き指揮を執っていたために流行り病の難を逃れたのだという。
 程なくして、彼は第13代デイン国王に即位する。

 ベグニオン歴627年。狂王アシュナードの時代が幕を上げた。


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