子を知ること親に如 かず、という。
何を好み何を嫌うか、何を良しとし何を悪しとするか。その子がどのような性格で、何を為せる人間なのか。それらを最も理解している存在こそは、親であるのだと。
粗方 は、まあ、そうなのだろう。十中八九そうならば、一や二の少数の例外のために世はそこまで配慮しない。しなくていいのだ、仕方がないのだ。本当に総 てを取り上げていては際限もフチもない。身も蓋もないが、キリがなくなる。
諺 を作るのも伝えるのも人である。どれもが過去の誰かの体験、所感、ふと思い付いた喩 えのどれか。有名な諺だろうと、全人類の総意とはならない。当て嵌まらない場合だってままあろう。
しかし実際、或 る一人が新しい言葉を考えついて使ってみたところで、全てが後世に広く伝わるものでもない。多くは発話者だか執筆者だかの発気 者が死ねば死語となる。そう、例えば“発気”だ。どうだろうか、見たり聞いたりしたことは? 書いたり言ったりしたことは?
だがまたしかし、時代を越えても世間一般で見聞き書き言いするのであれば、その言葉は多少なりとも人々の共感を得たり、使い勝手の良さや響きの面白味があったりしたからこそ、今日 まで語り継がれ生き残ってきたのだろうとも。つまりはやはり、大半の親とは子を知っているものなのだろう。
一人 虚 を伝うれば万人 実 を伝う、ともいう。
でたらめなことでも或る人が言いふらすと、大勢の人がそれをまた口々に言いふらして、無い事実を有ることにしてしまうのだと。同義として、一犬 影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ、とも。
たとえば、厳 つい見た目に反して臆病なグランブルなどは、一匹から始まって数匹が家の塀の陰から伸びる木の影に向かって必死に吠え続けたために、トレーナーは不審者がそこにいると思っておまわりさんに通報してしまった、なんて実例もあったそうな。
では、ここでこう口にしてみよう。
「『ガーディも歩けば棒に当たる』とは、野生のガーディはじっとおとなしくしていればいいものを、必要以上に人を追い立てて吠えてしまうから、棒で叩かれるハメになる……ということから、『余計なことをすると災難に遭う』という意味の諺です」
……そんなのポケモン虐待だって? いやいや、この諺が使われ始めたのが何時何処だったのか、考慮してみてほしい。たしかにガーディは古代にも人と生活していた証拠が残っていると研究により明かされたポケモンだが、全ての地域・時代において等しく憐 れまれ尊ばれていたワケでもない。人とポケモンが互いに恐れ合い、反発していた事実があったのもたしかだ。
真偽は、はてさて。これもお暇なときに調べてみてほしい。
総括――大半がそうだとしても、例外はあるものだ。子どもでも聞いたことくらいあるようなメジャーな諺でも、元々より意味がブレて正反対の意味も持っていたりするものだ。
だから、他人の考えた諺の引用も程々に。場面に即すか、相手に誤って受け取られる綾がないか、慎重に見極めよう。自分の心を言葉にできるのは、自分だけだ。他人の言葉に自分の思いを任せきりにすることのないように。
……かといって、私見に自信を持ちすぎるのも良くない。前回も言った。言ったばかりのはずだ、「思い込むな」と。たとえば――
***
――自分が一番よく分かっている。アイツの親よりもオレが。キランのことは、誰よりもオレさまが、何でもよく知っている。
十年ほど昔の話である。ガラル地方はナックルシティに、イッシュ地方からとある一家が越してきた。父親、母親、女児の三人で構成されるその核家族が新生活をスタートさせたのは、古風で立派なお屋敷。しかし内装は当時最新のデザインも取り入れたオール電化で、実は新築一戸建て。高級分譲住宅の内の一件だった。
ナックルシティは、中世の城壁を活かしたまちづくりがなされている歴史ある街である。「ワレこそは{王族・貴族・騎士}の子孫であり、先祖代々この地に住んでいるのです」という誇り高い名家が幾つもあったりするが、この頃はもう、余所者を受け入れないようなお堅い雰囲気はなくなってきていた。というのも、ここ数年はマクロコスモスの社長・ローズ氏による新たなる計画都市“シュートシティ”に対抗するかのようにして、積極的に人口増加・商業活性化の大計画を推し進めていたところであったからだ。空いた古民家には地方外からも移住者を募ったり、若者の独り立ちの新天地として選ばれやすいように比較的手頃な家賃のアパートが建てられたりしていた。そしてこの度は、老朽化して寂れた区画を思い切って解体し、かつての街並みのイメージを崩さないように見た目だけは古風な高級分譲住宅地として甦 らせた、というワケである。
そこへ越してきたのは、なにも余所者ばかりではなかった。古い街に住んでいるからといって、住民がみな古い物好きとは限らない。古くて住みづらい家は物好きな移住者に売り渡して、この新築に移り住んだ一家がいた。その一家の一人息子というのが、当時十代 のキバナ少年である。
同じ住宅地内に、同じ日に越してきた、二つの家族。それも一番ご近所、おとなりさん。勿論さっそく初日に挨拶を交わした。
二家ともに大型家具を引っ越し業者が搬入し、その監督を家長である父が務めている間に、玄関先に立ち尽くす母子同士で目が合ったのが最初だった。どちらからともなく自然と歩み寄って、母達は囀 ずるようなソプラノで「どちらから」とか「おいくつで」とか話し始めたのだった。
母達の口と同じ高さにあったキバナ少年の頭は、暫くして腿 の裏と脹 ら脛 がくっつくほどグンと完全に屈んだことで、その半分より下へ。そうして彼に目線を合わせてもらった女児はというと、幼 らしからずツンと澄ました表情を寸分も変えることなく、ただじっと、身長が二倍近くある少年の瞳を見返した。やけに物静かなのに度胸はありそうな女の子だな、というのが第一印象だった。
「よう、初めまして」
「……ガマゲロゲのおなか」
「んぁ?」
「その、めのいろ」
「あ〜ナルホド?ガマゲロゲってそっちにもいるのか」
「……しっちに」
「しっち?って、どっち?……あぁ、湿地か!そうか湿地な湿地。ムズカシイ言葉知ってんだなぁ。で何々 、イッシュ地方から来たんだって?さっきママさんが言ってるの聞こえた」
「んー……そう」
「名前は何 てんだ?オレはキバナ」
「……キランです」
「そうかキラン、これからヨロシクな!仲良くやろうぜ」
「……できたら」
「オイオイ、こういうゴアイサツのときは乗り気じゃなくても一応『こちらこそ』って言っとくもんだ」
「そう……こちら…こそ?」
「おう、よくできましたー」
キバナ少年は一人っ子だったが、前に住んでいた家のご近所には年下の子が何人もいたから、小さい子の相手は中々慣れたものであった。それでも、言葉少なとはいえ恥ずかしがっているでもなく、こんな風に落ち着いてしっかりと受け答えできる子は初めてだった。
「年は?いくつだ?」
「…………えっと…」
「4歳になったばかりなんですー」
キランが口ごもっている隙に、彼女の母親が上から答えを降らせてきた。キバナ少年は思わずそちらを見上げた。たいへん愛想の良い笑顔がそこに浮かんでいる。けっこうな美人だ――と思った直後、キバナ少年は自分の母親に後頭部をペシと叩かれた。教えてもらったというのに返事もせずアホみたいに口を開けたまま不躾に相手方の顔をジロジロ見ている息子を諌める、愛ある一撃である。
急に振られたお話のバトンはキバナ少年に渡ることはなく、母達は再び二人だけで盛り上がる。「ほんと?もうこんなにしっかりしてるのに」……「いえいえ」……「うちの子はその頃なんてばっちぃ単語を連呼するばっかりで」……「あらあら」……キバナ少年は反抗期の男子らしく「おいババアやめろ」と口を挟みたかったが人前なので堪 えて、ちょっと舌打ちしたいような気持ちになった。口をへの字にしながらキランに視線を戻してみると、彼女はまたじっとキバナ少年の瞳を見返して、そしてゆっくりと首を振った。その首振りは、何に対してのものなのか。まさかこんな年下の子に「やれやれ」された?……さすがに違うか。
じゃあ、「どうした?」……キバナ少年は訊こうとしたが、彼にとっては間の悪いことに、キランの父親が二階の窓から顔を覗かせて妻を呼んだ。搬入を大方終えたので、一緒に荷解きを始めて欲しいらしい。母達は「ではまた」「改めてどうぞ宜しく」などと結んでそれぞれの新居へと消えていく。キランも、母親に手を引かれて行ってしまう。どこか枝にぶら下がるヤレユータンのように若干浮きながら、やや引き摺られるようにして歩くキランは、去り際に一度だけ、一人ぼーっと動かないままでいたキバナ少年を振り返った。気のせいか、少々眉が八の字気味で、しょんぼりしているような顔が目に焼き付いた。
「あー……バイバイキラン、また明日な〜」
キバナ少年はヒラヒラと手を振って、小さな背が更にちいさくなるのを見送った。
どうせおとなりさんだ。話す機会は後でいくらでもあるだろう。お互い越してきたばかりなのだから、チョロネコの手も借りたいほど忙しくなるのは当然だ。今日はもうしょうがない。引っ越し作業を頑張ろう。何だったのか訊いてみるのは明日とかそれ以降でもいい。そもそも、そんな大事 でもないだろうし。ひとまず明日だ。「遊ぼ」って誘われたら、このオレさまが遊んでやってもいい。
明日。明日の明日、また明日。
そのまた明日。またまた明日。
まだまた明日。またまだ明日。
明日 、明後日 、明明後日 っと。
それともあしらって明明後日 ?
その明日というのが、本当の本当に、中々やって来なかった。キバナ少年は様々な時間帯に頻繁に家を出入りしていたが、全くキランは見かけられなかった。
――おとなりでコレって……つか、何日経った?あんなチビなのに泣き声とかも全然聞こえてこねえし……。
キバナ少年は訝 しんだ。あのくらい幼い子がいたら、壁の薄いボロアパートじゃなくたって、もうちょっとこう、騒がしくなるモンじゃないのか? 再会は一体全体いつになるのだろう。あと幾日 待ってろと?
いくら何でもおかしくないか?
どうしてこんなに鉢合えない??
こうも敢えなく会わないもん???
「……なあ、おとなり、なんか普通じゃなくね?」
だだっ広 いLDKでウォールナットの椅子に凭 れたキバナ少年は、母親がトントンと軽快に野菜を切る音を聞きながら、愚痴を溢すように言った。
今日も今日とてワイルドエリアで手持ちのポケモンを育成してきた帰りに、失礼だとは思いながらも、いつもよりおとなりに近寄って耳をそば立ててみたキバナ少年であったが、相変わらずおとなり一家は沈黙に包まれていたのだった。
「あら。世間知らずのクセに案外鋭いのねアンタ」
「てめえの息子に向かってなんだよそりゃ。もうちっと信を置いてくれ、信を」
「おとなりさん、旦那さんは仕事で殆ど空けてて、奥さんも働いてるのに一人で家事やって大変らしいよ」
「へー……ウチは……オヤジは手空いてたらやってくれるよな。ぶっちゃけ尻に敷かれてるし?」
「アンタこそ自分のお母様に向かってなんなのそれは。仲良く対等にやってるでしょ」
「ほーですかそーですか」
「まったく……アンタも手洗ってレタスちぎるの手伝いなさい」
「はいはい……」
「ハイは一回、ハイハイしてもいいのは赤ちゃんだけ!」
「はいよぉ〜ソレもう耳にタタッコ」
今晩の献立はシンプルなカレーライスと簡単なサラダらしかった。換気扇は回っているが、切ったばかりのタマネギの汁が空中に飛散していて、やや目に染 みた。
そういえば、キバナ少年が知る限りでは、おとなりからは俎板 や皿の音が聞こえたことはないし、カレーの匂いがしてきたこともない。焼き魚も、焼き肉も。分譲住宅だから我が家と造りは似通っているはずで、だとすると先刻近寄った辺りがキッチンに近いのだが。それに、土日の昼間でも掃除機をかけているような気配がしたこともない。それとも、最先端でお高い掃除機って、そんなに静かで素晴らしいのだろうか。キバナ少年の家では、両親が憧れの新築に移るために家計的に少し無理をしたために、掃除機や洗濯機といった家電類はお古のままであった。順次買い換えていくつもりではあるらしい。あのウィーンガタガタゴゴゴが何も鳴らなくなるとしたらきっと快適なのだろうが、うるささに慣れた身では、ほんのちょっぴり寂しくも思うかもしれない。
キバナ少年はぶちぶちと乱雑にレタスをちぎっては洗いながら、初日以来会っていないキランに思いを馳せた。姿を見ない。幼稚園には通っていないのだろうか。声が聞こえない。よく泣いて笑うはずの年頃だろうに。母親も気付いているはずだが、そのうえで話を少し逸らした。キバナ少年が「なんか普通じゃない」と思ったのは、「両親共働きで大変そう」だなんて理由ではない。現代ではそんなのありふれているし、寧ろ普通だろう。
息子がモヤモヤしているのを察知した母親は、諦めたように溜め息をついて、渋々といった様子で口を割った。
「……おとなりさんね、実の親子じゃないんだって。ママさん本人が一応私にだけはって、伝えてきてた」
「ふーん……亡くなった親戚の子、とか?」
「違う。夫婦で相談して、施設から引き取ってきた子だって」
「……そんなら、もっと時間つくって一緒にいてやったり……無理そうなら遊び相手くらいオレに頼んだっていいのに」
「……少し、体の弱い子だそうだし。おうちで絵本とか読んでるのかもね。アンタとは年もずいぶん離れてるから、幼馴染みって感じにもならないだろうしねぇ。ママさんも「おとなりの息子さんにあんまり迷惑かけたくないな〜」って気を遣 ってるんじゃない?」
「……かなぁ?」
そうだとしたら、こちらから首を突っ込んでいくのも憚 られる。越してきてからもう何日も経っているし、名前だってとっくに忘れられて「おにいちゃん、だれ?」なんて言われてしまうかもしれない。
「……ちょ、アンタ!レタスやりすぎ!おおい!一玉まるまる盛ってんじゃない!」
「あ、やべ。スマンスマン、オレ食うから」
「今週始まったばっかなのに!あーもう今週のぶんー!」
「げぇ。あー……じゃさ、明日ワイルドエリアでふといながねぎ採ってくるから」
「言ったなー?よぉし、もりもり頼むわ!」
それから暫くの間、ネギだけカレーうどんの日が続いたのは言うまでもない。キバナ少年のビブラーバはせっかくの新居にカレー臭が染み付くのを嫌って、翅 を軽めに振動させて超音波を発しては、毎日窓を開けろと催促した。
引っ越してきてから、半年ほど経った。
とあるなんでもない日に、キバナ少年はキランを見かけた。よく晴れていた正午のことだった。
事情を知ってもどうにも様子は気になってしまうもので、キバナ少年は毎日家を出入りする度におとなりにチラチラと目を遣 っていた。すると本日はなんと、早めの昼食を済ませてこれからワイルドエリアに向かおうと家を出たところ、キランが一人でおとなりの玄関先にいたのだ。荷物がぱんぱんに詰まっていそうなリュックサックを背負って、背伸びをして家の鍵を差そうとしていた。
いた!ついにいたぞ!キバナ少年は思わずといった風に声に出していた。
「……おお!?いる!?」
「……こんにちは?」
「おう、こんにちはだ!って、オレのこと覚えてるか?」
「……キバナくん」
「おお!?覚えてるのかよ!?すげえな」
「……? ふつう」
「そ、そうか?普通か……。で、これからおでかけか?お弁当もって公園に?」
「……ううん。かえってきたところ。こうえんじゃないし」
「ありゃ、そうなのか。これから遊ぶんだったら一緒に行ってやろうかと思ったんだが」
キバナ少年がそう言うと、キランはほんの僅かに目を瞠 った。心なしかキラキラとしているように見えた。
「お?オレさまと一緒に行きたかったか?なら、オマエの都合の良い日にまた…」
「いきたい」
「ん?」
「ふたりがかえるの、よるおそいから。よければ、つれてって」
「パパさんとママさんが帰ってくる前に……ってことか?うーん……連れてってやりたいのはヤマヤマだが、保護者に無断でとなると、やっぱなぁ」
「おねがい、キバナくん。そと、いってみたい」
いつの間にかキバナ少年の目の前――というより膝前に迫っていたキランは、彼の半ズボンの裾をぎゅうと握りしめた。なんだか必死そうだった。「おねがいします」。瞳を真っ直ぐに射抜かれる。これはどうにも――
「……よっしゃ!!行くか!!」
断れなかった。
小さな歩幅に合わせて、並んで歩く。キバナ少年は街中の公園に連れていく気だったが、キランは「そとがいい」と言ってきかない。「ここだってお外だろ」。「そうだけど」。「オマエが言うお外ってどこ」。「へいのそと」。……なぜか、女児を相手にしているのに刑務所が連想された。塀の外って。収監された囚人じゃあるまいし。
「まさかワイルドエリアに連れてけって?」
「そう。そこ」
「……オマエまだポケモン持ってないよな?あそこは野生のポケモンがいっぱいうろついてて危ねえから……」
「……もつ?」
「ん?」
「……んん。そと、いきたい」
「うーん……どうすっかなあ」
「だいじょうぶ。そと、ここよりこわくない」
「そうかあ?」
「だって、トモダチ、いっぱいいるでしょ?」
「トモダチ……って、ポケモンのことか?キランはポケモン大好きなのなぁ」
「うん。ヒトは、ちょっといやだけど」
「オレもヒトなんだがなあ」。キバナ少年は苦笑いしつつ、キランの右手をそっと握ってみた。身長差がありすぎて、左肩が沈みすぎる。めちゃくちゃ歩きづらい。そうだ、いっそ抱えちまおう!……やってみると、ひょいと一息で持ち上がった。気合いを入れすぎたせいか、別の理由か、構えていたより高く持ち上がってしまって危険な「たかいたかい」で放り投げたみたいになって、慌てて受け止めた。踵 を返してダッシュで南門に向かう。ビュンと風を切るその速さに、キランは初めて、「きゃあ!」と子どもらしい声を上げたのだった。
「そんじゃ日帰りキャンプな!初めてなんだし門から出てすぐんトコで精々だが、めいっぱい遊んでこようぜ!急げ急げ!」
「……うんっ!」
四歳の女の子といったって、軽い。いくらなんでも細いし軽すぎた。キバナ少年はちょっと涙が出そうになったが、誰に言い訳する必要もないのに、それを砂ぼこりのせいにした。
***
――キランのことはオレが一番よく知っている。
キランはナックルシティに越してきて間もなく、再会を果たす半年後のあの日まで、知らない町の知らない人の元に預けられていたという。キラン本人が、後日オレにだけこっそり教えてくれた。オレの両親はそれを知らない。キランの両親は、キランはずっと家にいて、母親が面倒を見ていたことにしている。
おとなりに帰ってきてからも、キランはほぼ軟禁状態だった。前に預けられていた謎の人とはまた別で、遠い地方にあるという母方の祖父母の家に預けられて姿を消している期間も長かった。毎年一年のうち半分はガラルにはいなかったはずだ。しかし祖父母の家から帰ってきたときのキランはいつもより健康そうだったから、向こうでは大切にしてもらえていたようだ。数少ない救いだ。
キランがこちらの家にいる間は、オレは柵を越え木を登り、二階の窓から顔を出すキランとよく話をした。「キバナくん、するするのぼれてアーボみたい」。彼女の両親が不在のときには、誰にもばれないように外に連れ出して一緒に遊んだ。日帰りキャンプ先もどんどん遠くへ挑戦していって、とうとうげきりんの湖の向こう岸にまで行けるようになったりした。
オレがジムチャレンジに挑んだ年にはそんなに構ってやれなかったが、キランは両親に隠れてテレビを観て、オレの試合の応援をしてくれたそうだ。残念ながら優勝とはならなかったが、惜しいところまでいったじゃないかと褒めてくれた。おとなしいキランにしては、少々興奮した様子だった。「ヒトが多すぎて画面越しでも酔いそうだったけど、ポケモンもみんな凄く楽しそうで、いいなって思った」。……これは案外バトル好きに育つのかもしれない。そして、オレの予感は当たる。
キランの好きな季節は冬。好きな食べ物は特になかったそうだが、オレと遊ぶうちにアイスクリームになったらしい。そういえば何度かエンジンシティのカフェやパーラーにも連れていった。あとは、おばあちゃんが作ってくれるごはんも。和食ばっかりなんだと。好きな色は自然の色。好きな服は甚平。ガラルとは全く違う文化がある地方のお祭りで着るもので、特別感があるとか、なんとか。好きな映画はツンベアーのアレ。有名なポケウッド俳優ハチクが若かりし頃に主演を掴んだ、アクションジャンルの初期作だ。なかなか渋い趣味をしている。何度も繰り返し観たせいで、ビデオテープが磨耗してきたって。媒体まで渋い。
あとオレが知っているのは、祖父母宅の近所の姉弟 とトモダチになったこと。「初めてヒトのトモダチができた」と言っていた。「オレは?」……いいか、トモダチっていうより、もう家族みたいなモンだしな。
そして五年ほど経つと、キラン一家はまた遠くへ引っ越してしまった……というか家を売ることはなくそのままにしてイッシュに戻っていったのだが、マメに文通を続けて連絡は取り合っていた。なんてことはない、「元気か」「元気です」「最近どうだ」「こんなことが」「こっちじゃあんなことが」といったスクールの連絡帳じみた遣り取りだったが、少なくとも文面からは、元気そうだなと思えて安心していた。字の上手さと文章構成の上達のほどに、身内事のように感激したりもして。
***
そして、現在。
「[なんでだよッ!?!?]」
イッシュ地方のブルーベリー学園に入学したというキランは、やっと自分のスマホロトムを手に入れられたそうだ。手紙に番号が書かれていたから、オレは放課後であろう時間を狙って電話をかけてみた。久し振りにオマエと話がしたくてかけたってのにこのヤロウ、どこのドロバンコの骨か。「誰といるんだ? なに、部活の先輩? 男か。男なのか? ソイツってどんなヤツだ? よーしどんなタマだかオレが見定めてやろうか」とか勢いで言っちまったから、現状の原因はオレなんだが。まあ、頭フワフワさせたチャラい見た目に反して、話してみると意外と人当たりは良さそうっちゃ良さそうだが?
ひとまずオレとキランの関係性はざっくり説明してやった。「昔ご近所だった兄貴分」って、マジでざっくり。スマホロトムの画面の向こうにいるキランの先輩とやらは、やや離れた位置に立っているキランには聞こえないように、電話口の側に顔を寄せて片手を添え、ヒソヒソとこう囁いた。
[でも、あのー……ポケモンの捕まえ方も教えてないとか、アニキ分としてどうなんすかねぃ]
――は?
――知らない。まだ知らなかっただなんて、オレは知らなかったのだ。大切な妹分のことを、まだまだ全然、分かってやれていなかった。
会って話したいと思った。確りと腰を据えて対面しなくてはならない。此処はそういう局面だ。
キバナの視線は、画面の向こうのカキツバタから自室のカレンダーへとすいと移される。ガラルで一番人気の現役ジムリーダーのスケジュールはカツカツである。それでもどうにか、何としても。
「……行くか」
[はぃ?]
「よーし!待ってろ、近々キバナさまがそっちに行ってやるぜ」
[え…は、突然なんですかぃ?ジムリーダーキバナがブルベリ訪問た〜ぁ……ッヒョ〜!そりゃケッコーでやんすねぃ!首長くしてお待ちしてますんで!あ、学園に話通すんならオイラがパイプ役になっても全然構わねっすよぅ!]
――べつにオマエを喜ばせるために行くんじゃねえからな、青二才。……サイン書いてやるくらいは吝 かでもねえけど。
何を好み何を嫌うか、何を良しとし何を悪しとするか。その子がどのような性格で、何を為せる人間なのか。それらを最も理解している存在こそは、親であるのだと。
しかし実際、
だがまたしかし、時代を越えても世間一般で見聞き書き言いするのであれば、その言葉は多少なりとも人々の共感を得たり、使い勝手の良さや響きの面白味があったりしたからこそ、
でたらめなことでも或る人が言いふらすと、大勢の人がそれをまた口々に言いふらして、無い事実を有ることにしてしまうのだと。同義として、
たとえば、
では、ここでこう口にしてみよう。
「『ガーディも歩けば棒に当たる』とは、野生のガーディはじっとおとなしくしていればいいものを、必要以上に人を追い立てて吠えてしまうから、棒で叩かれるハメになる……ということから、『余計なことをすると災難に遭う』という意味の諺です」
……そんなのポケモン虐待だって? いやいや、この諺が使われ始めたのが何時何処だったのか、考慮してみてほしい。たしかにガーディは古代にも人と生活していた証拠が残っていると研究により明かされたポケモンだが、全ての地域・時代において等しく
真偽は、はてさて。これもお暇なときに調べてみてほしい。
総括――大半がそうだとしても、例外はあるものだ。子どもでも聞いたことくらいあるようなメジャーな諺でも、元々より意味がブレて正反対の意味も持っていたりするものだ。
だから、他人の考えた諺の引用も程々に。場面に即すか、相手に誤って受け取られる綾がないか、慎重に見極めよう。自分の心を言葉にできるのは、自分だけだ。他人の言葉に自分の思いを任せきりにすることのないように。
……かといって、私見に自信を持ちすぎるのも良くない。前回も言った。言ったばかりのはずだ、「思い込むな」と。たとえば――
***
――自分が一番よく分かっている。アイツの親よりもオレが。キランのことは、誰よりもオレさまが、何でもよく知っている。
十年ほど昔の話である。ガラル地方はナックルシティに、イッシュ地方からとある一家が越してきた。父親、母親、女児の三人で構成されるその核家族が新生活をスタートさせたのは、古風で立派なお屋敷。しかし内装は当時最新のデザインも取り入れたオール電化で、実は新築一戸建て。高級分譲住宅の内の一件だった。
ナックルシティは、中世の城壁を活かしたまちづくりがなされている歴史ある街である。「ワレこそは{王族・貴族・騎士}の子孫であり、先祖代々この地に住んでいるのです」という誇り高い名家が幾つもあったりするが、この頃はもう、余所者を受け入れないようなお堅い雰囲気はなくなってきていた。というのも、ここ数年はマクロコスモスの社長・ローズ氏による新たなる計画都市“シュートシティ”に対抗するかのようにして、積極的に人口増加・商業活性化の大計画を推し進めていたところであったからだ。空いた古民家には地方外からも移住者を募ったり、若者の独り立ちの新天地として選ばれやすいように比較的手頃な家賃のアパートが建てられたりしていた。そしてこの度は、老朽化して寂れた区画を思い切って解体し、かつての街並みのイメージを崩さないように見た目だけは古風な高級分譲住宅地として
そこへ越してきたのは、なにも余所者ばかりではなかった。古い街に住んでいるからといって、住民がみな古い物好きとは限らない。古くて住みづらい家は物好きな移住者に売り渡して、この新築に移り住んだ一家がいた。その一家の一人息子というのが、当時
同じ住宅地内に、同じ日に越してきた、二つの家族。それも一番ご近所、おとなりさん。勿論さっそく初日に挨拶を交わした。
二家ともに大型家具を引っ越し業者が搬入し、その監督を家長である父が務めている間に、玄関先に立ち尽くす母子同士で目が合ったのが最初だった。どちらからともなく自然と歩み寄って、母達は
母達の口と同じ高さにあったキバナ少年の頭は、暫くして
「よう、初めまして」
「……ガマゲロゲのおなか」
「んぁ?」
「その、めのいろ」
「あ〜ナルホド?ガマゲロゲってそっちにもいるのか」
「……しっちに」
「しっち?って、どっち?……あぁ、湿地か!そうか湿地な湿地。ムズカシイ言葉知ってんだなぁ。で
「んー……そう」
「名前は
「……キランです」
「そうかキラン、これからヨロシクな!仲良くやろうぜ」
「……できたら」
「オイオイ、こういうゴアイサツのときは乗り気じゃなくても一応『こちらこそ』って言っとくもんだ」
「そう……こちら…こそ?」
「おう、よくできましたー」
キバナ少年は一人っ子だったが、前に住んでいた家のご近所には年下の子が何人もいたから、小さい子の相手は中々慣れたものであった。それでも、言葉少なとはいえ恥ずかしがっているでもなく、こんな風に落ち着いてしっかりと受け答えできる子は初めてだった。
「年は?いくつだ?」
「…………えっと…」
「4歳になったばかりなんですー」
キランが口ごもっている隙に、彼女の母親が上から答えを降らせてきた。キバナ少年は思わずそちらを見上げた。たいへん愛想の良い笑顔がそこに浮かんでいる。けっこうな美人だ――と思った直後、キバナ少年は自分の母親に後頭部をペシと叩かれた。教えてもらったというのに返事もせずアホみたいに口を開けたまま不躾に相手方の顔をジロジロ見ている息子を諌める、愛ある一撃である。
急に振られたお話のバトンはキバナ少年に渡ることはなく、母達は再び二人だけで盛り上がる。「ほんと?もうこんなにしっかりしてるのに」……「いえいえ」……「うちの子はその頃なんてばっちぃ単語を連呼するばっかりで」……「あらあら」……キバナ少年は反抗期の男子らしく「おいババアやめろ」と口を挟みたかったが人前なので
じゃあ、「どうした?」……キバナ少年は訊こうとしたが、彼にとっては間の悪いことに、キランの父親が二階の窓から顔を覗かせて妻を呼んだ。搬入を大方終えたので、一緒に荷解きを始めて欲しいらしい。母達は「ではまた」「改めてどうぞ宜しく」などと結んでそれぞれの新居へと消えていく。キランも、母親に手を引かれて行ってしまう。どこか枝にぶら下がるヤレユータンのように若干浮きながら、やや引き摺られるようにして歩くキランは、去り際に一度だけ、一人ぼーっと動かないままでいたキバナ少年を振り返った。気のせいか、少々眉が八の字気味で、しょんぼりしているような顔が目に焼き付いた。
「あー……バイバイキラン、また明日な〜」
キバナ少年はヒラヒラと手を振って、小さな背が更にちいさくなるのを見送った。
どうせおとなりさんだ。話す機会は後でいくらでもあるだろう。お互い越してきたばかりなのだから、チョロネコの手も借りたいほど忙しくなるのは当然だ。今日はもうしょうがない。引っ越し作業を頑張ろう。何だったのか訊いてみるのは明日とかそれ以降でもいい。そもそも、そんな
明日。明日の明日、また明日。
そのまた明日。またまた明日。
まだまた明日。またまだ明日。
それともあしらって
その明日というのが、本当の本当に、中々やって来なかった。キバナ少年は様々な時間帯に頻繁に家を出入りしていたが、全くキランは見かけられなかった。
――おとなりでコレって……つか、何日経った?あんなチビなのに泣き声とかも全然聞こえてこねえし……。
キバナ少年は
いくら何でもおかしくないか?
どうしてこんなに鉢合えない??
こうも敢えなく会わないもん???
「……なあ、おとなり、なんか普通じゃなくね?」
だだっ
今日も今日とてワイルドエリアで手持ちのポケモンを育成してきた帰りに、失礼だとは思いながらも、いつもよりおとなりに近寄って耳をそば立ててみたキバナ少年であったが、相変わらずおとなり一家は沈黙に包まれていたのだった。
「あら。世間知らずのクセに案外鋭いのねアンタ」
「てめえの息子に向かってなんだよそりゃ。もうちっと信を置いてくれ、信を」
「おとなりさん、旦那さんは仕事で殆ど空けてて、奥さんも働いてるのに一人で家事やって大変らしいよ」
「へー……ウチは……オヤジは手空いてたらやってくれるよな。ぶっちゃけ尻に敷かれてるし?」
「アンタこそ自分のお母様に向かってなんなのそれは。仲良く対等にやってるでしょ」
「ほーですかそーですか」
「まったく……アンタも手洗ってレタスちぎるの手伝いなさい」
「はいはい……」
「ハイは一回、ハイハイしてもいいのは赤ちゃんだけ!」
「はいよぉ〜ソレもう耳にタタッコ」
今晩の献立はシンプルなカレーライスと簡単なサラダらしかった。換気扇は回っているが、切ったばかりのタマネギの汁が空中に飛散していて、やや目に
そういえば、キバナ少年が知る限りでは、おとなりからは
キバナ少年はぶちぶちと乱雑にレタスをちぎっては洗いながら、初日以来会っていないキランに思いを馳せた。姿を見ない。幼稚園には通っていないのだろうか。声が聞こえない。よく泣いて笑うはずの年頃だろうに。母親も気付いているはずだが、そのうえで話を少し逸らした。キバナ少年が「なんか普通じゃない」と思ったのは、「両親共働きで大変そう」だなんて理由ではない。現代ではそんなのありふれているし、寧ろ普通だろう。
息子がモヤモヤしているのを察知した母親は、諦めたように溜め息をついて、渋々といった様子で口を割った。
「……おとなりさんね、実の親子じゃないんだって。ママさん本人が一応私にだけはって、伝えてきてた」
「ふーん……亡くなった親戚の子、とか?」
「違う。夫婦で相談して、施設から引き取ってきた子だって」
「……そんなら、もっと時間つくって一緒にいてやったり……無理そうなら遊び相手くらいオレに頼んだっていいのに」
「……少し、体の弱い子だそうだし。おうちで絵本とか読んでるのかもね。アンタとは年もずいぶん離れてるから、幼馴染みって感じにもならないだろうしねぇ。ママさんも「おとなりの息子さんにあんまり迷惑かけたくないな〜」って気を
「……かなぁ?」
そうだとしたら、こちらから首を突っ込んでいくのも
「……ちょ、アンタ!レタスやりすぎ!おおい!一玉まるまる盛ってんじゃない!」
「あ、やべ。スマンスマン、オレ食うから」
「今週始まったばっかなのに!あーもう今週のぶんー!」
「げぇ。あー……じゃさ、明日ワイルドエリアでふといながねぎ採ってくるから」
「言ったなー?よぉし、もりもり頼むわ!」
それから暫くの間、ネギだけカレーうどんの日が続いたのは言うまでもない。キバナ少年のビブラーバはせっかくの新居にカレー臭が染み付くのを嫌って、
引っ越してきてから、半年ほど経った。
とあるなんでもない日に、キバナ少年はキランを見かけた。よく晴れていた正午のことだった。
事情を知ってもどうにも様子は気になってしまうもので、キバナ少年は毎日家を出入りする度におとなりにチラチラと目を
いた!ついにいたぞ!キバナ少年は思わずといった風に声に出していた。
「……おお!?いる!?」
「……こんにちは?」
「おう、こんにちはだ!って、オレのこと覚えてるか?」
「……キバナくん」
「おお!?覚えてるのかよ!?すげえな」
「……? ふつう」
「そ、そうか?普通か……。で、これからおでかけか?お弁当もって公園に?」
「……ううん。かえってきたところ。こうえんじゃないし」
「ありゃ、そうなのか。これから遊ぶんだったら一緒に行ってやろうかと思ったんだが」
キバナ少年がそう言うと、キランはほんの僅かに目を
「お?オレさまと一緒に行きたかったか?なら、オマエの都合の良い日にまた…」
「いきたい」
「ん?」
「ふたりがかえるの、よるおそいから。よければ、つれてって」
「パパさんとママさんが帰ってくる前に……ってことか?うーん……連れてってやりたいのはヤマヤマだが、保護者に無断でとなると、やっぱなぁ」
「おねがい、キバナくん。そと、いってみたい」
いつの間にかキバナ少年の目の前――というより膝前に迫っていたキランは、彼の半ズボンの裾をぎゅうと握りしめた。なんだか必死そうだった。「おねがいします」。瞳を真っ直ぐに射抜かれる。これはどうにも――
「……よっしゃ!!行くか!!」
断れなかった。
小さな歩幅に合わせて、並んで歩く。キバナ少年は街中の公園に連れていく気だったが、キランは「そとがいい」と言ってきかない。「ここだってお外だろ」。「そうだけど」。「オマエが言うお外ってどこ」。「へいのそと」。……なぜか、女児を相手にしているのに刑務所が連想された。塀の外って。収監された囚人じゃあるまいし。
「まさかワイルドエリアに連れてけって?」
「そう。そこ」
「……オマエまだポケモン持ってないよな?あそこは野生のポケモンがいっぱいうろついてて危ねえから……」
「……もつ?」
「ん?」
「……んん。そと、いきたい」
「うーん……どうすっかなあ」
「だいじょうぶ。そと、ここよりこわくない」
「そうかあ?」
「だって、トモダチ、いっぱいいるでしょ?」
「トモダチ……って、ポケモンのことか?キランはポケモン大好きなのなぁ」
「うん。ヒトは、ちょっといやだけど」
「オレもヒトなんだがなあ」。キバナ少年は苦笑いしつつ、キランの右手をそっと握ってみた。身長差がありすぎて、左肩が沈みすぎる。めちゃくちゃ歩きづらい。そうだ、いっそ抱えちまおう!……やってみると、ひょいと一息で持ち上がった。気合いを入れすぎたせいか、別の理由か、構えていたより高く持ち上がってしまって危険な「たかいたかい」で放り投げたみたいになって、慌てて受け止めた。
「そんじゃ日帰りキャンプな!初めてなんだし門から出てすぐんトコで精々だが、めいっぱい遊んでこようぜ!急げ急げ!」
「……うんっ!」
四歳の女の子といったって、軽い。いくらなんでも細いし軽すぎた。キバナ少年はちょっと涙が出そうになったが、誰に言い訳する必要もないのに、それを砂ぼこりのせいにした。
***
――キランのことはオレが一番よく知っている。
キランはナックルシティに越してきて間もなく、再会を果たす半年後のあの日まで、知らない町の知らない人の元に預けられていたという。キラン本人が、後日オレにだけこっそり教えてくれた。オレの両親はそれを知らない。キランの両親は、キランはずっと家にいて、母親が面倒を見ていたことにしている。
おとなりに帰ってきてからも、キランはほぼ軟禁状態だった。前に預けられていた謎の人とはまた別で、遠い地方にあるという母方の祖父母の家に預けられて姿を消している期間も長かった。毎年一年のうち半分はガラルにはいなかったはずだ。しかし祖父母の家から帰ってきたときのキランはいつもより健康そうだったから、向こうでは大切にしてもらえていたようだ。数少ない救いだ。
キランがこちらの家にいる間は、オレは柵を越え木を登り、二階の窓から顔を出すキランとよく話をした。「キバナくん、するするのぼれてアーボみたい」。彼女の両親が不在のときには、誰にもばれないように外に連れ出して一緒に遊んだ。日帰りキャンプ先もどんどん遠くへ挑戦していって、とうとうげきりんの湖の向こう岸にまで行けるようになったりした。
オレがジムチャレンジに挑んだ年にはそんなに構ってやれなかったが、キランは両親に隠れてテレビを観て、オレの試合の応援をしてくれたそうだ。残念ながら優勝とはならなかったが、惜しいところまでいったじゃないかと褒めてくれた。おとなしいキランにしては、少々興奮した様子だった。「ヒトが多すぎて画面越しでも酔いそうだったけど、ポケモンもみんな凄く楽しそうで、いいなって思った」。……これは案外バトル好きに育つのかもしれない。そして、オレの予感は当たる。
キランの好きな季節は冬。好きな食べ物は特になかったそうだが、オレと遊ぶうちにアイスクリームになったらしい。そういえば何度かエンジンシティのカフェやパーラーにも連れていった。あとは、おばあちゃんが作ってくれるごはんも。和食ばっかりなんだと。好きな色は自然の色。好きな服は甚平。ガラルとは全く違う文化がある地方のお祭りで着るもので、特別感があるとか、なんとか。好きな映画はツンベアーのアレ。有名なポケウッド俳優ハチクが若かりし頃に主演を掴んだ、アクションジャンルの初期作だ。なかなか渋い趣味をしている。何度も繰り返し観たせいで、ビデオテープが磨耗してきたって。媒体まで渋い。
あとオレが知っているのは、祖父母宅の近所の
そして五年ほど経つと、キラン一家はまた遠くへ引っ越してしまった……というか家を売ることはなくそのままにしてイッシュに戻っていったのだが、マメに文通を続けて連絡は取り合っていた。なんてことはない、「元気か」「元気です」「最近どうだ」「こんなことが」「こっちじゃあんなことが」といったスクールの連絡帳じみた遣り取りだったが、少なくとも文面からは、元気そうだなと思えて安心していた。字の上手さと文章構成の上達のほどに、身内事のように感激したりもして。
***
そして、現在。
「[なんでだよッ!?!?]」
イッシュ地方のブルーベリー学園に入学したというキランは、やっと自分のスマホロトムを手に入れられたそうだ。手紙に番号が書かれていたから、オレは放課後であろう時間を狙って電話をかけてみた。久し振りにオマエと話がしたくてかけたってのにこのヤロウ、どこのドロバンコの骨か。「誰といるんだ? なに、部活の先輩? 男か。男なのか? ソイツってどんなヤツだ? よーしどんなタマだかオレが見定めてやろうか」とか勢いで言っちまったから、現状の原因はオレなんだが。まあ、頭フワフワさせたチャラい見た目に反して、話してみると意外と人当たりは良さそうっちゃ良さそうだが?
ひとまずオレとキランの関係性はざっくり説明してやった。「昔ご近所だった兄貴分」って、マジでざっくり。スマホロトムの画面の向こうにいるキランの先輩とやらは、やや離れた位置に立っているキランには聞こえないように、電話口の側に顔を寄せて片手を添え、ヒソヒソとこう囁いた。
[でも、あのー……ポケモンの捕まえ方も教えてないとか、アニキ分としてどうなんすかねぃ]
――は?
――知らない。まだ知らなかっただなんて、オレは知らなかったのだ。大切な妹分のことを、まだまだ全然、分かってやれていなかった。
会って話したいと思った。確りと腰を据えて対面しなくてはならない。此処はそういう局面だ。
キバナの視線は、画面の向こうのカキツバタから自室のカレンダーへとすいと移される。ガラルで一番人気の現役ジムリーダーのスケジュールはカツカツである。それでもどうにか、何としても。
「……行くか」
[はぃ?]
「よーし!待ってろ、近々キバナさまがそっちに行ってやるぜ」
[え…は、突然なんですかぃ?ジムリーダーキバナがブルベリ訪問た〜ぁ……ッヒョ〜!そりゃケッコーでやんすねぃ!首長くしてお待ちしてますんで!あ、学園に話通すんならオイラがパイプ役になっても全然構わねっすよぅ!]
――べつにオマエを喜ばせるために行くんじゃねえからな、青二才。……サイン書いてやるくらいは