5 照覧アナロジー
 そんなこと、ある道理わけがない。

 ――キョウヘイ現チャンピオン相手に三年前とはいえ3タテしたような強い奴が、今さら入学してくるワケがない。オイ・・ラの・・せい・・で攫われてしまった彼女が、都合よくオイラの後輩として現れてくれるワケがない。話題の映画のヒロインのモデルとして過去の記事を掘り返され騒がれ始めても顔も名前も割れていないようなあの子が、簡単に見つかるワケがない。

 人の思い込みとは、真実に靄をかける黒幕マスクだ。思い込みから目は曇くもり、視野は狭せばまる。思考は縮ちぢみ、機を逃のがす。
 あらゆる可能性を疑い考慮するか、しないか。正答を得るにはどちらが正解かは自明の理であるのに、自ら幾つかの可能性に目を瞑つむり不明に陥おちいっては答えの芽を摘つむ。気付くことは限りなく可能なはずだったのに、手ずからその道を見限って鎖とざすから詰つむ。

 そんなこと、ある理由わけがない。

 ――頭の悪いオイラが他人ひとの心配しちまうくらい無知なキランが、ジジイに挑めるところまでジム巡りできるワケがない。制服を真面目にきっちり着こなしているようなキランが、あんなダボダボのジャージなんて着るワケがない。目の前にいるキランが、目先の先のずっと向こうで攫われた少女と同一人物なワケがない。

 勝手な思い込みで可能性を排して、罪なことだ。自己を「天才ではない」と定義している割に、誤あやまった考えばかりは信じて自己完結して、結果、判断を過あやまつ。これが傲おごり以外の何だ。「天才ではない」という自覚がまるで足りていない。凡人なら凡人なりに、自分なんかが考えて出したあやふやな答えはまず疑ってかかるべきだったのだ。分岐している可能性の枝を素人が思い切りだけはよくバツンバツン剪定して上手くいくと思うな。
 道理どうり道理どうりと云いながら、やることが道理を外はずれていてはどうしようもない。外れているのに当たっていると思い込むな。どうりでハズすワケだ。

 少年よ、君は「もう一度だけでいいから会いたい」と心の奥底で密かに想い続けてきた相手に、「もっと距離を詰めておくんだった」と愛惜あいせきして忘れられないでいる女の子に、現在進行形で邂逅しているのです。運命的な再会です。そんな夢みたいな現実、想像してもみなかったですか?

 人の想像力とは侭ままならない。残念ながら無尽とはいかず、人それぞれ限界がある。
 想像するには、まず想像したい内容を思い付けなければならない。思い付くか付かないかは『閃ひらめき≒運』とかいう不確定要素によって、それも源もとを辿れば要は頭の『冴さえ≒才能』次第だ。元からアタリの入っていないクジみたいに、『運≒才能』のない人もいる。
 カキツバタの想像力が足りなかったのは彼のせいではないし、他の誰のせいでもないし、何か理由りゆうがあってこうなった訳でもない。只々ただただ、ツイてなかった。それだけだ。

 此度の再会はワケもない本当にタダの偶然であるが、逆にそういうのを“必然”と言う人もいる。運のない頭の持ち主にも時々は運が巡ってくることがあって、正にこういうのを“奇跡”と呼ぶ人もいる。

 そんなこと、ある道理わけがない理由わけもない。

 運命それなのに、思い込むそんなんだから、あーあ。そんなワケで、カキツバタはこの腐っても切れてもいなかった縁に、当分は気付けないのである。


***


 先刻。海中庭園のサバンナエリア上空を飛びながら、キランは先行するカキツバタの凍った前髪が解けてしんなりしていくのを眺めていた。
 彼の口から「昔ドロンチを連れたトレーナーに会った」と聞いたときから、とある可能性を思い付いていた。ただでさえドラパルト系統を連れているトレーナーは多くない。そこに加えて「イッシュで」という条件が付けば、該当者は一気に絞られるだろう。あまりものを知らないキランでも、過去にこそこそジム巡りの旅をした道中で沢山のトレーナーとポケモン勝負をして目にしてきた事実は、立派な根拠になる。イッシュでは、自分の隣以外ではドロンチのドの字も見たことがなかった。だから多分、彼が会ったドロンチのトレーナーというのは――。
 位置的に気取られないのをいいことに、ずっと彼を見ていた。折角のドーム初フライトの絶景はただ足下を流れ、風を切って潤うるむ瞳は彼だけを写していた。祈るような気持ちだった。そうであれ、そうであるな、二律背反の念がキランの胸を凍しめ焦こがした。


「どーぉれ、ここらでいっか。キランは捕まえたいポケモンとか決まってっかぃ?」


 ポーラエリアの雪山の上にある屋外教室に到着し、先に降り立ち振り返った彼を見て、疑念は確信に変わった。セットが崩れてさらりと垂れきった前髪でガラリと印象が変わったその姿は、あの日あの場所で出会ったあの人に間違いなかった。濃い霧の中だったからこそサングラスの奥で凝視した、話し相手の首から上。
 会いたかったような気がする。もう一度会えたら、お礼を言いたかったのだと思う。ジム戦応援するって言ってもらえて嬉しかった、街が氷漬けになっても生きていてくれて良かった、あな・・たの・・おかげ・・・で私は、私たちは――……でも、会いたくなかったような気もする。もう二度とあの日のジャージのトレーナーとして認識されないまま、何も言われずにいたいのだと思う。攫われた後はどこでどうしてたんだ、アンタをモデルにしたヒロイン役がルッコとか似てなさすぎ、ジム戦は諦あきらめて放りだしたのか、そんな根性なしだったとは思わなかった――……とか、言われたくない。こっちだって、ほぼ初対面の異性をいきなりデートに誘うような男だったとは思わなかった。
 何も訊かれたくない。何も答えたくない。何も聞いてほしくない。あんなに可愛いアイドルの子と比較されたくない。好奇の目に晒されたくない。同情されたくない。気付かれたくない。追求も追及もされては困る。あの日の私とこの私を、どうか重ねて見てくれるな。


「……えっと、その。カキツバタ先輩」

「んー?何だ?」


 嗚呼、まだ何にも気付いていない目だ。ただの一後輩に向ける程度の関心だ。助かった、とキランは思った。それに一通り考えてみたら、彼に会いたかった理由よりも、会いたくなかった理由の方がうんと多かった。だったら、このままが一番いい。知らぬ存ぜぬ、知らせぬ存じさせぬ。
 寒風に吹かれて、キランの左心房はどくどくと嫌な音を立て始めた。

 ――カキツバタ先輩にしてみても、プラズマ団が起こした『ソウリュウシティ氷漬け事件』とそれに連なる記憶は嫌なものであるはずだ。思い出したくもない辛い出来事だったろう。ユキメノコの『こおりのいぶき』をくらった瞬間のあの強張りも、恐らく――。私があの日のジャージのトレーナーだと気付いてしまったら、痛みを伴う過去が纏めて彼に押し寄せて、再び苛さいなみ苦しめるだろう。このまま彼が気付かないでいてくれた方が、私も彼も傷付かない。ならばこちらから申告することはない。私はただのリーグ部の後輩で、あなたはただのカキツバタ先輩だ。

 キランは以上のように結論した。本日は部活動の一環で初めてのブルレクを一緒に熟こなすだけ。新入りの後輩らしく、先輩に教えを乞こうだけだ。


「……ポケモンって、どうやって捕まえるものなんでしょうか」

「…………はい?」


 キランは本当に知らなかった。ポケモンの捕まえ方も、拗こじらせた男心も知らなかった。あの日きっと酷い目に遭ったカキツバタが、同日ほんの少し会話しただけのトレーナーとの再会を望んでいるワケがない。そう思い込んで、彼女もまた一つの可能性を切り捨てた。
 こうして二人は、隣り合いながら擦れ違ったのだった。他人が頭の中で何を考えているかなど掴つかみようがない。胸の内で何を想っているかなど探さぐりようがない。片や鋼鉄を装よそおい、片や軟派なんぱの仮面を外さず、両者ともに裏に隠した率直な情を素直に表に出さないのであれば、それは尚更、お互いさまだった。


***


「あーあ、逃がしちまいやんの。せっかく捕まえたってのに。なぁ?」


 カキツバタは頭の後ろで手を束つかね、今しがたボールから完全に解き放たれた小さな六尾を見下ろして呟いた。どうにも不思議がっている雰囲気のつぶらなひとみがこっちを向いて、暫しばし見詰め合う。「なんですぐ逃がすの、ってか?へへっ、オイラにも謎だわぁ」。念話テレパシーなんて使えやしないが、何となく共鳴シンパシーを感じた。


「オマエさん白くてふわふわしてっから、行くなら早く行かねえと。うかうかしてっとキランのユキメノコが出るぜぃ」

「……こおりタイプは凍りませんよ」

「そーいやそうだぁ!あ、達者でなーロコン」


 全快したアローラロコンはその場で一跳ねしてみせると、あとは軽やかに身を翻して坂の下へ駆け去っていった。カキツバタは手を振ってロコンを見送りつつ、キランの横顔をちらと盗み見た。同じように軽く右手を振っているが、左手は胸元の第二ボタンをキュッと握っている。少し口をもごもごさせて、「さっきは」、とゴニョニョみたいに頼りない声で切りだした。


「……すみませんでした……」

「んー?根に持っちゃいねえって全然、冗談よジョーダン!」

「……でも…」

「ははーん?そんなに気にしちゃってんのかぃ?さては自分は前髪のセット超気にするタイプだから余計に罪悪感がーとか?」

「いえ、そういうことでは……」

「オイラはパパッとテキトーでよー、でもキランは毎朝時間かけてんだろー?前髪もおでこもかわいくキマってんぜーへっへーかわいいやつ」

「冷ひやかさないでください」

「おっとポーラジョークか?うまいこと言うねぃ」

「カキツバタ先輩」


 呆れたように小さく肩を竦すくめた彼女の口元はしかし、そこまできつく結ばれてはいない。寧ろ若干弛たゆまったように見えて、それが――自分の言う事やる事で氷のように透明な彼女に色を付けてやったのだと思うと、堪たまらない。いたずらごころを妙に刺激されて、漠然と喜ばしい心地すらしていた。そして同時に、それが――無垢な雪を汚い手の熱で脅おびやかしてしまっているようで、妙に後ろめたい。この感覚の正体は――?


「ぃ……いやーここだとジョークもいっそうしみらぁ!おぉー寒サブ」

「……いいです、もう分かりました。もう謝りません」

「カーッ冷つめてえ、視線が冷てえー……ぁ」

「……先輩?急に真顔にならないでください」

「スマン。ほんとスミマセンでした」

「? なんで先輩が謝るんですか」

「へ?……へへっ、あれぇ?さぁて何でかねぃ」

「……もう」


 普段クールな子の表情を崩してやるのって、凄く愉たのしい、かもしれない。
 カキツバタは元々後輩イビりは好かずともイジるのは大好きといういい性格をしていたが、どういう訳かキラン相手だと益々ますます興が乗るようだった。巷ちまたではSっ気とも呼ばれようそれに一応は良心の呵責かしゃくもあって、ついポロリと謝罪が口から零れたのだった。

 ――まてよ、ひょっとして?さっきキランに睨まれたときに感じたのも、この類たぐいの快感だった、か?オイラこれヤバくねえ?

 普段と違ってさえいれば、彼女が笑うのでも、怒るのでも、たぶん泣くのでも何でもいい、かもしれない。多感なお年頃にしては周囲の同年代と比べてどこか冷めている彼女の、ひんやりした鉄仮面てっかめんに手を掛けるのは、気持ちがいい。
 カキツバタはこの奇妙な感覚の正体について、「背徳感はいとくかんってやつかも?」とアタリをつけた。さしもの彼も、新たに自覚した根っこの曲がりっぷりに動揺していた。隠れていた性癖に我ながら引けていた、ともいう。年下の女の子を冷やかすのがクセになりそうなんて、まさかそんな世迷い言、他人にはとても言えない。こんな寒い所にいるのに冷や汗が出そうだとか思うのも、また一等おかしかった。
 このやや危ない衝動について、考え過ぎて何かの拍子に変に顔に出てもいけない。それに思考を割かないように、相手に思惑が透けないように、カキツバタは急ぎ話題を変えることにした。


「にしても初めて自分で捕まえたポケモンとくらぁ、フツウ多かれ少なかれ愛着だって湧くモンだろぃ?本当によかったのか?」

「……そうですね、とても愛らしかったですが……ずっとボックスでお留守番になってしまうでしょうから……」

「オイラ何匹も預けてっけど、出してやったときの反応見る限り居心地はそこそこ良いみてえよ?」

「ちゃんとお世話してあげられる自信もないですし……やっぱり、今はまだいい、です」


 いつかキランも挑むことになるかもしれない、テラリウムドーム内で自身で捕まえたポケモンのみ参加が認められるカキツバタ発案のポーラ四天王チャレンジ“ドーム限定勝負”のためを思えば、何なんでもか彼かんでも逃がすは悪手なのだが、課す者として教えておくべきだろうか。だが、リーグ部総合ランキング上位一割に食い込めなければ、ブルベリーグ四天王への挑戦資格は与えられない。いくら強かろうとも、一定の試合数は必要だ。一年生がそこまで上り詰めるには最短でも4、5ヶ月はかかるだろう。
 流石にまだ気が早いか、つーかやっぱ早えな、と思い直したカキツバタは、開きかけていた口をぱくんと閉じた。しかし、そうした一番の理由は「めんどくせえから」だ。
 一応補足すると、説明してやるのが面倒なのではない。してやった結果、チャレンジ開始前から万全に備えられて、こちらが用意した相手三人に即時楽勝されて、すぐに自分が引っ張り出されることになるのが面倒なのである。このブルベリーグランク一位の歯磨き粉頭、後輩に対する面倒見は意外と良い方なのに、我が身に降りかからんとする面倒に対してはとことん遠慮したがるのだった。そもそも何故そんなチャレンジ内容にしたかといえば、ずばり面倒だからだ。入学前から育て鍛えていた手持ちは一切出場禁止だなんてルールは、チャレンジャーにとっては面倒なことこの上ない。チャレンジャーに面倒なことをやらせて、自分の出番面倒を減らす作戦だ。
 ちなみに、この「めんどくせえ」まみれの本心は勿論誰にも言っていない。四天王就任当時、この面倒なチャレンジ内容を部会に通す際には、尤もらしい理由を述べて周囲を納得させていた。強いトレーナーとは、たとえばホウエンやシンオウのファクトリーヘッドがレンタルポケモンでも常勝するように、捕まえたばかりで出会って間もないポケモンを戦わせたとしても強いはずだ、とか、優秀なトレーナーとは、大半がブリーダーとしての資質も持ち合わせているもので、短期間で育てる力量もあって然るべき、とか。さても小賢しく口は上手い、面倒くさ男おの真骨頂を遺憾なく発揮していた。本気の出しどころを本気で間違えるのが、カキツバタという男なのである。


「あれ?そういやぁ……まひなおしはともかく、きずぐすりまで使う必要あったか?さっき使った技って『へびにらみ』だけだったよな?」

「……あの子、私とバトルする前から軽く足を怪我していましたので」

「へぇー気付かなかった、よく見てんなぁ」

「……たまたまです」

「ふーん?で、お次のミッションは?楽なやつだとありがてぇなー」

「……『道具を10個拾おう』」

「わーい無難、ブナンだねぃ」

「拾ったらどこに……学生部に届ければ良いのでしょうか?」

「えーっとなぁ、落とし物ってキホン拾ったやつが貰っちまっていーんだぜぃ」


 これもポケモントレーナーとしては初歩であり常識である。お金も道具も巡り巡るもの、旅の道中においては全てのトレーナーが持ちつ持たれつで助け合うもの……というのが、人とポケモンが共生するこの世の中で築かれてきた精神だ。道路脇や草むらで落とし物を見つけたなら、それは拾って己の旅の助けとしてよいのである。これは野生ポケモンの生息環境が忠実に再現されているテラリウムドーム内でも同じことだ。
 誰かが落としていったきずぐすりに助けられたのであれば、後々自分も誰かのために道端に未使用品を置いていってみるとか。狂暴なポケモンがうろつく辺りであれば、誰かが投げて使ったピッピにんぎょうをまた別の誰かが拾って投げて、それが繰り返されるだとか。道具が有り余っているときに不意に鞄から何か落ちたなら、敢えてそのままにして行くとか。そういう“独占しない助け合い”が当たり前なのだ。最後に、これは関係ないようで少し関係ある都市伝説だが、金に困っていた若い頃に見知らぬおじさんからきんのたまを貰った恩返しを、新世代の若者にきんのたまを配ることで還元する人がいるとか、いないとか。
 ともかく、誰かが落とした物は、誰でも拾って構わないのである。人が身に付けるような物だったり、個人のかけがえのない大切な品だったり、持ち主の名前が書いてある場合なら話は別だが、だいたいカキツバタの言う通りだ。


「ンなイチイチぜんぶ届けてたら、あー……遺失物保管庫ってーの?いくつあっても足りねえだろうがよぃ」

「……ねこばば……泥棒では?」

「物によるってぇ」

「だって、お財布がまるまる落ちていたりしたら……」

「まーそりゃさすがに届けるなあ」

「きんのたまが並んで落ちていたら……」

「そいつぁラッキー!洞窟なんかでたまに見かけるとテンション上がるやつだねぃ」

「換金したら凄い額になりますよね?……基準がよく分かりません」

「ポケモンに使ったりポケモンが使ったりできるモンなら別にいーのさ」

「ポケモンに使うお金は……ポケモンが使うきんのたま……うーん……?」

「でかいきんのたま持たせて『なげつける』使うとダメージ高ぇよなあ」

「そんな使い方、考えたこともありませんでした……」

「っとー脱線しちまった。ま、何か拾ってどうするか迷ったら逐一オイラに訊いてくれりゃいいから」

「……いいですか?そうしても」

「いいともー!乗り掛かった船っつーとちょっと違う気もすっけんど、エンリョなく先輩を頼れ頼れーぃ」


 引き続き雪山を下りながら、雪道にキラリと光る落とし物があれば都度拾っていく。オボンのみ、ちいさなキノコ、きれいなハネ、ほしのすな、つめたいいわ、ヒメリのみ、ゆきだま、とけないこおり。ユキメノコが凍ったきのみを喜んで拾い食いしたり、人を見るなり襲いかかってくるケケンカニをドラパルトが往いなしたり。人の足では厳しい段差があれば手持ち達に運んでもらって、二人は氷に囲まれた海を目前とする所まで来た。


「海の中の海……」

「ハハッ、改めて言葉にされっとやっぱ変だねぃ。名山とかなら山の中の山とか言ったりすっけど、海はなぁ?」

「意味も違ってややこしいですね」

「なー。あっほらアレ、水の上に何か落ちてんぜ」

「えっと……ミロカロス、お願い」


 応えて出てきたミロカロスは、冷たい氷の海もなんのその。細長い体を優雅にくねらせて、浮かんでいた落とし物を拾ってきてくれた。


「ちりょくのハネかぁ」

「あぁ、前に橋で拾ったことがあります」

「上飛んでく鳥ポケが落としてってくれんだよなー。オイラは橋といやぁビレッジブリッジ!あのへんで売ってるビレッジサンドがまたうめぇんだ、オイラのオノノクスも大好物でさぁ」

「ビレッジサンド?」

「そこの名物。今度一緒に食いに行こうぜぃ」

「興味はありますが……」

「それもまぁ気が向いたらで、な?キランは橋といやぁどこ?」

「スカイアローブリッジ……ですかね」

「おっ?行ったことあんの?」

「はい」


 橋についての話題を振りつつ、カキツバタはキランの行動範囲と出身地をさりげなく探ろうとしていた。イッシュには、観光客がわざわざ訪れるほど有名な地方のシンボルとなっている大橋が五つ点在している。時計回りに解説すると、北東にビレッジブリッジ、南東にワンダーブリッジと更に下流にはスカイアローブリッジ、南西にホドモエの跳ね橋、北西にシリンダーブリッジがある。キランが挙げたスカイアローブリッジは、イッシュ地図では右下のほう。世界有数の大都市ヒウンシティから、郊外にあるヤグルマの森方面へと繋がる、イッシュ最大最長の橋だ。
 最大最長だから挙げただけで、彼女の家の近所ではないかもしれない。だが仮に近所だとすると、やはりヒウンシティなのか?とも考えたが、あの大都市に住みながら情報に疎いお嬢さんが出来上がり得るのかといえば、否だ。ならば橋向こうの郊外、シッポウシティかサンヨウシティか、もっと田舎のカラクサタウン、それかはたまた。


「キランってカノコタウン出身だったり?」

「違います」

「違うかー」


 またもハズレ。さっき自分で「当てにいかない」と決めたにも拘わらず、結局クセであれこれ考えてえしまうカキツバタなのであった。
 カノコタウンは道路もろくに舗装整備されておらず、店だって全然ないドが付く田舎町だが、ネット上では“優秀な人材隠れすぎ宝庫”だとか揶揄されている。勝ち逃げチャンピオンのトウヤをはじめ、ヒオウギシティジムリーダーのチェレン、かの有名なアララギ博士の優秀な助手として界隈で名の知れてきたベルなど、揃ってカノコ出身だ。風の噂では、チャンピオン級の実力者だと目されているバトルサブウェイ常連のトレーナー、トウコも同郷らしい。だから、もしキランがカノコ出身だったら、地元の先達の面白エピソードでも聞けやしないだろうか……と淡い期待を抱いたのだが、そんなにうまいこと有名人に繋がったりしないらしい。


「んじゃどこ?ちなオイラはソウリュウ」

「……えっと……」

「……これも教えらんねえ?」

「いいえ、べつに隠す気は……ただ、出身地というのが生まれた場所のことなのか、実家がある場所なのか、人生で一番長く過ごした土地なのか、どれなのかなと……」

「ヨーシ!全部だどれも言っちまえぃ」

「……生まれはナックルシティです。ガラル地方の」

「ナックル!?マジかキバナのとこじゃん」

「はい。カキツバタ先輩、キバナくんをご存知なんですね」

「……待てぃ」

「ん?どうしたのミロカロス、そっちに何か……」

「まってキランさんステイステイ、待ってくれよーぃ」


 くん・・って何だ。何だよくん・・って。
 キランはミロカロスの間延びした呼び声に従って海の縁ふちを伝い歩き、カキツバタから離れていった。ほぼ独り言に近い声量の彼の制止は聞こえなかったようだ。ああもう、さっきから微妙に間が悪い。カキツバタは腑抜けた足取りで後を追った。

 ――重めのファンか?推しに「くん」「ちゃん」付けて呼ぶタイプ?それとも……もしかしてもしかする?しちゃう?いやいや、そんなワケ――

 ゆっくりと泳ぐミロカロスが或る所で止まったので、キランとカキツバタも足を止めた。ミロカロスは口先でそっと、海面のとある一点を指し示した。よく目を凝らすと、そこだけほんの僅かに水色が異なっている。


「これは……何でしょう?カキツバタ先輩」

「あ?あー、こりゃ多分『ラプラスのなみだ』だねぃ。せっかくだ拾っとけよ、ポケモンの落とし物も道具としてカウントされっから」

「ここで採集キットの出番、ということですね」

「そーそ、入学決まったら問答無用で買わされたアレな」


 キランがウエストポーチから取り出したるは、ブルーベリー学園オリジナルデザインの“おとしもの採集キット”である。スポイト、ピンセット、綿棒、粘着テープ、ミニボトル、蓋つきミニケース、仕切りつき収納箱等からなる。
 ポケモンの体毛やトゲ、分泌物といった体の一部を原料としてわざマシンを製造する方法が近年になって確立されたことを受けて、その製造マシンが全国のポケモンセンター等に順次設置されていっている。その名も“わざマシンマシン”。そして何を隠そう、イッシュ地方で最初にわざマシンマシンが設置された場所というのが、このブルーベリー学園なのだ。それを学園のウリの一つとしているためか、オリジナル教材を学園が企画・製造・販売していて、生徒は全員、入学準備で必ず購入することになっている。


「このスポイトで……んーと、ミニボトル……」

「やり方だいたい分かるか?」

「はい。教室でガイダンスは受けましたので」

「これなぁ、ケースとか足りなくなったら購買で単品でも買えるんだぜぃ」

「……それは初耳です」

「だろー?コスいよなぁ、先生とか店員に聞くと注文書くれっけど最初教えてくんねぇのよ」

「では、知らずに2セット目を買ってしまう人も……」

「そー!そーなのよ!しかも購買の棚にセットだけは並んでっからタチが悪わりぃ!今の三年の大半はまんまと餌食に」

「それは……よくない商売ですね」

「なー!思うよなぁ!だからオイラこれなるだけ言って回ってんの。キランからも同じクラスのやつらに教えといてやってくれよな」

「はい、カキツバタ先輩。…………」

「……なに?オイラの顔に何かついてる?……ってさすがにベタだな!なんちゃってベトベター」

「……いえ、良いところもおありなんですね」

「オイオイ抜かすなよぃ、イイトコしかねえ良さの塊よオイラってば!お礼はチョコでいいぜぃ」

「……そういうところ」


 ――あ、それ。その顔もイイ、かも。


「ロトム、また画面見せて。……よし、二つ目のミッションクリアです。次は……」

「なぁーキラン」

「? なんですか、カキツバタ先輩」


 スマホロトムからまたこちらに戻ってきた視線は、もう普段のものに戻っていた。クールな彼女の、いつも通りの薄い表情。さっきの写真撮っとけばなぁ、でも流石に盗撮はなぁ、しっかしオイラやっぱヘンになっちまったかなぁ、などと虚しさと紙一重の葛藤をしているうちに、キランはもう一度「カキツバタ先輩」と呼び掛けた。先に呼んだくせに全然何も言ってこないカキツバタに対して、彼女はコテンと首を傾げる。
 ペラペラの笑顔の裏で、カキツバタは不整脈に揺れていた。「ちょっとこっち向いて欲しかっただけ」、なんて真実は恥ずかしくて口にできなかった。では何を言うべきか。さて何を言えばいい。先程は滞とどこおりなく話題転換だって出来ていたというのに、吸った息は詰まってなかなか言葉になってくれない。なんでもいいから、なにか、

[ロトロトロト……]

 しんと静かな空気を割って響いたのは、スマホロトムの初期設定の着信音だった。


「電話……あの、出てもいいでしょうか」

「え?あぁ、どーぞどーぞ」

「……誰だろ……あ、キバナくんか。もしもし、こんにちは」

「キバナと生電話ァ!?」


 そうだった!キバナとどういう間柄なのか訊くのを忘れていた!こんのオイラのマメパト頭が!
 同名の別人?いいや、キランのスマホロトムの画面にはあの・・キバナが映って、動いて、喋っている!あれはまさしくガラルリーグ最強のジムリーダー、ドラゴンストーム・キバナ!
 そうなるともしや、彼女の地元の先達の面白エピソードというのは、それはモリモリ聞き出せるんじゃなかろうか。絶対に聞きたい、期待大、嘘みたい。カキツバタはソワソワするのを隠すことは早々に諦めて、ニヤついて聞き耳の態勢に入った。そんなにうまいこと有名人に繋がったりしない、ワケもなかったらしい。その電話キバナに繋がってるって、マジで?


「え?誰って……部活の先輩。うん、いま部活中で……ううん、大丈夫」

「うーわ、もしかしたぁー……キバナと知り合いとかマジかぁ……」

「どんなって……そうだけど……もう、そんな心配は別に……んー……じゃあ、先輩と代わるね」

「[なんでだよッ!?!?]」


 ――ヤバッ、キバナとハモった!


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