万骨枯るる時の烽煙

死ぬれば死神
ばんこつかるるときのほうえん

 “二十年前”に何があったのか。
 阿近がそれを知りたがるのは、純粋な知的好奇心からであった。ただの野次馬であれば「知的」という修飾は取り払うべきだが、彼はきちんと「己の知識を増やす」という点に重きを置いていた。歴史や時事はどんなに知っておいても損ということはないだろう。それに、現代の死神の一人として、流魂街るこんがいに最上級大虚ヴァストローデが出現したというたっ・・たの・・二十・・年前・・の大事件――“桃色の悪魔”襲来について寡聞というのは、相当な潜り・・だという自覚がある所為もあった。
 十一・十二番隊の上位者のように護廷の新参や復帰勢でもない限り、瀞霊廷に住まう者であれば誰もがよく知っている話であるようだし、得た成果を誰かに衒ひけらかそうという気はない。仕事上それが必要となれば涅や鵯州には情報開示する場合もあろうが、この調べ物はあくまで阿近個人の能動的自由行動の一環であった。


「そういえば、甘竹あまたけさんは事件当時どうしてたんですか」

「なにさ少年!この前はボクの埋もれた報告なんてどうでもいいって言ったくせに!」


 その日、十番区図書館で調べ物をしていた阿近は、昼休憩をしに向かった近場の公園で甘竹とばったり会った。新緑の桂を囲うように点々と並ぶ六角柱の真黒いオブジェは遊具だろうか。丁度良さそうなので一番低い一つに腰掛けて、老舗のおにぎり屋で買ってきた焼きたらこおにぎりにかぶりつく。彼女は阿近の隣にあるもう少し高いそれに座ると、最近になって煉獄商店で売られ始めたというあんぱんというのを取り出していた。


「そこまでは言ってなかった気がしますけど……というか、貴方のそれは同じ年の別件って話じゃありませんでした?」

「別件とは言うけど日付かぶってんだよね。ボクは現世にいたから、当時の瀞霊廷内の混乱っぷりを直接は体験してないわけ」

「はぁ、そうだったんですか。それ聞いてませんでしたけど。というか、それなのに要点抑えて教えてくれるのは上手かったんすね」

「へっへん、事後取材して回顧録や記事に纏めたりはしたからね。瀞霊廷通信編集部の甘竹さんを舐めるなよ!」

「……甘竹さんて、大人とは思えないほど落ち着きがなくて猪突猛進って感じなのに、そういう才能はちゃんとあるんですね。天は二物を与えず……」

「なんという言い草!……へわぁ!美味しい!」


 一般的に知られている事件の概要は、前に真央図書館で初邂逅した日に教えて貰っていた。
 1881年1月27日から30日にかけ、四日間に渡る惨劇。流魂街での戦闘に動員された死神は、一・二・十三番隊からは少数であったが、廷内待機を命じられた四番隊以外の各隊からは全隊員内半数は駆り出されたという。更にその内約三分の一が殉職または行方不明、あとは程度の差はあれ残り全員が負傷した。綜合救護詰所に運び込まれてから息を引き取った人もいたそうだ。殉職者名簿に名前を書き入れられた者たちは、この件だけで巻を跨いで連ねられていた程だった。
 まず敵とぶつかったのは十番隊と六番隊だったらしいが、この両隊とも山本総隊長がそのとき起きていた事態を把握するより先にもう動いていたとか。命令を待てぬほど火急なのかと察した山本が流魂街の四方八方に放った斥候は殆ど帰って来ず、何とか戻ってきた僅か数名からは「大虚メノス級によって何地区か丸々やられている、それも被害拡大中」とかいう世界のバランス崩壊に直結する報を受けたそうだ。隊首会を開いても有意義に検討し合える情報など無いに等しく後手に回るだけだと判断されたのか、下った指令は隠密機動第五分隊裏り廷隊ていたいを使っての「何番隊が廷内担当か廷外担当か」という役割分担のみだったそうな。つまり「とにかく手遅れになる前に総員現場に行って臨機応変に何とかしろ」という粗あらいお達しがされた訳だ。無茶振りのようだが、それだけ切羽詰まった状況だったということだろう。


「もぐ……うまっ!これ、何年か前に流魂街に来たって人の監修受けながら作ってみてるらしいよ」

「あの商店、現世の文化に敏感というか新しい物好きですよね。布張りの差し傘とか……唐傘より重いし売れてんのかよく分かりませんけど。で、二十年前の現世はどうでしたか」

「そうそうあのね!その頃にはもう現世では西洋の文化を取り入れるのが流行ってたみたいだから、知らないもの色々見学できるかもヤッター!とか思ってたのにさぁ……!」

「……目的は駐在任務ですよね?」

「そっ、そうだけど。ボク戦いはダメダメなのにさ、六車隊長ったら『オマエ逃げ足は速ェから現世の例ンとこの駐在してみろ』……って!なーんか他より異様に虚ホロウが出てくるせいで続けて殉職者が出てた町の担当にされちゃってだね」

「それは災難でしたね。それで、何体かの虚に追いかけられてたとか?」


 阿近は二個目となる「本日のおススメ」だった山椒昆布おにぎりを一口頬張って、ちらりと甘竹を見遣った。彼女は食べかけのあんぱんを両手で持ち、ぶんぶんと首を横に振る。ぴよぴよ揺れる彼女の癖毛はまるでぺんぺん草だ。


「違う違う、もーっと大変!まずは26日夜に町がぼうぼう!見渡す限り、川向こうの隣町も全部燃えちゃうような大火事!アレはまさしく火の海だった……」

「……えっ…」

「そんなんだから焼け死んじゃった整プラスが大量発生!間もなくしてその魂魄を食らいに虚が出るわ来るわ集まるわ!」

「うわぁ……」

「食われちゃう前にと思って、急いで走り回って魂葬こんそう、魂葬、また魂葬!燃え盛る火のなか熱い熱い!後半ヤケクソになってきてちょっと痛がらせちゃったりもしたけど、27日も一日ずーっと葬おくりまくり!」

「は?虚みんな振り切りながら魂葬して回ったんですか?」

「ボク戦えないって言ったでしょ!逃げるしか能がないからそうするしかなかったの!」

「……責めてるんじゃ……いや、そうですか……」


 ――この人、実は影の功労者なのでは?

 尸魂界ソウル・ソサエティと現世は、秤のそれぞれ左死右生にあって対をなすとされる世界だ。死神の最も重要な仕事とは、この二世界の魂魄の量を均等に保つことであり、これが偏ると秤は傾き、少なくなった方から多い方へと傾なだれ込む。生と死の入り混じる渾沌、即ち世界秩序の崩壊を招く。
 1881年1月27日。流魂街では大勢の住民が虚に食われ、戦いに出た死神たちも次々に命を落としていた。一夜にして尸魂界にある魂魄の数はかなり減ったのだ。するとこれを放置していては尸魂界が現世に傾れ込んでしまう可能性があったが、奇しくもおよそ時を同じくして、甘竹は現世で大量の整を魂葬していた、と。つまり、傾いた天秤を均し戻すのに彼女は人知れず大いに貢献していた、ということになる。……自覚はなさそうだが。
 公式の記録に拠れば、そのとき尸魂界の空は消えかかり、本来は秤の外の世界であるはずの虚圏ウェコムンドとの混濁の兆しを見せていたという。その下にいた死神たちにとっては目に見えての異常だ。その裏で見えない秤がどうなっていたかなど大半の者にとっては視野の外、まさに眼中になかったのだろう。
 「貴方も流魂街の現場に向かわされていたら今ここにいられたかどうかも怪しいですし、大したことない別件に遭遇してて寧ろ良かったんじゃないすか」……なんてさっきは思っていたが、口に出さずにいてよかった。言っていたら、とんだ愚か者になっていたところだ。


「意図せずとはいえ、六車隊長の勇決ゆうけつのお蔭でそういう風に……へぇ……」

「あ!なんかもう話を〆シメようとしているな少年!」

「まだ何かあるんですか?」

「それどころか話はこっからよ!町はすっかり焼け野原、燃える物がもうないから延焼しなくなってきたぞ、やっと休めそう!と思った矢先の28日朝にだね」

「というと……尸魂界の空はどうにか元に戻ったっていう辺りですね」


 阿近はおにぎりを食べ終えて、竹水筒の鳩麦茶をぐびぐびと呷る。甘竹はパック牛乳を紙ストローで一口飲んでから、遠い目をして話を続けた。


「うん。『お疲れさまでした。では死になさい』と言わんばかりに、町の上空を覆い尽くして陽の一筋も通さないような虚の大群が現れましたとさ」

「ェホッ、けほ……どうして埋もれてるんです?貴方の報告」

「さあ?……やぁもうね、死にたくなくて一回帰ったの。そしたら偶然、隊舎に六車隊長がいたのね」

「聞いた話では……六車隊長は、平子隊長や愛川隊長たちと四大瀞霊門周辺の防衛に当たってたんですよね」

「そうそう。好戦的な個体が何体か『ついでに瀞霊廷も破っちゃおうかなー』って殴り込み掛けてきたとかで。でもそれも徐々に収まってきてたから『交代で飯食いに戻ろう』となったそうでさ」

「まぁ、腹が減っては――とか、言いますもんね。戦い通しだったんでしょうし……」


 それからもう暫く、阿近は甘竹の愚痴に付き合った。
 曰く、六車を連れて再び現世へと出向した彼女は、眠気と疲労と空腹に耐えながら焼け野原上空に広がる虚の天蓋を六車と並んで睨みつけること半日。結局なぜか虚は降りて来ず、被害らしい被害はなかったのだそうだ。それは結構な事だったが、そのせいで彼女らの報告は「あり得ない白昼夢」扱いをされ、精査されることもなく埋もれていくという悲しい経緯を辿った訳である。
 駐在任務における魂葬という仕事は、名のあるネームド虚を斃すのと違って、いくらやっても追加給金が出ることはない。苦労して功も上げたのに職場には認知されずほぼタダ働き。流石に不憫だと思った阿近は、「今度あんぱんくらいなら奢りますよ」と言って別れたのだった。

 “二十年前”に何があったのか。
 平隊士である甘竹を少しつついてみただけでこれなのだ。実態は煩雑に絡まり重なり複合的で、その全容を掴むことは阿近の当初の予想を遥かに超える難題なのかもしれない。当事者たちですら因果関係の理解は曖昧なままのようである。だってもう過ぎた事であるから、誰しも自身の傷を抉ってまで話を深く掘り返そうとはしないのだ。なにしろ多くの死人が出て、皆が痛い思いをして、恐怖し、擂り切れ、その手から大切なものがたくさん取り零されていった出来事だ。喪失を抱えて歩くには相当な覚悟が要る。ある程度は忘れて、流して、気負いを捨てていかなければ、足も背中も重くて前に進めなかったという者も少なくなかったに違いない。ひょっとすると、阿近のように全くの無関係で完璧な部外者の方が、正面から事の全容に向き合えるのかもしれなかった。
 十番区図書館に戻った阿近は、この調べ物の改めての取り掛かりとして、二十年前の隊長格であった者たちの名前を紙に書き出して整理し、一覧してみることにした。彼らの当時の足跡を追えば、少しは真相に近付けそうな気がしたからだ。更に、殉職者には取り消し線を引くことにする。

『
  一  山本重國  雀部長次郎
  二  四楓院夜一 大前田希ノ進
  三        射場千鉄
  四  卯ノ花烈  山田清之介
  五  平子真子  藍染惣右介
  六  朽木銀嶺  朽木蒼純
  七  愛川羅武  小椿刃右衛門
  八  京楽春水  矢胴丸リサ
  九  六車拳西  久南白
  十  志波天鷹
  十一 佐郷七郎次
  十二 曳舟桐生  猿柿ひよ里
  十三 浮竹十四郎
』

「…………?」


 はた、とペン先が止まる。阿近は名簿を埋めることが出来なかった。たしか今から十二年前に鳳橋楼十郎が三番隊隊長に就任したが、その前任は殉職ではなく引退したのだと小耳に挟んでいた気がする。相当な高齢だったりしたのだろうか。十・十一・十三番隊の副隊長については何も知らない。空位か、知らぬ誰かか。
 それにこうして見ると、隊長格の殉職者は一人だけだったということにも気付く。複数の大虚級を率いて襲来し、終いには尸魂界を丸ごと潰そうという蛮行に及んだ“桃色の悪魔”だが――奴の真の標的とは、実のところ極めて限定的だったのではないか?
 死神からすれば、虚というのは相容れぬ討伐対象でしかない。対話するまでもない相手。出れば斬る。いれば処す。「誰の許しを得て」「何故そうするのか」と問われても、「そうすべきだから」としか答えられない死神は多い。これより百年先の或る戦いにて、眼で見つめたものの支配権を奪う“愛アモール”という能力を持つ十刃エスパーダが、死神の祖たる五大貴族の末裔の一人に同様の問い掛けをするのだが、彼もその問いに正面からは答えてくれないのである。
 穴の空いた敵が何を思い、何故そのように行動するのか。その『心』を考察・考慮して理解してみようという死神はそういない。だがここで、ほんの少しだけ阿近は至り馳せる。

 ――“桃色の悪魔”は、どうして――?

 しかしその『心』は暗中である。対話して訊き出すのも不可能だろう。こればかりは、いつか答えが天から降ってくるような、そんな奇跡を希望して待つしかない。
 こういうときは、先が遠く見えずとも、少しでも紐解けそうな手元から。阿近は、先程の名簿の副隊長部分の空白を埋めてみることにした。

 甘竹から「あの事件で殉職した」と聞いていた先代十番隊隊長志波天鷹について軽く探っていたから、ここは折おりよく十番区図書館である。二十年前の十番隊副隊長は空位だったのか、それとも誰なのか、調べはすぐにつくだろう……と、思っていた。
 これがどうにも、手が届くようで届かない。『殉職者名簿』はあるのに『重職者名簿』はないってどうなんだ。
 二十年以上前の十番隊の任務報告書を漁れば当時の副隊長のそれも紛れていて、署名だってされているだろうが、考えてみたら普通は「副隊長」なんて肩書を添えて記したりしない。隊長が書類に押す判子はあるが、副隊長の物はない。だから、仮に副隊長の名前を見掛けても阿近には判別できない。このやり方では駄目だ。
 案外過去の『瀞霊廷通信』で本人が何か連載していたり、そうでなくとも副隊長なら何か少しくらい記事にされることもあったかもしれない。そう思って、阿近は瀞霊廷通信の旧号を適当に何冊か見繕い、さっと目を通してみた。名簿の空白の人物による連載はなさそうだった。見た限り関連記事もない。ハズレだ。カメラも普及していない古い時代なせいで写真も掲載されていない白黒の誌面を閉じて、阿近は肩を落とした。
 ふと、視界の隅に鮮やかな色が差す。白黒とばかりにらめっこしていたから、余計に派手なものとして目についた。無意識にその色を追ってみると、金髪の若い女性隊士が、服飾の図録が並ぶ棚の中身を吟味していた。
 そうだ、十番隊のことなら十番隊隊士に訊けば早いのではないか。阿近はそろりと席を立ち、彼女に声を掛けた。


「……あの、すみません」

「んー?あら、見かけない顔ね。何かしら?」

「少々調べ物をしていまして。二十年前の十番隊副隊長が誰か、ご存知でしたら教えていただけませんか」

「二十年前?アー……ごめんなさい、あたしまだ入隊してから十年も経ってないのよね。ちょっと分かんないわ」

「そうですか……」


 他に尋ねられそうな人はいないかと周囲を見回してみたが、人影は見当たらなかった。仕方ない、平日の昼過ぎだ。みな隊舎や詰所で仕事中なのだろう。……彼女は、仕事はどうしたのだろう。


「あぁでも、ウチの副隊長って二十年空位が続いてるって聞いたことならあるわ。最近やっと後任が決まりそうだったんだけど、その候補だった先輩が合同遠征で亡くなられたから、志波隊長も困ってるみたいなのよね……」

「それは……ご愁傷さまです」

「あたしがやってあげてもいいけど、流石にまだ実力不足だし。よその隊から引き抜くにも、今の護廷十三隊って全体的に実力者不足って感じらしいし?」

「そうですね、あちこち空位ばっかりで。三番隊なんて特に」

「そーそー。藍染隊長が業務を手伝ってくださってるそうだから、何とか回ってるみたいだけど……その、副隊長とかも。あのままで本当に大丈夫なのかしら……」

「時間かかりそうですよね。それでは、どうもありがとうございました」

「いえいえー。あ、ねぇ待って」


 背を向けた阿近が振り返ると、彼女は両手にそれぞれ服飾の図録を掲げていた。表紙の写真はうるさいほどに絢爛だ。最新の流行をふんだんに取り入れているという変わった型の服は、和洋折衷スタイルというらしい。着物のようで何だか違う服に、ひらひらのリボン、革のブーツ、レースの差し傘。


「あたしにはどっちが似合うと思う?」

「……どちらもお似合いだと思いますよ」


 適当を言って、そそくさと退散した。
 彼女にもう見つからないような奥まった席に移動した阿近は、また名簿を眺めた。そして今度は、昨年の魂魄消失事件で欠いた人物と、確実に故人である過去の剣八と、王族特務に昇進しているため目通り叶いそうもない者にも取り消し線を引き、現在も瀞霊廷に健在していて話を聞ける可能性がある者を絞り出してみる。

『
  一  山本重國  雀部長次郎
  二  四楓院夜一 大前田希ノ進
  三        射場千鉄
  四  卯ノ花烈  山田清之介
  五  平子真子  藍染惣右介
  六  朽木銀嶺  朽木蒼純
  七  愛川羅武  小椿刃右衛門
  八  京楽春水  矢胴丸リサ
  九  六車拳西  久南白
  十  志波天鷹
  十一 佐郷七郎次
  十二 曳舟桐生  猿柿ひよ里
  十三 浮竹十四郎
』

 …………話、聞きづらっ。

 そもそも自分は、こういう目立ってしょうがなくて声を掛け難い隊長格たちに直接尋ねたりせずともいいように、地道に調べ物をしているのではなかったか。それに、依願除隊した面子とは何処で会えるのかも分からない。山田清之介などは最近技術開発局の隅の研究室を涅から借りて何かしている様子なので顔を合わせる機会はあるが、話を聞く相手としてはこれ以上ないくらい面倒そうである。何か一つ訊けば「どうしてそれを知りたがるんだい?」と、逆にこちらが探りを入れられそうだ。
 阿近は眉間に皺を寄せてぢっと名簿を見る。そうしていたら、だんだんと二つの名前に意識が向いた。「大前田」と「射場」である。

 思考がやや煮詰まってきた感はあるが、収穫がなかった訳ではない。阿近は日が暮れる前に十番区図書館を後にして、綜合救護詰所に寄った。制作する義手のことについて、入院中の金矢かなやとまた少し話そうと思ったからだ。
 階段を上って三階廊下に着くと、奥の方からガラガラドン!引き戸が勢いよく敷居を滑って縦枠に激突する音が聞こえてきたと同時に、あのやかましい声が耳を通り抜ける。


「オーッス罕斐かい!!起きてっかー!!」

「うるせー太てんと!!」

「おっ、元気じゃん!ヨシヨシ、順調だな!」


 またうるさいのに会ってしまった――と、元より目つきの悪い阿近の目が更に据わる。まだ少し距離があるのにそんな彼の気配にすぐに気付いた太は、ニッカと笑いかけてきた。


「おう阿近!また克廣かつひろの見舞いか?どうもな!」

「はい、まあ。太さんは、そこの……?」


 誰の病室だろうかと思って、阿近はとことこと近寄って出入口脇の入院患者記名札を確認してみる。『下汐見しもしおみ罕斐かい』。知らない名前だ。
 豪快に開け放たれた戸口から中の様子を窺うと、身体中包帯だらけの青年がベッドから何とか上半身を起こそうとしているところだった。骨折しているのか、腕も足もギプスで固定されている。……アレのどこが順調だ。


「これはまた酷いお怪我で……その人も十一番隊ですか?」

「いや?こいつは十三番隊」


 十三番隊隊士が、何処でどうしてそんな怪我を。阿近は不思議で仕方なくて、思わず太の顔をじっと見た。彼の声なき疑問を顔から読み取った太は、病室に足を踏み入れながら答える。


「先月まで現世駐在しててな、そこで虚に滅茶苦茶やられてきちまって」


 成程そういう、と納得はしたが、現世でこれだけの重傷を負いながら生きてこちらに帰ってこられたとは運が良い。……いや、悪いのか?
 しかし技術開発局にはそのような報告は上がってきていなかったから、彼は駐在任務に就かされておきながらまだ伝令でんれい神しん機きを支給されていなかったに違いない。ということは救助要請の連絡だって取れなかったろうに、ますます「よく助かったな」と思う。


「太!言われた通り玲瓏山もゆらやまの方には近付かなかったのに、何か変なやつらいたぞ!お前に負けない派手な頭してて、人間なのに――」

「おーっとおっとぉ!はいはいオレがうるさくて悪かったって、うるささで張り合おうとすんな、折れた骨に響くぜ」


 ――聞き捨てならない地名が挙がった、ような。

 阿近にとって“玲瓏山”とは、自分を“蛆虫の巣”から解放してくれた浦原喜助が十二番隊隊長になる前から独自の監視プログラムを組んで監視していたと思われる現世の何処かであり、海燕から聞いた話によればそこは昔から十三番隊管轄であり、しかも楠山沙生が生前暮らしていた土地だそうで。どうにも謎の中核と思えてならない言葉である。
 怪我人の口を右掌で抑えてフガフガさせている太の顔を、阿近はまたじっと見る。すると太は無言で何か思案した後、左掌を上に向けてチョイと手招きしてきたので、阿近は初対面の怪我人の病室に邪魔するのは気が引けるとは思いつつ、おずおずと彼の隣に並んだ。


「余計な事にあんま首突っ掛けんなよっつっても聞かなそうだよなぁ」

「首は突っ込むもんですよ。突っ掛けんのは草履です」

「……ッぷわ、太がまた馬鹿言ってら!ってか息はさせろや殺す気か!?」

「罕斐、土産話は後で聞いてやっから。今はオレ特製の兵糧丸でも食ってろ、そら」

「うわいらね、お前のソレ超にが――っ〜〜!」


 口の中にポイと何かを入れられた彼は、声にならない声を上げて悶絶し始めた。彼の扱いはそんなんでいいのか?――「ダーイジョブ、栄養満点なんだぜコレ。お前にもやっか?」……「要りません」。阿近は両手で持っているDリングバインダーで口元を隠しながら断った。


「……さてと。何が気になってる?」

「全部ですけど」


 悶絶している怪我人をよそに、下を向く小柄な男と上を向く小さい少年が真顔で見合う。太はその顔のまま阿近に向かってくるりと体の向きを直すと、和式便器がある所でそうするようにしゃがみ込んで目線を合わせた。俗にいう不良座り。次いでぽこんと阿近の小さな頭を掴み、わしゃわしゃと撫で回す。暫くそうして、手を止めて開口一番。


「ダメ!」

「えぇ……」


 阿近は不貞腐れた顔を隠しもしなかったが、太いつも通りのカラっとした笑顔である。阿近は察した。この人は口を割ってはくれない。少なくとも、今はまだ。


「阿近の言う『全部』は、オレにとっちゃあ『一部』かもしらねえし。逆にオレの知らない事をお前は知ってるかもしれねえよな?」

「まぁ、そうですね。下手な返答したとは思います」

「何が気になってんにしろ、そういうのは隠れてやるもんだぜ。『何かを調べている』って知れちまうだけで、危ない時は危ないんだからな?」

「……心に留めておきますよ」

「おし。んじゃ一旦措いとけ。オレの『全部』はダメだけど、答えられる問モンには答えてやんぜ」

「じゃあ訊きたいんですけど」

「早速?いいねぇその太々しさ、どんと来い!」


 太は立ち上がって胸を叩いた。ベッドの怪我人はやっと口の中の物を飲み下したようだが、今度は咽ている。


「二十年前の十と十一と十三番隊の副隊長って誰ですか?」

「……知らね。あっ、おい!本当だって!なんだそのカオ!こら阿近!オレだって何でも知ってる天の神サマじゃねえの!」

「十三番隊の彼なら……」

「こいつも駄目。オレと同じ今年からの新米だし、去年まで現役だった隊長格の顔ぶれも全然知らねえくらいだから」

「そうなんですか。じゃあ、俺はこれで――」

「待ちなって。それオレも気になってきたし、今から一緒に訊きに行ってみっか?アテくらい付いてんだろ?」

「今からですか?そろそろ夕方ですよ」

「オレの足なら何とかなるって。言ってみ?」

「……確実ではないですけど……」


――――――


【二十年前の十と十一と十三番隊の副隊長って誰ですか?】

「何だよ太、技術開発局のガキなんか背負しょって……お前も砕蜂隊長に子守りでも押し付けられたのか?違う?まぁどうでもいいけどよ。二十年前ねぇ。オレ様が四席で、パパ上が副隊長だった頃だな。十と十一は知らねぇが、十三なら知ってるぜ。『空位』だ。何十年か前までは白髪の爺さんが副隊長やってたらしいけどよ、その爺さんがトシで引退した後は、浮竹隊長はずっと見坊けんぼう殿を副官にしたがってたんだぜ。そうそう、あの見るからに坊さんって人な。でもあの人、『某のような者が高位に就くなど〜』とか言ってよ……そのへん閃センのやつもそういうとこあるよな。勿体ねぇ、給金だって上がるんだから遠慮しねぇで貰っとけばいいのによ。あ?いま何か言ったか太?『そしたらアンタ』……とか言わなかったか?言ってない。そうか?……っかしーな、俺疲れてんのかな……ああ、とにかく見坊殿は着任拒否し続けてたんだ。ご謙遜だよなぁ、砕蜂隊長だって一目置いてるくらいなのに……あっ、これ砕蜂隊長の前で言ったりしたら軽く刺されるからな!てめえらも気をつけろよ!」


【二十年前の十と十一番隊の副隊長って誰ですか?】

「何じゃい藪から棒に。ん?お前は、一角がよう世話になっとる技術開発局のボウズか。そっちは……あァ!バカタレ共の見舞いに行ったときに聞いたでぇ、赤毛の!一角と似たような目張りも入れとるんじゃと聞いとったからな、ピンときたわい。儂も強い男は好きじゃけぇ、気ィ向いたら七番隊の道場にも顔出してくれてええんじゃぞ。っと、何か知りたいんじゃったな。おう、十は知らんが十一番隊のことなら儂が一番いっちゃん知っちょる。『空位』じゃ。その頃の隊長は――剣八?……いいや、そう呼んでやるな。サゴシチ隊長はそう呼ばれるのがお嫌いじゃった。自分は先代の剣八を斬っちょらんから名も継いどらんのじゃと、いつも言っておられた。……そうじゃ、八代目が無間におるからの。何じゃ赤毛の、よう知っとるのう。ん?どうして副隊長が空位なのか?……サゴシチ隊長は優しいお人じゃった。もし次の剣八が現れる前に自分が病に斃れたら、四十六室は次も無理矢理副隊長に襲名させるじゃろうと気にされとってな……あぁ、空位じゃが、実質副隊長は当時第三席じゃった亢夜こうやのやつじゃった」


――――――


「二十年前の十番隊の副隊長って誰なんでしょうね……」

「でも十一と十三に関しちゃよく分かったし。無駄足になんなくて良かったっしょ?」

「足使ったのは太さんだけですけど……というか、もう勝手に負ぶらないでください」

「阿近、お前軽かりぃよ、軽ぃって。ちゃんとメシ食ってっか?やっぱ兵糧丸くれてやるぜ?」

「要りません」


――――――


 翌日以降も、阿近は地道に調べ物を続けた。自分に隠密の才能がないことは分かっているが、なるべく『何かを調べている』と知られないように。あちこちの図書館にも行ったが、あの名簿の最後の空白は中々埋められないでいた。
 無害そうな十番隊平隊士の何人かに、阿近なりに精一杯のさり気なさを装って「前の十番隊副隊長って誰でしたっけ」と個別にこそこそ訊いて回ったりもしたのだが、何とそれでも答えには辿り着けなかった。
「前の副隊長?……あれ?そういえば誰だ?」
「今の志波隊長がそうだったんじゃないっけ」
「前の志波隊長が副官連れ歩いてる所とかそういえば見たことないかも」
「昔は仕事が滞って困ったりもしなかったので、気にしたこともありませんでした」
「執務室に特定の誰かがよくいるってことも……なかったような……」
「今の志波隊長でしょ。……え?そうじゃなかったの?」

 一体全体どうなっているのか。空位なら空位でいいのに、匙もバインダーも投げたくなるが、「空位が続いているのは二十年」という情報もあるから二十年前には副隊長がいたはずなのだ。というか、志波一心が副隊長だったと勘違いしている隊士の多いこと。流石に誰も当時の副隊長を知らないという訳ではないと思うが、十番隊では自主的に「副隊長は誰か」を気にして探らないと、永遠に分からないままになるという空気があったのは確かなようだ。空気のような副隊長。……お化けか?
 副隊長には一応『副官章』という身分証明になる腕章があるものの、現在の護廷十三隊を見ても普段から着けている副隊長の方が少ない有様である。命令系統をはっきりさせなければならないような滅多にない有事の際くらいにしか「副隊長の可視」という必要性が発生しないからって、風化しすぎだろう。ちゃんと着けろ。阿近は十番隊舎を後にして、通りを歩きながら頭を抱えた。


「痛イッ」


 下を向いていたら、前向け前!と叱るように脳天にずどんと手刀が落ちてきた。


「どうしたどうした!最近技局に行っても見掛けねえから『外でお日さま浴びてんだなヨシ!』って思ってたのによ。まーた暗い顔しやがって」

「……志波副隊長」


 顔を上げて頭頂をさする。海燕は阿近の後ろにいた。彼も十番隊舎から出てきた所なのだろうか。まったく誰も彼も、手近だからと人の頭をぽこんずどんと。どうにも梲うだつが上がらない。


「この辺に貴方がいるの、珍しいですよね。十番隊に何か用事でしたか」

「ちょっと叔父貴にな。お前こそ珍しいだろ、こんなとこで何してたんだ?」

「――ちょっと、調べ物を」


 言うか言うまいか迷って、結局は明かした。どうせ彼には、質問したいことがある。


「ホウ?機械じゃ出来ねえ調べ物か?やっぱ珍しいことしてんじゃねえか」


 海燕は阿近を追い越して先に行く。置いて行かれないように小走りで後を追った。次第に横に並ぶと、二人とも前を向いたまま一緒に歩いていく。


「……先日はすみませんでした」

「もしかして二十年前とか玲瓏山とかの話か?何だよ謝るなよ。俺は謝らねえぞ」


 一週間前の霊波計測研究室にて、阿近は海燕に尋ねた。
「二十年前に出現したという最上級大虚について、何かご存知ですか?」
 そして、すれ違った。“二十年前”に何があったのかまだ全く何も知らなかった阿近と、“二十年前”に身内を亡くして自身も死にかけたという海燕と。前者は“玲瓏山”の監視プログラムを興味津々に眺めたが、後者は“玲瓏山”で命を落としかけたことがあったから不審がった。
「その“二十年前のこと”と“これ”とは、何か関係あるのか」
 互いが何を知っていて、何を知らないのか。知る由もないのはお互い様で、何を隠しているものかと疑心暗鬼に陥るのも当然で、その場で胸襟を開くのは無理があった。“桃色の悪魔”と“玲瓏山”はどう関係しているのか。その『解』もまだ暗中にある。


「悪いと思ってねえのに謝るのは論外だが、悪いと思ってもそうするのを止やめられねえんなら、謝られた方が困るだろ」

「……人の頭叩いては笑って謝ってまた叩くような人が何を言ってるんですか」

「オメーも細けぇなぁ!『時と場合による』ってやつに決まってんだろ!困らせてでも謝りてえ時と場合もまァ、無ねえこた無えんだろうし」


 海燕の表情は砕けている。すれ違う以前と同じ、愉快でこざっぱりとした十三番隊副隊長が――手刀を落としてくる。


「アィ゛」

「や〜い防御失敗〜てか何だその分厚いの」


 Dリングバインダーを持ち上げて防ごうとしたが少し遅かった。舌打ちすると、海燕は揶揄うように「舌打ちウメ―なオメー」などと抜かしてきた。なんて日だ。
 阿近は取り上げられるより先に差し出した。一週間前には出来なかったが、今日は開い・・ても・・いい・・と思えたからだ。綴じられている中身は金矢の義手の設計図とその改良案の他に、二十年前の事件の公式記録の写し、そしてここ最近の調べ物の成果が手書きで沢山だ。謎の核心に迫るには、それでもまだ道のりは遠いけれど。
 海燕は立ち止まってぱらぱら捲り、粗方を把握すると、パタンと閉じて肩に担いだ。結構重いのだが、暫く代わりに持ってくれるらしい。


「ンじゃどれ、一緒にメシでも食うか!この辺ってあのおにぎり屋が近かったよな……ただの塩むすびもスゲー美味いんだぜ、あの店!」


 海燕は陽気に笑って歩きだす。下から見上げると眩しい。ちょうど日が高い時分であった。

 そのおにぎり屋には先日来たばかりであったが、具も炊き込みも種類は豊富なので飽きが来ない。阿近が店内の壁に張られているお品書きを見て静かに悩んでいると、海燕は得意そうにして『秘密の裏メニュー』というのを教えてくれた。数量限定の七味明太子。彼がそれを注文すると、店の人は満面の笑みを浮かべ、大層嬉しそうにしていた。
 近場の公園に行くと、あの六角柱の周りを子どもたちが駆け回って遊んでいた。此処に詳しくない阿近はきょろきょろと視線を彷徨わせたが、海燕の足には迷いがない。彼に付いて野花咲くなだらかな丘の反対側に回ってみると、そこには真黒い東屋がぽつんとあった。木製ではなさそうなのに、木目や節にそっくりな自然な模様がうっすらと彫られていて、どこか柔らかな印象を受けた。
 二人は七味明太子おにぎりで腹を満たしながら腹を割り、この時点で互いが持ち得ていた情報は惜しみなく交換した。阿近は虚の出現観測の現状や伝令神機の普及率について教えたし、海燕は昔から十三番隊で囁かれている玲瓏山での暗黙の了解のこと、合同遠征部隊帰還時に遭遇した椿色の最上級大虚のことを話した。他には、今年度の瀞霊廷通信四月号にチラッとだけ記述のあった沙生の生前に纏わる無駄話も少しした。
 ただ一点ずつ、阿近は金矢に飲ませた“監視用の菌”については涅と海燕各々のためにも明かせなかったし、海燕は沙生が斬魄刀を使わずに巨大虚ヒュージホロウを倒したことを伝えなかったが、それくらいは腹の底に隠したままでも具合が悪くなることはないだろう。


「結構長話しちまったな〜こりゃ帰ったら南館に『仕事は!』ってどやされそうだな……」

「明るい髪の女の子でしたっけ。彼女は死神になってどれくらいなんですか?」

「俺よりちょっと後に入ってきたから……ちょうど十年くらいか?」

「そうですか。じゃあ――……彼女も二十年前についてはあまり詳しくはないんでしょうね」


 うっかり「じゃあ俺と同じですね」と口を滑らせそうになったが、そうすると「同期ってことか?」と訊かれて阿近は答えに窮することになる。残念ながら、彼女と同時期に学び舎の屋根の下にいたことはない。


「――いや、どうだかな?あいつって親も死神だったから当時も瀞霊廷に住んでたんだろうし、案外何か知ってっかも」

「そうなんですか?というか……だった・・・、ですか」


 阿近は暗い予想をして言葉尻を窄めたが、海燕は自分の顔の前で片手をブンブン振って否定する。口が三角△だ。


「死んでねえ死んでねえ!南館を生んだのを機にだいぶ昔に引退したんだとよ。キレイな人だぜ、今は商店街の硝子工房で毎日元気に硝子吹いてる」


 そう聞いて、阿近はふと沙生が或る日突然技術開発局の研究室に寄贈してきた一輪挿しのことを思い出した。アレもひょっとして――しかしこれはまあ、“二十年前”とは関係ない、余談というやつだろう。


「んじゃ切り上げっか。じゃあな阿近、またそのうち――」

「いえ待ってください。最後にもう一つだけ」


 遊んでいた子どもたちが手を振り合って帰っていくのを横目に見ながら、公園の出口で引き留めた。蟠りが消え、気も緩んでいそうな今こそ絶好の機会。彼に一番質問したかったことは、やはりこれだ。


【二十年前の十番隊の副隊長って誰ですか?】

「そりゃオメー逆藤さかふじのやつに決まって――あ。の……ナ…ナンデモネエデス……何でもねえ、いいか、何でもねえぞ!俺は何も言ってねえからな!はい復唱!なん・でも・ねえ、ハイ!」

「じゃあ切り上げましょうか。ありがとうございました」

「嗚呼〜〜〜!!頼むから俺から聞いたとか言うなよ!あと誰にも言うなよ〜!言うなよ〜言うなよ〜言うなよ〜(エコー)」


 かなり根気よく探ってもその影すら踏めなかったような、空気のような副隊長。ここまで徹底して足跡を残さないような人だ、副隊長としての存在感が薄かったのは意図的としか思えなかった。「副隊長は誰か」を知る者には努力義務的な鉗口かんこうを敷いていたか、強いていたに違いない。海燕の反応を見るに、阿近のこの読みは恐らく当たっていた。

 「サカフジ」という答えを引き出すことに成功した阿近は、それから十番隊の過去の報告書や殉職者名簿を洗い直すことにした。いくらこそこその達人でも、護廷という組織に所属している限り、関わった全ての仕事や生死の記録までは消したり出来ないはずだ。
 コツコツ調べること数時間。複数名の連名になっている何の変哲もない討伐任務の報告書に、「サカフジ」と読める名前を漸く見つける。「逆藤」。よくいるような姓ではない。『逆藤公彦』、きっとこいつだ。
 次に、殉職者名簿を再確認する。最初に一番区で閲覧したものは十三隊分が総合されていたが、十番区のものなら十番隊所属者に限定されているため、そう時間はかからなかった。『逆藤公彦』という名前は、どの頁にも載っていなかった。

 ――逆藤公彦……今は何処に?


***


「こちらこそ名乗りもせず。六番隊隊士の逆藤さかふじ公彦きみひこです」


 ――いた!!!

 深夜の処刑場跡で生命の危機に直面しておきながら、阿近の頭の中はまるで盆と正月がいっぺんに巡ってきたかのような盛り上がりを見せていた。阿近にしてみれば逆藤は細波も消えて久しい湖面に舞い降りた水鳥に喩えても過言にあらず、まさに天から降ってきた済たすけそのものだった。
 だがまさか、霊圧までこんなにこそこそしていようとは夢にも思っていなかった。仮にも元隊長格であるはずの青瞳あおめの彼の霊圧は、「戦いはダメダメ」と自称する甘竹にすら負けているかもしれない。……何故?
 上空でちょちょんがちょんと踊っていた玉虫色の甲虫型虚が、霊力の塊を飛ばす攻撃を再開してきた。二人は虚に注視しながら、円を描くように走って躱していく。石畳の破壊音に負けないように、阿近は声量を上げた。


「戦って斃せそうですか!?誰か他の死神いそうな所まで、一緒に走って逃げたほうが!」

「やれること全部試しても無理そうだったらそうするかもね!けど阿近くんだって、彼を置いて行きたくはないだろう!」


 意識を失い、道端に寝かせられている十二番隊隊士を一瞬だけ見遣った逆藤につられて、阿近もそちらを見る。あの先輩隊士は中肉だが背は高い方だ。逆藤も背が高く程よくがっしりしているようだが、大人一人担いで虚から逃げ切れるかどうかは厳しい賭けになるだろう。阿近では少しも運ぶ力にはなれない。


「でも斬魄刀もないのに!」


 阿近は勿論、逆藤の腰にも斬魄刀はない。他の戦う術といえばまず鬼道だが、逆藤のあの『白雷』ではまず不可能だろう。それと比べたら阿近の方がある程度の鬼道が扱えるが、彼は全くと言っていいほど実戦経験に乏しい。止まっている的ならまだしも、空を飛び回るそこそこ強い虚が相手ではあまり通用しそうになかった。


「それはね!十一番隊や与太郎でもないのに平時に帯刀なんてしてたら、目立って仕方ない!」


 与太郎というのが誰かは分からないが、逆藤に辿り着こうと奮闘してきた阿近にはその主張は納得しかない。六番隊は規律を重んじる厳格な隊風で知られる。そこの所属者が常日頃得物をぶら下げてなんかいたら、あっという間に有名人になってしまうだろう。
 連続攻撃がまた一時止むが、あの甲虫型の能はそれ一つだけではない。今度は、人の首など簡単にすっぱりしてしまえそうな槍鉋のような腕を広げて、月の下で光らせている。


「やっぱり斬魄刀ナシじゃ……」

「死神の武器は刀だけじゃないよ。まぁ見てて、何とか頑張ってみるさ。……しかし君が血が苦手なら、あまり見ていない方がいいかもしれないな。見るに堪えなければ、目を瞑っていていいからね」

「逆藤さん!」


 降下してくる虚から阿近を庇うようにして、逆藤は大きく一歩前に出た。斬撃をその身で受け止めようとでもいうのか、彼は肩幅より少し広めに足を広げてやや腰を落とすと、衝撃に備えるように力強く構えた。虚の鋭利な腕先が向かい来るのに対して、彼は生身の左腕を振り上げんとする。
 刹那、阿近の脳裏に左肘から先を失くした男の姿が過る。目の前の逆藤がそれと重なろうとしている。肝に直接氷が触れたような、流れる血が一気に冷えたような感覚がして、急いで『赤火砲しゃっかほう』を放とうと霊力の珠を練った。
 虚と逆藤の腕がぶつかり合うのと、阿近の赤火砲が虚の脇腹に命中したのとは、同時だった。


「ッ……はは、そうだな。痛いものは痛い。更木隊長ならともかく、俺なんかじゃまあ、それはこうなる」


 阿近の視界の隅で赤が舞う。嗚呼、また――前回は映像なし音声のみだった、でも、これは目の前で起きている――見たくもなかったが、阿近の目と意識は彼の落ちた左腕を探して下を向く。……無い。……無い?そんな筈は。……無い。遠くにでも飛んで消えたか?
 阿近は弾かれたように顔を上げ、見れば彼の左腕は未だ彼とお別れなんてしていなかった。虚の鋭利な腕をがっちり受け止めてギリギリと競り合い、余裕をぶっこいていた相手も心做し焦燥を覗かせていた。


「肉を切らせて骨は断たせず・・・・・・、なんてね。
 大丈夫だよ、骨ならある・・・・・」


 ――肉の方はあんまり大丈夫ではなさそうですが?


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表紙・家