遉砂州へと数珠繋ぎ

死ぬれば死神
さすがさすへとじゅずつなぎ

 とぼとぼ。一度来た道を戻り、そうして見えてきた三叉路の左右に交互に視線を注いでいく。風情もなく代り映えしない白黒の殺風景。慣れない土地まで足を伸ばしていた阿近は、今まさに岐路に立っていた。


「方角は分かるんだけどな……どうしてこう入り組んでるのに案内板すらないんだか……」


 先週よりも分厚くなったDリングバインダーを両手で持って歩き回り、途方に暮れる。あまり認めたくはないが……迷子だ。科学数学や霊具開発の道においては迷いない彼だが、何事も万能に熟せるほど物事に通達しているかというと然にもあらず。なにせ彼はまだ少年である。
 路地を挟んでずっと続いている漆喰の塗り壁は、平均身長の大人にとっては自身の二倍もない高さだが、阿近にとっては三倍近く、普通に跳んだくらいでは天辺の塀瓦へいがわらに手が届かない。死神らしく瞬歩を使って勢いをつければ何とかなりそうだが、研究室に籠ってばかりで運動不足の彼には少々厳しい。行きたい方へ進むのに邪魔だからとそう何度もぴょいぴょい飛び越えられるものではない。せめて道端に街路樹か大八車でもあればそれを足掛けにするのだが、どういわけかこの辺りには物らしい物という物が見当たらない。あるのは道、壁、空。それだけ。だから初めにも殺風景だといった。
 途方に暮れるというか、途中で更けたというか。調べ物に夢中になり過ぎて帰るのが遅くなったというか、帰ろうとするのが遅かったというか。もうとっぷり夜だ。道を尋ねようにも人っ子一人いやしない。今再び、阿近の脳内では海燕が「言うこと聞かねぇ寝ない子だからこうなるんだぜ〜や〜い」とか言いながらゲラゲラ笑っている。疲れているのに無駄な想像に労力を割いてしまってキレそうだ。そのとき、阿近の視線の先をとある人影が横切って行った。

 ――今の……十二番隊のやつ、だよな?

 見間違いでなければ、そのはずだ。技術開発局の局員であれば一目見れば誰か分かる自信もあるが、今のはおそらく一般隊士だった。普段あまり局には出入りせず、十二番隊舎の平常な区画で通常事務を担っている、中堅の人。仕事で幾度か事務的な会話をしただけの間柄だが、一応は同じ隊に所属している先輩だ。頼めば一緒に帰るくらいはしてくれるだろう。
 走って行ってしまったその背を見失わないように、阿近も駆け足で後を追う。その先がとんだ道ならぬ渦の中へ続いているとも知らずに。

 十番隊舎、執務室。
 一心は指でちょいちょいと鼻尖を掻きながら、突然の来訪者と目を合わせた。……小さい。本人が何だか堂々としているからやや大きいように錯覚するが、改めて見ると自分より一尺くらい小さい。
 先の合同遠征にて知り合った、刑軍かつ二番隊の三師みもろ太てんと。初顔合わせは帰路に発つ前に荷車引きを頼んだときで、虚との交戦中に一心が彼の姿を見掛けることはなかったが、乱菊からの報告を受けてその功績は知っている。これまでの記録にある倍以上も巨おおきかったらしい下級大虚ギリアンを単独で追い詰め、終いにはぱっかりと割って真っ二つにしてみせたとか。更木の斬撃も同時にのっかった結果だそうだが、それでも十分侮れない。


「“ちょっとした捕り物”って?十番隊ウチに刑軍に追っかけられるようなバカやったヤツでもいるのか?」

「そんなんだったら良かったんスけどね。時間ないんで単直入刀に言いますけど」

「単刀直入な」

「あれっ?んじゃあ単刀直入に言いますけど」


 と言っておきながら、言う前に太は自身の左腕を一心の右腕にグイと組ませて、瞬歩で執務室の外へと連れ出した。一心は不意を衝かれて無抵抗のまま、真っ暗い廊下をビュンと引っ張られていく。


「今から悪者が沙生ちゃん攫いに来るんで、まずは攫わせます」

「まずは攫わせます!?」


――――――


 ――まず、事の始まりは何時いつだったのか。何故あの子は綱彌代に“元来の異質さ”に気付かれてしまったのか。

 六番隊隊士の逆藤さかふじ公彦きみひこは、川沿いで京楽と献酬を重ねた後、一人森々しんしんとした路地を歩いていた。夜半よわの散歩は思考整理にもってこいだ。ここ二十年、以前にも増してこそこそして骨々コツコツ積み重ねてきた情報を武器に、瀞霊廷の隠された深層への坑道をまた一つ、別角度から彫ゑり通さんとする。
 京楽にも伝えた通り、綱彌代はまだ「楠山沙生は志波天鷹の子である」とまでは掴んでいない。この秘密を知る者は、逆藤が把握している範囲で確実なのは卯ノ花烈、曳舟桐生、御厨みくりや貴子たかね、浮竹十四郎、京楽春水、朽木蒼純、山田清之介、志波一心、志波海燕。ほぼ確実では?と睨んでいるのが山本重國、雀部長次郎、朽木銀嶺、砕蜂、見坊けんぼう謙知かねとも。他にも少しいるが、それは現在瀞霊廷にいない大罪人や故人だから今は考慮に入れない。ひとまずこうして列挙した中には、天鷹の忘れ形見を誰かに売るような屑クズはいない。みな形は様々でも天鷹とは良好な関係だったし、今でも彼を心から慕う者ばかりだ。
 ならば、綱彌代はどうして「楠山沙生は異質である」と思い、彼女に手を伸ばしてきているのか。

 ――それは多分、あの子が死神・・とし・・ての・・第一・・歩目・・を踏・・み出・・した・・とき・・に。

 “元来の異質さ”を持つ者を効率よく見出すために、“視察”の名目で綱彌代の手の者が毎年送り込まれても怪しまれない絶好の選別場。其処そここそは何処どこあろう、護廷十三隊入隊試験会場だろう。
 
 ――あの子はいつか死神になるとは思っていたが、“真央霊術院”って道程を丸々スッ飛ばしてきたのは想定外だったな。そんなところまで天鷹様と同じにならなくても良かったでしょ、ふふ……って、笑ってる場合じゃないよ、俺。

 逆藤にとって、それは千慮せんりょの一失いっしつだった。

 当然の大前提として、沙生には現世で長生きしてほしかった。名付け親である浮竹も心からそう願っていたし、浦原喜助と秘密裏に協力して張っていたという玲瓏山もゆらやまの結界と監視も抜かりはなかった。しかし、「そこが“重霊地”になる」というのは想定外だった。浮竹も浦原も、自身らの“隊長”という立場が枷かせとなってしまい、瀞霊廷内が混乱しているわけでもなかった当時、沙生のために自らが迅速に現世に赴くという事が出来なかった。
 而してしかし、逆藤という男にとっては「あの子が不慮の事故で命を落とす」というのは想定内だった。

  ――したいことよりすべきことを。

 沙生の幸せを願っておきながら沙生が死んだ時のための用意を万端に整えておくことは、きっと浮竹には難しい。彼は優しすぎるから、そんなもしも・・・は考えたくもなかったはずだ。そこで停とまって、向き合う“覚悟”がなかっただろう。浦原には可能だったかもしれないが、結果として、彼の天秤も紙一重で情に傾いていた。かつて天鷹仲間を護れなかったことが恐ろしかったから、次は絶対強くなって、必ず沙生キミを護ると誓っていたはずだ。『誰かを守るなら“死なせない”』。前を向いて、そういう“覚悟”を決めていただろう。つまり二人とも、どうしても沙生を生か・・した・・かった・・・。その感情はとても美しいものだ。決して間違いなどではない。
 それでも、人は死ぬときは死ぬ。だからあの日、浮竹が海燕達を現世に向かわせてすぐ、逆藤は裏でたった一人、誰とも違う方を向いて、すべ・・きこ・・とを・・した・・。

「はい次どうぞ、西ね」

 前以って用意しておいた『西ノ三』の木札を、沙生に手渡した。
 魂葬こんそうされてきた整プラスを流魂街るこんがいの東西南北全三二〇地区に振り分ける受付係は、正直言って不人気な仕事だ。専ら力のない平隊士がやる地味で詰まらない雑用といった扱いをされている。だから、ほんの少しの引き・・さえ作っておけば、当番を代わってもらうのは容易いことだった。「引き受けてくれるなんてありがとう」と四番隊の平隊士に笑われて感謝されたくらいだ。
 全部が無駄骨に終わることを願いながらそうした逆藤の前に、天鷹に似た霊絡れいらくを持ち、干歳ひとせに似た顔をした“あの子”が現れたとき、彼は何を思っただろう――。その心境は、彼と同じ種類の覚悟を持った者であれば自ずと理解るものだろう。理解らない者でも、これだけは解わかれるはずだ。彼なりの“覚悟”は、決して無駄骨にはならなかったのだ、と。
 そうして沙生は、人知れず逆藤に導かれる形で、鯉伏こいふしを死後の故郷とした。源信げんしん長老に快く迎えられ、彼が『強い霊力を持つ者が現れたらここを自由に使って欲しい』と言付かっていたという家に住み、流魂街の民としては非常に希少である霊力を有した少年相楽さがら喜之助きのすけと出会い、仲の良い姉弟きょうだいとなった。彼と一緒に、家にあった沢山の書物を読み、切磋琢磨して楽しい日々を過ごした。

 ――あの子が死神にならなくても、それでも良かった。でも、もしも志すのなら、力になってあげたかった。元よりお天道様の下を堂々と歩けない身の上では、影ながら応援することしか出来なかったけどね。

 沙生は死神を志した。お互いが恩人というあたたかい縁で結ばれた“死神さんたち”の言葉を切っ掛けとして、彼らや六車拳西のように「人を護って戦える死神になりたい」と自らの心を決めた。そして死神になるためにまずは真央霊術院への入学を目指し、鯉伏から旅立った。そこまでは良かった。

 ――なんで、どうしてこうなったんだか!

 いつかに南館みなみだて沢子つやこと相楽喜之助が各所で似たような台詞を口にして嘆いていたとは木こっ端ぱも知らず、逆藤は心の中で独り言ちた。それはつい前髪をくしゃりとかきあげながら軽く伏し目がちになる仕草となって、心の外にまで半なかば溢こぼれ出た。端から見ればただのイケメン仕草である。
 そう、沙生は真央霊術院の入学試験の前に護廷十三隊の入隊試験を受けてしまった。これが逆藤唯一最大の誤算であり一生の不覚、千慮の一失というやつだった。
 彼女は恐らく綱彌代の“視察”の目前で独学の・・・瞬歩を見せてしまった。だが、これだけだったらまだ限々大丈夫だったかもしれない。純粋な死神の瞬歩との些細な差異に気付ける者はそういないからだ。逆藤個人の感覚の話になるが、彼が春先に偶々十一番隊舎前を一通行人として通りかかって実際に目にしたそれは、八はち分ぶ九く厘りんくらいはちゃんと瞬歩だった。死神スキップと命名されたらしいその歩法を、なんで草鹿副隊長も出来てるんだろう……とか、面白がって真似しようとした斑目三席がすっころんで犬の糞の上で尻もちをついた……とか、ちょっと色々あったがまあそれは今どうでもいい。
 彼女はよりによって斬術の試験中に更木に乱入され、そこで斬魄刀の未熟な力を開放――否、彼女の魂が・・元よ・・り持・・つ力・・を使って見せてしまった。多分、いや絶対、これが決定打だった。それで綱彌代に「異質だ」と気付かれて、『十一番隊の女隊士がそうかもしれん』と思われるようになってしまったのだ。
 以上が、これまで逆藤が独自にこそこそ骨々調べてきた情報と、先刻半分酔っ払いの京楽が話してくれた入隊試験の顛末と、先週死神の墓場で会ったときに(逆藤をお化けだと思って死ぬほど驚いていた)海燕から聞き出した話とを骨子としてトコトンまで彫り通し、逆藤が導きだした坑道こたえである。

 ――あとは亢夜あの馬鹿が閃センに口を割ってくれたら、ひとまずあの子に関する筋だけでも深層真相まで開通完答できそうな気がするんだけど…………ん?

 ここに来て、彼もまた岐路に立つ。逆藤の視線の先をとある人影が二つ続けて横切って行った。

  ――今の……今年度の入隊試験の試験官名簿に名前があった十二番隊のやつ……と、追って行ったのは技術開発局のたしか阿近くん、だよな?

 確信はない。だが、彼の勘は告げている。いま目と鼻の先を掠かすっていったあれは、核心に近い。
 その背に付かず離れずで、逆藤はこそこそと後をつける。その先が縦たとい瀞霊廷の深い闇へと繋がる綱つな渡りだとしても。


――――――


「……そうか、尾焼津亢夜は死んだか……くはッ、クハハハ……!」


 虎の穴に潜り込ませている鼠が去り、独りになった時灘は、また笑う、嗤う、嘲笑う。その様をこそ、溝どぶの下から密かに哂わらわれているとも知らぬまま。
 いつかその事に気付く時が来たら、時灘はいったいどんな反応をするだろう――?
 おかしい、と大笑するだろうか。
 つまらない、と冷笑するだろうか。
 無駄なことを、と憫笑するだろうか。
 それはまだ誰にも分からない。未来のことなど人には分からない。果たして時の灘の流れつく先には、廻まわりまわってどの砂粒が転がっているものか。


――――――――――――

――――――

―――

…


「キハ、キハハハハハハ! あーヘンなの! 沙生ちゃんの周りって変わり者ばっかりだ! モチロン剣の字と私も含めてね? キハハハヒハ! こりゃこの先百年は退屈しないぜ!」

「……静かにしろ。百年は黙っていろ」

「それにしても、まさか旱ひでりちゃんが沙生ちゃんで志波天鷹の娘だったなんてさ、本当に驚きだったよね! あれ? これ最初に分かったのっていつだったっけ? 無駄に瀞霊廷の全部が分かるとそういう細かいところが分かんなくなってくるよ! 色々知り過ぎると一周回って馬鹿になる。 キハハハハ! それこそ馬鹿っぽいか!」

「…………」

「なぁ剣の字、女性棟を無暗に覗くのは変態だからって自重してたのちょっと後悔してるんじゃない? 可愛い赤ちゃんだった頃の沙生ちゃんのこと、もっとよく見ておくんだったー! ってか!? キャハハッ!」

「口を閉じろ。私は無駄な後悔などしない」

「キヒ、はいはい! 無駄なモンは私に寄越しな! 何だろうとぜぇんぶ貰っといてやるよ! なんたって私は無駄が大好きだからね! キハハハハハハ! ……ところでさぁ? 沙生ちゃんがむかし・・・名乗ってた『旱ひでり』って偽名、結局なんだったの?」

「……知るものか。考えても無駄なことだ」


…

―――

――――――

――――――――――――


「全ッ然意味わからんわ!なんで楠山をそんな無駄に危険に曝さらすようなマネすんだよ、おい三師!」


 一心は太に組まれた腕を振り解ほどくと、間髪入れずに彼の小さな胸倉を掴んで声を荒げた。既に消灯されて真っ暗な、他に人気のない十番隊舎の廊下。戸のない倉庫部屋の曇った硝子窓から差し込む月明りの反射光が、独白の舞台照明のように二人に挂かかる。


「無駄じゃないっスよ。あとオレ、太っス。そっちで呼んじゃあくれませんかね?」


 互いに悍然かんぜんとして睨み合い、閉じた空間に冷たいのか熱いのかよく判らない圧が充溢じゅういつしていく。


「でもオレよりまず沙生ちゃんが先か。名前で呼んであげてくださいよ」

「そんなのどっちだっていいだろ!!それよりお前ちゃんと説明――」

「よくないっスよ。全然よくないっス!!」


 太は一心の怒声に負けじと声を張った。確しかと開かれた目は揺らがず、怯まない。自分の胸倉を掴んでいる一心の手をガッと掴み返して、寧ろもっとちゃんと掴めとでもいうようにグッと押しつけた。これには一心の方が若干の動揺をみせる。


「志波隊長、アンタ中途半端なんスよ!!」

「なんだと!?」

「知らなかった志波副隊長はともかく、アンタは知ってたんスよね?しかも最初っから!なのにその態度は何なんスか!」

「オっ、お前の方が何なんだよその態度!」

「一丁いっちょ前まえに沙生ちゃんのこと心配するくせにいつまでもタラタラしゃーがって!ヨソヨソしいんスよ!ホントに解ってないんスか!?」

「なにをぅ!?」

「アンタ、今生きて沙生ちゃんの側にいてやれる人間の中で一番近い身内!み・う・ち!義理じゃない、血ぃ繋がってる家族!か・ぞ・く!」

「んなッ……!おま、それ……そ、そうだけど!そりゃそうだけど!」


 一心は自分が太に怒っていた事などもうすっかり頭から抜け落ちて、覇気もなくしてタジタジになる。太が「何をどこまで知っているのか」。そんなのはもう、さっき目玉を指差してみせた仕草と今の会話で殆ど見えた。一心が沙生に関して知っている情報なんてそう多くない。きっと太の方が通じている。太が一心に何か隠す事はあっても、その逆は通じないことだろう。


「『そうだけど・・・』?だけど何スか!!」

「ナニ!?な、何っつわれても……!」


 自分よりも一尺も小さい男から叱責を受けて気圧されながら、そのこと自体を悔しいだとか心外だとかは思わなかった。それどころか、悔しいくらい「尤もだ」と得心してしまった。
 してしまったのと同時に、一心の拳からは自然と力が抜けていく。太の胸倉からするりと離れていくところだったが、太の方がまだ放してくれない。ぎゅっと掴まれている。
 夕方にもこんな風にされたばっかりだったっけ――一心の脳裏には沙生の悪戯っぽい笑みが浮かび、耳にはあの真黒い滝の音がそら走る。


「家族みんな死んだとか、家族みんな殺されたとか、家族みんな置いてきたとか。本当の家族なんて顔も知らないとかも、世の中ザラっスよ。義理の関係が血縁より軽いとか浅いとかそんなん言うつもりもないっスけど、そんでも沙生ちゃんには折角アンタがいるんスから」

「そう、だな……あー……そうだよな・・・。もう何も言い返せねぇよ、俺」

「仲の良さとか深さとか抜きにしても当たり前みたいに名前で呼べるってのァ、家族の特権っスよ。呼べるやつが呼んでやらないでどうするんスか」

「……そうだなぁ。もうお前の言うことにゃ『そうだよな』しか言えねぇよ。完敗だわ」

「ッへへ、別に勝ち負けの話じゃなかったと思うんスけど」

「ばぁーか。完璧に言い負かされてんだよこっちは」


 今度こそは太も力を抜いて手を放した。苦笑いして間まをとった二人の間あいだには、もう暗いものはない。


「じゃ、あともう少し猶予もありそうなんで、改めてサクッと説明します」

「おう」

「御存知の通り、沙生ちゃんにはチョット特別な力があるんで、それ目当ての悪者がこれから誘拐しに来ます」

「それって…斬魄刀ナシで……とかの?」

「はい御名答。それが単独犯ならオレだけで捻ひねっとくんスけど」

「複数犯?」

「それも一族郎党とかそういう規模」

「ヤバくね?」

「ヤバいっス。でも頭っから全投入はされないんで」

「そうなの?」

「そりゃそうっしょ。身ぃ切るのに尻尾だけで済むんなら誰だってそうしますって」

「そっか」

「なンで敢えてまずは攫わせて、追いながら削っていきやしょう。一回沙生ちゃん持って行かせりゃ、敵サンはそれで引っ込みつかなくなりますから。モタつけばモタつくほど追加で手とか足とか出してくるはずっス。末端だけ仕留めても後でまた面倒になると思うんで、成なるっ丈たけ引き摺り出しますよ」

「なーる?お前ってもしかしてアタマ良い?」

「どうスかね?何を基準にするかで変わると思いますけど。まぁオレってば忍びの申し子みたいなもんなんで、コッチの方面はね」

「さすが太。サステン。頼りになりそう」

「こちらこそ頼りにしてるっス。今夜たまたま沙生ちゃんが十番隊舎に来てなくても、隊長格にご協力煽あおるんなら志波隊長だと思ってましたからねオレ」

「マジで?あんがと。でもそれを言うなら煽るじゃなくて仰あおぐな。何なの?国語はニガテなの?」

「あッはは、大ハズレって程じゃないし、いつも惜しいとこまでいくんスけど……ま、今後もオレが変なこと言ってたら教えてくださいよ」

「はいはい。でもホントにナンデ俺?隊長としちゃぺーぺーなんだケド。当たるんならまず砕蜂とか、京楽さんとかさァ」

「裏表ウラオモテなくてダントツ話しやすそう。話聞いてくれそう。話半分でも何だかんだ信じてくれそう。話早そう」

「褒めてんだよな?」


 太は笑って「モチロン」とおちゃらけたように敬礼した。一心も同じようにしてみる。確かに話しやすい、と思った。こういうのを意気投合というのだろう。横に並べば凸凹でこぼこだが、向き合ってみると不思議と真っ直ぐ目と目で通じ合える感じがする。
 それは何故かと考えてみて、一心は意外とすぐにピンときた。少し前まであんなに眠たかったのに、何だか冴えている。
 今、こいつとは目的を同じくしている。『沙生を護る』。自分は何が何でもそうするんだという“覚悟”を決めている。誰かに課せられたわけではないが、かといって「頼まれもしないのに」というわけでもない。『沙生を護ってくれ』と、誰かに代わりを託されたような気持ちが、強く胸の中にある。

 ――俺の場合は、あいつの親父。天鷹の伯父貴から。


「……なぁ、お前は何でそこまでしてあいつのこと護ろうとしてくれんの?同期っつっても、霊術院の同級生でも元からのダチでも何でもないだろ?」

「訊かれりゃ教えるって言っちゃいましたからね。……でもゼッタイ誰にも言わないでくださいよ?オレ、これまだマジで誰にも言ったことないんスから」


 また一段と強く目と目が合った。その目に裏はない。奥の方には、同じ志の火が煌々こうこうと燃えているような気さえする。太はカッ開ぴらいた目力はそのまま、肩の力は抜いて、ゆっくりと口を開いた。


「旱ひでりの爺ちゃんに頼まれてんスよ。『孫を護ってくれ』ってね」

「誰?ひでり」

「沙生ちゃんの爺ちゃん」


 ――なーんだ、やっぱりそうなんじゃん。俺の“何となくの鋭さ”、案外馬鹿にできないもんだろ?な?分かったかよ楠山。……いや、違うな。沙生、か。


「へーぇ……それって現世の人間の、だよな?」

「そっス。沙生ちゃんと命日一緒の」

「……どういうご関係?」

「べつに、赤の他人っちゃ他人ですし、トクベツ何かあるわけでもねっスよ」

「それにしちゃお前、義理堅すぎじゃない?」

「そう?ま、オレってば爺ちゃん子っスから!旱の爺ちゃん、オレの流魂街の爺ちゃんに雰囲気似てたんスよねぇ。それに“太てんと”って名前も『凄くいい名前だ』って褒めてくれましたし。そんな人の後生の頼みとくらぁ、きいてやるのが男ってもんしょ」

「なによ……ただの良いやつじゃんサステン……このお人好し」

「アンタがそれ言います?鏡でも持ってきてやりぁしょうか?」


――――――


 ――鏡花水月。
 沙生曰く「最高にずるい能力」である斬魄刀の方はひとまず脇に措いていただき、本来の意味である「儚い幻」という喩たとえの方である。鏡に映る花と、水面に映る月。目には見えても形がなく、触れようとしても掴めず、すり抜ける。
 そのように可憐で繊細な比喩など到底似合わない中年男性の背中を見て、ひらひらとその言葉が頭の中に降ってきたのは、何故だろう。


「あの……どうも、こんばんは」

「――? ……ああ、阿近殿。こんな夜分に、こんな所まで。私に何かご用でしたか?……申し訳ありません、声を掛けていただくまで気が付きませんでした」


 十二番隊の先輩隊士である男は、事務員らしい度の強そうな眼鏡の蔓つるに軽く触れながら振り向いた。普段仕事中に聞く彼の指示には程遠い、今にも消えそうな声量だった。
 阿近がその男の背中に声を掛けたのは、彼が開けた・・・行き・・止まり・・・で立ち止まっていたからだった。こんな時間に走っていたものだから、阿近はてっきり彼も十二番隊舎の方へ帰るのだと思っていた。だが、此処は当初の目的地ではない。閑散とし過ぎていて却って物々しい、初めて来る瀞霊廷内の僻地。


「静かな夜ですね。月も、空気も綺麗です。……ここで殺され、亡くなった方々は、最期にどのような景色をその目に焼き付けたのでしょうか」

「……? 何を言って……」

「阿近殿は将来有望な研究員です。こんな末路で、こんな莫迦なことで貴方を失ってしまっては、曳舟隊長が土台を固められ、浦原隊長が創設された技術開発局の未来も心配になります。涅局長は、ちょっと……アレですからね」

「だから、何を――」

「申し開きの仕様もございません。私は、ただの使い捨ての鉄砲玉に過ぎません。仮にここで引き返し、お上かみに逆らおうが、私は明日の陽も月も、見ることは叶わないでしょう」

「なッ……ちょっと……!」


 男の背後、阿近の正面にある空間――正確にはその下・から、突如として異様な霊圧が噴き上がり、濛々もうもうと立ち込めていく。
 静かな夜が一転する。重い足音、障る羽音、猛る咆哮。おどろおどろしく、芯から恐怖を溢れさせるような嫌な圧力が阿近を抑えつけた。


「嘘だろ、どうしてそんな所から虚ホロウが……」

「……ここはかつての処刑場跡です。殺さず連れ帰った虚を穴の中に放ち、罪人と戦わせる……実に悪趣味だ。現在は廃れている悪習とはいえ、瀞霊廷の貴族とは鬼か悪魔か、何なのでしょうね」

「処刑場……?」


 阿近の脳内で警鐘が鳴る。瀞霊廷内で虚の霊圧を直に感じるという異常。霊波計測に携わる者としては特筆して“強力”と付ける位ではないが、研究室で観測するのと実際に肌身を刺されるのとでは大違いだった。討伐現場の死神とは、皆この恐怖とも戦っているのかと、新たな知見を得た。
 寸前までは、虚の霊圧など全く感じられなかったのに。どういう理屈で、どういう方法で?……生命の危機に直面しながら、阿近の研究者としての性はちっとも自重してくれない。次々と疑問が湧いてくる。しかしそれを悠長に考察している暇はない。過去の処刑場跡だという穴の底から、飛行能力のある虚が一体、その異形を顕あらわにした。
 だというのに、男はその場から一歩も動かないまま、阿近にか、瀞霊廷にか、虚ろな目をして語り続ける。


「史跡として遺しているのかもしれないが、此処から何を学べというのか……私たちは生まれたときから残酷な歴史の上に立たされているのだと思い知らされたところで、何を変えられもしないのに。過ちを繰り返さないため?……白々しい。黒い歴史は消し去らないと、こうしてまた後ろ暗いことに悪用されるのです」

「おい!後ろ!!」


 阿近は男に向かって叫んだ。状況の全てが理解できた訳ではなかったが、男を止めてやらなければいけない気がした。阿近に虚をけしかけるつもりではなかったようだし、喜んでこんなことをしているようには見えなかった。そして何より、目の前で知人が自殺しようとしているのに黙殺することなど出来なかった。阿近は両手で持っていたDリングバインダーを放り投げ、男に向かって手を伸ばす。
 だが、届かない。男の背後に滞空する玉虫色の甲虫型虚が、槍鉋やりがんなのような両腕で男の首を挟み込まんとする。阿近は手を伸ばしたまま、思わず目を瞑った。


「破道の四!『白雷びゃくらい』!」


 光る白線の破道が空を走り、虚の手先を誤らせた。男の首は繋がっている。阿近は聞き覚えのない第三者の声に目を開き、放たれたばかりの破道の残滓を辿ってその姿を捕捉した。この処刑場跡の左右に立つ無機質な高台のうち右う方ほうに、見知らぬ死神が立っている。


「さてと、ちょっかい出してみたはいいが……どうするかな、はは」


 横槍を入れられた虚は、ギィギィと声を上げて矛先を変える。高台よりも上方へ飛んでいき、口から霊力の塊を吐き出して妨害者を攻撃し始めた。派手さも威力も虚閃セロの足元にも及ばないが、真面に当たればタダでは済まない。見知らぬ死神は、闘技場の観覧席のような段々造りになっている足場を活用して逃げ回っている。
 虚の連続攻撃が一旦止むと、彼は高台から阿近の前に飛び降りてきた。膝の曲げを上手く使い、音もほぼ立てず、軽やかに着地してみせる。


「三秒、また目を瞑っていてくれるかい」


 虚と戦闘中だとはとても思えない、穏やかな声を発した彼と視線が絡む。阿近に向けられたのは、海のように青い死神の目だった。


「いい子だ」


 ………三秒。上空をそこそこ強い虚が飛んでいるこの状況で目を瞑ることは、まず思うよりも怖いことだ。が、阿近は自分でも不思議なくらい、素直に彼の言う事に従っていた。
 三秒経ってから再び目を開いてみると、青瞳あおめの彼が十二番隊隊士の男を道端に寝かせているところだった。男は意識を失い、眠っているように見える。魄動はくどうは正常だ。死んではいない。おそらく白伏はくふくか何か縛道でもかけたのだろう。
 そして彼はまた瞬歩で阿近の前に立った。但し、今度はこちらに背を向けて。


「『白雷』」


 寝かせてきた男から虚の意識を逸らすためにか、彼は先程と同じ破道を虚に向けて放った。しかし先程よりも弱い。遠距離からの低級破道、それも詠唱破棄となると威嚇が精々だ。手品用の拳銃で撃ったみたいなそれを悠々と躱した虚は、こちらを馬鹿にするように変に腰を振って踊り始めた。


「君、ここは俺に任せちゃってもいいよ」

「……え、でも」

「はは、頼りない?」

「えっと……」

「まぁね。あっちでるんるん踊ってる虚にも、食いでのない死神が来たと思われてそうだ」

「いや、そんな……」


 助けに入ってもらった手前きっぱり失礼を言うのも憚はばかられて、阿近はつい口数が少なくなる。背を向けて立つ彼からは、言っちゃなんだが、それほど霊圧を感じない。阿近の知人で言えば、十一番隊の金矢かなやにも、同僚の鵯州や久南にも、ひょっとすると九番隊の甘竹あまたけにすら及ばない。この場を彼一人に任せてしまったら、彼と十二番隊の先輩隊士の命は非常に危ぶまれるのではないか。


「その……帰り道に迷ってるとこでしたんで。逃げてもどうせ袋小路でしょうから、案内してくれそうな人を置いて行ったりはしませんよ」

「おやまぁ、気を遣わせてしまったかな。ありがとうね、優しい迷子の阿近くん」

「? 俺の名前……」

「最近あっちこっち図書館とか回ってるでしょ。俺も調べ物が趣味でね。君が甘竹といるところも何度か見かけたし、まぁ名前くらい自然と聞こえてきた」

「甘竹さんのお知り合いですか。失礼ですが、貴方は……?」


 どこで覚えてきたのだか、上空の虚はお次はちょちょんがちょんと踊って馬鹿にしてくる。阿近はまあムカついたが、あの高さから攻撃されまくっても今は困るので都合がいい。本格的におっ始ぱじまる前に、共闘する相手の名前くらいは聞いておきたかった。ア・ちょちょんがちょん。まだ時間はある。
 青瞳の彼もそう判断したのか、こちらを見返り、虚をちょっと尻目に懸けながら自己紹介をしてくれた。


「こちらこそ名乗りもせず。六番隊隊士の逆藤公彦です」


 それは、この頃ごろの阿近にとって、まさに探していたその人の名前だった。


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表紙・家