日が傾いて影が長くなった頃、ムロ島行きの最終便が出航する汽笛の音が鳴り響いた。ミナモ行きは日が沈んだ夜まであるのに、ムロ島行きは夕方には連絡船は終わってしまう。これが田舎者の運命か、と嘆くのも、もう何度目だろうか。走るのが遅いロゼリアを抱え、今まさに出航しようとしている船に向かって、全速力で走った。
「おお、ロゼちゃん。いつもご苦労様だね。」
毎日毎日出航ぎりぎりに乗り込むから、船員の方に覚えられてしまった。にこにこと話し掛けられても、私は毎度のこと、はあはあと息を上げながら頷くことしか出来ない。
「はは、ゆっくり休んで。」
そう言い、船員さんは船内に入って行った。私たちも休もうか、とロゼリアを連れて甲板に向かった。ムロ島行きのこの連絡船は、ミナモシティ行きのタイドリップ号とは違って規模も大きさも一回り小さく、客室もいくつかしかない。まあ、お金ないし、部屋とるほど遠い訳でもないから、毎日甲板のベンチで到着を待つことにしている。
明日が休日だからだろうか、甲板にはいつもより人がたくさんいた。子供連れの家族だとか、老夫婦だとか。子供たちが甲板の隅で手すりに掴まって、キャーキャー言っているのが聞こえた。きっと、海に浮かぶメノクラゲやドククラゲを見て騒いでいるんだろう。水平線の向こうに太陽が沈んでいくのを横目に見ながら、甲板のベンチにロゼリアと並んで座り、今日一日を振り返る。
「あの人、奥さんにお花渡せたかな〜。」
妻の好きなガーベラを、と注文していた男性を思い出して、ロゼリアにそう問い掛けると、彼女はゆらゆらと身体を揺らしながら、ゆっくりと嬉しそうに頷いた。
「その後来た人、本当に素敵だったね。」
スーツ姿のお金持ちを思い浮かべ、ぽつりと呟く。なんだか少しキザっぽかったけれど、それも様になってしまうなんて、凄いなあ。彼の注文を思い出し、不意に恥ずかしさが戻ってきた。もう、会うことなんてないのに。嫌だな。
「私のお勧めの花を、って言っていたけれど、あんなにかっこいい人なんだもの。きっと綺麗な女性にプレゼントするに決まってるよね。」
もうすでに後ろ姿しか思い出せない。素敵な男性ではあったけれど、そんな人に私の好きな花を買っていただいて、今日はついてる。そう思えば、なんだか気が楽になった。そんなふうに、まるで自分に言い聞かせる私を、ロゼリアは心配そうに見上げていた。
「うわっ、うわーー!」
なによ、とロゼリアを小突こうとしたとき、甲板の先から叫び声が聞こえた。さっきの、手すりに掴まって騒いでいた子供たちだった。叫び声を上げながら、彼らは船内に向かって走り出し、その背後には5匹の野生のキャモメがいた。
「な、なに!?」
慌ててベンチを立ち上がると、キャモメ達は子供たちを追いかけて私たちの方へ向かってきていた。子供たちが何かちょっかいを出したのか、キャモメ達は逆上して、みずてっぽうを乱発していた。ちらりと隣のロゼリアを見たが、だめだ、彼女は戦えない。私が、戦わなくていいように生活させてきたんだ。どうしよう、船員さんを連れてこなきゃ。
「こっち!早く!」
当事者であろう子供たちや、甲板にいた老夫婦を船内に避難させ、船員さんを呼んでこようとしたとき、キャモメの鳴き声がすぐ真後ろで聞こえた気がした。自分の身を案じて振り返ったとき、鳥の影はもうすぐそこまで来ていた。身の毛がよだったその時、私とキャモメの間に、小さな影が現れた。まるでスローモーションで、それは落ちていく。
「ロゼリアっ!!」
私の代わりにキャモメの攻撃を受けたのか、草の身体が擦り切れていた。じわりと膜を張った涙で、視界が歪んだ。戦わなくていいと思って、戦い方も何も知らなくて知ろうとしなかった。この甘い考えが、ロゼリアを傷付けてしまった。いまだにキーキー言いながら今にも攻撃してきそうなキャモメを睨み付けたところで、どうにもならないけれど。もしまた攻撃されても、今度は私が守ろうと、腕の中でくたりと倒れているロゼリアを、ぎゅっと抱きしめた。
「エアームド、エアカッター!」
その声と共に、空気の刃がキャモメ達を襲った。甲高い悲鳴を上げたが、まだこちらに敵意を剥き出しだ。何が起きたのか理解できなくて、呆気に取られていると、甲板に鳥のポケモンが舞い降りてきて、そこから人が飛び降り華麗に着地していた。
「大丈夫かい?これ、飲ませてあげて。」
床にぺたりと座り込んでいる私の前に立ち、エアームドと呼ばれたポケモンと共にキャモメと対峙しながらも、後ろを振り返って、私の方に何かの薬を投げてよこした。聞き覚えのある声。見覚えのあるスーツ。でも今はそれどころじゃない。空中でそれを受け取り、見てみるとポケモン用の薬のようだった。腕に抱えたロゼリアに、半信半疑でそれを飲ませると、みるみるうちに傷が治っていく。驚きのあまり、前に立つ彼を見上げると、ちょうどキャモメたちがその翼をエアームドに打ち付けようとしているところだった。
「エアームドよけろ!もう一度、エアカッター!」
目の前で繰り広げられるポケモンバトルに、思わず瞬きをするのも忘れてしまう。宙を飛び回り、キャモメの攻撃を物ともしないエアームド。それからすぐに、いとも簡単に5匹を撃退してしまった。
「あ、あの…」
「君は怪我はない?」
くるりと振り返り、私と視線の高さを合わせるようにして、彼は片膝をついた。大丈夫です、と震えた声で答えると、今度は腕に抱えたロゼリアを見てくれた。きっと、強いトレーナーなんだろう。ロゼリアの様子を見て、彼女も大丈夫だと微笑んでくれたのは、さっき花を買ってくれた、あの人だった。