慣れていないことで何も出来なかった私の代わりに、スーツの彼は手際よくロゼリアの傷にハンカチを巻き、甲板のベンチに寝かせてくれた。きずぐすりで随分よくなったのか、ロゼリアはその小さな身体を上下させながら眠っていた。彼曰く、命に別状はないとのことで、ひとまずは安心することができた。

「本当に、ありがとうございました。」
「気にしないで。」

そう言って私の肩に置かれた右手の人差し指と薬指にシルバーの指輪をはめているのが見えた。それは温もりと一緒に、すぐに離れて行った。

「空を飛んでいたら、下で連絡船が野生のキャモメに襲われていたから驚いたよ。そこに君がいて、もっと驚いたけどね。」

困ったように笑う、素敵なあの人。なんだか、今のこの状況が信じられなかったりする。さきほど買ってくれた花はもう持ってはいなかった。ああ、きっともう素敵な女性にプレゼントしてきたのかな。

「僕はダイゴ。名前を聞いてもいいかな?」
「私、ロゼです。」

ダイゴさんか。名前まで聞けるなんて、今日は本当についてる。隣でロゼリアが元気でいてくれたら、心の底からそう思えたかもしれない。ロゼリアに対する不安が顔に出てしまったのか、ダイゴさんはちらりとベンチに横たわっているロゼリアに視線を向けた。

「ポケモンセンターに連れていけば、すぐによくなるよ。でも、それまではモンスターボールに戻しておいた方がいいかもしれないね。」

どきっとした。ロゼリアと一緒にいるようになってから、こんなことになったことがなくて、正直、どうしていいか分からなくなっているのに。モンスターボールは持っていない、と小さな声でそう告げた。少し俯き気味に言ったからか、彼は腕を組み、顎に手を添えて何か考える素振りを見せた。あ、それ、癖なのかな。花を買うか迷っている時にもしていた。

「やっぱり、変ですか?」
「変ではないよ。でもどうやって捕まえたんだい?」
「捕まえてなんかないです。」

ロゼリアとの出会いを思い返し、その思い出話を彼にしようとしたとき、船が大きな汽笛を鳴らした。気付くと、もうムロ島が見えていた。話が途中になってしまって申し訳ないのだが、ロゼリアを優先したい。

「あの、本当にありがとうございました。」

そう言って寝ているロゼリアを抱きかかえようとしたとき、私よりも先に彼が、ロゼリアを腕に抱えていた。僕も一緒に行くよ、と言ってくれたのが、物凄く頼もしく思えた。それと同時に、甘えてしまってもいいのか、と申し訳なくなってしまう。そんなに分かりやすかったのか、ダイゴさんは「大丈夫だよ。」と小さく笑って、ぽんと軽く頭を撫でてくれた。

▼ ▲ ▼

到着と同時にポケモンセンターに向かって走り出し、ジョーイさんに事情を説明し、ロゼリアをお願いすると、そんなに焦らなくて大丈夫ですよ、と笑われてしまった。

「モンスターボールはございますか?」
「あ…、ない、んですけど…」
「分かりました。じゃあ奥で見ますね。お預かりします。」

ボールがないことを告げても、別段驚かれることはなく、私の方が拍子抜けしてしまった。ロゼリアを預けて手持無沙汰になってしまったところで、ダイゴさんは「モンスターボールに入れないで連れ歩く人だっているから、特に変わったことではないんだよ。」と、安心させてくれるようなことを言ってくれた。

「でも、捕まえていないって、どういう意味かな?」

ロゼリアの診察の間、ロビーの長椅子に並んで座り、ダイゴさんはさっきの話の続きを促した。長い足を組み、その膝の上で指を交互に両手を組む仕草だけで、なんだかとても上質さを感じられた。こんなムロ出身の田舎者とは、大違い…。

「一年くらい前に、お花の配達でシダケタウンに行くことがあったんです。その途中でたまたま目が合って。それから、なんでか分からないんですけど、ついてきちゃって。」
「なるほど。それで捕まえてはいない、と。」
「はい。」

確かに当時は野生のポケモンに勝手についてこられて、とても驚いたし、最初こそ正直困ってはいたけれど。今となってはそれもいい思い出で、一緒に花屋の手伝いをするようになったし、なんと言ってもその愛らしい姿から、花屋のイメージアップにも繋がった。でも、捕まえてはいないからこそ、私のポケモンではないし、いつか勝手にいなくなってしまうかもしれない。そう考えると、寂しいものだ。

「じゃあロゼリアはロゼちゃんにとって、とても大事な相棒なんだね?」
「相棒…、そうかも、しれませんね。」

お店の仕事も一緒にこなして、確かに友達とか相棒とか、そっちの表現の方がしっくりくるかもしれない。でも、今回のことで思い知らされた。これじゃ、ダメなんじゃないかって。

「ダイゴさんは、お強いトレーナーなんですか?」
「強いかは分からないけれど、一応ね。」

膝の上で組んだ手を、ぼんやりと見ながら、彼は答えた。きっと強そうに見えても、彼なりに悩みとか迷いとか、あるんだろうな。それでも、私から見れば、さっき助けてくれたダイゴさんは立派なトレーナーで、エアームドはそのパートナーだった。

「私、トレーナーじゃないんです。戦い方も、傷の手当の仕方も分からなくて。ロゼリアを傷付けた…。」

打ち明けていくうちに、気持ちまで落ち込んでくる。そうこうしているうちに、さっきのジョーイさんがカウンターの奥からロゼリアを抱えて出てきた。

「お待たせしました。もう大丈夫です。一晩寝かせれば元気になりますよ。」

慌てて駆け寄ると、さっきよりもだいぶ血色がよくなった気がする。ダイゴさんのハンカチが巻かれていたところには、真新しい真白な包帯が巻かれていた。

「咄嗟の適切な判断と処置で、大事には至りませんでした。彼に感謝ですね。」

さっきまで巻かれていたダイゴさんのハンカチを受け取ると、ジョーイさんにウインクされた。本当に、ダイゴさんには頭が上がらない。ジョーイさんにもありがとうございました、と頭を下げ、ハンカチをポケットにしまい、ロゼリアを受け取ってから椅子に座って待っていてくれるダイゴさんのもとに戻った。

「ダイゴさん、今日は本当にありがとうございました。」

ポケモンセンターから出ると、日はもうすっかり沈み、真っ暗な海の上に月が浮かんでいた。ダイゴさんにも何か用事があったのかもしれないのに、こんな遅くなってしまった。

「ダイゴさんは、どうしてムロに?」
「石の洞窟に行こうと思ってね。」

それは町のはずれにある、古い洞窟だ。なぜそんなところに?と顔に出てしまったみたいで、彼は困ったように笑いながら、趣味なんだ、と教えてくれた。

「でも今日はもう遅いし、久しぶりに民宿にでも泊まろうかな。」

ムロタウンはこのホウエン地方の中でも小さな町で、フレンドリィショップすらないような場所だ。観光客もそんなに来ないから、小さな民宿と町の集会所くらいしか施設がない。でも、明日もまだムロにいるなら、ハンカチは洗って返せる。

「じゃあ、ハンカチは洗って返しますね。」
「ああ、別に大丈夫だよ。」
「いえ!ちゃんと綺麗にしてからお返しします!」

むきになってしまった私を見て、ダイゴさんが楽しそうに笑った。なんだ、すごく恥ずかしいぞ。

「そうだ。ロゼちゃん、明日は空いてたりしないかい?」
「えっ…」

確かに、ハンカチは洗って明日までに乾かして、明日ダイゴさんが帰るまでに渡せたらいいな、とは思っていたけれど。

「明日もお店ある?」
「あ、いえ…、明日は休日ですけど。」
「本当かい?じゃあよければ、明日付き合ってほしいな。バトルの仕方も、僕でよければ教えるよ。」
「本当ですか!?」

どきどきと、胸が鳴っている。もう会わないと思っていた素敵な人が再び現れて、明日もまた、会える。バトルの仕方も教えてくれる。本当に今日はついている、なんてもう、思い込ませることも出来ないかもしれない。でも、嬉しいと思ってしまう気持ちは、誤魔化せない。私でよければ喜んで、と頷くと、彼は優しくありがとうと微笑んでくれた。