5月中旬。6月からのIH予選に向けて練習試合も盛んに行われ始めるこの時期。次の相手校は梟谷学園グループのうちの1校である音駒高校に決まったと、監督からお達しを受けた。毎年恒例の合同夏合宿を開催しているうえに、普段から練習試合も多く組んでいるため、他校でも音駒の3年生とはある程度は仲が良いし、会うのは春高以来だから少しわくわくしている。今回はアウェーでの試合らしく、授業終わりに電車を乗り継いで音駒高校へ向かう。同じ都内の高校だから、森然や生川とは違ってそれほど時間もかからずに行くことが出来る。

「よお、木兎。久しぶりだな」

我が梟谷学園の主将である木兎と音駒の主将のクロくんが挨拶を交わし、他の部員同士も再会を喜んで声を掛け合ったり、そしてマネージャーの私たちも今日はよろしくお願いしますと頭を下げる。

「苗字も元気だったかよ?」
「うん、クロくんお久しぶりだね。」

それだけ言うと、クロくんは口端を釣り上げいつもの笑みを浮かべてから部員と一緒に体育館へ入っていった。選手たちは荷物も全部持って体育館で着替える。私たちは早速ドリンクを準備するために外の水飲み場に向かった。

「相変わらず黒尾くんは名前しか見えてないね。」
「えー、そうかな?」

一緒にバレー部のマネージャーを務めているかおりはからかうように脇腹を突いてきた。そんなことはないと私も笑うが、もしそうだったらいいなと思う自分もいる。そんな部活とは関係のない考えが頭をよぎって、振り払うように首を大きく左右に振った。

相変わらず、音駒の選手は全体的に平均して身体能力が高い。ドリンクとタオルを準備しながら試合を見ると、22-20で梟谷がリードしていた。リベロの夜久くんが木兎のスパイクを間一髪で拾い上げ、孤爪くんがトスを上げちょうどクロくんがそれを強打したところだった。ブロックに飛んだ赤葦の手を掠り、ボールは真っすぐにコートを飛び出した。

「うわっ」

驚いて咄嗟に顔を腕で覆うと、ちょうどその手首辺りにボールが直撃した。危うく顔に当たるところだった。てんてんと床に転がったボールを見て、背筋がぞわりと凍り付いた。

「苗字!」
「わりい!大丈夫か?」

一目散に駆けつけてくれたのは、主将の木兎と、反対側のコートのクロくんだった。じんじんと痛む手首を軽く振りながら、二人に大丈夫だよと笑う。ほっと胸を撫で下した木兎に対してクロくんは未だに眉間に皺を寄せて心配そうにしている。

「本当に大丈夫!顔に当たってないし。さ、早く試合戻る戻る!」

二人の背中を押してコートに無理矢理戻したあと、かおりと監督が一緒に駆け寄って来て手首を見せろと言われ素直に言われた通りにすると、触られる度にそこがじくじく痛んだ。

「骨折じゃないみたいだね。」
「だから大丈夫だって。」
「でも痛むんでしょ?」
「…まあ」
「冷やしてきな。」

冷静にそう言われ、抗う気力も起きなかった。少々不満ではあるが、口答えせずに従うことにした。もうすぐ1セット目が終わり、ようやくマネージャーの出番であったと言うのに、タイミングの悪い。けれど自分の手首も少し心配だったから、足早に体育館を去り、さきほどドリンクを作った水飲み場まで急いだ。まだ肌寒いこの時期、蛇口から勢いよく噴き出した冷たい水で手首を濡らす。ジャージの袖が濡れないように上まで捲ると、少し赤みを帯びた箇所が見えた。やっぱり、クロくんのスパイクは凄い威力だな。でも木兎だったら、こんなもんじゃ済まなかったかもしれない。クロくんでよかった。

「おい、大丈夫かー?」
「うえっ!?」

たった今想いを馳せていた当の本人が現れて、思わずおかしな声が出てきた。後ろから覗き込むのも、その長身だと意にも介さないのか。並んでみると改めて彼の大きさが身に染みて、見上げながら内心で感心していた。すると、クロくんは怪訝そうにしながら、頭を小突いてきた。

「手、大丈夫なのか?」
「え、ああ、うん!こんなの全然平気だよ!」

誤魔化すように軽く笑うと、大丈夫だと言って胸の前で振った手を簡単に捕られてしまった。手首と肘の中間辺りを掴まれて、ぐっと上に持っていかれて顔の近くで凝視している。無駄毛処理しといてよかったと心底思った。

「…赤くなってんな。」
「普通に動かせるから大丈夫。心配してくれてありがとう。」

顔中に熱が集まっていくのが分かって、手を離して、試合は終わったのかと話を逸らした。クロくんに触れられていた部分も、若干熱を持っている気がする。

「ああ、また負けたわ。」
「木兎の調子、良かったからね!」

クロくんの寝癖だらけの真っ黒の毛先が、太陽の光で輝いていた。随分と動き回ったのだろう、汗で髪が濡れている。休憩時間に、わざわざ対戦校のマネージャーの様子まで見に来てくれて。本当に良い人だなと思うと同時に、それが私にだけだったらいいのになんて子供染みた独占欲まで沸き上がってきた。クロくんはとても良い人だ。ちょっと意地悪なところもあるけれど、しっかりしているし基本的に誰にだって優しいし面倒見も良い。出会った時から、素敵な人だなって。でもそれももうすぐ終わる。学校の違う私とクロくんの共通点は、梟谷学園グループのバレー部だということだけ。春高が終わって引退したら、もう関わりなんてなくなってしまう。その前にどうにかなりたいって想いと、全て終わってしまえばいいっていう矛盾した気持ち。まだ答えは出ない。

「公式戦で当たったら覚えてろよ。」
「公式戦でも私たちが勝ちますー。」

腰を曲げて前屈みになって上からそう言われたからムキになって言い返すと、思いの外顔が近いことに気付き、慌てて背中を向け手首を水道水で冷やす作業に戻った。まだ初夏にもなっていないというのに、暑いな。運動後のクロくんの熱が移ったのかも。さっきまで冷たいと思っていた水道水がひんやりと気持ちいい。

「なあ、お前ってさ…」
「うん?」

歯切れの悪い言い方に、顔だけ後ろを向かせて、続きを促す。クロくんは珍しく何か言いたげな顔をしながら、自分の髪を触っていた。

「どうしたの?」
「いや、あれだ。」
「どれだ?」

あれだと言われたからどれだと尋ねたのに、クロくんは機嫌を損ねたのか頭にチョップが落ちてきた。痛い、ばか。

「だから!IH終わったら引退すんのかよ!って事だよバカ。」
「なっ!あれだ、だけで分かる訳ないでしょ!クロくんの方がバカ!」

私も負けじと言い返す。さっきみたいに顔が近付きすぎないように、ちゃんと距離は保ったまま。すぐに冷静さを取り戻して、少し考え込んだ。引退、か。あんまり言わないようにしてきた言葉だけれど、クロくん達音駒もやっぱり悩むところなんだろう。音駒にマネージャーはいないから、私の意見でも参考になるのかな。

「引退は、しないと思う。」

まだ、木兎たちの役に立ちたい。支えていたい。それと同時に、まだクロくんと関わりを持っていたい。ああ、なんだ。答えはもう出ていたんだ。

「そうか、よかった。」

クロくんが笑った。いつものような何かを企んだような意地の悪い笑みじゃなくて。それだけでクロくんも続けるんだってことが分かった。だから私も、全力で梟谷のマネージャーを務めよう。