東京都代表決定戦。ついにこの日がやって来た。掲示板に横一列に張り出された4校。どれもこれも見慣れた名前だけど、私にはその中でも一際光を放っているように見える、特別な名前。音駒高校。その隣には私の在籍している梟谷学園の名前が並ぶ。ああ、本当に、ついに来てしまったんだ。

歓声と汗と涙とが入り混じる空間。女子の準決勝が先に行われている体育館のホールは、まるで青春の宝庫だ。応援席から声を枯らして応援している高校生の姿が、必死に音駒の勝利を祈っていた私と重なって見えた。

「よし、相手はあの音駒!不足はないぜ!」
「よっしゃ!公式戦で叩きのめす!」

木兎が口火を切り、無意識のうちにチームの士気を高める。女子の方の試合が終わるまで廊下で待機だが、もうソワソワが止まらない。何かしていないと気が済まなくて、さっきは「早くもドリンク作って来ます!」と、仕事を見付けて気を紛らわしたけど。

「おいおい。苗字、大丈夫かよ!」
「逆に何で木兎は平気なの…」

試合中私が何をする訳でもないのに、開始前からもう既に胃が捩じ切れそうだ。そんな緊張にやられる私を見て、木兎は心底不思議そうだ。

「俺は今日も!絶好調!…の予感がするぞ?」

両手でガッツポーズを握りながら仰向く木兎の背中はとても大きく見えて、思わず感動してしまった。本人にはそんな気微塵もないだろうけど、背中で味方を鼓舞する彼は、まさしくエースそのものだ。試合前の緊張感も見せず普段通り雑談に花を咲かす彼らを見ていても落ち着かず、その上時折ホールの中から沸き起こる歓声に意識を奪われ、そっと祈るように両手を組んだ。その時、視界の隅に黄色と緑の奇抜なデザインの団体が映り込んで来たことに気付き、私は咄嗟に視線を向けてしまった。

「あ、苗字ちゃん。」
「大将くん!」

バッチリと目が合ってしまい、大将くんの細長い目が僅かに大きく見開かれた。何となく立ち去りづらくなって次の言葉を探しながら、彼の方に少しだけ歩み寄ると、彼自身も団体から離れてこちらに向かってきた。

「そっか、大将くんも試合次だもんね。」

梟谷対音駒。その隣では戸美学園高校と井闥山学園高校の試合が同時に行われる。午前の女子の試合が終われば男子の準決勝。そしてお昼を挟んで女子の決勝が終われば、男子の決勝戦。

女子の試合が終われば、ついに始まってしまう。いつもなら見れないクロくんの試合を最初から最後まで見れる大義名分があるのに、見たいようで見たくない。

「不安なの?」
「えっ?」
「ほら、眉間にシワ。」

憂心が真っ先に表情に出ていたのか、大将くんは自分の眉間にトントンと指を立て、私の情けない顔に指摘を入れる。ああ、なんか新鮮だ。いつもは梟谷とか、音駒とか、よく合宿で会う男の人としか話さないから。さすがに戸美の大将くんまでには噂は広がっていないだろう、何も知らずに首を傾げる彼の姿に何だか安心した。

「そうだね、ちょっとだけ不安かも。」

安心して、不安の言葉を口にできるという不思議な感覚。試合前のチームメイトを前に、負けたらどうしようとか口が裂けても言えない。もちろん音駒の人にだって、クロくんにだって言える訳がない。たかだかマネージャーの私が、みんなの不安を煽ってはいけない。明るく接しないと。そんなちっぽけな使命感で張っていた虚勢が、大将くんの前では必要ない。おかげで少しだけ、落ち着いた。

「大丈夫っしょ、梟谷は。まあ当たったらぶちのめすけどな?」

得意げに話す大将くんに、「こっちだって負けないよ」と小さく笑みをこぼしていると、今まで交わっていた大将くんとの視線が次第にずれていくのを感じた。背後に気配を感じた時にはもう既に、大将くんの薄い唇が三日月型に変形していた。

「いつも通りハイレベルな守備とチームワーク。そして決定力に欠けるネコちゃん。」

何のことかと全く流れが読めなかったが、振り向きざまに視界に入った赤色に、一瞬で気持ちが高揚したのが自分でも分かった。

「ハァ〜〜!?」

いつも私に対しては割と柔和な表情で接してくれる山本くんが、顔をしかめながらまるでヤンキーのように大将くんに近寄ってくる姿はとても新鮮で、それさえもなんだか音駒の新しい一面を見れたようで嬉しくなってしまう。

「やめとけ山本。ヘビ野郎は相手すんな。」

あ、やっぱり。クロくんだ。山本くんの一歩後ろで腕を組みながらすました顔をしている。試合前に会えるなんて。姿を見れただけで、声を聞けただけで胸が躍る。今まで私と話していた大将くんがクロくんの方にちょっかいをかけ始め、私はと言えば手持ち無沙汰になってしまい、右側に垂れた髪を少しだけいじった。音駒のメンバーも戸美のメンバーも居合わせる中、クロくんと個人的に言葉を交わすのは難しいかもしれない。だけど、姿を見れただけで、私はもう。

さっきまでとは違う胸の高鳴りを抑えながら、顔を少しだけ俯かせ前髪の隙間から見上げるようにクロくんの様子を伺った。大将くんと話してるからバレないように、と無意識に思っての挙動だったのかもしれないが、そんな見せかけの視線はすぐに本人に察知されてしまったようだ。前髪の隙間も関係なしに、ばっちりと目が合ってしまった。

「ちょっとちょっと。」

大将くんを挟んで反対側にいたクロくんが、徐ろにこちらに向かって歩き出し、さり気なく私と大将くんの間に入ってきた。別に私と大将くんの距離は近くはなかったけれど、クロくんが入ってくることで私は一歩だけ退いた。図らずも距離が近づいたことによって更なる動悸を感じていると、クロくんは私を見流した後、再び大将くんを見下ろしながらいつものように唇の端っこを吊り上げた。

「ミカちゃんにフラれたからって、苗字にちょっかい出すのは頂けないんじゃないの?」
「は?!ちょ、はァ?!フラっ、フラれてねえし!フったんだし!」

突然大将くんが声を荒げ、私は少しだけびっくりして肩を萎縮させた。いつも落ち着いてて、堂々としていて、人をおちょくったりして遊ぶ大将くんの姿に、クロくんと近しいものを感じていたから、逆に大将くんが遊ばれているこの光景は本当に目新しい。

「つーかなんで知ってんだよ!」
「さてなんででしょう〜?」

得意げになりながら少しだけ腰を折って大将くんを見下ろし、小馬鹿にしたように笑うクロくん。それに恥ずかしそうに、悔しそうに噛み付く大将くん。まるで同じ学校の同じクラスでふざけ合う高校生男子のようで、親近感を持ってしまう。クロくんが同じ学校にいたら、こんな感じなんだろうか。大将くんはからかわれて業を煮やしているかもしれないが、私から見れば微笑ましくて仕方がない。

「苗字ちゃんも笑ってないで何か言ってやってよ!」
「えっ?」

すると今度は標的が私に移ったようだ。大将くんはクロくんの陰から顔を覗かせてこちらに話を振ってきた。しかし私はと言えば2人の話なんか聞かずに物思いに耽っていた訳で、話の流れも読めない訳で。

「クロくん、私ちょっかい出されてないよ?」

少し考えてから出てきたのはこれだ。そう、私別にちょっかい出されていた訳ではない。むしろ会っていつもちょっかいを掛けてくるのはクロくんの方だ。先ほどの会話を思い出しながら指摘すると、一瞬だけ大将くんが怪訝そうに眉をひそめた気がした。口にするまでは気が付かなかったが、今の言葉が「だから安心してね」とでも言っているように感じてしまい、1人で勝手に恥ずかしくなって少し後悔した。

「おい!ヘビ野郎の肩持つなよ!」

対してクロくんはそんなこと微塵も感じてはいないようで、こちらを振り向いて訴えかけてきた。え、いや、だって本当にそうなんだもん。負けじと言い返すと、クロくんは何がそんなに気に食わないのか、少しだけ不機嫌そうな様子を見せた。すると更にその向こう側の、大将くんの口から「あれ?」と小さく零れるのが聞こえた。視線をクロくんから移すと、彼はなんだか怪訝そうな顔をしながら、じっと私たちを見つめていた。

「もしかして黒尾、お前昔言ってた好きな子って…」
「名前!行くよー!」

そんな言葉が聞こえてきた気がした。大将くんの不審そうな声と被さるように名前を呼ばれ、真相は分からず終いだったけれど。ちょうど大将くんもクロくんもチームメンバーから召集が掛かり、この場はお開きとなった。大将くんはクロくんに声を掛けた後すぐにその場から立ち去り、クロくんもチームの方に戻ろうと、足先をそちらに向けた。

昔言ってた好きな子、誰のことだったんだろう。聞けなかった。ああ、行ってしまう。私ももう、行かなくちゃ。私たちの向かう先は、逆方向だ。彼の先には音駒のみんなが、私の後ろでは梟谷のみんなが、待っている。そう考えるとなんだか胸が苦しくて、無言でその背中を見送ろうとした。

「あ、お前。」

すると別れ際、立ち去りかけたクロくんが再びこちらに顔を向けた。不意打ちに声を掛けられ、驚きの心中でクロくんを見上げた。

「約束、忘れんなよ。」

約束。私たちの間で交わされた約束は、たった一つ。お互い勝ち残り、あの体育館で試合ができるその日まで。目には見えないけれど、今も変わらないでここにある。忘れてなんかなかったけど、改めてクロくんに言われ胸が熱くなるのを感じながら「そっちこそ!」と言い返すと、クロくんは満足げにニヤリと笑ってから、今度こそ本当に背中を向けた。

私たちの向かう先は逆方向。でもきっと、辿り着く先は同じだと信じてる。歩み続けるクロくんの大きな背中を最後にもう一度見つめてから、私もゆっくりと背中を向け、梟谷のみんなの元へと駆けた。