高校一年 05/07(水)


再び菊丸くんの存在が脳内を占めてきて、これは恋愛感情だと思い込んで何週間かたった。ゴールデンウィークも部活三昧で終わって、だんだん、最初はあんまり仲良くなかった忍足くんとかとも仲良くなって、この間の日曜日には初めての練習試合も経験した。四天宝寺に来てからいろいろ変わって、でも何も変わらない部分もたくさんあった。


「舞ちゃん、今日も頑張っとるな!」
「えらいえらい」


最近になって、よく話し掛けてくれる先輩が二人できた。いつもにこにこしていて、最初こそあたふたしていたわたしもだいぶ慣れてきた。今日も今日とて、わたしが部室横の水道でドリンクを作っていた時に、二人は首にタオルを掛けてやって来た。


「あ、お疲れさまです!いつも楽しそうですね、お二人とも。」
「舞ちゃんのおかげやし。」


相変わらずにこにこと笑っている。なんだかこちらもにこにこしてしまう。この二人のおかげで、わたしも初対面の人ともかろうじて会話が出来るようになった。ありがたいことだ。


「舞ー!部室掃除まだやで!」


早苗ちゃんの声にはっとして、わたしは慌ててドリンクのかごを持った。手伝おかって言ってくれた二人をやんわりと断って、わたしは早苗ちゃんの元に走った。


ドリンクを皆さんに渡したあと、わたしは早苗ちゃんと一緒に部室に向かった。今日はわたしが掃除で早苗ちゃんが部日誌担当。あ、ちなみにわたしの部日誌強化週間は無事に終了しました。


「ほんま、毎日毎日ようこない汚くできるな、あいつら。」


早苗ちゃんがテーブルでぼやいてるのに苦笑いし、掃除用具ロッカーから箒を取り出した。


「でも、その方がやり甲斐があるよね。」
「……せやな。」


わたしは掃除が一番好きだったりする。誰とも関わらなくていいし、誰にも気を遣わなくて済む。それから…


「菊丸くん…」


奥のトロフィーの置いてある棚。この間知ったことだけど、この棚には歴代テニス部の集合写真も飾ってある。試合後なのか、みんなユニフォーム姿で、各々がピースしている。もちろん知ってる顔はないけど、こっちまで笑顔になれる写真が並んでいる。その片隅に、去年の全国大会で撮った写真も飾られているのだ。なんでも、白石くんが持ってきたそう。その写真は、わたしの知ってる四天宝寺のみんなと、それから大好きな、菊丸くん。


「舞って、いつも幸せそうにそれ見とるよな?好きな人でもいてはるの?」


えっ、と小さく声が漏れた。驚いて振り返ると、早苗ちゃんがボールペンをくるくる回しながらこっちを見ていた。それから立ち上がり、隣に来て一緒に写真を覗き込んだ。写真には早苗ちゃんも端っこに写っていて、なんだか大阪に来る前から共通点があるみたいで嬉しくなる。


「あぁ〜疲れたわぁ!」
「あ、小春ちゃん!お疲れさま!」


写真から顔を上げると、小春ちゃん達が戻ってきたところ。そのまま小春ちゃんは、写真見てはるの〜?って言いながらわたしの隣に来て、白石くんと忍足くんもやって来たけど、やっぱり一氏くんだけは欝陶しそうに嫌そうな顔をしていた。思わずわたしは苦笑い。


「舞ちゃんいっつも写真見とるよな?好きなやつでもおるん?」


忍足くんにもそう言われてしまった。わたし、そんなに見てるのかな。あわあわとしていると、小春ちゃんも笑顔で舞ちゃんが恋!ってすごく喜んでいた。


「なぁどの人なん?」
「白石くんまで…!」


なぜかにやにやとする四人に囲まれ、箒を持つ手に力が入った。え、これって言うべきなの?後ろに白石くんと忍足くんがいるから振り向けないけど、一氏くんがどんな表情をしているのか、すごく気になった。で、でも、彼は関係ないじゃないか。わたしが好きなのは、今この写真の中でピースしている菊丸くんだけなんだから…


「…こ、この人、だよ」
「え、菊丸くん?」
「早苗ちゃん知ってるの?」
「う〜ん。去年の練習試合で少しだけ話したくらいやな。謙也とええ勝負してたで。」


そうなんだ。なんだか胸の辺りがあたたかくなった。菊丸くんはやっぱりどこでも友達を作っちゃうんだね。本当に、すごいなぁ。


「ちょお、その話詳しく聞きたい!」


ちょっと後ろを振り向けば、忍足くんのぎらぎらした目と合ったから、慌てて視線を写真に戻した。


「あ、えと…、は、初めての友達…なんだ、菊丸くんは。」
「今も連絡とってるん?」


わたしは小さく首を横に振った。でも、と続ける。でも、もう会えないかと思ってたから、まさか写真越しに会えるとは思わなかったって笑ってみせた。


バンッ


肩がビクッと震えた。突然の音にみんなで振り返ると、一氏くんがロッカーを思いっきり閉めたようで。それで、わたしの方を真っすぐに見ていた。視線を、そらせない。


「…なんやねん。」


小さな声が部室に響く。みんなが黙り込んでいる。でも一氏くんの鋭い視線はやっぱりわたしを捕らえていた。


「そない弱気でぐじぐじしとって自分の意志も持たへん女が、恋愛なんやできるわけないやろ!身の程を知れや!」


一瞬、たじろいだ。忍足くんが慌てて一氏くんに何か言い返していたけど、言葉までもは耳に入って来なかった。一氏くんの真っすぐ過ぎる視線も、言葉も、やっぱりすごいなぁって思う。尊敬するよ。わたしはそんなこと言えないから。でも、彼の言葉はわたしの心を引き裂く。


「…いいよ、忍足くん。」
「せやけど!」
「いいんだよ。だって正論だもん。」


うまく笑えたとは思えない。口角を少し上げてみたんだけど、自分でも痛々しい気がする。いたたまれない沈黙の中、わたしは箒をロッカーに戻し、部室を出た。


涙が溢れてくるのを必死で我慢した。菊丸くんとの約束をもう破りたくない。走りながらどこに行こうとか思ったけど、結局わたしが知ってる一人になれる場所は、あの校舎裏。部室から逃げたって、校舎裏には一氏くんとの想い出があって、心がぎゅうぎゅうと痛くなった。しょうがないから、壁ではなく近くにあった緑に茂る桜の木にもたれ掛かり、そのままずるずると座り込んだ。膝に顔を埋めた。


苦しいよ。本当は、酷いことを言うなぁって、一氏くんを責めたかった。でもそんなこと出来やしない。だって、一氏くんはいつだって、正しいことしか言わないんだ…