高校一年 05/24(土)
今日は朝から雨で、図書室にはかび臭いにおいが漂っていた。本棚の向こうでは、窓越しに雨が当たって流れ落ちるのが見えた。どうして今日に限って図書委員の仕事が入ってるんだろう。本日は雨のせいで急遽練習は中止になったから、放課後はすぐに帰れるはずだったのに。早苗ちゃんに一緒に帰ろうって言われて、待たせてしまっているから、とりあえず早く仕事を終わらせたい。
委員会の先輩から、「物理の先生に本渡してきてくれる?そしたら終わりでいいから。」と言われ、本を受け取って廊下に出る。土曜の放課後は、すぐ部活へ行くかすぐ帰るかで、校内は静まり返っている。そんな時にその声は響いた。
「一氏、折原さんのこと好きなんやって?」
はっ、と息を飲んだ瞬間。廊下にいた男の子がもう一人の男の子の胸倉を掴んでを壁に押し付けていた。ここからじゃよく見えないけど、頭に緑が見えるし、あれはきっと一氏くん。
「なんでお前が知ってんねん!」
悲痛の入り交じった声が廊下に響いた。あぁ、知ってしまったんだ。どこからか漏れた噂話は、一日で女子の中で広まって、次の日には男子までもが知っていた。やっぱり、昨日の時点では知らなかったんだ。
本を持つ手が震えた。男の子は一氏くんの手から逃れ、そそくさと立ち去った。一人残った一氏くんは壁をガンと殴り、その場で俯いていた。何か声をかけるべきなのかな。でもわたしにはそんな器用なことは出来なくて。そもそも、足が動こうとしなかった。行ったって、拒絶されるだけ。一氏くんは、早苗ちゃんが好きなんだから。わたしなんて嫌いなんだから。どうしてこんなに引っ掛かるのか、自分でも分からない。だって今まで、嫌われてるなんて重々承知してて。早苗ちゃんだけ特別なのも痛いほど分かっていて。それでも自分の気持ちに素直な一氏くんは、わたしにとっては憧れだった。
(いつから、胸が痛むようになったんだろう…?)
正体不明の痛みを抱え、一氏くんの物悲しげな後ろ姿を眺めながら、そんなことを考えていた。
一氏くんはその場を立ち去り、廊下には誰もいなくなって、また静寂が戻ってきた。そこで持っていた本を思い出し、キュ、と上履きが音を鳴らし、わたしは職員室に向かった。本を渡して、先輩に報告して、教室に戻る。心ここに在らず、だった。
「弥栄さん、」
呼び止めたのは白石くんだった。1組の教室の前を通り掛かったとき、彼は教室から出てきた。
「早苗、もう帰った?」
「あ、部室にいるよ。」
早苗ちゃんは部室で待ってる、って言ってた。たぶん、白石くんとも一氏くんとも会いたくなかったから、教室で待つのは嫌なんだったんだと思う。わたしはあっさり居場所を教えてあげたけど、でも、白石くんが真っ向から向き合おうとしてるのに、早苗ちゃんだけ逃げるのはダメな気がするから…
「部室?」
「うん、一緒に帰ろうって言われて、部室で待ってるって…」
「ほんまか!おおきに!」
少しだけ嬉しそうにし、白石くんはすぐにでも部室へ向かおうとしたけど、
「あっ、白石くん!」
走り出そうとした足を無理矢理止め、白石くんはこっちを振り返った。
「な、なに?」
「あの…わ、わたしが言えることじゃないけど…」
一回そらした視線を白石くんに戻し、わたしは頭を下げた。
「早苗ちゃんのこと、よろしくお願いします…」
本当にわたしが言えることじゃない。結局わたしはみんなとはまだ浅い関係で、知らないことだってたくさんあって、だけど早苗ちゃんの一番の女友達にはなれてる気がしたから。そうであってほしいから。
「任せとき。」
白石くんは優しくそう言ってくれて、そのまま走って部室へ向かった。なんだか彼の後ろ姿が少しかっこよく思えて、やっと早苗ちゃんが言ってたことが分かった気がした。みんなに人気な理由が少し理解できる。でも、わたしは早苗ちゃんにいっぱいいっぱいな白石くんが、とっても素敵だと思うの。
雨はまだ本降りが続いていて、小さなため息が出てきた。