高校一年 05/07(水)
今度こそ、泣くと思った。一氏くんひどいよって言って、泣くと思った。けど、やっぱり弥栄は俺の予想をこっぴどく打ち砕く。
校舎裏まで来といて、木陰で座り込む弥栄を発見。この辺りはほんまに、俺らがよう二人きりで会う場所になっとるな。たいへん不本意なんやけど。って、ここで見とってもしゃあないから、意を決して足を前に進めた。ざく、とテニスシューズが砂利を踏む。一歩一歩近付くに連れて、俺の心臓は活発化しとる、気がする。っちゅーか、ええ加減気付けや!目の前まで来ても、やっぱり弥栄は俺に気付かんで、膝を抱え込んでそこに顔を埋めとる。さっき感じたことを忘れたかのように、またイライラが募ってきよった。
な、なんで気付かへんのこいつ!けどなんや声かけるのもアレやし…(アレってなんや!)ど、どないするん、この状況!柄にもなく緊張とか何やらで頭がパンクしそうや。も、もうしゃあない!最後に足を踏み出し、弥栄の隣に腰を下ろした。じーっと後頭部を見つめとると、微かに動いた。心臓がばくん、とでっかい音を鳴らした、気がした。そんで、ゆっくり顔を上げて、視線がかちあう。
(わ、目ぇ合った…な、なんて言えばええねん)
ばくばくと脈動が耳の奥に響く。けどそない緊張しとる様子は出さへんで。俺はポーカーフェイスやからな。驚いた様子でじっと俺の方を見とる弥栄。
(な、なんか言えやぁっ!)
ダメ。もうダメやねん。せっかくさっき少しは優しくしたろう思たのに、無理そうや。す、すまん…
「……なんやねん。早苗に追え言われたんや。好きで来たわけやない。」
聞かれてもないことをぺらぺらと。ほんまに、なんで俺こない緊張してんねん。頭をがしがしと掻いてから、ちらりと弥栄の方を見ると、ごっつしんどそうな表情を見せとった。え、なにそれ。なんでそない辛そうにしてんねん。突然のことにびっくりしとると、弥栄が慌ててもう一回膝に顔を埋めた。また後頭部が見える。風がそよそよと、弥栄の黒い髪をなびかせとった。
…って、俺なんかひどいこと言うたか?や、さっきは言うたけど。『好きで来たわけやない』?けどそないなことで弥栄はいちいち傷付かんやろ。今までやってもっとひどいこと言うてきたし…。そういや、こいつ、ほんまに泣かへんなぁ。
「…おまえ、なんで泣かへんの?」
素朴な疑問。やって、今まで罵声浴びせてきた女子は、なんやかんやで泣いとったで。ほんまに、こいつ精神力どないなってんねん。で、いつまで黙り込んどるつもりや。質問してるんやけど。そう言うてみると、弥栄は微かに動いた。顔は上げないまま、くぐもった声が聞こえた。
「菊丸くんがね、」
ずき、と胸がつまった。菊丸、か。青学の、外ハネの、アクロバチックの、弥栄の好きな男…やろ?こいつがいつも部室の写真を見とることは知っとった。掃除中に遭遇したこともあるし。きっと青学が懐かしいんやろ、とかそないなふうに考えとったけど。そうやなかった。ぐず女弥栄の好きな男が写真越しにおる。それだけのことなのに、なぜか目が泳いだ。べつに俺には関係あらへんことなのに。弥栄が顔を上げんでよかった。こない情けない顔、見られんでよかった。言葉が出て来ないとこ無理して、相槌だけ打った。
「あ、の…泣く時は、嬉し泣きだけ、って…」
なんやねん、それ。肩の力がすー、と抜けてった。やって、そんなん、ありえへんわ。昔に弥栄と菊丸に何があったかは知らへんけど、そない約束で、弥栄を縛っとるんやろ?大阪に来ても忘れられんくらい、強く強く弥栄の心を縛り付けとるんやろ?イライラしよる。こいつは俺にひどいこと言われても、菊丸とのことがあって、泣けへんのやろ?早苗も、俺の前では泣かへんかった。弥栄もか。めっさ弱そうなのに、こいつはいつも菊丸を想っとるんか。それで変わろうとしとるんか。胸が、痛い。
「…せやったら、俺の前では泣いてええで。」
むかつく。なんで俺がこないなこと、大嫌いなこいつに言ってんねん。俺は泣く女がほんまに面倒で、嫌いやのに。なんで俺が、なんて考えとると、弥栄がばっと顔を上げ、心底驚いたように俺を見とった。むかつく。ほんまに、大嫌いやこいつ。なんでこないに、俺の心を掻き乱すん?むかつく。自分の想いに正直に、弥栄の頭を一発叩いた。
「い、痛い…」
「自業自得じゃボケ」
「え、えぇっ?」
すると、そのまま弥栄は黙り込んで何やら考え始めた。またもやしんどそうにする弥栄を訝しげに眺めとると、突然泣きそうになっとる。珍しい涙目に、目を見張る。
「っごめ…」
なんか、もやもやしたもんが、消えていく気がした。いつものぎすぎすしたような想いやなくて、純粋に。俺が言えることやないけど、それでも、そないに菊丸のことばっか考えんなや、って言いたかった。
「俺がどんだけひどいこと言うてもおまえ泣かへんかったから、おかしい思たんや。べつに泣かへんなら面倒やないし、それでええんやけど。」
けど、そんなん言われへんから、代わりに。ぽん、と弥栄の頭に手の平を載せる。
「泣きたなったら我慢すな。俺はおまえんことほんまに嫌いやねん。これ以上嫌いになることはあらへんから、俺の前では安心して泣けや。」
おかしなことや。俺は泣く女が嫌い。面倒やし、俺には関係あらへんから。なのに、なんや今の。俺の言葉やないみたい。まぁ、確かにこれ以上弥栄を嫌いになることはないやろなぁ。
「俺には、思ったことちゃんと言い。全部、聞いたるから。」
自嘲。アホやろ、俺。嫌いな女に、ここまで言うか?言わんやろ。あーもう頭ん中ぐちゃぐちゃしよる。考えんのやめや。自分でもよう分からんしな。とりあえず、嗚咽を漏らしながら泣きじゃくる弥栄の頭を、ずっと撫でたった。
白黒はっきりしとる俺が、こないに曖昧なんは初めてやった。好きか嫌いか、白か黒か。そうやって俺の周りを善し悪しはっきり決めとった。それが俺なのに。弥栄は嫌い。なのにほっとけんし、白か黒か言われても、きっと答えに言い淀む。おかしなやつや。こない簡単に、俺の心を掻き乱す。弥栄は白でも黒でもなく、確実にグレーゾーンにおるんやなぁ。