「敵対組織から情報を取ってくる」と啖呵を切って一週間が過ぎた。その中で気付いたのは深透には存外、否、かなり隠密の才能があった事である。
「……英才教育の賜物かしらね」
自宅であり、今や誰からも認識されない骨董屋の一室で、書斎机に積まれた情報資料の山を見詰めながら呟いた。
かつて父の書斎だった其処は、僅かに名残が残っている。趣味の悪い絵画や、何処で見つけて来たのかも分からない派手な装飾のナイフ、壁一面に敷かれた棚には外ツ国の本と用途の分からない雑貨。
そして来客用にと部屋の中央に置かれた机には、二人分の
「《羊》、ねぇ……」
得た情報を頭の中で反芻させる。深透がポートマフィアの各敵対組織を駆けずり回って集めた情報は森のお眼鏡に叶ったようだった。それどころか褒められる始末で、どうやら
まるで子の成長を喜ぶ親のように、森は滅多に見ない晴れやかな笑みを浮かべながら深透の取引に応じた。其れは必要な情報を得られたからなのか、それとも深透が想像以上の働きをしたからなのか。若しくは両方か。
椅子から立ち上がった深透は資料を一枚手に取って細く丸め、書斎机の引き出しからジッポを取り出して其れに火を付けた。細く弱く上がる火が消えないように窓際の暖炉へと移動して、無造作に置かれた薪の上へそっと置く。火がしっかり燃え移るよう薪に残っていた僅かな水分を異能力で飛ばせば、火は暖炉の中で簡単に大きくなった。
集めた情報の内、有益だと判断されたものは全て森の手に渡った。であれば残りは不要であるし、只の女学生の身には不要な産物だ。深透は山積みになっていた紙を一枚ずつ暖炉へと焚べていく。
其の眼にはちらちらと火が映っているが、感情は無く、ただ瞳孔の奥は深淵。
最後の一枚を焚べ終えた深透は火掻き棒を手に取り、暖炉の中で薪と燃え殻となった紙をゆっくりと広げていく。残った火がぱちぱちと小さく弾く音を聞きながら、中央の机にあった水差しの水を
「どうか、最良の結果が訪れますように」
深透の異能力によって操作された水は暖炉の中で薪と燃え殻に灯っていた光に被さり、そして短い命を
曰く、父の原因は不明だが自死に間違いはない。
曰く、母は《擂鉢街》で撃たれて死んだ。目撃証言によると、その場から“青いバングル”を付けた少年が逃げるように立ち去った。
「君のご両親に関して、
「ありがとう、鴎外叔父様」
「これだけで十分なのかい?」
「えぇ。
「……未だポートマフィアに加入する話は生きているけど、
「首領が代替わりでもしてくれたらね」
そんな会話をしたのも数刻前。深透はセーラー服のスカーフを正してから、立ち込める匂いに鼻をつまみたくなるのを我慢して、意を決して汚れた
腐敗、汚泥、僅かな硝煙。それらが入り交じった匂いが嗅覚を捻じ曲げ、脳を締めるような頭痛が深透を襲う。
……これだから擂鉢街の調査は避けていたのだ。
ヨコハマ租界近く、半球体系に抉れた土地に造られた街。
行く宛ての無い人々が生活を求め、流れ着いた廃れた街。
深透が暮らしていた環境とはまるで違う其処は、ヨコハマでない何処か別の国のような異様さを醸し出している。漂う匂いも、視界に入る物も、聞こえる音も何もかもが
時折建物の影から向けられる好奇の視線を無視しながら、躊躇う事無く歩を進めていく。何処に繋がっているか分からない太い
――擂鉢街にいる青いバングルの少年。
それはあまりに分かり易い組織の特徴だった。バングルや少年だけならば一般人とも思うが、そこに擂鉢街が含まれるならば大体は絞られる。
未成年のみで構成された互助集団、名を《羊》。
十中八九、関与しているのは間違いない。只でさえポートマフィアは恨みを買いすぎているし、その構成員だった母を殺していた所で何ら不思議はない筈だ。仮に僅かな可能性ではあるが、推測が間違っていたとしても擂鉢街で起きた出来事ならば知る者の一人は居るだろう。
「お嬢さん、へへ、此処は初めてかな?」
そう思って来たが、如何やら幸先は悪いようだった。
深透の行く手を立ち塞がり、姿を現したのは求めていない大人だった。気遣いのつもりか笑ってはいるが、深透に向ける視線は値踏みするかのようなものであり、ぎょろりと動く眼球は歓喜に震えている。
「ふぅん。お前、人攫いの類ね」
「そんな、はは……家出かい?いけないなぁ、此処は危ない人がいっぱいいるんだよ」
「如何見ても危ないのはお前でしょう。鏡を見た事あるかしら?醜悪さが滲み出ていて、だらしないわよ」
「……聞いてりゃ“お前”、“お前”ってよォ、大人の事馬鹿にしてんのか!?ア"ァ?年上は敬うモンだろ糞餓鬼が!!」
「お前が他人から敬われるような所が一つでも?あぁ、失礼。人攫いの手腕はきっとよろしいのね」
云う間に背後からも砂利を踏む音が聞こえて、深透は自身が囲まれている事に気付く。困ったとばかりに頬に手を添え、うーんと唸る様は余裕がありありと見て取れて、人攫いらしき人物の逆鱗を擽った。
「常識も知らねぇような餓鬼は
「ンー……」
「今更怖くなったか、ん?」
「いいえ、真逆」
そう云って深透は脚を大きく振り上げたと思うと、ローファーの踵を強く
「6人。お前と、私の後ろに4人。
「…は?なんで分ガッ」
「悪人ならば気品を持ちなさいよ。マナーだわ」
そこから先、言葉が続く事は無かった。深透の拳が顎を砕いたからである。突然の衝撃に脳が揺さぶられ、後ろに倒れ込む人物の腹を踏み台に真横に跳躍。そのまま後方で何が起きたか分からず唖然とする人物達の急所を素早く、的確に殴る。
眼孔、喉仏、鳩尾、流石に金的は蹴り上げた。
異能を使わず、不意の拳だけで自身よりも大柄な大人を伸した深透は、拳を開いたり閉じたりしながら建物の影にいる人物に声を掛ける。
「お聞きしたい事があるのだけど」
「動くな。喋るな。……銃は良い、分かりやすいからな」
カチャと
瞬間、一つの影が深透に重なって視界を陰らせた。
「ハッ!女に銃口向けるたァ随分な挨拶じゃねぇか」
「……あら、まぁ」
人攫いでも、深透でもない。唐突に降ってきた第三者の声に一瞬の隙が生まれ、一秒も掛からない間に人攫いは地面の
無駄の無い動作から放たれた強烈な蹴りに深透は思わず感嘆の声を零し、ぱちぱちと瞼を瞬かせる。
晴空の色をした眼が深透を捉え、地面に転がって呻く数人を一瞥してからまた深透を見た。その眼は不審と疑心が燃えている。
「……手前、何者だ」
「……私?」
「それ以外に誰が居ンだよ」
「其れもそうねぇ」
「……いや名乗れよ!」
深透は首を傾げ、それから視界の端でもぞりと動いた人攫いの手指をローファーの踵で圧し折って、少年に向き直って答えた。
「
甘橙々の髪と晴れた空色の眼、そして流れるような豪快な蹴りについ見惚れてしまったが、深透はしっかりと其の手首の“青いバングル”を見付けていた。擂鉢街、少年、青いバングル。彼とは限らないが、可能性が有るならば寸たりとも逃せはしない。
揺れた脳が落ち着いたらしい人攫いの顎を追撃とばかりに蹴りつけてから、深透はにっこりと笑って中心部へと足を向ける。
「行きましょう」
ひらりと片手を揺らして着いてくるように促せば、少年はきゅっと唇を結び、深透を睨め付けながらも其の後ろを追って歩き出した。言葉は無くとも背中にはちくちくと敵意と警戒が当たる。
深透は自身の体内で“ごぽり”と異能が踊るのを感じ、思わずスキップしてしまいそうになるのを我慢して、不明瞭に決めている目的地を目指した。
深海のような濃い青の髪を揺らしながら前を歩く少女はまるで得体が知れなかった。何処ぞの組織の人間が女学生の格好をするとは考えにくいが、少なくとも一般人とは掛け離れた感性を持っている事だけは確かである。
それに、銃を目の前にして臆する事なく敵を見据える姿に目を奪われた事も確かだった。
……其処まで考えて認めたくない感情を追い払うように
いくら敵とは言えども、何の事でもないように淡々と手指を踏み折り顎を蹴り上げるなど並の神経ではない。目の前で起きた事実は動かない。敵、とも言い切れなければ果たして善人とも言えない少女は漸く足を止めたと思うと、不意に落ちていた鉄パイプを手に取った。
「此れなら少しはマシかしら」
何をするとも分からない少女の行動に反射で脚に力を込めるが、彼女は其の鉄パイプを高く掲げ、そのまま地面に強く打ち付けて鈍い音を周囲に響かせた。
「おい、何やってんだ」
「……あら、失敗」
「だから何がだよ」
「
単純な疑問を投げてから、先程まであれ程警戒していたのに普通に話し掛けてしまったと後悔する。だが少女の方は特に気にするでもなく、むすっといじけたように唇を尖らせてから、邪魔にならないよう鉄パイプを道の端にそっと捨て置いた。
「はァ?それって蝙蝠とかが出すアレだろ、超音波」
「訓練次第では人間も出来るわよ。反響させた音を拾って索敵するの……失敗しちゃったけれど擂鉢街の中央近くならもう問題ないでしょ」
「本当に何者だよ、手前は」
少女はプリーツスカートをふわりと舞わしながら此方を向いた。初めて真面に彼女を見たが、其の眼はあまりにも澄んでいて二人の間には見えない一線がある。擂鉢街には似合わ無い小奇麗さは異質であり、異物。
雰囲気に呑まれてつい言う通りに着いてきてしまったが、如何やら彼女の方に敵対する心算はないのか声音は柔い。
「深透、宜しくね」
「……あぁ、名前か」
「そうよ。三澄 深透、一般女学生。好きなものは珈琲、好きな天気は雨の日。嫌いなものは、そうね、乾燥機には少し敵対心を覚えるわ」
「そこまで聞いてねぇよ!つか何で乾燥機!」
「乾燥させるから」
「意味分かんねー…」
気張っていた自身が馬鹿らしくなる程あっけらかんと名乗って、無駄に長々と自己紹介をした彼女は満足そうに鼻を鳴らす。何故か楽しそうではあるが、人攫い共への無慈悲な仕打ちを食らわせた時とは打って変わって無邪気な様は酷く歪だった。