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──朝。いい匂いがたちこめる食堂では多くの生徒が朝食をとっていた。クレオもその内の1人で、アッシュと並んで座っていた。
さて、肝心のクレオの食事量はというと…
剣の訓練で少しは体力がついたお陰か、女子にしてはよく食べる(※イングリットは別レベルなので彼女と同じだと履き違えないよう)、までに成長した。サラシに慣れたのも影響しているだろう。
男子らしい量にはまだ足りない。けれどよく食事を共にするアッシュの、クレオを心配する顔が減ったのはクレオにとって嬉しかった。最初こそアッシュの目に危機感を持っていたものの、純粋に心配してくれるアッシュに申し訳なくなっていたのだ。
目標達成にはもう少しかかるが、クレオは既に充足感で満たされていた。
ご飯を食べながらアッシュと話をする中、ふとクレオは思った。
──そうだ、筋肉を鍛えよう。
(????????)
朗らかな朝の始まりに、ふと思うことではない。何がどうしてそうなる。
どうやらクレオさん、女の子時代にあまり出来なかった、体を動かすことに、喜びを感じているらしい。やる気に満ち満ちている。このままだと、クレオのウィークリーミッションに筋トレが追加されるだろう。
あなたのお父さん、そこまでやれとは言ってないよ。もしムキムキになったらどうする。娘がムキムキになって帰ってきたら両親嫌だろ。ていうか絶対泣いちゃう。
男装生活も身についてきたせいか、クレオの中には男としての矜恃が芽生え始めていた。女の子であることをどうか忘れないでほしい。
善は急げ!と何か思いついたらしいクレオは、アッシュに手伝ってほしいことがある旨を伝え、授業のあと部屋に来てもらうように頼んだ。アッシュは快く承諾した。
女の子なんだから自室に男子をそう易々と呼ぶのもどうかと思うのだが、クレオは自分の正確な性別を見失っていたので気に留めなかった。
のちにこの選択が波乱を引き起こそうとは想像もせずに…。
本日最後の講義を終えた2人は、そのまま一緒にクレオの部屋へ向かった。その様子を見ていたシルヴァンが「仲がいいなーお前ら」とからかう。しかし、クレオはアッシュのことを特に仲の良い友達と思っているので、シルヴァンの言葉に喜んだ。アッシュも同じ様に喜び「はい!友人ですから」とシルヴァンに笑って返すから、2人のピュアさに当てられて、シルヴァンは自分にちょっと悲しくなったという。
「それで、手伝ってほしいことって?」
てっきり部屋の掃除の手伝いか何かだと思っていたアッシュは、整頓されたクレオの部屋を見て首を傾げた。
「腹筋を手伝ってほしくて」
「ふっきん」
「そう、腹筋」
アッシュが思わずオウム返しになるのも分かる。出てきた単語のベクトルが想像と違いすぎる。それでもなんとか理解しようと、クレオの話をアッシュは聞き入った。優しい。
クレオの話を要点にまとめると、
『筋肉を鍛えたい!→腹筋しよう→最初は足を支えてもらった方がいいかな?→アッシュに頼もう』
ということらしい。
説明を聞いたあと、「なるほど、それならお任せください」とアッシュは拳を握ってみせた。
ベッドで仰向けになり、腕を胸の前で交差させたクレオは、三角を作るように膝を立てる。その足を太腿で挟む様にアッシュは座り、両手でクレオのふくらはぎを持った。
「目標は100回!アッシュ、一緒に計測をお願いしますっ」
「はい!」
女の子がいきなり腹筋100回はちょっと無理あると思うのだが。ちなみにこのくらいの歳の女の子だと30回くらいが平均だ。
そんなこともお構い無しに、2人はアイコンタクトを取るとクレオの動きに合わせて数を数え始めた。
軽快なクレオの腹筋に、アッシュが「いい感じです!」とジムのトレーナーが如く褒めるので、乗せられたクレオは着々と数を重ねていった。チョロい。しかし、40を回った時だろうか、クレオのペースが落ちてきた。
「よ、よんじゅうに…いっ」
「フィンセント!頑張って!」
どうやらクレオの腹筋の限界が来たらしい。動きがヘニョヘニョだ。はぁはぁ、と息を吐くクレオの顔は真っ赤で、涙目になっていた。無茶を言うから…。
「今日は50回で終わりましょう?」
機転を利かせたアッシュが目標の縮小を提案する。よっぽどしんどかったのか、クレオはするりと受け入れた。動かないクレオに、あと少しですよ、とアッシュが声をかける。
「43!」
「ん…」
クレオが力を振り絞って上体を起こす。1つ1つの動作が重たく、辛そうだ。アッシュはどうか無事に終わりますようにと願いながらクレオを見た。
「(…あれ?)」
その時だ。
アッシュはなんとなくクレオの顔に引っ掛かりを覚えた。不思議に思ってクレオを注視する。
クレオの様子を述べよう。
──上気した頬が、なんとも愛らしい。また、涙を溜めた瞳はどこか扇情的だ。汗で額に張り付いた髪も、色っぽくて、男が目の前にいたらに存分に心を擽らせちゃうだろう。上体を起こす時に零れる高い声は、女の子そのもので…
…なんだかイケナイものを見てしまったような──…
「(なっ、何を思っているんだ僕は!?)」
クレオを眺めていたアッシュの顔が朱に染まる。
「はっ…ご、じゅう!」
終わったー!とクレオが力無くベッドへ沈んだ。アッシュが意識を飛ばしている間に進めていたようだ。
呼吸を整えたあと、クレオはのそりと起き上がり「終わったよ」とアッシュに声をかける。しかし顔を覗いても反応がない。試しに顔の前で手を振ってみると、アッシュが体をビクッとさせた。
「……わっ!す、すみません、ちょっとぼうっとしてました。フィンセント、お疲れ様」
慌てたようにアッシュが腕を離す。
「いいよいいよ、アッシュも疲れたよね。付き合ってくれてありがとう!」
途中からアッシュが何も言わなくなったことは、『アッシュも疲れていた』と解釈したらしい。
疲れているわけじゃないんだよなあとアッシュは思いつつも、「いえいえ」と返事をする。
「(ある意味、疲れているのかもしれない。あんな、シルヴァンみたいな思考をするなんて──)」
…ごく自然に、シルヴァンが破廉恥の意味で使われているのは置いといて。
アッシュはさっきの光景をうっかり思い出し、顔が赤くなるのを振り切りながら、休憩としてクレオを食堂に誘うのだった。