Long Story|Short Story|Anecdote笑う人形
栗原(くりはら)は昔から、どこか影の薄い、よそよそしさを漂わせる少年だった。
僕がそんな彼と親しくなったのは、小学6年生の時だ。
栗原はその年になって転入して来た帰国子女だった。当時は珍しかったにも関わらず、多感な年頃の同級生達が囃し立てた記憶はあまりない。彼は昨日までもそこにいたかのように、あるいは明日、突然姿を消しても誰も驚かないような存在感で、窓際の席に行儀よく腰掛けた。
僕は当時引っ込み思案で、人の輪に入るのが苦手な内気な子供だった。転校生に声を掛けるなどもっての他だったが、注目を買わずに教室の景色に溶け込んだ栗原は、気づけばいつも僕の隣にいた。
栗原は目立たない生徒だったが、とても整った人形のような顔をしていた。しかし、整い過ぎているあまり特徴がなく、子供の目には近づき難いものとしか映らなかった。
いつも主張せず、ぼうっと遠くを見ているようなところがあり、僕は親しみながらも今もって、彼と何を話していたのかはっきりと思い出せない。彼は、そんな不思議な子供だった。
彼との思い出にはっきりと、それも極彩色の色がついたのは夏休みのことだ。
栗原の家には最新型のパソコンがあった。その当時はまだインターネットが普及しておらず、自宅にパソコンがある家庭はごく一部だった。栗原の父親は自宅でIT関係の仕事をしていて、そうした機材がたくさんあるという話だった。
僕は昔から機械の類が好きだった。そうと知らずに父親の仕事を明かしてしまった栗原は、後悔しただろう。しかしあの頃の僕はまだ幼く、栗原の無言の拒絶にも気づかずに、家に遊びに行きたいと強請った。内気な僕も、この友人に対してだけは時折わがままを言えたのだ。彼は、優しかった。
栗原の家は高級マンションの1室だった。僕はその時、マンションなのに室内に階段がついている家をはじめて見た。
「僕だったら友達を大勢呼んで自慢するのに」
部屋をぐるぐると見てまわりながらはしゃぐ僕に、栗原は苦笑いを浮かべた。
「お父さんが家で仕事をしているから。あまり呼んであげられなくてごめんね」
その日は、栗原の父親は外に出ているとのことで特別に招いてもらったのだ。栗原は階段を上がり、彼の父親の仕事部屋へと案内してくれた。
僕は食い入るようにパソコンデスクのまわりを見て回った。憧れのキーボードにマウス。真っ暗なディスプレイをじっと見つめ、うっとりした。電源を入れられないのが残念でならなかった。
その時、ドアが開いて、眼鏡をかけた男の人がのそりと入ってきた。栗原の唇から、呟きのような声が漏れる。
「──お父さん、」
僕の父親はすでに頭髪が寂しく、中年太りの腹はベルトの上にだらしなく乗っていたが、栗原の父親は背が高く、引き締まった身体をTシャツとカーゴパンツというラフスタイルで装っていた。僕等の父親の世代にしてはずいぶん若々しい。髪は黒々として、量も多い。
ただ、栗原の父親もまた、栗原と同じ無機質な人形のようなところがあった。表情が乏しいのだ。
栗原を見ると、その横顔は白く、本当にマネキンみたいに見えた。
「ごめんなさい、勝手に仕事場に入ったりして……すぐに出るから」
栗原は僕の手を握ったが、その指先は驚くほど冷たかった。僕はどぎまぎしながら、手を引かれるまま彼の父親の前を通り過ぎようとした。
「待ちなさい」
大人の大きな手が、僕の肩を掴む。
「雅紀(まさき)から君の話は聞いているよ。パソコンに興味があるんだってね。見て行くかい?」
「いいんですか?」
「もちろん。雅紀、お金をあげるから、お前はケーキを買って来なさい」
「え、……でも、」
「いいから、早くしなさい」
「……はい」
栗原は僕の手をそっと離した。父親から千円札を受け取り、不安げな目で僕と父親を交互に見る。
僕はそんな風に彼が取り乱すのを見るのははじめてだったし、今会ったばかりの知らない大人と2人きりになるのは何だか妙な気がして嫌だった。しかし栗原は後ろを振り返り振り返りしながらも部屋を出て行ってしまった。
栗原の父親は腰を屈めて僕と目の高さを同じにした。
「名前は何ていうの?」
「関です。関賢治(せき けんじ)」
「賢治くんか。ほら、こっちにおいで。パソコンは、これからみんな1人1台持つ時代が来るよ」
言いながら、栗原の父親はパソコンの電源を入れた。本体のファンから大きな音がして、ディスプレイもブゥン、と唸る。僕は機械が眠りから覚めていく音に胸を高鳴らせ、緊張を解いていった。
彼は僕を椅子に座らせると、後ろからマウスやキーボードを操作した。その手さばきは魔法使いみたいで、僕は忙しく動く器用そうな手と、画面に表示される光を交互に見た。
「賢治くん、これ……何だかわかるかな?」
デモンストレーションを披露した後、栗原の父親はあるフォルダを開いた。中には画像ファイルのアイコンが並んでいる。
僕が前のめりになって画面を覗き込むのと同時に、カチカチ、とクリック音がして画面いっぱいに写真が表示された。
今思い返してみても、あれは本当にそういう画像だったのか、自分の目と記憶を疑っている。けれど、僕の記憶が正しければ、それはしどけなく半裸で寝ている栗原の写真だった。シャツの前は開かれて、乳首が見えている。
カチ、と音がして次の画像が表示されると、今度はその下半身が映っていた。僕は息を飲んだ。栗原は足をがに股に広げ、股間をさらけ出していた。
僕の心臓は跳ねた。どうしてこんな写真を僕に見せるのかわからなかった。それはおそらく僕が見ていいものではなかった。少なくとも、栗原は望まないはずだった。しかし栗原の父親の手は、次々に衝撃的な画像を僕に突きつけていく。
濡れた唇、胸。大人の手が栗原のペニスを握っているものや、栗原が男の股間に顔を埋めているものもあった。
僕はその当時まだ、グラビア写真すら見るのを憚った。ヌード写真やアダルトビデオなんて、もってのほかだった。
栗原の白い背中、腰の辺りに大きなほくろがあった。肩甲骨や背骨が浮き出ていて、それが栗原だとわかっていても艶めかしかった。
「きれいだろう? 自慢の息子だ」
耳元で囁かれて、僕はぞわりと全身を粟立たせた。
この人が撮ったのか。でも、いくら父親でも、この写真は──栗原の背中の写真は、上から撮影されていた。白い尻には、撮影者の身体が密着しているようだ。何か、棒のようなものが栗原の尻に──。
僕がさらに画面に顔を近づけようとしたその時、階下で慌ただしくドアの開く音が聞こえた。栗原が帰って来たのだ。カーソルはすばやくシャットダウンという文字をクリックした。
パソコンの電源が落ちるのと同時に、栗原がドアを乱暴に開けた。頬を紅潮させ、肩で息をしている。
「おかえり、雅紀。それじゃあ賢治くん、下でおやつを食べて行きなさい」
栗原の父親は今までのことなどなかったかのようににこやかにそう言うと、僕の肩を叩いてそう促した。僕はおっかなびっくり立ち上がると、不安そうな顔をした栗原の方に歩いて行く。
その後、テレビゲームをして遊んだが、僕は心ここにあらずという感じだった。それは栗原も同じだったようで、何だか落ち着かない様子でもじもじとしていた。
帰り際、栗原は声を潜めて、
「僕が出かけている間、何を話してたの?」
と、僕に聞いた。その目は何か怯えのようなものを孕んでいて、僕の脳裏にはまたあの写真がよぎっていた。
「別に……パソコンのことを教えてもらっただけだよ」
「……そう」
彼は釈然としない顔で顎を引くと、僕を見送った。
それからほどなくして、僕はまた栗原の家を尋ねることになった。
僕はその日、もともと栗原の家を尋ねる約束をしていたのだが、前日の夜に彼の父親から僕宛に、電話がかかってきたのだ。個人情報保護にうるさくなかった当時は、クラスメイトの電話番号を家族が把握しているのは当たり前だった。
僕は緊張しながら受話器を握った。
「賢治くんかい? 明日、またうちに遊びに来てくれるって雅紀から聞いているよ。それでなんだけど……約束の時間より30分ほど早く来てくれないかな?」
「いいですけど……」
「明日は雅紀の誕生日だから、ちょっと驚かせてあげたいんだ。だから、このことは雅紀にも秘密にしてくれないかな」
妙だとは思った。しかし子供の僕は素直に返事をして、約束を守った。
栗原の家に着いた時、栗原自身は不在だった。彼は学校のプールに通っていた(運動が苦手だった僕は、夏休みのプールはすべてサボっていた)。彼との約束は15時、彼の父親との約束は14時半だった。
「いらっしゃい。よく来てくれたね」
栗原の父親はTシャツにジーンズというラフな格好で僕を迎えてくれた。
彼は僕の履いてきた靴を下駄箱にしまい、鞄も持って行ってしまう。
僕が所在なげにダイニングで待っていると、今度は入ったことのない部屋に僕を連れて行った。
そこは寝室だった。おそらく、栗原の父親が使っている。前から薄々気づいていたが、栗原の家には母親の気配がなかった。はっきりと聞いたことはなかったけれど、父子家庭だったのだろう。
「賢治くんにはね、ここで静かに見ていて欲しいんだ」
言って、栗原の父親はクローゼットを開けた。
クローゼットの中にはプラスチックの引き出しと、ハンガーにかけられたスーツ、コート類があったが、きちんと整理されていて、物はそう多くなかった。ぽっかりと、人1人余裕で入れるスペースが空いていた。
彼はそこにクッションを置くと、僕をそこに座るよう促した。僕は訝しげに彼を見上げたが、
「サプライズだよ」
人差し指を口に当てて言うので、僕はコクンと頷いてそこに座った。サプライズの意味はわかっていなかったけれど、それは栗原を喜ばせるためだと思ったのだ。
クローゼットの扉は閉められ、暗い闇の中で時間の感覚がわからなくなる頃(実際には15分程度だったが)、栗原が帰宅した。僕は扉の外の声に耳をそばだてた。
「おかえり、雅紀」
「お父さ……、なんで、今日は外で打ち合わせだって……」
「今日はお前の誕生日だろう? お祝いがしたかったんだ」
「関が遊びに来るよ」
「父さんも一緒にいいだろう?」
ドサ、と何かが落ちる音がした。それから、くちゅ、ちゅ……、という音。
「……プールの匂いがする」
2人の足音が寝室に入ってきて、僕は緊張した。細く空いた隙間から覗くと、栗原は父親に両手首を掴まれて身を捩っていた。
「いやっ……やだ、お父さん!」
「いつもよりたっぷり可愛がってあげるよ、雅紀」
「やめてよ! 関が……関が来るから……!」
「それまでにイかせてあげる」
父親は息子を大きなベッドに放り投げると、その上に覆いかぶさった。片手だけで子供の手首をひとまとめにし、栗原の顎を掴むと唇を重ねる。
2人は父子で、男同士で、それなのにキスをしている。僕はそれだけで思考停止した。唇はさっき僕が聞いたいやらしい音を立てて、舌までも絡めている。洋画のそうしたシーンが流れただけで気まずくなるのに、僕は同級生のそんな姿を目の当たりにしてしまったのだ。
「ふぅ……ンっ、……ン、ふ……ぅ、」
「キスだけで気持ち好くなってしまったのかな? 悪い子だね」
父親は栗原の股間に手を伸ばすと、ズボンの上からぐにぐにと揉みしだいた。栗原はビクビクと震える。
「だめ……やめて、お父さ……っ」
「ほら、もうこんなに元気になって……」
栗原の父親は、下着ごとズボンを毟って床に放り投げた。クローゼットの近くに届いて、僕の心臓の音はよりいっそう大きくなった。
「おねが、やめて……後で、……夜なら、するから」
「父さんは今したいんだよ。プールから帰ったばかりのお前の匂い……」
栗原の髪は確かに濡れていた。その艶めいた黒髪に顔を埋め、男が囁く。
そう、栗原の父親はもう、父親ではなかった。間違いなく雄の匂いを放ってそこにいたのだ。
「お父さ……ンふっ!」
男は子供の唇を乱暴に塞ぐと、開いた細い足の間に自分の身体をねじ込んだ。広げられた栗原の片足はベッドから落ち、もう片方は肩に担ぎ上げられる。
男はベッド脇にある引き出しから小瓶を取り出すと、自分の手の平にそれを開けた。中は少し粘り気のある液体のようだ。手の平で伸ばし、2人の身体が重なったところへ潜り込ませる。
「いやっ……! あ、あはっ……、あ、……だめ……ッ」
歪む栗原の顔がクローゼット側を向いた。彼は目を瞑っていたが、僕の胸は緊張とは違うもので波打った。
いじめっ子の男の子は、好きな女の子の泣き顔を見たくて虐めるというが、栗原の苦しげな顔を見て僕は少し納得していた。いつも涼しげな顔をして、能面のように無表情な栗原。その白い顔は今はほの赤く染まり、眉を寄せて唇を半開きにしていた。僕はそんな栗原の表情が可愛くて、胸打たれていた。
男の手は影の深いところでぬちゃぬちゃと音を立て、その度に栗原の足の爪先が震えた。男は栗原の乳首を舐め、ペニスを扱いた。手首を掴まなくても、栗原はもう抵抗しなかった。
「お父さ……、関、来ちゃう……、」
「彼にも見せてあげればいいだろう?」
僕はまたぎゅっと身を小さくした。この男は一体どういうつもりなんだろう。栗原の姿に妙な気持ちになりながら、男の不気味さに怯える心も健在だった。
今出ていって止めるべきなんだろう。でも、そうしたらどうなる? 栗原は? 僕は? あの男に、僕も何か恐ろしいことをされるのでは? 暗闇の中で想像は巡り、僕は動けなかった。
その間も男は栗原の小さなペニスを刺激し続け、やがてその先端から白い液体が迸った。
「あ、あぁっ、は、はぁ……」
「指だけでイってしまうなんて、本当にはしたない子だね、雅紀は」
「ひっ……ひ、ぅ……、も、イ……たから、やめてよ……」
あの栗原が泣いていた。衝撃だった。僕は、性的な悪戯をされて乱れる栗原を見てはじめて、彼が生きた人間であることを発見したような気持ちだった。
「父さんがまだだよ」
言うと、栗原の父親はジーンズの前を緩めた。そこから現れた巨大なものが何か、僕には一瞬わからなかった。大人の勃起したペニスを見るのははじめてだったのだ。男のペニスは赤黒く太く、そそり勃っていた。
濡れた手で数回扱くと、その先を栗原の尻の穴に押しつけた。そこで僕は気づいた。この男は指で栗原の尻の穴を弄っていたのだと。中に指を突っ込み、刺激して……それで栗原はあんな、聞いたこともないような甘い声を出していたのだ。
指を挿れるのだって信じられないのに、あんなに太くて大きいものを尻に挿れるなんて。でも、栗原の細い身体は腰を浮かせながら、ゆっくりと、しかし確実に男のペニスを飲み込んでいった。
「あ、は、はっ……ン、あ、くる、し……っ」
「いつも挿れてるのに、まだ慣れないのか? いつまでも初々しいところがまた可愛いけど……」
「う、やぁっ……!」
父親は息子の身体を押し潰すように伸し掛かった。僕の目の前で、栗原の尻に男のペニスが完全に埋まった。
はぁはぁと息を吐きながら、栗原は指先を痙攣させている。
「おと、さ……、はや、く……」
栗原は、僕がやって来るのを恐れていた。その前にことを終えようと必死なのだ。僕はもうそこにいたのに。見てしまっていたのに。
「父さんも早くお前の中でイきたいよ。しっかりしゃぶって、自分から好くなるように動いてごらん」
「ああっ……! あ、はぁ、……ン、うぅ……、あ、……あっ、」
男がゆっくりと腰を振りはじめた。
セックスをすれば子供ができる。保健体育でそれは習っていたし、セックスがどういうものかも知っていた。でも僕が学校で習ったのは男女ですることで、男同士が、ましてまだ陰毛も生えていない少年が父親とすることではなかった。
エロ漫画、エロ雑誌、アダルトビデオ。それらをまともに自分から摂取したこともない僕の眼前に、そんなものをひょいと飛び越えた生の「性」が突きつけられていた。
父親に犯される栗原の姿は、神々しくすらあった。濡れ髪を乱しながら首を反らし、唇からは間断なく甘い吐息と高く淫猥な喘ぎが漏れた。細長い手足は揺すられる度に繊細に震えて、蜜を与える花のようだった。この行為は彼の望むものではなさそうだったが、少なくともその姿には父親への慈悲が感じられた。
それを享受する父親は、息子の上でひたすら腰を振りたくった。栗原自身の神々しさとは裏腹に、卑しさを全身から滲ませて。
ぐちゅ、ぬちゅ、という生々しい水音と、肌がぶつかり合うパン、パン、という乾いた音。
「あ、あっ、あン、ン、んっ……! あ、おと、さん……おとっ……ひっ、」
「雅紀、ああ、すごい締めつけだ……ここ、お前の好きなところ……」
「ひぁ、あっ! あ、あ、あ……っ、あは、きもひ、ぃ……っ、」
肌を打つ音はどんどん激しさを増し、速くなっていく。
僕はクローゼットの中で勃起していた。
男は身体を低くして栗原の首筋を舐めたり、背中を反らせて腰を揺らしたりと、角度をつけて栗原を責めた。行為に夢中になるあまり、僕の存在を忘れているんじゃないかと思ったほどだ。
しかし、忘れてなどいなかった。男は栗原の身体を僕のいるクローゼットの方に向かって横向きに寝かせると、後ろから片脚を担ぎ上げた。そのまま横抱きに抱いて、後ろから栗原の尻の穴を突いた。
「あっ! あ、あ、あンッ! あ、はぁ、はぁっあ、と、さ……っ、お父さ、んっ」
僕の目の前で、栗原のペニスが揺れていた。僕は張り詰めた僕のペニスをぎゅっと握った。乱れる栗原は、本当に可愛かった。
「一緒にイこう、雅紀……ッ」
「あ、あ、あっあぅッ──!」
男が呻くのと、栗原の高い悲鳴があがるのはほとんど同時だった。栗原のペニスから、ビュッと白濁が溢れた。栗原の腹の中にも、父親の精液が注がれたのだろう。
僕も少量ではあったが、下着に出してしまっていた。なんと、これがはじめての遺精だった。
「ふぅ……ああ、好かったよ。誕生日おめでとう、雅紀」
「おと、さ……」
栗原は濡れた睫毛を伏せ、ぐったりとしていた。気を失ってしまったらしい。
父親は息子のこめかみに何度もキスすると、優しく布団をかけてやった。
それから栗原の父親はひたひたとクローゼットの方に歩いてくると、扉を開けてそこに座り込んでいる僕を見下ろした。
「──どうだった?」
どう答えたのか、よくおぼえていない。僕はその後、別に何をされるでもなく家に返された。その間中、いや、帰ってからも、栗原の顔や姿がずっと頭を巡り続けた。
翌日、栗原から電話がかかってきた。
「大丈夫?」
それはこっちの台詞だったが、聞くと、どうやら僕は夏風邪をひいたことになっているらしかった。彼の父親が嘘を言ったのだ。僕はあの日、彼の家を尋ねなかったことになっていた。
「……うん、大丈夫」
──君は?
そう聞いてあげたかったけれど、僕はわざとらしい咳をする一芝居まで打って、電話を切った。
栗原と顔を合わせたのは新学期になってからだった。彼は相変わらず人形のように静かな面差しで、窓際の席にじっと座っていた。
僕はなんとなく、彼とうまくつき合えなくなった。栗原はあの日のことが嘘だったみたいに何も変わらなかったけれど、僕が勝手に意識して見てしまうのだ。
鉛筆を握る指先、頬杖をつく細い腕。体操服から伸びるすらりとした足や、リコーダーを咥える口。
ほとんど毎日のように夢精し、自慰も覚えた僕は性欲の奴隷のようだった。病気になってしまったんじゃないかと思ったくらいだ。毎日右手で慰めながら思い浮かべるのは、もちろん栗原の姿だった。
卒業式の日、僕は栗原との別れを惜しんだ。夏のあの日以来、彼との接し方に窮して、親交を深められなかったことを悔いていた。でももう、遅かった。栗原は再び、父親の仕事の都合で海外へ行くことになっていた。
「短い間だったけど、今までありがとう」
栗原は、僕にしか読み取れないほどの淡い笑顔で言うと、手を差し出した。僕はその白い手をぎゅっと握った。
僕は夢の中で毎日彼を犯しながら、彼を助けるべきだという思いに苛まれてもいた。彼が父親との関係を望もうと望むまいと、12歳の子供がそうあるべきではないと思ったのだ(今なら思う。年齢以前に、彼らは血の繋がった父子なのだ!)。
「関がいてくれたおかげで、学校は楽しかった」
──学校は。
その言い回しに、他意はなかったかもしれない。けれど、思い返すと栗原は、学校にいたがった。放課後も、解放された校庭で遊ぶような活発な子供ではなかったのに、教室で僕を呼び止め、何かしらの話をしたり、本を読んだりしていた。
僕は泣きそうだった。でも、栗原が変わらず人形のような顔をしているので、泣くことはできなかった。彼は学校でも、僕と2人で遊んでいる時でさえ、どこか人形めいていた。それは、家での彼の本当の姿を隠すためだったのかもしれない。
「……大丈夫?」
気づくと、無意識にそんな言葉が出ていた。栗原はちょっと驚いたような顔をして、それからまたいつもの静かな顔に戻って、言った。
「……大丈夫」
以来、栗原と顔を合わせることはなかったが、桜の季節に栗原の父親の訃報が届いた。同じ干支を3度繰り返した年のことだ。
結婚後も実家の近くに住んでいた僕は、母親から手渡しでその通知を受け取った。彼の父親が言った通り、1人1台のスマートフォンが当たり前の時代になっていたが、栗原とはSNSでの繋がりもなかった。僕は1人で通夜に行った。
久しぶりに会った栗原は、僕の少年の頃の記憶の延長線上に違和感なく座していた。どこか儚げで、喪主なのに誰よりも影が薄かった。
「久しぶり」
通夜式を終えてよそよそしく声をかけてきた栗原に、僕はぎこちなく微笑んだ。
「元気だったか?」
「うん。関は結婚したんだね」
僕の左手に指輪を認めた栗原は指差し言った。
「そう。子供も2人いるよ。栗原は?」
「僕はまだ、独身」
それは、何でもないことのように聞こえるよう、注意深く紡がれた言葉のように聞こえた。僕はできるだけ、何でもないことのように聞いて頷く。
それから、海外に行ってからの足跡をかい摘んで聞いた。海外赴任は3年間で、高校からはずっと日本にいたらしい。とはいえここから離れた場所だったから、ばったり会うということはなかった。
栗原の父親はちょうど帰国した頃に癌が見つかり、以来入退院を繰り返していたらしい。病はまだ若い男の身体の中で転移を繰り返し、その命を奪うまでに20年の月日を要した。
「関は、父を知っている数少ない友人だから」
何故声を掛けてくれたのかと問う前に、栗原の方からそう言った。彼の家には都合2度足を運んだわけだが、栗原が認識しているのは1回目の訪問だけだ。そのことが胸の中でわだかまりつつも、「友人」と言ってくれたことが嬉しかった。
「若々しいお父さんだったよね。背が高くて、格好よかった」
棺の中で眠る男の顔は、24年を経て病に倒れたというのに、僕の記憶にあるものとあまり変わらなかった。抗癌剤治療で髪はなくなってしまったのだろう、頭には鬘をかぶっていたが、そうしてしまうと本当にあの頃のまま、口元や目尻に微かに皺を増やすだけに留まっていた。
栗原は僕の言葉に黙っていた。
結局、彼が父親に対してどういう思いを抱いていたのかは僕にはわからない。憎しみかもしれないし、愛情かもしれない。しかし無言の栗原の口元に薄っすらと浮かぶ微笑には、やはりあの日の慈悲のようなものを感じるのだった。
「……大丈夫?」
僕はまた、卒業式と同じあの言葉を吐いていた。畏まった服を着て、桜吹雪に見舞われて、まるでタイムスリップしたかのようだった。
栗原はやっぱりあの時みたいに少し驚いた顔をした。何を心配されているのかわからないとでも言うような。しかし彼は、あの頃とは違った。きゅっと口角を上げ、目を半月に歪めて、眉を下げた。
「……大丈夫」
それは僕がはじめて見る、栗原の笑顔だった。
2016/10/22
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