Long Story|Short Story|Anecdote優しくしないで
「ありがとう。優しくしてくれて」
背中越しに言われて、宿谷(しゅくや)は虚空に目を彷徨わせた。
「どう、いたしまして……?」
何と返してもおかしい気がしたけれど、最初に浮かんだ言葉を呟く。やっぱり少し変だ。
1人で顔を顰めていると、背中にくっついていた肩が揺れた。
「笑うなよ。何て返せばよかったんだ?」
「ごめん。でも、もっと好き勝手してくれて平気だから」
「バカ、まだガキのクセして……」
片腕を持ち上げ、湊(みなと)の髪をくしゃっと混ぜる。湊はくすぐったそうに笑って、ひょこりと宿谷の肩口に顎を乗せた。振り仰ぐと、目と目が合う。
湊の目はつり目がちで鋭い。目と、真っ直ぐ線を引いたような眉との距離が近く、整ってはいるが猛禽類のような印象があった。でも笑うと人懐っこい愛嬌がパッと広がって、どうもそのギャップに多くの人がやられるらしい。
にっと笑った口元から八重歯が覗いている。そのいかにも子供じみた顔を目にすると、宿谷はやっぱりひどいことをしてしまったという気になった。
湊の頭をポンポン、と撫でると、2人には狭い寝床から這い出る。
「……学校は」
「昨日言ったでしょ。開校記念日で休みだって」
「ああ、そうだった。開校……なんか懐かしい響きだな」
宿谷の最終学歴は今の湊と同じだ。高校を卒業してすぐ、社会に出た。商業系の高校だったから就職するのにそれほど苦労せずに、そこそこ名の知られた企業に勤めている。
湊と知り合ったのは、勤め先で扱っている商品の納品に行った時だ。湊はその店のアルバイトだった。3年前、まだ15歳なのに年齢を誤魔化して働いていたが、そこの社員にも可愛がられて上手いことやっていたようだ。湊は苦学生だったが、人には恵まれていた。
「バイトは、辞めたんだっけ」
「うん、先月いっぱいで。長い間お世話になったけど、そろそろ受験勉強本腰入れないと。またいつでも戻っておいで、なんて言われちゃった」
笑いながら、湊は宿谷の横をすり抜けると、すっかり家人のような顔で洗面所に入って行く。
ここには何度か寝泊まりさせたことがあったが、交わったのは昨日が初めてだ。高校生相手に、まして男同士での行為が初めての宿谷はひどく狼狽したが、かえって湊の方が平静でいてきまりが悪い。
宿谷は背中でシャワーの音を聞きながら、冷蔵庫を開けるとミネラルウオーターを掴んだ。
「宿谷さんもお休みなんでしょ。出張で忙しかったもんね」
「うん。どこか行くか? 平日だし、どこも空いてると思うけど」
「俺は家の方が好き」
「じゃあ、家」
ザァザァという水音を聞いているうち、宿谷は妙な気持ちになった。3ヶ月前にはそこに、女がいたのに。まさか自分が男と寝る日が来るなんて、考えたこともなかった。
する前も、している時も、思ったより淡々とことは進んだ。何より、湊の身体は好かった。そういう目で見たことはなかったのに、組み敷いて、首の後ろに細い腕を回されると、この青年に愛着を感じている自分を見つけた。
口づけて、若い肌をまさぐって、気づいたら無我夢中で突き上げていた。自分を求める声を聞いていると、癒されるのを感じた。
女にそれを求めることには抵抗はなかったのに、相手が男で、ましてまだ宿谷の人生の半分しか生きていないと思うと、宿谷の胸は塞いだ。湊を女の代わりに抱きながら、自分が赤ん坊になったように感じる。湊に抱かれているのは、自分の方だった、と。
後からやってきた罪悪感のようなものを誤魔化すために、宿谷は掛けていたジャケットから煙草を取り出すと火をつけた。
「宿谷さん、空いたよ……あ、また吸ってる」
湊は煙草にだけはうるさい。親しくなる前、納品が済んで外で一服しているのさえ見咎められたことがある。もっとも、宿谷の身体の心配ではなく、火の不始末を案じていたけれど。
「悪い、1本だけ」
目を細めて吸い込むと、窓の方にふっと吹き出す。外はいい天気だ。
「なぁ、本当に外行かなくていいの? ディズニーランドとか」
「いいよ。カップルじゃあるまいし」
あっさり返されて、宿谷は外を見たまま固まる。
確かに、付き合うの付き合わないのという話をしたわけではない。でも、宿谷は覚悟を決めて湊を抱いたつもりだったし、なんとなしにそうなるのだと思っていた。違うのかと思うと、落胆している自分に戸惑う。
湊の身体は、男を知っていた。最中に聞くのは無粋だからと触れずにおいた。挿入してからは味わったことのない快感に翻弄されて我を忘れてしまったが、準備の段では湊の方が手際がよかった。自らローションでほぐし、宿谷を受け入れ、好くなるまで上になって腰を振った。
「なぁ、お前さ。その……男とするの、初めてじゃないだろう?」
自分の方が馬鹿にされたような気がして、宿谷はストレートに問う。
湊は頭にタオルを被って部屋に入って来ると、きょとんとした顔で宿谷を見つめた。答えずに、冷蔵庫の方へ向かう。宿谷も答えを急かさない。
「うん」
手にしたオレンジジュースを飲みながら、湊が言った。
……オレンジジュース。
湊は甘党だ。猛禽類の目をして、平気でケーキにジュースをつけたりする。
会話の内容との不釣合いに宿谷は苦笑して、
「そうか」
煙草を吸い込み、揉み消した。
「じゃ、俺シャワー浴びてくる」
「宿谷さん」
呼び止められ、腕を掴まれた。
髪を濡らした湊は、いつもより幼く見えた。鋭い目、猛禽のように感じるのは、瞳の色が薄いのも要因らしい。瞳孔の大きさがはっきりとわかる。
「俺、宿谷さんのことは好きだよ」
「……何だよ、急に」
じっと見つめられて、宿谷はまた狼狽える。何が言いたいんだ、と苛立ちが湧いたが、じっと瞳を見つめていると、自然に答えが見えてきた。
――こいつは、言いたいんじゃない。聞いて欲しいんだ。
同じようで、それは違う。
「……一緒に、入るか」
宿谷がバスルームを指すと、湊はコクンと頷いた。
浴槽の中で2人、温かい湯に浸かる。先に宿谷が入り、その足の間に挟まるようにして湊が座った。男2人には狭過ぎるが、今はそれが嬉しかった。宿谷は湊の頭にタオルを乗せて、その上に顎を預けながら、湊の話を聞いた。
両親が離婚した後、母親と2人で暮らしていたこと。夜の仕事をしていた母親が、家に男を連れて来るようになったこと。まだ小学生だった湊は、母親の恋人の1人に性的な悪戯をされた。現場を見てしまった母親はその後、別の男と蒸発してしまう。湊は伯父夫婦に引き取られ、一緒に暮らしていた年の離れた従兄とも関係を持った。中学では教師と、高校に入ってからはアルバイト先で、男に抱かれた。
アルバイト先での相手は、宿谷も顔を知っている男だ。40過ぎのいかにも中年体型で、あれが湊の身体を好きにしたのかと思うと……宿谷は暗い気持ちになる。自分も大差ないと、自己嫌悪にもなった。
「みんな年上なんだな」
「同年代って、みんなガキみたいだから」
ガキのくせに、という言葉は飲み込んだ。17、8の子供に、とてもではないが湊の過去を受け止めることはできないだろう。宿谷にしても、まだ心をどう落ち着けていいか苦労している。
「乱暴にはされなかった?」
「どうかな……そういう人もいたけど、俺はその方が好きだから」
「何だそれ。Mってこと?」
「違うけど。痛いのは嫌だけど、何ていうか……優しくされるのが、苦手なんだ」
宿谷は膝を抱えている湊を、じっと見下ろす。後ろから抱きしめると、タオルをよけてその髪にキスをした。
「俺は? 優しくなさそうに見えた?」
「もっと、豹変するタイプかと思った」
「俺が? しないよ」
2人の笑い声がバスルームに響く。
もっと好き勝手してくれて平気、などと言われた時には、物足りなかったのかと不安になった。事情を聞くに、そうではないようだ。この子供は、優しさを求め、優しさに怯えている。
自分ばかりが子供の湊に癒され溺れていくことを恐れていた宿谷は、湊の傷を見出して安心していた。それが大人の狡さだと、わかってはいても。
「少しずつ、確かめながらするから」
これからも。そんな思いを込めて、湊の滑らかで骨ばった背中に口づける。
行為に夢中だった昨晩は気づかなかったが、湊の背骨には点々と、小さな火傷跡があった。随分古いものなのか、一見するとわからないほど薄い。
湊は、両親の離婚の原因と、父親については語らなかった。もしかすると、湊を最初に抱いたのは――。
「宿谷さん。煙草だけは、やめてね」
宿谷は背骨に這わせていた手を止めると、返事をする代わりにそこに唇を寄せた。
2016/09/20
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