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蜜月のふたり


「マスクと手袋、やめたんだな」
 学食のテーブルで冬月を見つけた俺は、その隣の席に座るとにっこり笑いかけた。
 冬月はデカい目をパチクリさせて顎を引く。さして親しくもないヤツにいきなり真正面からツッコまれて、面食らった顔だ。
「ああ、うん……花粉症の季節も終わったし」
「へぇ、冬月も花粉症だったんだ。俺も俺も。スギ? ヒノキ? それともシ・ラ・カ・バ?」
 「ご飯にする? お風呂にする? それともわ・た・し?」の節で尋ねたが、どうやらこの箱入りには通じなかったらしい。曖昧に首を傾げて、スギかな、と鼻をこすっている。
 でも俺は、こいつが嘘をついていることを知っている。
「手は?」
 不意打ちでぎゅっと握ると、冬月は明らかに顔を強張らせた。握り締めた手は白く、硬く、冷たい。
「手湿疹で……荒れてたから、これも季節性のものかも……」
 俺とは目を合わせず、しどろもどろに答える。俺は目を細めた。なんかこいつ、虐めたくなるんだよな。
「春日。桜斗にちょっかい出すなって言ったよな」
 背後から降ってきた声を振り仰ぐと、そこには2人分の盆を持った秋山が立っていた。
「うおっ! 出たな、ガーディアン秋山」
「何だよ、それ」
 呆れたように笑いながら、秋山は持ってきた盆を自分と冬月の前に置く。カレーうどんだ。
「あの……離してもらっていいかな」
 冬月に言われて、手を握りっぱなしだったことに気付く。慌てて引き剥がすと、冬月は俺が掴んでいた手首をさすった。
「悪い、悪い。俺、春日大樹(かすが たいき)っていうんだ。秋山とは中学が一緒で、バスケ部で同じチームだった。春秋コンビなんて言われてたんだぜ」
 言いながら、俺は秋山と大学で再会した日のことを思い出す。

「秋山じゃん、久しぶり!」
「え……? あ、春日、だっけ」
「そうだよ、春秋コンビの春日!」
 俺がバシバシと肩を叩くと、警戒していた秋山の表情が和らいだ。
 俺を見上げる視線は、中学の頃より低い。秋山もすぐにそれに気付いたのか、自分の背を測るように右手を自分の額に当てた。
「すごい、お前背が伸びたんだな。中学の時はほとんど俺と変わらなかったのに」
「高校入ってから20センチ? お前はあんまり伸びなかったな」
「うるさいよ、」
 言って、秋山は苦笑する。
 とはいえ中学の頃よりは伸びて、170センチちょいってところか。相変わらず女にモテそうな爽やかボーイって感じで、俺は嬉しくなった。
「なぁ、バスケサークル入るだろ? 俺これから挨拶に行こうと思ってるんだけど、一緒に行かないか」
 矢継ぎ早に言うと、秋山は少し困ったように目を泳がせて、肩を竦めた。
「いや……実は俺、バスケはもう辞めたんだ」
 俺はびっくりして、必要以上に大きな「えっ?」を見舞った。秋山が気まずそうに頭を掻いて、俺は慌てて口に手を当てる。
「何で……あんなに上手かったのに、」
「まぁ、いろいろあってさ。高2からぱったりやってないんだ。身体もなまってるし、大学でやってくのは厳しいよ。悪いけど、誘うんなら他を当たってくれ。じゃあ、またな」
「お、おい秋山……」
 俺の制止の声を振り切って、秋山は片手を上げると講堂の方に駆けて行ってしまった。その身のこなしは、なまってるなんて感じじゃなかったけど。
 見た目は変わってなかったけど、昔はもっと朗らかでノリのいいヤツだったのに。俺は少しがっかりしていた。それに、前よりも表情が険しくなったっていうか……。
 それからも秋山の姿は何度か見かけた。秋山は身体が大きいわけじゃないけど、妙に目立つ。華があるというか……無意識に目が追っていた。そしてその視界には必ず、冬月も一緒に入ってきた。
 冬月は5月までの間、大きなマスクで顔を覆い、両手には手袋をはめて学校に来ていた。最初は化学の実験の講義でもあったのかと思ったが、いつどこで見てもこの格好だから、どうも授業のためじゃないらしい。
 俺は2人が一緒に歩いているのを何とはなしに尾行した。とにかく常に一緒で、登校から下校までべったり、なんて日もあることにはさすがに驚いた。
 俺達3人がカブっている講義の後、冬月が1人でトイレに入った。俺はすかさず秋山に歩み寄り、耳打ちする。
「なぁ、あのマスクマンは一体誰なんだ?」
「……マスクマン?」
 秋山は俺が突然現れたのに驚いた様子もなく、怪訝そうに振り返る。もしかして尾行は気付かれていたのかもしれない。まぁ、いい。
「ほら、お前といつも一緒にいるヤツだよ。今、トイレに入って行った」
「ああ……桜斗か。冬月桜斗。俺の幼馴染みだよ」
 ……幼馴染み。まぁ、いるか、そういうのも。
「お前とはタイプ違うけど。趣味とか合うの?」
「長い付き合いなんだ。趣味なんか関係ないよ」
 秋山は俺との会話を早く切り上げたそうに素っ気なく応じながら、チラチラとトイレのドアを見ている。俺と話しているのを冬月に悟られるのは嫌、みたいな感じで。俺は面白くなくて、余計にウザ絡みをしたくなった。
「でもマスクはさておき、手袋まで……みんな薄気味悪がってるぜ」
「……かもな」
「なんかワケあり?」
 悪戯っぽくつっつくと、秋山はじとと俺を睨んだ。この表情も、昔は見なかったんだけど。内心ドキドキしていると、秋山は、は、と諦めたように溜め息をついた。
「お前は勘がいいから、変に取り繕うのはやめておくけど。他の連中には言うなよ」
 そう前置きして続ける。
「潔癖症、とでも思ってくれたらわかりやすいかな……厳密に言えばちょっと違うけど。桜斗は、ものに素手で触れるのが苦手なんだ。だから手袋。マスクは自臭症の影響だけど、……それはまぁ、いいや。俺は付き合いも長いし、こうして近くで気を付けてやってるってわけ」
 ジシューショー……聞き慣れない名前だ。潔癖症とかと同類ってことなら、強迫観念障害、とかってヤツかな。まぁ確かに、マスクの上にチラッと覗くキョトキョトした目だけ見ても、神経質そうなのは伺える。
「そりゃあ難儀だね。でも本当、かえって変に人目を引くぜ、あれ」
 ちょうど、トイレから冬月が出てきた。手袋をはめた両手にはタオルを1枚ずつ持っている。辺りの目を気にして、見る人が見れば不審者だ。
「今度、伝えておくよ」
「それって、何か原因があるのか? 治療法とか、」
「さぁ、俺は医者じゃないから」
 秋山は冷たい。
「なぁ秋山ぁ、せっかく再会したんだし、俺とも仲良くしてくれよぉ」
 昔見たいな口調で肘で小突くと、秋山は煙たそうに俺の腕を払った。
「俺は別にいいけど。ただ、桜斗に変なちょっかいかけたら、春日でも殺すよ」
 口元に冷たい笑みを浮かべて、さらりとそんなことを言う。見返るように過ぎていく流し目に、俺はぞくりと震えた。

 殺人宣告をかましたものの、秋山は俺の忠告をきちんと冬月に伝えてくれたようだ。冬月も頑張って病気を克服しようと努力しているらしい。
 それにしても、俺は秋山をどうにかバスケサークルに勧誘したいが、そんなこんなで冬月の存在が俺の邪魔をしている。いやはや、蜜月の2人をどうにか引き離せないものか。

2016/09/27


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