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調律師


「高橋(たかはし)さん、滝澤(たきざわ)とはどうして別れちゃったんです?」
 不意に聞かれて、俺は言葉に詰まった。思わず凝視してしまい、誤魔化すことができなくなったことは早田(はやた)の微笑を見れば明らかだ。
 テナー・サックスを胸に抱いた早田は、俺の隣に身を寄せると意味ありげに小首を傾いだ。
 吹奏楽部にしておくのが惜しいようなしなやかな逆三角体型の長身は、175センチある俺でも少し見上げないといけない。黒い短髪もスポーツマンのようで、精悍で知的な顔立ちはいつも自信に満ち溢れている。
「お互い、若過ぎたんだよ。自分達の気持ちや関係をどう処理すればいいか、まだよくわからなかったんだ。君と同じ年の頃だもの」
「まるで俺のこと、ガキだと思ってるみたいに言いますね」
 クス、と微笑む彼の表情に、俺はすぐにかぶりを振る。
 早田は17という年に似合わず、ひどく落ち着いていた。ひとまわり上の俺や、俺の2つ下で吹奏楽部の顧問である滝澤先生のことさえ俯瞰して見ているような節があり、俺はいつも落ち着かない気分にさせられた。
 隠していた秘密を自然と吐露させられている今はまさに、彼の張った網にかかってしまったような気分だ。
「訂正しよう。君よりずっと子供だったんだ。時代も違う。いつも人目を気にして、お互いを傷つけてばかりいた」

 滝澤先生……惇(あつし)は、高校の吹奏楽部で俺の後輩だった。高3だった俺は、入学してすぐのオリエンテーションで熱心に演奏に耳を傾ける惇の姿を見た瞬間、恋に落ちた。一目惚れだった。
 俺の勧誘で吹奏楽部に入部した惇は、そう時を経ずに俺の視線や言葉に隠れた想いに気づき、人目を忍んで付き合うようになった。
 けれど、その関係は長くは続かなかった。よかったのは、せいぜいささやかなキスを交わしていた青臭い頃くらいで。いざセックスをしようとしたらお互いガチガチになって、二進も三進もいかなくなった。要するに、身体の相性が好くなかったのだ。
 やがて俺は音大への道を選び、卒業と同時に惇とは別れてしまった。
 その後、俺は楽器屋に就職し調律師としてあちこちに飛び回る生活をしていた。ピアノの調律がメインだが、各地の学校にある楽器のメンテナンスも請け負うような仕事だ。
 そんな時、突然惇から連絡があった。俺と同じく音大を出た後、高校の音楽教師になっていた彼は、自分が見ている吹奏楽部に、定期的に楽器のメンテナンスに来て欲しいと言う。
 惇との再会は、想像以上に甘やかだった。約10年ぶりに会った彼は、元々童顔なのもあるけれど、短くした髪のせいで学生みたいに見えて、その可愛らしさに思わず笑ってしまった。小柄な身体と柔和な顔立ちはそのままに、けれど人として大きくなったように感じられて嬉しくなった。
 彼の目に今の俺はどう映っているだろう──そう思う自分に驚きもした。また、惇の目を気にする日が来るなんて。
「お久しぶりです。……会いたかった」
 惇の切なげな愁眉に、俺は彼をその場で抱き締めてしまいたい気持ちを堪えるのに必死だった。俺はまだ、彼に恋をしている自分を認めざるをえなかった。

「滝澤もまだ、高橋さんのことが好きみたいですよ」
「え?」
 早田の言葉に、ドッ、と心臓が跳ねる。子供に心を弄ばれているようで苛立つが、気持ちに嘘はつけない。
 微笑んでいた早田の口元が悪戯っぽく歪む。俺はその次の言葉を待った。
「でも……すみません、俺、昨日の放課後、ここで滝澤先生のこと、抱いちゃいました」
 一瞬、何と言っているかわからなかった──ダイチャイマシタ?
「……え?」
「滝澤と、セックスしたんです。あの人、ネコですよ」
 俺の頭には、あの時の惇の顔が浮かんでいた。あの──一線を越えようとした、あの日。
 惇は俺に挿れたいと言った。けれど俺も、望みは同じだった。お互い譲らず、喧嘩にもなった。そのうち、順番に試してみようということになったが、それもダメだった。お互い欲望のやり場を見失って、お互いの想いを疑うようになり、認めたくないことだけれど、劣情に負けた。それぞれが女性と浮気をした。
「そんな……はずはない、」
「そんなの、実際してみないとわからないじゃないですか? だから、身体で教えてあげたんです」
「嘘だ、あいつは俺のことを拒んだのに、」
「だから、俺が調律してあげたんですよ。いい声で鳴けるように……あの人、可愛かったな」
 うっとりとしながら、早田は抱いていた楽器が惇であるかのようにそれに頬を寄せる。
 きっと、高校生だった俺のセックスは上手くなかった。惇の身体は俺の愛撫に応えず、硬く冷えたままだった。指を挿れただけで竦んで……それは俺が惇にされた時も同じだった。
 相手を気持ち好くさせられないことにはもちろん、俺は惇の愛撫に応えられない自分の身体が呪わしかった。それは惇も同じだったかもしれない。
「ちゃんとよがってましたよ、先生。顔真っ赤にして、蕩けた表情で……やめてくれって泣いてたけど、俺にはそうは見えなかった」
「お前、……まさか無理矢理、」
「どうでしょうね? まぁ、確かに滝澤は俺よりだいぶ小柄だけど、抵抗しようと思えばできたと思いますけど。ネクタイで手首縛ったから、ちょっと分が悪かったかな。キスして、乳首から攻めていったらすぐにおとなしくなりました。胸弱いんです、あの人。知ってました?」
 ぐ、と拳に力が入る。こいつ──惇を、無理矢理犯したのか?
 再会した時の惇の揺れた瞳、切なげに寄せられた眉には、もっと別の意味があったのではないか。過去の許しを請うたのではなく、今迫っている危険に助けを求めていたのではないか。俺の心は激しく動揺する。
 そんなことになど構わずに、早田は続けた。
「俺が突き上げる度に連続でイきまくって、先輩助けて、てうわ言聞いた時は興奮しちゃいました、俺」
 10も離れた教え子に身体を蹂躙された惇が哀れで、込み上げてくる怒りに目頭がチリチリと燃える。
「でも最後までしてあげたらすっかり陥落って感じでしたよ。俺のを奥深くまで受け入れてくれて……俺が耳元で囁くと、熱くて狭い中がきゅうって締まるんです」
「……やめろ、」
「高橋さんのことが好きなんでしょう、って囁いてあげました。あんたをここに呼んでからの滝澤見てたら、2人の関係はすぐにわかりましたから。さっきあんたに話したみたいに、過去のことで揺さぶりをかけてたんです。高橋さんの想いに身体が応えられなかったって言ってたけど……俺のでこんなに感じてるんだから、今度はきっと上手くいきますよって言ってやりました。そしたら滝澤のヤツ、泣くの必死に堪えて……そんな先生見てたら思わず、俺も中出しでイっちゃいました」
「貴様ッ!」
 俺は自分の立場も忘れて、高校生の胸倉を掴んでいた。拳を振りかぶったところではたと我に返り、息を詰める。
 早田は、いつもと変わらない冷めた目で俺を見据え、不敵に笑った。
「俺の調律のおかげで、滝澤先生の身体は準備万端ですよ。昨日ヤり過ぎたから、今日は学校休んでるみたいだけど……今ならあんたのでも気持ち好くなれるんじゃないかなぁ。ねぇ──高橋先輩?」

2017/01/22

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