Long StoryShort StoryAnecdote

見送り


「ありがとう」
「何が」
「……何だろう」
 彼は曖昧に笑う。カリカリと耳の後ろを掻く仕草は、相変わらずリスみたいだ。僕は彼の、長身に似合わないそうしたささやかな所作が、昔からとても好きだった。
 彼は少し考えた風に顎に手をあてて、あ、と瞳を輝かせた。
「俺の気持ちに、きちんとこたえてくれて」
 彼の無邪気な言葉に、僕は黙り込む。もしかしたら少し、困った顔をしていたかもしれない。何故なら僕は、彼が僕に伝えた愛の告白に対して、否と言ったのだ。彼の想いに「答え」はしたが、期待に「応え」てはいない。
 僕の心中を察したのか、彼は「いやいや、」と胸の前で小さく両手を振る。それもまた、リスみたいに。
「ダメだって、フラれたんだって、ちゃんとわかってるよ。今までこんなに真面目に、面と向かって返事をくれた人いなかったから」
「……そうなんだ」
 僕以外にも、過去に好きな男がいたのか。不思議なことに、一瞬そんな考えが浮かび、心の奥がざわついた。
 異性愛よりは困難だったにせよ、過去に同性との恋愛遍歴があったって何もおかしくない。二十代も半ばを過ぎた男だ、むしろそれが普通だろう。まして彼は、同性に興味を持ったことがない僕から見ても、魅力的な男だ。けれど彼は今まで、そんな相談を僕に持ちかけてはくれなかった。
 どうして僕なんかを好きになったりしたんだ。どうしてそれを今更になって言うんだ。八つ当たりのように、そんな思いがよぎる。僕は、嫉妬しているのだろうか? 彼が好きになった、過去の男達に。
 俯きがちに自問していた僕の頭上で、ふっと、柔らかいため息が漏れた。訝しげに見やると、彼はくすぐったくなるような半月の目で僕を見つめていた。
「そういう真面目なところが、やっぱりすごく好きだな」
「は……」
 思わず絶句する。顔が熱い。僕は何だか変な顔で笑ってしまう。
「や、めろよ。照れるよ、そんなの」
「はは、耳まで真っ赤。正直なところも好きだよ」
「やめろったら……もう、」
 耳朶を爪先で弾かれて、仕返しに彼の薄い胸を叩く。ひとしきり笑いがおさまると、用意していた台詞を口にした。
「お前なら、僕なんかよりずっといい人が見つかるよ」
 月並みだと思うが、慰めの言葉はそれくらいしか思いつかなかった。というより、僕にフラれたことが果たして彼にとってそれほど打撃になるのか、よくわからない。
 彼の言葉を信じるなら、高校時代から10年越しの想いだ。その間、僕は自分の恋愛相談ばかり彼に聞かせていたけれど、彼はいつだって適切で真摯なアドバイスを僕にくれた。
「ありがとう。きっとしばらくは、寝込むけど」
 彼は照れ臭そうにそうに言って笑う。僕の目には、彼は平気そうに見えた。
「そうだ、」
 彼は片方の肩に提げていたリュックを下ろすと、ガサゴソと中を漁る。そこからひょいと目的の物を見つけると、僕の眼前に差し出した。
 それは、胡桃の写真がパッケージのCDだった。
「……何?」
「前に話してたおすすめのジャズ。お詫びと言ったらなんだけど、よかったら受け取ってくれないかな」
「お詫びなんて言い方ないだろ。僕は、」
 嬉しかったのに、と言いかけてはっとして息を飲む。
 フッたクセに、そんなこと言って期待持たせる男なんてサイテー。
 過去にしてきた恋愛相談で、幼馴染みの女友達に責められた記憶が蘇る。そうだった。僕はいつだって、僕を好きになってくれる人に弱い。こんな人、これから先現れるだろうか? どうしたって、後ろ髪を引かれるような気持ちになる。
 差し出されたCDにおずおずと手を伸ばしながら、僕は逆に、彼の後ろ髪を引いているような心地がした。
「……ありがとう。聴いてみるよ」
「気に入ってもらえるといいんだけど」
 彼は僕のぎこちない笑みに気づいた様子もなく、明るく微笑むと、大きなリュックを背負い直した。
 彼はこれから、住み慣れたこの土地を離れて、遠く北の方へ行く。高校を卒業してから、大学、会社と生活が変わる度に会う頻度は減っていたけれど、それでも身体がこの街にないのは寂しく感じる。
「それじゃあ」
「ああ、また……」
 慌てて、さよなら、とつけ足す。もうきっと会わない。会わないほうがいい。僕はまた、引っ張られそうになっている。けれど彼は、さよならとは言わなかった。

 空港の搭乗口に向けて小さくなっていく背中を見送りながら、彼に深く傷ついて欲しい、そう思っていた。
 手の中の胡桃は、さよならの代わりだ。このCDをかける度に、彼の小動物のような仕草を、思い出すことになるのだろう。

2016/09/10

Main
─ Advertisement ─
ALICE+