Long StoryShort StoryAnecdote

Listen to Silence


「まだ口が利けないのか?」
「あの事件のショックで……仕方ないでしょう、目の前で両親を殺されたんですから」
 確かまだ13歳だったはずだ。東洋人との混色、棒みたいな手足の黒髪の少年。
 上等な服を纏った彼は所在なげに窓辺に佇み、カーテンのタッセルを指で弄っている。視線は土砂降りの窓外に投げたまま。

 長年ロスの麻薬捜査官をやって来たから、汚れた修羅場を山ほど潜り抜けてきたつもりだが、ここの殺人課はまた空気が違う。どんなヤクよりも強い、血の臭い。俺のヤニ臭いコートが血に染まるのも時間の問題だろう。
 この強盗殺人事件は俺がブルックリンに配属されて最初のヤマだ。捜査の末、犯人を潜伏中の廃墟に追い詰めたが、相棒を人質に取られた。射撃に自信のあった俺は犯人を射殺し、事件は一件落着……のはずだが。
「犯人が死んだところで、ご主人様は戻りません。坊っちゃんの心も……」
 少年の家に長年仕えている実直な男が言う。
 この地域では珍しい、執事も雇える裕福な家庭。それ故に狙われたのだろう。大手実業家だった少年の父親は、この地域の慈善事業にも積極的に出資していたというのに、皮肉なことだ。
「坊っちゃんはあれから、夜も魘されて眠れないようです」
 少年の細い手首には、白い包帯が巻かれていた。警察病院で自殺未遂を図ったのだ。
「いっそ死んだ方がマシだったかもな」
 相棒がしゃがれた声でボヤくのは俺にも耳障りだったが、執事は眉を顰めただけで反論はしなかった。こいつもきっとそう思っているんだろう。いっそ殺してくれていたら、天国で両親と一緒にいられただろうに。
 相棒の呟きが届いたのか、少年は弾かれたようにその場を離れ、自室へとこもってしまった。
「彼のそばにいてやってください」
 励ますように肩を叩くと、執事は瞳を潤ませ深々と頭を下げた。

 外回りをするという相棒を残して署に戻ると、俺は地下資料室へ潜った。事件の証拠物品を保管する手続きのためだったが、手前のビデオルームに人気があった。ブラインドは下ろされているが、チラつく光の動きで複数人いるのは遠目にもわかる。
 俺は妙に思い、窓際に寄る。隙間から垣間見えた映像に、全身の血が沸騰した。
「お前ら、何してる!」
 勢いよく部屋のドアを押し開けると、ビデオの音声の濁流に飲み込まれた。
『いや、いやぁ! あ、あっ、痛い、やめ、てやめて、いやあぁっ』
 スクリーンに映し出されていたのは事件のあった部屋だった。少年の上に、黒ずくめの覆面男が馬乗りになって腰を振っている。例の事件現場に残されていた監視カメラの映像だ。
 現場に踏み込んだ時のことはよく覚えている。犯人はすでに逃走した後で、冷たい肉塊と化した男女が血溜まりの中でこと切れていた。そしてその片隅に、血まみれになって俯せに倒れていた少年。
 慌てて駆け寄り首筋に手を当てると、脈ははっきりとあった。しかし――少年の衣服は乱れ、彼自身の血は、剥き出しの尻から太腿にかけて精液混じりに伝っていた。
『助けて、……ひ、ぃっ……やめ、て……お願い、……あ、あっ』
 はぁはぁと男の荒い呼吸が響き、少年を突き上げる動きが激しくなる。
『あっ、あっ……いや、も……やめ、てぇ……ひぁあっ!』
 男が低く呻いて少年の中で果てるところは俺も1度目にしていたが、再演される前にプロジェクターのケーブルを引っこ抜いた。
「一体どういうつもりだ、え? こんなところに集まって、キッズ・ポルノでマスかこうってのか!?」
「勘違いするな、新入り」
 年かさの男が煙草を灰皿に押しつけながら言う。
「俺達はこの事件を再調査してるんだ」
「再調査……?」
 眼鏡の男がラップトップのボリュームを上げる。再び少年の悲痛な叫びが響き渡り、俺はぎっと睨みつけた。
 年かさは苦い顔を作ったまま、深く溜め息をつくと髪の毛をくしゃり混ぜながら言う。
「お前が射殺した男のDNAだがな、犯人の精液と一致しなかったんだ」
 俺は一瞬、何を言われているかわからなかった。それから、冷水を浴びせられたような心地になって言葉を失う。
「――何だと?」
「あいつはただのゴロツキだったんだよ」
 心臓が速くなる。俺が撃ったのは真犯人じゃなかっただと? じゃあ、無関係な市民を殺害し、いたいけな少年をレイプした犯人はまだ外を自由に闊歩しているっていうのか。
「冗談じゃない、その結果は本当なのか?」
「もちろん。だが、他に目ぼしい人間がいなくてな」
「……あの執事の男は?」
 犯行当時、偶然1人だけ家を出ていた男。買い出しに行っていたと証言していたが――しかし、男達は首を横に振る。
「初動の段階で当然聴取をしてる。ヤツは違う」
『はぁ、んっ……あっ、いやぁ……あっ……あ、はぁ……あんっ』
 部屋に溢れる悲鳴はいつしか甘い喘ぎに変わり、犯人のしゃがれた呻き声が少年の名前を呼んだ。

 ドアの鍵は空いていた。俺は足音を潜めて中に入ると、銃を構えて室内を見渡す。
 仲間達の制止の声を振り切り単身でやって来た俺がそこで見たのは、あの日のリアルタイムの再現――血溜まりの中に、執事の男が倒れている。そして、その赤黒い海の隅に、男の背中があった。
「は、あっ……あ、はぁ、んっ」
 男の肩に担ぎ上げられた細い足。腰を振る男に華奢な身体を組み敷かれ、高い喘ぎ声を発している少年。
 男は俺に気付かず、欲望に取り憑かれたように腰を振りたくっていた。
「まさか、俺の声を覚えてたとはな。顔色変えて逃げやがって」
「うあっ……あ、ひ……っン、」
「どうだ、前よりいいだろう? お前も感じてるじゃないか。声も出るようになったじゃないか」
「ひ、ぃ……っ、あン、あぐ、あひっ」
「また天国を見せてやるからな……!」
「あぁっ! ひぃ……っ! ひっ……んぁ……っ、……ひ……ぃぃ……っ!」
「くぅ、うーっ! し、締まる……っ」
 しゃがれた声。どうして気付かなかったんだろう。俺はベレッタの安全装置をはずす。その音を聞きつけた男の動きが止まる。
「お前だったとはな」
 後頭部に銃口を押しつける。今度は、間違えない。
 男の肩越しに、涙と涎で顔を汚した少年が虚ろに俺を見上げている。モスグリーンの瞳は何を見ているだろう。
 薄く開かれた唇から切なげな声が漏れた。目尻からほろりと涙が流れ、幼い眉間に皺が寄る。
 ――俺はまだ、この子の魂を助けられるだろうか?
 捜査官の犯行だと知れれば、上はこのヤマを揉み消しにかかるだろう。この男は野放しか? それなら、俺が手を汚すまでだ。……なに、俺の手が汚れてるのは今に始まったことじゃない。
 丁度いい具合にコカインが回っている。前にいたところですっかり馴染んでしまった麻薬から抜けらない俺は、この男と大して変わらないのかもしれないが。
「……待ってくれ、相棒、」
「目を閉じてろ」
 俺は少年が命令に従うのを待って、引き金を引いた。

2017/07/17

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