光学迷彩

01

ただ、本物かどうか確かめる。
 それだけの為に太陽に嫌われる体になったガリカは「なんだ、こんなものか」と――きっと、呆気なさすぎる台詞を吐いた。
 それから続けざまに彼が言ったのは「仕事どうしようかな」なんて、およそ吸血鬼になったばかりの男とは思えない言葉だった。
 ほんの気まぐれでシチリアに着いてきていた彼の友人は、「お前、ほんと、マジに有り得ねーぜ」と顔を引き攣らせた。

 ――仕事をどうするか。
 その解決案の一つとして、ガリカはぽつりと呟いた。
「カジノでもやるかな」

 太陽の元でえっちらおっちら仕事をするワケにもいかない彼にとって、夜間の運営で事足りるカジノは魅力的な仕事だった。『問答無用で約束を守らせる』彼のスタンドがあれば、CEO――最高経営責任者の立場を横取りすることなんて簡単なことである。
 シチリアで友人と別れたガリカは、スタンドでほんのちょっぴりズルをして、北イタリアのサン=ヴァンサンにあるカジノホテルの経営権を『譲ってもらった』。それが1993年のこと。彼の肉体は時を止めていたが、精神はおよそ二十二年の時が経っていた。

 しかし、イタリアと言えばギャング・パッショーネの支配する土地。そんな場所で個人の利益を『勝手』に得られる訳もない。カジノの経営を初めてからたった一年で、パッショーネからの勧誘は始まった。
 勿論、勧誘とは名ばかりの脅しである。
 権利を寄越すかパッショーネに入団して分け前を寄こすか。面倒な二択を迫られたガリカは、結局後者を選ぶことにした。ガリカにとって、ギャングだろうがカタギだろうが、そんなことはちっぽけな違いであった。

 ガリカはその『問答無用で約束を守らせる』スタンドの能力と、それから話術と思考能力が巧みであった為に、組織に入団してからたった一年で高い評価を得た。
 ガリカの人生の目標は、趣味も仕事も『そつなくこなす』ことだった。
 カジノの経営はガリカの手の内のまんま、彼は賭博管理の大元であるポルポの部下として働き、それなりの利益を得て、それなりの生活をしていた。昼の一時に目を覚まし、午後六時から出勤し、朝の四時に帰宅する生活だったが、ガリカはそれで満足していた。カジノの利益の六割はポルポの手に渡ったが、残りの四割はガリカの手に残る。それで十分と言えるほど、ガリカの稼ぎは相当なものだった。

 激しい喜びも無ければ、深い絶望もない。
 そんな平穏な生活が見事にブッ壊されたのは、パッショーネに所属してから二年後。彼の精神の年齢が、二十七に差し掛かった年の春のことだ。

 ――五年。
 ガリカの平穏は、そう長くは続かなかった。
 


 深夜一時。ガリカは、ふと顔を上げた。
 手に持った書類を机に置いて、ふらふらとさ迷わせていな万年筆をペンスタンドに戻す。
 その様子に、扉の傍に立つ黒服が眉を寄せた。

「…………」
「シニョーレ、どうしました?」
「…………今、叫び声が聞こえたと思ったんだが」

 ガリカの経営するカジノ――『デ・ヴェラ』は十階建てのホテルである。一階には受付と、テーブルカジノホールがあり、二階はスロットエリア。サンヴァンサンが温泉保養地ということもあり、スパは当然最上級のものであるし、レストランだってそれ相応のもの。だからこそ普段のこの時間は『人の叫び声』なんて気にかける必要がないほど、どの階だって騒がしい。彼の執務室のある十階以外は。
 けれども今日は休業日であり、よっぽどの事が無い限り部下である従業員だって家でゆっくり過ごしてもらっている。だから、ガリカは片眉を上げた。

「まさか。今日は貴方と私、……それから、外の二人以外は皆休みを取らせている筈ですが」
「だよなァ。俺もそうだと思ってたんだぜ。だから驚いてるんだ。お前は何か聞こえなかったか?」
「……いえ、私は、何も」

 ガリカは、深い溜息を吐いた。
 頭を犬のようにブルブルと振って、眉間に皺を寄せたまま立ち上がる。彼の手は、後ろのコートハンガーに掛かった帽子に伸びる。
「見に行こう。それが良い選択の筈だぜ。気になって朝しか眠れなくなりそうだ」
「あッ、いえ!シニョーレの手を煩わせずとも私が……ッ」
「言ったろう、眠れなくなると。十階全てを確認する訳にはいかないが、――まァ、そうだな。二階と一階くらいは見に行こうじゃないか。鼠が紛れ込んでいるとも限らない」

 引き止める黒服の手を払って、ガリカが執務室の扉に手をかけると、黒服はゴクリと生唾を飲んだ。ガリカはそれをチラリと確認して、何も言わずに扉を開けた。追求は、面倒だった。

「あ、ジャケット忘れた」

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