光学迷彩

02

 あァ、これは絶句すべきなのか?
 部下にならって冷や汗を垂らして、ガクガク小鹿のように震えるべきなのか?

 ガリカはそう思ったが、結局彼は目を見開く程度に留めてしまった。
 驚いていない。そんなことは、ない。
 煌びやかなカジノホールが血なまぐさい空間に早変わりしていれば、そりゃ、驚くだろう。

「これは………………」

 ホールに倒れている人数は、ザッと数えて十五人。カードテーブルにくずおれて、口からとろみのある血を流し続けているもの。床にぷっくりと膨らんだ血液と、それが引きずられた先に、悶絶した様子で息絶えたもの。バーカウンターの椅子にすがりついているが、喉がぐっぱりと裂けているもの。誰も彼もが死んでいて、誰も彼もが、ガリカの記憶にある者たちばかりだった。彼らはガリカの部下であり、このホテルの従業員である。つまりは、パッショーネの一員だ。

「お、おおお、おおおお」

 ガリカに付いていた黒服が、筆舌しがたい声をあげて、震える足を一歩前へ。伸ばした手の先にいたのはパンツスーツを着た女で、ガリカは、彼と彼女が恋仲であったことを思い出した。女は眼球から釘が飛び出していた。
「(…………ん、飛び出していた=H)」
 ガリカは、彼女の死体に、不思議な『不条理』を覚える。即ち、『普通は、逆じゃあないのか』ということ。即ち、釘の切っ先はこちらを向くべきじゃあないということ。

「おいドッティ!迂闊に動くんじゃあないッ!!」

 不条理を条理とするもの――スタンドの存在を察知したガリカはすぐに声を張り上げたが、時は、既に、遅い。

「ベッラ、ベッラ、おれの、おれれ、の、ベッぇ、ぇ、ェ゛が、……ッ!」
 黒服――ガリカが「ドッティ」と呼んだ男の首の皮が、突然真っ直ぐに伸び始めた。風船を内側から貫こうとする針のようだった。
 どういう原理か、それは留まることはなく、ドッティが首を掻き毟ろうが、呻き声をあげようが、真っ直ぐに伸び続ける。
 『内側』から何かが喉を貫こうとしているなら、その痛みは想像を絶する。
「おいドッティ!!」
 男の膝が崩れる。同時に、彼の喉から、銀色の針の切っ先が顔を出した。
「あ゛、ァ゛あああ゛、ッ……!!」

 まるで蛇口を捻ったようだ。

 膝を折ったまま仰け反って、喉から勢いよく針を吹き出す男。ガリカは、それに顔を顰める。それから「酷いな」と言う。
 ガリカの感想は、心からのものだ。奮う暴力があまりにも理不尽で、あまりにも唐突で、あまりにも苦痛を伴う凄惨なそれであったから、ガリカは「酷いな」と言ったのだ。
 ガリカは、じんわりと滲む哀愁と共に彼の名前を呼ぶと、やがて顔を上げた。

「スタンド使い≠セな。何処にいるのか知らないが」

 ――――シン。
 答えは返ってこない。それを既に予想していたガリカは、慎重に、足を一歩踏み出した。
 『射程距離』を見極める為だ。

「――――ぐ、ッ、う……!」
 伸ばした足の、親指の先。爪と爪の間。大量の神経が集中して、それでいて柔らかい部分。その神経を無理やり細いものに広げられて、裂かれる痛み。
 ガリカの肌に、ぶわりと冷や汗が浮かぶ。
「(すぐ近くに、隠れているのか……それとも、中、遠距離のスタンドなのか…………)」
 頭の中の冷静を取りこぼさず。けれども、じくじくと足の痛みは強くなる。針が皮膚を破る激痛にガリカがジャケットの裾を強く握ったとき、ガリカの膝が、突然ガクンッ!と折れた。
「ッ、!?!?」
 一足遅く、足首から血の噴水。ずるりとズレる足首とふくらはぎ。倒れ込む自分の体と、ゆっくりと顔を出す「切断面」。足首を切られた≠フだと、理解に時間は掛からなかった。

「うぐぁ、ッ!!」

 ベシャリと、ガリカは地面に倒れ込む。
「が、ッ、……ぉい、……っげほ、ッぉえ、ッ……!!」
 倒れてしまえば、今度は喉の奥から剥き出しのカミソリやら、釘やら、小さな刃物が濁流のように吐き出される。その度に描き毟られるやわらかい喉奥は止めどない引っかき傷を残し、火傷のように熱く痛む。それを耐えようと地面に手をつけば、今度は手首から鋏の刃が突き出した。
「う、ぉおおお……ッ!!マジにふざけたヤローだッ!なんてスタンド能力してやがるッ!!」
 『姿も見えないなんて反則だろうが』、と言おうとして、その声と喉を潰されて、ガリカは再び蹲った。ガリカが声を出すのを止めれば、その場はただの静寂になる。これだけ痛めつけておいて、犯人≠ヘ一言も喋る様子は無さそうだ。それに歯ぎしりをしたガリカは、我慢も限界だと叫ぶ。
「オイッ!どこに隠れてるかは知らねーが、スタンド使いのアンタ!!こいつァ無駄だから止めてくれッ!こんなんじゃあ♂エは痛いだけだッ!!死にゃしねぇんだよッ!!」
 手首から飛び出した鋏を、半ばヤケクソで、ガリカは床にぶん投げた。カランカラン、と乾いた音がして、それは転がっていく。
 
「ッはぁ、……っ、……はぁーーーッ……」

 ずる、とガリカは足を引きずった。そして、直後に『ばき』『べき』と怪しい音がする。転がった足首の切断面を合わせれば、『人間ではない』ガリカの体は勝手に修復を始めた。

 それに目を剥いたのは、彼に攻撃を仕掛けていたスタンド使いだ。彼は歪な音を立てて回復していくガリカの体をジッと睨んでいた。彼は、ガリカのそれを『スタンド能力』だと睨んだが――だとして。ガリカの言う通り痛いだけで無駄≠ネのであれば、どうするか。彼はそんなことを、考えていた。

「恨みを買うようなことは…………そうだな、結構してるモンで、君が何処の誰だとか、いつの何の恨みなのか、なんてサッパリスッキリ分からないんだが」
 ガリカは、貧血でくらりとする体に目眩を覚えながら、それでも再び立ち上がった。足首を軽く回して、修復したことを確認する。倒れた時に落ちた帽子を取って、埃を払う。
「一応聞いておこう――君は、どうしてこんな事を?」
 ガリカの目は、自身に与えられた暴力ではなく、彼の部下に向けられた死に対してそれを訴えた。細めた目が一人一人の遺体へ向かって、僅かながらに悲しみが滲み、「答えるわけないかぁ」と静かに呟く。

 攻撃者であるスタンド使いが、彼の言葉に眉を寄せた。
 そのたった一秒後に、ガリカのジャケットから携帯電話の音がけたたましく、鳴り響く。
「ん!?何だよこんな時間に。非常識な奴もいたもんだな」
 ガリカは、怪訝を顕にしながら、姿も見えないスタンド使いに向かって手を向けた。『ちょっとばかし時間をくれ』という――攻撃されている人間にはありえないジェスチャーだ。スタンド使いの男は、より一層顰めっ面になった。

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