EX
いたわり
男のくちびるが、そういった。
ガリカはぼんやりと、「こういうのを口車と呼ぶんだろうな」と思っていた。
「ガリカくん」
仕事に必要な情報を取りに来たあと、その男に呼び出された。パソコンの明かりしかない部屋で、「座って」と促されて、提案された話は、嘘だか本当だかつかない話。正直なところ、あの慎重で完璧なリゾット・ネエロからは想像もつかない話。ガリカは「うそだろう、それ」という言葉をひっこめて、空気と一緒に呑み込んだ。
万に一、という可能性を考えたのではない。
ただ、「リゾット・ネエロのためだ」と言われてしまうと。ガリカはどうしても、その言葉に抗いきることができなかった。
ひどく甘い誘惑だった。妖艶な女性よりも、度数の強いアルコールよりも、法で禁止されているドラッグよりも。目眩がするくらい、ガリカの思考はその言葉にくらりと傾く。
結局ガリカは、男に、てを、ひかれてしまった。
「あ、
くらやみのなかで、顔はみえない。
声がする。声だけ。
触れる感触があって、首筋がぶるりとふるえて、一瞬、「殺してやろうか」と考えた。
「可愛いな、ガリカくんは」
あ。
あ。
あ。
自分の声も、男の声も、気持ち悪かった。
言う事を聞いたことに、ちょっとした後悔を覚えた。
やっぱり、殺しておけばよかったかもしれない。
「……………、…」
夜中のうちに、ガリカは自分の家へと戻った。バッグはソファの上に置いた。カーテンを全部しめきって、服を雑に脱いで、床に山にして、靴を適当に放りなげて、ベッドに倒れ込んだ。
素肌で触れる自宅の布団は滑らかで、妙に心地が良かった。ザワザワとした名残だけが不快として残っていて、ガリカはそれを退けるために強く布団を引き寄せた。
泥のような眠りだった。体の疲労というよりも、頭の疲労が激しかった。
「……………………」
眠りの中で考える。
何のために『あんなこと』をしたのか。何が理由で引かれた手に抗わなかったのか。
決まっている。リゾット・ネエロのためだ。
――否。
違う。あれが『口車』で、『嘘』で『適当』なことは理解していた筈だ。
ならば何の為だったのか。
理由はいつも口の中にある。ガリカは、それをいつも空気と一緒に呑み込んでしまう。
あ。
あ。
あ。
――眠りの中で、気味の悪い声が、反響している。
「おい」
布団を剥ぎ取られたのと一緒に、思考も一緒に剥ぎ取られた。
「おれ、きみに合鍵渡してたっけ」
「……………………」
「あぁ、すたんどで勝手に開けたな?不法侵入だぞ、それ」
目をうすらと開けて、ガリカは男を、リゾットを見上げた。彼と目はあわなかった。多分、きっと、リゾットはガリカの体に残った痕を見ていた。
「…………任務の、報告を、まだ聞いていない」
ずるり。
重たく、抵抗を覚えながら、リゾットはゆっくりとガリカの目を見た。痕は視界に入れたまんまだった。ぎしりという音を立てて、リゾットはベッドの端に座る。
「そうだった。ごめんな、午前中までに済ませるから、すこし待ってくれ」
リゾットが持っていった布団に手を伸ばす。引っ張る。すると、思いのほか布団の略奪には成功した。ガリカはちいさく「さむいな」と言った。
「ガリカ」
――せめられている。
「なんだ、それは」
それは恐ろしい声だったが、気味の悪い声ではなかった。だからガリカは緩慢に視線を彼に戻して、くい、と、口の端をあげた。
「きみの為だと、いわれた」
きゅう、とちいさくなる瞳孔。ほんのすこしだけ、開いたくちびる。長い睫毛の隙間から覗く柘榴の色が、一瞬だけ罪悪にそまって、余計に視線が重たくなって。
背中が、ぞくりと、震えた気がした。
「ガリカ」
「あぁ」
「ふざけたことを、するな」
「――――あぁ、ごめんな」
まだ睡眠がたりない。怠さが残る体を無理やり持ちあげて、ガリカは上体を起こした。温度の無い手を伸ばして、その硬い頬を撫でた。伏せられた瞳のかたちが、あんまりにも綺麗だった。
「(また傷つけた)」
その動揺した瞳。罪悪に浸った声色。腹の底に滲む怒り。自身にむけられた、どうしようもない、形容しがたいぐるぐるとした感情のかたまり。その姿が垣間見えると、ガリカはどうしてもダメになってしまう。
ひどく甘い誘惑だった。妖艶な女性よりも、度数の強いアルコールよりも、法で禁止されているドラッグよりも。目眩がするくらい、ガリカの思考はくらりと傾く。
「(まずいな、これは)」
――どうせ、多分、また繰り返す。
ガリカはその言葉を、空気と一緒に呑み込んだ。
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