↑ Aha, but that's just my imagination ↑

07

 朝七時。

 春風に肩を叩かれたような、そんな目覚めだった。

「………………」

 着替えを、乾いたいつものそれに変えて、借りている靴を履く。ネルは、「そのまま使ってもらって構わない」と言っていた。いつもより視界は低いが、歩くのに支障はない。昨日で随分と慣れた。それでも重たい足取りで、部屋を出る。
「おはよう」
「おはよう、ございます」
 リビングにはネルが一人。見回しても、メルの姿はない。
「メルは?」
「この時間はプラトー通りにいる」
 ――見回りだ、と、ネルは付け足した。

「それでは、行こうか」

 テーブルには昨日と同じマグカップ。ネルの分だけ用意されたそれ。家を出る時にふと気になってキッチンを覗くと、置いておいた筈のカレーの鍋は無くなっていた。

 ――時は、バロック歴五〇〇年。
 ライアール共和国は『カレルヴォ・デ・バロック』という男の支配の下にあった。ライアールは共和国を謡いながら、最高執政官に全てが委ねられる政治構造にあった。それが五〇〇年。バロックの名のもとにライアールの五〇〇年があったのである。
 であれば、当然反バロック派も湧くのが民衆というもの。五〇一年ほど前からバロックと対峙し続けていた歴史を持つイグノラスを中心として、ライアール共和国にも反政府組織があった。

 ライアールの街並みは昨日と変わらない。半歩と少し。ちょうどいい距離を空けながら、ネルは椿の前を歩く。
 ライアールの建物は、石灰の白い壁と青色の扉で統一されていた。並んで歩くには少し狭い道を通りぬけて、大きな通りに出ると、道がゆるやかな階段状に変わる。ふと思い立って椿が振り返れば、強い海風と共に視界に入ってきたのは青い海だ。

 ――しかし、バロック歴五〇〇年の春半ば。反バロック派のリーダーであるイグノラスの失踪を機に、反バロック派は過激派と穏健派に別れてしまう。過激派の活動は著しく街に損害を与え、ネルやメル、ルドゥやエルゴーといった、ライアールの自衛の為の軍人が毎日のように争いを諌めることになった。時に捕え、時に情報を吐かせ、時に殺し。それから丸一年、ライアールは内戦の絶えない国となる。

 朝のライアールも、まばらに人が出歩いていた。こじんまりしたカフェのテラス席では、大学生くらいの女の子ふたりがケーキの皿を空にしておしゃべりに花を咲かせている。雑貨屋らしき建物の店員と窓ガラス越しに目が合って、軽い会釈をする。雑貨屋の隣で売られているものが、やはり『レコード』だと確信して、生唾を飲み込む。

 ――しかし、失踪から一年後、イグノラスはナツキという男と共に反バロック派にある情報を持ち帰った。
「やっぱなぁ、バロックの男なんか信用するんじゃあ無かったわ」
「大人しくてきなくせぇと思っとったら、トンデモねぇこと考えて、まぁ」
「国民全員の思考と行動の制御なんて、」

 町は波のように生きている。

 自分が残した言葉は死んでいた。昨日と全く変わらぬ光景を見て、椿はそう思った。

 お喋りに花を咲かせている女の子たちの髪型や服装はまるきり同じで、座っている席だって同じで、空になった皿も同じで。やたらと目の合う雑貨屋はやはり同じ角度でお辞儀をしていて。よく見れば、誰も彼もが立っている場所も同じで、向いている方向も同じで、変わっているのは、目の前の男だけだった。

 ――ネルは、何も言わない。

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