この物騒な世界……プロハンターの世界に飛び込んで五年が過ぎた。金銭感覚は既に桁三つ分ほど狂っている。なかなかどうして、命の危険とは切っても切れない仲良しこよしさんだったのだが、のらりくらりと躱しながらどうにか今日まで生き延びることができた。それもこれも、全ては弟のお陰である。
「今回もハズレ、か」
走り書きのメモをぐしゃりと握り潰し、深い溜め息をひとつ。都心のど真ん中にあって喧噪とは切り離されたような、風の音しか聞こえない高層ビルの屋上。目を刺す明かりは眼下にしかない。顔を上げれば広がるのは薄暗い闇ばかり。赤い光がゆっくりと明滅を繰り返す。機械的なようで、何かの息遣いのようで。割と好きな光景ではあった。
「ったく、無駄に広過ぎるんだよな。世界ってのは」
探し物が見つからない。捜索範囲は全世界。なんてワールドワイドなお話か。これだけ広くちゃ流石の親父の能力にも引っ掛かってこねえし、またハズレだし……。
苛立ちに任せて紙を細切れになるまで引き千切る。そりゃもうびりっびりにな。どうせこれはもう1ジェニーの価値もない情報だ。万が一誰かに見られようと構わない。
一通り千切り終えたところで閉じていた両手を大袈裟に広げた。ビル風に乗って紙が舞い散る。あーあ。これでまた振り出しだ。
「こんな所でゴミのポイ捨てか?兄ちゃんよ」
ビルの隙間を縫うように飛んでいく紙切れをぼんやりと眺めていたら、不意に声をかけられた。若い男の声。見なくとも分かる。背中にびしばし当たる不穏な気配。これは相当な使い手と見た。見てないけど。
男は「無視かよ」と不機嫌そうな声を漏らしながらもこちらへと近付いて来た。やだやだ、これ絶対短気な人じゃん。吐き出したくなる溜め息をどうにか飲み下し、ゆっくりと振り返る。
金髪眉なし、挑発的な笑み、好戦的なオーラ。十中八九短気だ、こいつ。人を見かけで判断しちゃいけません!なんて言葉もあるが、俺は己のインスピレーションを大事にしているのでここは素直に直感に従うとしよう。
「喧嘩なら買わねえぞ」
「つれねえな」
え、マジで喧嘩売る気だったの?俺何もしてなくね?
強いて言うなればゴミのポイ捨てはしていたが、この人相で清掃員ということもあるまい。正義感が強いタイプにも見えないし怒られる筋合いはない。
しかしどうやって逃げたものか。後ろはフェンスを挟んで崖っぷち。前には眉なしの男を挟んで遠くに扉。あるいは男を殴って逃げるという手もある。……うん、それはなしだな。暴力はいかん。
「……お前、ここの警備の人間じゃねえのか?」
「警備?」
男が首を傾げる。俺も首を傾げる。今日は仕事を入れていない日だから警備どうのと言われる謂れはないはずだ。念のためスケジュール帳を広げる。うん。仕事の予定は何も書かれていない。オフだ。
「俺は気晴らしにここへ来ただけだ」
「ああ、なんとかと煙は高い所って言うしな」
「喧嘩なら買うぞコラ!」
「買わねえんじゃなかったのかよ」
それはそれ、これはこれ。言い訳の常套句を口にしながら腰裏のホルスターへと意識を向ける。弾は全部入れてたはずだから、適当にぶっ放して煙に撒くか。残念ながらシリンダーが空になっている銃はひとつもない。仕事ではなかったので二丁しか持ち歩いていない。面倒臭えなあ、もう。オーラを見る限り実力差はそうないように感じるけど、念能力者同士の戦闘においてはそれすらもあまりあてにはならないし……やっぱり面倒臭え!
拳を包むようにして指を鳴らし、すっかり戦闘体勢に入ってしまった男を見て顰めっ面を作る。能力は、範囲は、初速は。下手にタメを作って間合いを詰められるのはあまりよろしくない。ここはさっさと……。
「フィンクス。そろそろ引き上げるわよ」
まるで俺の言葉の続きを代わりに繋いだかのような声。男が後ろを振り向く。俺もゆっくりと、視線をそちらへ向けた。そしてそこにいた金髪ボインの女性に、俺は言葉を失った。
特徴的な鷲鼻、さらさらの金糸、気怠げな目、何よりも豊満な胸!バスト!おっぱい!!……負けた!戦う前から負けた!あんな彼女が!俺も欲しい……!!
今すぐにでも崩れ落ちたがる膝を叱咤して必死でその場に留まった。駄目だ、こんなところで挫けてはならない。せめてあの男の息子のひとつふたつ刈るまでは……!
「仕方ねえ、一分待ってろ」
「……その男は?」
「知らん。が、下にいた奴らよりはマシそうだったんでな」
「……あと五十五秒よ」
「おっしゃ!話が早くて助かるぜ!」
なんだその以心伝心っぽいの!くっそ羨ましい!「ねえ、そんな奴よりあたしと遊ばない?」とかそういうのか!くっそ羨ましい!息子もげろ!
「天誅!!」
「どわ!?てめえいきなりかよ!!」
「爆ぜろ!!」
「おいこらどこ狙ってんだてめえ!!殺すぞ!!」
「うるせえ!!玉なしにしてやろうか!!」
「もう狙ってんじゃねえか!!」
「あと四十秒」
「チッ!」
愛用のリボルバーを両手に構え、念を纏わせた銃弾を撃ち出す。何の変哲もないただの周だが嫉妬やら憎悪やらによって威力は増している。当然、こんなものが息子に命中すればひとタマりもないだろう。あ、俺今上手いこと言ったかも。
「ニヤけてるんじゃ、ねえ!!」
「っしょーい!?危ねえじゃねえかおい!!前髪散ったぞ!!」
「そのまま丸坊主にしてやろう、か!!」
「ならお前は虎刈り、な!!」
眉なしの男の単調な殴り。ただし、その拳に乗せられたオーラ量はえげつない。前言を撤回しよう。こいつ俺より強いかも。それに俺は放出系だし、近距離戦は得意じゃない。
わざとらしく、残りの弾がないと分かっていながら撃鉄を落とす。発砲音のしない銃に目を見開き、眉なし野郎から一気に距離を取った。更にシリンダーから空の薬莢を落とせば「弾切れか?」ですって奥さん!にやけちゃってまあ恥ずかしい!素人じゃあるまいし残りの弾数くらい把握してるに決まってるっつーの!
尚もタマなし(予定)野郎が勘違いしているのをいいことに、敵わないと判断して逃げ出す哀れな野兎を演じる。半身を返して走り出し、自分の体で隠すようにして念弾を装填。俺の能力『多彩なる追撃者(カラフル・バレット)』は直接薬室に念弾を込めるのでわざわざシリンダーを開ける必要はない。銃がなければ使用できないのがタマに傷だが今さら変えられるようなものでもないので仕方ない、というよりどうでもいい。
「待てよ!もう少し遊ぼうじゃねえか!!」
「嫌なこった!」
装填したのはカラフル・バレットの内のひとつ、『ガンマンの子守唄(スリーピングバレット)』。早い話が麻酔弾だ。頭部に命中させなければ発動しない、睡眠時間はオーラ量の差に比例する、という制約はあるがこいつ相手でも数分間意識を奪うくらいのことはできる。
脇の下を通すようにして突き出した銃口を奴の額に向ける。既に拳の届く距離、しかもオーラが乗った状態で振り被られていてちょっとびびったが、ここから回避行動に入るのは難しいと考えれば好都合。勝負あったな!
「グッナイベイビー!いい夢見ろよ!」
「なっ、」
ボイ……金髪の女性が男の名前を叫ぶ。それとほぼ同時に、仰向けに倒れて行く男の向こう側で臨戦態勢に入るのが見えた。すかさず次のスリーピングバレットを連続で撃ち込む。まあ全部躱されてしまったが予想の範囲内だ。どうせ牽制だし。
俺は女性を横目に見ながら、最初にいた位置とは斜め向こうのフェンスに飛び乗った。眼下にはこのビルより少し低めのビルがある。このくらいの高低差なら飛び降りても大丈夫だろう。
「数分もすれば起きると思うから!じゃあなー」
ひらりとひとつ手を振って、暗い夜の街に身を投げた。
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