人の居ない水族館はいっそ恐ろしい程に厳かな空気を醸し出す。薄暗い空間は水底に沈んだ様に穏やかなのに引き摺り込まれる様な壮観さがあった。

平日の閉館時間寸前の水族館、私の手を引いて滑り込んだ五条は一番大きな水槽に目をやったまま動かない。魚を見ているのかすら怪しいけれど多分30分位はこうしている。そろそろ本当に閉まる時間なのだが、私では五条を引き摺って歩く事は不可能なので諦めていた。握り込まれた手のおかげで離れる事すら出来ない。仕方なしに見上げた水中の箱庭から漏れた光の反射はきらきらと眩しかった。
水槽だけを見つめている五条は何を考えて居るのか分からない。せめて何か言ってくれと祈ってみたけれど変化はなかった、無念。
でもとりあえず力の無い手から抜け出す事だけはしないでおく事にした。多分妙な思春期か悩み事だろうから今はそっとしておこう。

... ...いや嘘ちょっとふざけた。本当はひとつだけ、五条が悩んでいるであろう原因には心当たりがあった。
でも安易に踏み込んでいい問題ではないという事は流石に分かっている。普段あれだけずけずけと物を言う五条がなにも言わないのがその証拠だった。

...やり辛い事だと思う。五条は誰にも頼ったりする事はないと思っていたから。ここ最近の浮かない顔も、重い口もその内元に戻るだろうと高を括っていたから。まさかこうして誘拐されるとは思わなかった。そこまで弱っていたのだろうか。私にほんの少し凭れる程度には。他にいい人選なかったか?と言いたくなるがぐっと堪えた。これも多分言わないほうがいい。
でもまぁここで硝子を頼らなかった理由は正直分かる。硝子容赦ないからな。私の同級生はどいつもこいつも歯に衣を着せぬと言うか、ハッキリしっかり物を言う奴らだから落ち込んでる時には隣には向かない奴ばっかりだ。特に慰めが欲しい時なんかは。もしかしたら夏油は上手くやっていたのかもしれないけど、もう居ないんだから仕方ない。それにここで夏油の名前なんか出そうものならもっと荒れる。分からないけど、多分荒れそう。だから、私に出来るそう多くはない。そしてその少ない選択肢から選び取ったのは一番単純なことだった。

「五条さぁ...六眼のおかげなのか知んないけど眼だけは綺麗だよね」

弱々しい手にほんの少しだけ力を込めて滑り落ちない様に留めた。漸く五条の視線が動いて私に突き刺さる。普段よりも力は無いくせに、するりと身を斬りそうな鋭さのある視線。向けられた事のないタイプの視線だった。
「水の底から見た水面みたいな、きらきらした感じ。もしくはこの水槽にも似ている」
-水槽の方はクラゲがいたらもっときらきらしてるかもしれない-
付け足してけらけら笑ってみせる。埋まった視線は抜こうともせず受け流した。
「普段真っ黒けなサングラスばっかりしてるからあんましこうやって見る事ないけどね。もったいない。...あ、あんたの目に魚がいたらいつでも水族館気分かも」
またついと五条の視線が水槽に向いて水面と五条の眼がきらきらと輝く。いくらか和らいだ様に見える目元に少しだけ安心した。

「...去年沖縄で水族館行ったんだけどさ、俺全然見る余裕なかったんだよね。急に思い出したらなんか気になってたからどんなもんだったか改めて味わおうと思って」

「結構ガン見してたもんね〜。ここも綺麗だけど沖縄の水族館ならもっと綺麗だったろうにもったいない。...てかなんで私を引っ張って来たのさ」
「その辺にいたから」
「適当〜」

そっと手が離された。とりあえずは笑顔の戻った五条の顔に安堵する。声の調子も少しは明るい様だった。
なんだか気が抜けたのでぐっと背を伸ばす。音がなるほどではないがなんとなくほぐれた気がする。
「もー帰ろ。そろそろマジで時間ヤバそう」
「そうだな...帰りスイパラでも行くか」
「奢ってくれんなら行く」
「...お前さぁ...本当に空気読めない奴だよね」
「なにいってんのさ、読めないんじゃなくて読む気がないんだよ。私まで湿っぽくなる。無理くり連れて来られたんだからそれくらいいいじゃんよ」




aky(あえて空気を読まない)主を書きたかった筈なんですが技量が足りず。普通にshort用に書いたけど五条のキャラじゃないので没。供養の代わりです。
修行します