思ひ出
カリカリ、と紙に文字を綴る音が執務室に響く。
無心で書類に署名をするサカズキの手元に、正面から強い視線を感じる。
「…………なんじゃあ、そがぁな穴があくほど見よってからに」
書面からは目を話さずに視線の主――――クザンに向かって暗に気が散るからやめろと含ませて苦言を呈すると、クザンは珍しく素直に「悪い悪い」と謝ってきた。
「そもそも、おどれが確認書類を溜め込んどるのが悪い」
「ああ、別に急かしてたワケじゃあないのよ。ただ……ほら、これ見てみ?」
クザンは徐に持っていた書類の束から一枚を抜き出してサカズキの眼前へと差し出す。ペンを置き書いていた書類を端に避けてからそれに目を通すが、よくある近隣諸島の巡回報告書で特段目を引く内容ではない。
「報告書の内容じゃなくて、ここ、サインのとこ」
トントン、とクザンの長い指が署名欄の部分を叩く。そこにはサカズキも見慣れた名が書き記されている。どうやらここに来る前にボルサリーノのところに行っていたらしい。が、だからなんだと言うのだろうか。
「あー、自分じゃわかんない感じ?ボルサリーノとサカズキの字ってめちゃくちゃ似てるんだよ」
俺、たまに間違えるもん。と、クザンが続ける。言われるがまま先程書いた自分の字とボルサリーノの字を見比べてみると、今まで自覚はなかったが確かに似ているかもしれない。
ふと、懐かしい記憶が脳裏に浮かんできた。もう何十年も前、サカズキとボルサリーノが子供の頃、故郷である北の海で身を寄せあって過ごしていたあの頃の記憶だ。
当時、サカズキは字の読み書きができなかった。北の海の、とりわけて自分たちの故郷があった場所は治安が悪く、何かを得るためには誰かから奪わなければ生きていけないような地獄だった。当然、子供が読み書きを習うような学び舎などなく、書籍など寒さを凌ぐための火種として燃やして使うのが普通だった。
悪を滅ぼすために強さを求めていたサカズキは、字の読み書きなどできなくても気にしなかった。そんなものに時間を費やすより、一人でも多くの海賊を殺す方が大事だった。
しかし、ボルサリーノはそれを良しとはしなかった。寝る前にどこからか持ってきた絵本をサカズキに読み聞かせながら同時に読み方を教え、紙も鉛筆もタダでないのに、自分と違って勉強好きなはずのボルサリーノは嫌な顔もせずにサカズキにそれらを分け与えて字の練習をするよう勧めた。
余計なお世話だと反発していたサカズキも、貴重な紙や鉛筆を使うのは忍びなく「石かなにかで地面に書けばええ」とつき返そうとしたが、ボルサリーノは頑なに「いいから」と紙にお手本としてサカズキの名を書き、真似て書くように促した。
今まで思い出すこともなかったはずなのに、悪戦苦闘しながら文字を書き連ねるサカズキの手にボルサリーノが自身の手のひらを重ねて「こう書くんだよォ」とゆっくりと紙面に鉛筆を滑らせた時の、あの子供特有の柔らかな肌の感触や冷えた指先の温度を、サカズキは昨日のことのように憶えていた。
――――ボルサリーノに教わったんじゃ、似てるのは当たり前か……。
「ふ……」
「えっ!?今笑うとこあった?!こわっ、なに……?」
懐かしさについ相好を崩すと、クザンはギョと目を剥いてサカズキから距離を取った。
「昔のことを思い出しちょったけぇ、気にせんでええ」
「えー……またそうやって、二人だけの思い出的な空気で俺だけ仲間外れにすんだからさ……ヤになっちまうなぁ……」
クザンは昔から生意気な態度を取ってくるくせに、サカズキとボルサリーノがお互いにしかわからない話をしていると露骨に不満を露にする。思想が相容れないとはいえ、そういうところが憎めないし可愛い後輩だと思う。
「ふん……おどれの仕事が終わったら飯、奢っちゃるけぇ。さっさと行かんかい」
最後の書類に署名をして渡すと、クザンはぽかんと口を開けて間抜け面を晒した後、ひったくるようにそれを奪い取り「ボルサリーノも呼べよな!」と言い残してサカズキの執務室から出ていってしまった。
騒々しい男だと呆れつつ、サカズキはクザンの要望に応えるために椅子から腰をあげ、ボルサリーノを誘うべく執務室を後にしたのだった。