I remember you



「ゔー……あぁぁ……ううう……」

「帰って早々なんて声出してんだよ。おい、せめて上着は抜いどけ」

「ゔぅぅ……疲れた……」

小さな町の小さな会計事務所の事務員……という名の雑用係として働いているイーサンがいつもより三時間も遅い帰宅をしたかと思えば、ヤードセールで格安で手に入れたダウンジャケットも脱がずにソファにダイブだ。そうして某家具店でどうしても連れて帰る!うちの子にする!と購入した白い犬だかクマだかのぬいぐるみを羽交い締めにし、地獄の亡者のような唸り声をあげたまま動こうとはしない。
親切心半分、からかい半分でイーサンの上着を脱がせにかかると、意外にも拳や蹴りはおろかFワードの一つも飛んでこず、イーサンはハイゼンベルクにされるがまま、幼子のように大人しくしていた。

(こりゃ相当参ってんな)

出会った頃より気安い関係になったとはいえ、イーサンがハイゼンベルクに素直に甘えてくることなどこれまで一度としてなかった。最初はいつまで経っても敵だった自分は信用できないのだろうと考えていたが、一緒に暮らしていくうちにイーサンがとんでもない意地っ張りの強情で、何でも一人で頑張ろうとしてしまう質というだけだった。人目を忍ぶ身とはいえ、今のところBSAAにもB.O.Wを欲しがりそうな犯罪組織にも所在はおろか自分たちが生きていることを気取られていない。なにも気にせずのびのびとしていろとまでは言わないが、不本意とはいえ運命共同体となったハイゼンベルクの前でくらい気を張らずに頼ればいいのに、ともどかしい気持ちにさせられたのは一度や二度の話ではない。
そんなイーサンがハイゼンベルクのちょっかいに反応しない……できないなんて、新しい職場でさぞこき使われたようだ。

「村中駆けずり回って化け物どもの相手をしてたパパとは思えねぇくたびれっぷりだなぁ、ええ?」

「うるさい……システムエンジニアをしていたなんて言わなければよかった。社長のやつ、SEならパソコンでなんでもできると思って色々丸投げしやがって……!事務所のサイトも新しくしてくれとか厚かましいにもほどがある!できなくないけど俺の畑と違うし、そもそも契約に入ってないだろうが……!」

「それで三時間も無償労働させられてたわけか」

「大した仕事じゃなくて定時で帰れるから選んだのに……クソッ!ああもう、見ろ!お陰で髭を剃る暇もなかった!」

イーサンは苛立たしげに指先で顎や頬に薄っすらと生えてきた髭を摩る。潔癖症と呼ぶほど病的ではないが、仮住まいの家の掃除と整理整頓はもちろん、数枚しか持っていない衣服を細目に洗濯し、食事毎に歯を磨き休日でも髪をしっかり整え、髭も朝と夕方に剃って清潔感を保つのがイーサンの日々のルーティンであり、それを乱されたのが我慢ならないようだ。

(そう悪いもんじゃあねぇのに)

ブツブツと文句を垂れ続けるイーサンの草臥れた横顔を、目敏い彼に咎められないよう盗み見ながら心の内で独り言ちる。普段の綺麗に剃られた小奇麗な姿も好ましいが、あの忌まわしい村で出会った頃の彼を彷彿とさせる姿にハイゼンベルクは密かに、それでいて確かな昂ぶりを感じていた。敵地で人智を超えた化け物を相手にいくつも死線をくぐり抜け、朽ちかけた身体とは裏腹に娘を守るといういっそ狂気的なまでの強い意志を湛えた瞳で小賢しく駆け回るイーサンはお世辞にも綺麗でも清潔でもなかったが、死と妄執と盲目的な崇拝で満ちたあの村で半生を過ごしたハイゼンベルクの目には一等眩しく映った。だから自分の主義を曲げてでも手に入れたかったし、手に入らないなら己の手でその輝きを叩き潰したかったのだ。
結果としてなし崩し的に二人一蓮托生となり、こうして生活を共にしている。相変わらず衝突は絶えないが意外となんとかなっているし、あのイーサンが身体を許すようになったのはハイゼンベルクとしては嬉しい誤算だった。随分と遅れてやってきた人生の春に不満など感じたことはない。二度と昔のような生き方に戻りたくない、欠伸が出そうなくらい穏やかで退屈な毎日が続けばいいと柄にもなく本気で願っている。
しかし、それはそれとしてあの時の面影を見せるイーサンには正直、興奮している。

「イーサン」

「なん……ンッ?……?」

自分のものと比べると小さな顎を捕らえ、振り向かせるのと同時にくちづける。指の腹でじっくりと肌を撫ぜ、チクチクした髭の感触を楽しむ。顎、頬、耳の下と順番に辿り、首筋を擽るとヒュ、とイーサンの喉が震えた。だが、ハイゼンベルクの不埒な手が振り払われることはなかった。自分はこの身持ちの固い男に無体を許されている。その優越感にクツクツと地を這うような笑みが込み上げてきて、それがイーサンにも伝わったようだ。

「……お前、なに急に盛ってんだよ」

「なぁに、お疲れのパパを癒してやろうという俺の優しい気遣いさ」

「はっ、そんな顔して何が優しい気遣いだよ」

「そんな顔ってぇと?」

ハイゼンベルクがニヤニヤと笑いながらイーサンの顔を覗き込む。すると、今度はイーサンがハイゼンベルクの頬を両手で挟み込み、その瞳をじっと見据えた。絡まる視線がジリジリと甘やかな熱を帯びていく。

「すっかり腑抜けたかと思ったけど……初めて会った時みたいに、飢えた獣みたいな目ぇしてるよ、お前」

挑発的な声色の中に今しがた己が感じたものと同じ興奮をイーサンも抱いていることに気づき、ハイゼンベルクは堪らず乾いた唇を舌で湿らせて目の前の獲物をどう喰ってやろうかと思考を巡らせた。ハイゼンベルクは目的を達成するための下準備や苦労を厭わない質なので、粗野な風貌に似合わず普段はシャワーを浴びてベッドを整え丁寧にイーサンの身体を解して……と模範的なセックスをするが、今夜ばかりはそんな悠長なやり方をする余裕はなかった。
アウターだけでなく中に着ていたネルシャツを剥き、元より白い肌の一層白い部分を露わにする。淡い色の乳輪に唇を落とし、チュッと音を立て吸い付くと濡れた唇から小さく声が漏れる。

「おい、シャワーがまだ……ッ」

「ハッ、今更勿体つけるンじゃねぇよ……!いいからこのまま抱かせろ」

体格のいい大人の男が二人やっと座れる程度のソファだ。ここで事に及ぶのはお互いに色々と不便だろうと頭の隅では理解しているが、諌めるような言葉とは裏腹にこちらの情欲を煽るように白い指がハイゼンベルクの髪をくしゃりと掻き混ぜてくりから、もう止まることなどできなかった。
あえかな声を漏らす唇に噛みつき、甘ったるい吐息を食みながらそういえば夕食もまだだったことを不意に思い出したが、結局二人ともお互いを貪ることに夢中になって、食事のことはすっかり頭から抜け落ちていたのだった。


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