中央に小高い丘がある以外はほとんど起伏の見られない大地を、瑞々しい樹木と草花が覆う緑豊かな島だった。大きくはないが、小さすぎもしない。 周囲には、ほかに島や陸地もなく、イーストブルーと呼ばれる東の海が見渡すかぎり広がっている。水平線近くまで駆け巡る複雑な海流の関係上、滅多に船も通らない。そもそもどの航路からも外れるとあって、ごくたまに、海域の縁を進む船があるだけだ。その位置から船影を視認するとなると、よほどの大型船でもなければたいそう難しく、逆もまたしかり、である。未だ海図に記されることもなく、穏やかな紺碧の海と澄み渡った淡青の空が織りなす世界に、この島は人知れずひっそり存在していた。 とはいえ、まったく来島者がいないわけではない。 実のところ時と場合によっては、この島に来ることはとても簡単なのだ。たとえ島の場所どころか存在さえ知らずとも、またその気がなくても、辿り着ける。 現に今そうやって、陽光を受けて輝く白浜に一艘の小舟が打ち上げられていた。 しばらく小舟は、さわさわと草木を揺らす風と静かに寄せては返す波音の中にあったがやがて、唯一の乗組員である少年が、のそりと起き上がった。目を瞬かせ、彼はいまいち状況を把握できていない表情で辺りを見回す。 ーーーーはて、何故こんなところにいるのだろう。本来ならば陸の上ではなく、海の上にいるはずなのに。首を捻ること、数秒。彼の脳裏に、意識が飛ぶ直前の出来事がパッと蘇る。 空一面に垂れ込める、黒々とした厚い雲。 叩きつける激しい雨と、轟く雷鳴。 大きくうねり、荒れ狂う波。 少年は故郷である小さな港村から初めての航海に繰り出して早々、嵐と遭遇し、この島まで流されてきたのだ。そこがポイントだった。 この海域、普段は船を寄せ付けないのだが嵐が起こると一転、船を引き寄せる海流へと変化する。つまりこの島へ来たければ、嵐を待てばいいわけである。そこで障害になるのは普段から非常に穏やかな海で、荒れることがまあ珍しい、ということだが。 そのごくごく稀な嵐に航海開始直後、巻き込まれるとは何とも幸先の悪い話である。 無論、海域事情など知る由もない少年にとって見れば、あの嵐の中、転覆もせず積み荷も失わなかったなんて、運がいい、としか言いようがなかった。いや、仮に知ったところで彼が口にする言葉は変わらなかっただろう。少年はそういう人物だった。 「ツイてんなー、オレ」 ただひとつの積み荷である大樽の中を覗き、収められていた食料がさほど崩れずにーーーー目いっぱいに詰め込まれているためだーーーーいることを喜ぶ。次いで、どっかり腰を下ろすと『まー、とりあえずメシでも食うか』の言葉を皮切りに、横にした大樽に手を突っ込んでは口に運び、豪快な食事を始め出した。 大した神経である。彼には遭難したという自覚があるのかないのかーーーーないのだろう。周囲をのんびり眺めながらしかし、手と口は休まず動き、次々に食料が彼の胃袋へと消えていく。一息つく頃にはなんと、大樽の中身はすっかりさっぱり空となっていた。大量の食べ物を腹に収め、けろりとしているのだから恐るべき胃袋、そして食欲だった。 ここでようやく、少年はしまったという顔を作り、がしがし頭をかいた。これは少し、食べ過ぎてしまったかもしれない。 少し、でもなければ、かも、でもないのだが普段の少年はそんなこと、思い浮かびもしない人間なので上々である。さすがにこれからまた、海に出て航海を続けるとあっては話が別らしい。食糧が不足したまま、海に繰り出すのは非常にまずい、と困ったように眉根を寄せた。 もっとも、少年の悩みは長くは続かない。長く悩んでいられない、というほうが正しいか。何でもかんでも楽観視する傾向にある彼はこのときも、まあなんとかなるさと。いざというときは魚でも釣ればいいさと。あっさり食糧不足問題を横に置こうとして、ーーーーぽん、手を打った。今日のオレは冴えている、と言わんばかりの表情だった。 「この島で食いモンを調達すればいんじゃねーか!仲間も見つかるかもしれねーしな!いっせきいっちょー、ってやつだ!!」 それではどちらか一つしか手に入らないぞ、と間違いを正してくれる者は残念ながら、いない。いっせきいっちょー、いっせきいっちょー。語呂が気に入ったのか繰り返し口にして、うんうんと彼は満足気に頷く。 腹も膨れーーーーそりゃそうだろうーーーーさらには素敵な閃きに俄然元気となった少年は、食料調達と仲間探しのため、意気揚々と行動を開始した。 +++ 砂浜のすぐ隣は森になっていた。足元の感触は柔らかな砂から、固い地面を覆う下生えと変わる。銘々に生い茂る木立の合間を、葉ずれの音と木もれ陽を浴びながら適当に進む。 森に入ってしばらく経ったところで、目の前に現れたものを、少年はきょとんとして見つめた。一拍後、彼はてくてく歩いてソレに近づくと、すぐそばにしゃがみ込み声をかける。 「おい、お前。だいじょーぶかあ?」 少年の目の前に横たわるもの。それは人間の女だった。白目を剥き、小刻みに痙攣している。顔に生気はなく、頬がげっそりと痩けーーーーというより、どういうわけだか全体的に干からびて見える。状況は不明だが、危険な状態にあるのは明らかだ。 そんな人間を前にしても一切、慌てず騒がず、むしろ変な奴だとの感想を抱きながら、のほほんとした口調で一応の安否確認をするあたり、この少年は大物かもしれない。本当に、何とも大した神経の持ち主である。 その、半ミイラ状態と言っても差し支えないような女が、少年の声に応えることはなかった。少年は首を傾げて少し逡巡したあと、今度は盛大に女の体を揺さぶりながら声をかけてみる。今にも死にかけてます、といった状態の人間に対して、とんだ仕打ちである。 が、しかし。それが功を奏したと言っていいのかどうか。兎にも角にも半ミイラの女は彼に気が付くとーーーー気付かざるを得なかったわけだがーーーーぶるぶると震える手でとある方向を指さし、か細い声で『み、…水……』と呟いた。直後、がっくり意識を失う。 流石に少年にも、これは結構やばい、という判断ができたようで慌てて女を肩に担ぐと急いで指示された方向へと走り出した。実に勢いよく。 もちろん、揺れを最小限に抑えるといった配慮は、ない。彼の辞書に『配慮』という言葉があるならば、後先考えず食料を食べ切ってしまうこともない。肩に担がれた女の口からは、魂のようなものが抜け出しかけていた。 水場に着くのが先か。それとも女が昇天するのが先か。 幸いにも、お迎えが来るよりも前に、少年は小川への到着を果たした。 ただ、彼は一刻も早く水を与えねばと思ったのだろう。到着ざま担いでいた女を、背負投げの要領で川に向かって投じたのである。女が綺麗な半円を描いて、どぼんっ、という盛大な音とともに見事、小川へと着水する。 少年は川べりにしゃがみ込むと、小川の様子を眺めた。 どうやら川幅はそれほど広くはないが、深さはそれなりにあるらしい。小川へ沈んだ女は、なかなか浮かび上がってこなかった。川の流れは速くないから、流されてしまったということはないはずだ。ということは間に合わなかったかと、少年が頬をかいたそのとき、ぶくぶくと水面に泡が立ち始める。 おっ。少年が顔を明るくするのと同時、ざばんと大きな水飛沫が上がった。 水面から顔を出したのは、確かに彼が川へ投げ入れたその人だった。投入前と違って、随分と血色が良くなり、干からびてもいない。半ミイラ状態だったその肌は水分を大量に摂取してか、つやつやと照り輝いてさえいる。 普通は干からびた人間にいくら水を与えようと、それを吸収してすぐさま元に戻る。なんてことはあり得ないのだが、少年は不思議に思うこともなく、息を吹き返したーーーーと言っても過言ではないだろうーーーー女を見て、にっかり笑みを浮かべた。 対して女は、目の前で眩しい笑顔を浮かべる少年を見つめながら、かなり朧気な記憶をつなぎ合わせていく。そして何となくの現状を理解するや、快活に笑い返した。 何だか物凄く手荒な扱いを受けたような気がするが、この少年のおかげで命が助かったのは間違いない。己の生命力の強さというか、しぶとさを自負する女も少し、花畑を見た。 素直に礼を口にする。 「危うく天に召されるところだったよ。悪いな、助かっーーーーごふうっ!!!」 「ぎゃああっ!?なっ、なんだあ!!?」 今度ばかりは少年も仰天した。女が突然、口から大量の血を吐いたのだ。それも至って普通に会話中、何の予兆も見せずに、だ。驚くなというほうが無理である。 女は再び生気を失った顔で川の底へと沈んでいく。周辺の水を真っ赤に染めながら。 少しして、少年はハッと我に返った。『助けなければ!』ーーーーという、本能の叫びのまま、慌てて小川へ飛び込む。 飛び込んですぐに彼は思い出す。自分がカナヅチだということを。 辺りは静寂に包まれた。まるで何事もなかったかのように、島の日常が戻ってくる。小川を赤く染めた血も、ゆるやかな流れによって静かに痕跡を消していった。 +++ 「ーーぷはあっ!!!」 静寂を破ったのは水飛沫の音と、息継ぎのための女声だった。水上に姿を見せた女の顔色は健康そのものである。先ほど川を染めるほどの血を吐いた人間とは思えない。 彼女は川岸に片腕を乗せ、ぐっと力を込めるともう片方に抱えた少年を水の中から引き揚げた。大柄なわけでも肉付きがよいわけでもない少年だが、さすがに意識の失った人間を片手で持ち上げるのは重労働だ。いくら顔色が戻っているとはいえ盛大に吐血したのは事実で、その直後の人命救助など非常に骨である。 大きく肩で息をしながら、彼女はぐったりとしている少年を見やり内心首を捻った。彼はおそらく川に沈んだ自分を助けようと自ら飛び込んだに違いないはずだが、何故、その助けようとした本人が見事なまでに溺れ、助けようとした相手に助けられているのだろう。 変な奴。ーーーーそんな感想を胸中で吐き、岸に上がると女は少年を水中から引きずり出す。続いて慣れた様子で気道を確保し、重ねた両手で『ふん!』と勢いよく胸を押してやれば、ぴゅーっと噴水のように少年の口から水が噴き上がった。 思わず『おおーっ』と感嘆の声をこぼす女だった。まるでコントか何かのようだと感心しきりだ。ーーーー恩人が溺れて意識がないというのにこの落ち着きようといおうか暢気さ、彼女も大概である。まあ、病的な吐血のあと、けろりとしている奴が普通であるはずはないのだが。 興味深気な双眸に見守られる中、少年は数回咳をしたのち、おもむろに体を起こした。そして、ぶるっと体を震わせ水気を飛ばす。 まるで犬猫のような行動に吹き出しそうになるのを慌てて留め、ざっと少年の容態を確認しつつ、女は彼に声をかけた。 「大丈夫かい、少年?」 「ああ、平気だ!わりーな!お前助けようと思ったんだけど、オレ、カナヅチだった」 だっはっはっ!忘れてた!ーーーーそう、豪快に笑う少年に今度こそたまらず女は吹き出した。まさか泳げないとは予想外な答えだった。変な奴だとの印象はますます、強くなる。 ひとしきり笑ったあと、彼女は気にするなと首を振った。 「構わないって。すでに君には助けられているし…。むしろ、こっちが謝らないと」 「ん?何でだ?」 「何でって…」 心底不思議そうに少年が聞くものだから、女は軽く目を瞠ったあと、笑みを深めるしかなかった。そもそも彼女が川に沈んだりしなければ、彼が川に飛び込む必要もなく、溺れることもなかったわけだ。そう説明してやると、少年はたいそう感心したように、なるほどと明るく手を打った。これはもう、どうしようもない。楽しげに女は笑い声をこぼした。 本当に変な少年だ、と彼女はしみじみ彼を見やる。もっとも少年もまったく同じ認識を彼女に抱いていた。あれだけたくさんの血を吐きながら、夢か幻だったのでは、と考えてしまうほどに今はピンピンしているのだ。彼がそう思うのも、至極当然である。 「……お前こそ、平気なのか?」 「何がだい?」 今度は女が、少年の言葉に首を傾げた。 「あんなにいっぱい、血を吐いてたじゃねーか」 「あぁー、そっか。そのこと」 合点がいったと女は頷き、苦笑を返しながら、もう問題ないと口にする。 「あれは、なんて言うのかなあ。持病、っていうか。体質、っていうか……」 うーん、と困ったように笑って女は言う。 基本的に彼女は病気やらとはまるで無縁な健康体で、少し体を動かしただけで倒れる、といった虚弱体質ではない。けれど、突然。本当に突然、病的異常に見舞われる。大抵の場合は、先ほどのように吐血して極端に生気を失うことになる。そして時間の経過とともに、最初からそんな異常などなかったかのように、すっかり回復するのだ。 本当は実に相応しい言葉があるにはあるのだけれども、それを口にするには非常に面倒な説明が付随するため遠慮したい。ーーーーとなると、子どもの時分からの付き合いだ。やはり持病や体質といった言葉が適当に思われた。 「おっまえ、変な奴だなー!面白えっ!」 「そ、そう…?」 そんな変な病気があるのかと感心したように頷いていた少年が、眩しいくらいの笑顔で素直な感想を告げる。やや気圧されながら衝いて出た問いかけにまで、笑顔で力強く頷かれては苦笑するしかない女だった。 「まあ、たしかにこの持病は変だよね。でも、少年だって十分、変だと思うけど?」 「ん〜〜〜〜、…そーかあ?」 「あ、うん。なんか今の反応でだいたい、君の性格が分かったわ」 「なっ、なにい!?本当か!お前すげー奴だなっ!!!」 大真面目にびっくりしてそんなことを言われては、笑わずにはいられない。女の笑い声が弾ける。一方、少年は女が笑う理由に思い至らぬようで、しきりに首を傾げながら腹を抱えて盛大に笑っている彼女を見やり、変な女、という認識を強めるのだった。 もっとも、『変』で『面白い』ということはそれだけで彼の、仲間にしたい、という条件を満たすということでもある。 未だ笑いを収めるために四苦八苦している女に、少年はずずいと身を乗り出した。 「なあ、お前!オレの仲間になれよ!」 「ぶっ…!げほっごほっ…?仲間あ??」 「おう!」 予想もしない言葉を振られ、思わず咳き込みながら聞き返す女に、にししと笑って少年が頷く。女は何とも言えぬ表情で鼻の頭を掻いた。仲間にならないか、ではなく、仲間になれ、とは随分な誘い文句である。 別段それが悪いということではない。いや、ほかの者に言われたならば気分を害したかもしれないが、眩しいくらいの笑顔にきらきらと輝く目を向けられては、むしろ嬉しく思うほどだ。 だがしかし、出会って間もない人間を仲間に誘うなんて『この少年、大丈夫か?』といった不安を抱くのも事実だった。明るく素直で、どこか抜けた人物だということは、これまでのやり取りで感じてはいたものの、何だか簡単に騙されそうだし騙せそうだ。もうちょっとばかり、警戒心を持ったほうがいいのではと心配してしまう。 そもそも、いったい何の仲間になれというのか、肝心の説明がない。まあ、彼らしい気もするが女は答えをひとまず保留とし、そのことを尋ねた。 「オレ、海賊なんだ!」 「…はあ?かいぞくぅう??……お前がか!?」 女は思わず、語気も強めにそう発していた。つい言葉遣いが荒くなったことに気付き、小さく咳払いをしてから、まじまじ、目の前の少年を眺めやる。 赤いベストに青い半ズボンーーーー思い浮かぶ海賊の格好とはかけ離れているが、これはまだよしとしよう。問題は頭上の、どこからどう見ても麦わら帽子にしか見えないものと、足元の、やはりどこからどう見ても草履にしか見えないものだ。 これで、海賊。これが、海賊。 女の中の海賊像が音を立てて崩れていくようだった。しかも聞けばどこかの海賊団に所属しているのではなく、一人で旗揚げして海へ出たらしい。つまり、たとえ今は仲間もなく一人だとしても、彼は誰がなんと言おうとも、立派な海賊団の船長なのだ。 女は片手で顔を覆うと、マジか、口の中で呟いた。彼女にはどう頑張っても、まったく全然これっぽっちも見えなかった。船長どころか海賊にさえ、だ。 「あー、えぇっと…まあ、海賊やるやらないは自由だけどさ。野望でもあるの?」 とりあえず端的に聞いた。よっぽど、なんだって海賊なんかにと女は言いたかった。ーーーー言いたかったのだが、それではこの少年を軽んじることになる。 彼のことだから予想外の答えが出てくるんだろうと構えていた女だったが、返ってきた言葉には目を剥いた。予想の斜め上を行く答えだった。 「オレは、ワンピースを見つけて海賊王になるんだ!」 女は息をするのも忘れるくらい、大きく目を瞠って少年を見つめた。軽い憧れや生半可な気持ちではない。彼の言葉にも、顔にも、瞳にも。確固たる信念や覚悟があった。彼にとってそれは、叶わないと知りつつ想い抱く夢ではなく、明確な目標としての夢なのだ。 何があろうと、きっと彼はその目標を、己の意志を覆さない。誰であろうと、それらを覆すことなどできやしない。そう、悟らされるほどに、強い想いが見えた。 女はゆるり、口の端を持ち上げた。 海賊王ゴールド・ロジャーが最期に遺した言葉は、男たちを海へと駆り立て、そうして大海賊時代が幕を開けたのだと云われている。その海賊王が世界のどこかに隠したとされるのが、ひとつなぎの秘宝ーーワンピース。多くの屈強な男たちが探し求めながら、未だその存在すら不明瞭なままの宝である。 それを見つけ出して海賊王になると堂々言い放つとは、ドが付く馬鹿か、ーーーーそれとも大物かのどちらかだ。 「君はどっちも当て嵌まりそうだけど……」 「ん?何がだ?」 「いや、こっちの話」 きょとんとして聞き返してくる少年に肩を竦めて応じ、そこでふと浮かんだ疑問を女は投げかけてみた。仲間に誘われる理由がわからなかった。メリットなど見当たらない。 すると彼は、それはそれは素敵な顔で笑ったのだ。 「お前と冒険したら、楽しそうだからだ!」 「ーーくっ、あははははっ!!!なるほど!そういう理由か!」 「ああ!オレはお前のことが気に入ったんだ!なあ、オレと一緒に海賊やろう!!!」 何とも単純明快である。再度お腹を抱えて笑うことになった女は、かなり手こずりながら笑いを鎮めなければならなかった。目尻の涙を拭いながら、彼女は表情を和らげて少年に向き直る。 「君なら、本当に海賊王になれそうだ」 応援する、と女が告げるやいなや、ぱあっと少年は顔を輝かせた。しかしそんな少年を制するように彼女はすぐさま、ただし、と言葉を続ける。 「私が君の仲間になるってのは、悪いけど断らせてもらうよ」 「えぇえ〜〜っ!?なんでだよぉー!!」 「持病があるからさ。森で倒れていたのは突然、脱水症状を起こしたからだし……そのあとも血を吐いたの、見ただろう?」 女も、海に出る目的がある。この少年と一緒に旅ができればたしかに楽しそうだと思うし、海賊王になると豪語する彼の行末を見てみたいとも思う。 しかし、海賊は無理だ。ーーーー女は、病持ちなのだ。平時ならまだしも、持病が発症した途端にお荷物以下に成り下がるのは目に見えている。この持病は発症頻度がまちまちなうえに、これが一番厄介なのだが、前触れもまったくない。 海賊王を目指すのであればその航海は非常に危険なものとなる。いざ、というときに使いものにならない人間が、海賊をやれるはずもなかった。 そう断る理由を説明し終えた女は、納得してくれただろうかと少年の顔を窺って一瞬、停止することになる。彼が浮かべる表情で、納得以前にまったく理解できていないことが分かったからだ。むしろ、その持病があるだけで何で海賊ができないのか、聞いてくる始末である。 それを今まで説明していたつもりなんですけど。そう胸中で呟きながら呆れた視線を少年に注ぐも、彼はそんな心情にも視線にも気付くことなく、無邪気に再び勧誘をかけてくる。 「いいじゃねーか!持病があっても。なんとかなるさ!にししし!」 「や、にししし、じゃないっての。海賊やったって役立たずの可能性しかないんだぞー?」 経験上、女は知っている。彼女の持病が九割方、いざというときの『いざ』で発症することを。ーーーーそう、さらに付け加えるが、少年は一向に構わなかった。 「んなの気にしねーよ!オレは役に立つ奴がほしいんじゃなくて、一緒に冒険して楽しい奴がほしいんだからな!」 底抜けに明るい太陽みたいな笑顔と。少年が言い放った言葉に。女は微か、息を呑む。大きな鼓動が胸を叩き、心臓を鷲掴みされた感覚が彼女を襲う。でもそれは、苦しいけれど不快なものでは決してなくて。優しくてあたたかくて、ーーーー切ない甘みすら伴っていた。 ほとんど無意識のうちに彼女は、すいと手を伸ばして少年の頬に触れた。少年は彼女の行動に不思議そうな顔をするが、それでも何かを感じ取ったのか、そのまま動かずじっとしている。彼女は少年の頬を優しく撫でたあと、彼の髪に指を絡めて少し遊んだ次には、頬に走る傷痕をそっとなぞる。流石に少年がくすぐったそうにすると、目を細めて微笑んだ。 嗚呼、もしかしたらーーーー。 少年から女の手が離れる。なんとなく彼も傷痕をなぞりながら、今のは何だったんだと小首を傾げて口にした。すると彼女はそれまでの空気を綺麗に消して、にっかり笑うのだった。 「ないしょだ」 「えぇえ〜っ、気になるじゃねーか!ケチ!」 「あはは。拗ねない、拗ねない。仲間になるからさ」 女が言った瞬間だった。不満気な表情から一転、少年は顔を輝かせる。その姿にくつくと笑みこぼしながら、女はお手上げのポーズを取ってみせた。ちょっとした茶目っ気からだったが、こうも純粋な好意を向けられては参ったと白旗をあげたい気分だったのも事実だ。 「君には負けた。ーー仲間にならない理由が、なくなっちゃったよ」 「じゃあ……!」 「ま、こんな奴でもいいってなら。考えてみれば、命の恩人なわけだしね」 にっ、と口角を持ち上げ、女は右手を差し出す。少年がその手を取った。 「私の名前はイツハだ」 「オレはルフィ!よろしくな、イツハ!」 「こちらこそ、よろしくルフィ」 互いに名乗って、ぐっと手を握る。 こうして、麦わら帽子をトレードマークとする少年の海賊団に、一人目の仲間が加わった。記念すべきこの日、この時を、祝福するかのように風が吹き抜け、木の葉を鳴らしていく。樹上から、心地よいざわめきと柔らかな木もれ陽が海賊たちに降り注いでいた。
18.01.22
OP病弱主をのんびり修正中。