ぐるっとまわって

思いがけない冒険 - 1

 ホビット庄の中心に近い場所に位置するホビット村のお山に、袋小路屋敷はある。非常に立派なその住居の主は、ホビット庄でもとりわけ名士として名高いバギンズ家の一人、ビルボ・バギンズという青年だ。
 バギンズ家の者らしく落ち着いた穏やかな暮らしを良しとし、思いがけぬことなど何一つとしてしでかさない日々を過ごしてきた彼だったがその平穏はうららかなある日、唐突に崩れ去る。

 暑さも日差しもちょうどいい塩梅の晴れ渡った朝のことだった。いつものようにパイプ草を吹かせ、丸扉から出て短い階段を降りた袋小路屋敷の入口にある長椅子に腰掛けながら、ビルボはまどろむように朝の空気を楽しんでいた。
 するとそこへ、ぬっと大きな影が差す。柵の前に、老人が立っていた。あまりにじっと見つめられ居心地の悪さにとりあえず朝の挨拶。したらば、返ってくるのは理屈をこねた問いかけで更に戸惑ってしまう。
 その灰色に身を包んだ大きな人が祖父の知己であり、かつてはしばしばこの村にやってきていた魔法使いで花火の名人、灰色のガンダルフだと気づくのに些かの時間を要した。彼と最後に出会ったのは顔もすっかり忘れてしまい、名前を言われてやっと思い出せるくらいに随分と昔のことである。

 何故また突然、ホビット村にやってきたのかと思えば彼ーーガンダルフは冒険の仲間を探していると言う。ほんの少しだけ、母方の冒険好きなトゥック家の血が騒いだがそれを振り払うように仲間入りをお断りしてビルボは丸扉に逃げ込んだ。
 ガンダルフは束の間、扉の向こうで何かをやっていたもののすぐに立ち去る。ビルボはほっと胸を撫で下ろし、一日を過ごして夕食を取る頃合いにはお気楽なホビットの性質から、ガンダルフの来訪すら忘れてしまっていた。
 それが、いけなかった。

 もっともそれを何かの前触れと見なし、しかるべき対策を練ったところで一ホビットが魔法使い相手に太刀打ちできるか甚だ疑問ではあるが。

「ーードワーリンだ。どうぞよろしく」

 この夕食時間にわざわざ家を訪ねる輩は誰だと出来上がったばかりの料理を目の前にして思いながら、丸扉を開ければ、見知らぬ如何にも屈強そうな強面のドワーフが開口一番そう端的な自己紹介をして堂々家の中に入ってくる。どうやら彼は誰かに夕食がたっぷりあると聞いて袋小路屋敷にやってきたらしい。無論、ビルボには寝耳に水の話である。
 おまけに来客は彼にとどまらず、次から次へと見知らぬドワーフがーーーーそれもそのはずビルボにドワーフの知り合いはいないーーーーやってきては勝手に食料庫を漁って宴会を始め出す始末だった。

 途中で今朝方会ったガンダルフもやってきてこれに加わり、全ては彼の仕業だと分かるも事態はすでに収拾つかない有り様になっていた。その中でどうにかこうにか、孤軍奮闘していたビルボだったが、またもや屋敷の呼び鈴が鳴る。
 出たくない衝動に駆られながら、もちろんそんなこと出来ない性分である青年ホビットはどうせまたこのドワーフたちの仲間なのだろうと、うんざりした思いで扉を開けた。そうして、そこに立っていた予想外の人物に虚を突かれる。

「あー……ええっと、集合場所はここでいいのかな?ガンダルフはいる?」
「え……?あ…!えっと、いますよ」

 相手方も少し戸惑った様子でやんわり聞いてくる。そこで我に返り、思わず中を示して肯定を返せば、その人物はほっとしたようによかったと小さく笑った。
 それは明朗快活としていて気さくながらどこか荒事に慣れた雰囲気もあり、ドワーフの印象と重なる。だが、連中と違って承諾もなしにずかずか家に上がり込むこともなければ、穏やかな佇まいはがさつで粗野な彼らより平穏や自然を愛するホビットに近しいものを感じた。
 それに服装も、いくらか簡素とはいえしっかりと着込んだ厚手の格好はドワーフのものと酷似しているけれども、同じ種族であるならば体つきがほっそりとし過ぎている気がするし、毛深くもない。もちろんそれは『彼女』の性別ゆえとも考えられるが。もしも本当にドワーフなのだとしたら、長身痩躯という言葉が合うだろう。

 そんな考えを巡らせながら、今一番欲しい答え、集合場所とはどういう意味なのかをビルボは問うた。他の者たちからはガンダルフも含め満足に話を聞けそうにもない。ーーーーというか実際、聞けなかった。

「え?…あれ?きみはこの家の主ではないのかな…?」
「もちろん、ここは僕の家ですよ。だからこそ、わけが分からず参ってるんです」
「ははあ、そういうことか」

 最初こそ困惑したように質問を返した彼女は、そう頷いた。目をぱちぱちとしばたかせて、今度はビルボが微かに眉をひそめ疑問符を浮かべる。

「そういうこと、って……?」
「ああ、ごめん。ーーいや、なに、私も突然ガンダルフに呼ばれた口でね」

 冒険に出るから力を貸してくれとここの集合場所を彼の友人伝えに聞き、やってきたのだと彼女は教えてくれた。そういえば冒険の仲間を探していると、朝、ガンダルフは言っていた。つまりは何故か、その旅の仲間の集合場所をこの袋小路屋敷にされてしまったらしい。
 どういう冒険でどういうメンバー構成で旅に出るのかも一切聞かされていないまま来たという彼女に、一抹の疑問が芽生える。目的も何も知らぬ状態でここまでやって来るとは、よほど灰色の魔法使いに恩義でもあるのだろうか。

 いつまでも玄関先で客人を立たせたままだと気付きーーーー別段、ビルボが呼んだわけではないのだがーーーー慌てて家の中に案内しながら浮かんだ疑問は、表情に出ていたようだ。ああといった様子で頷いて、彼女が言った。

「前々から見聞を広めるために旅に出たいと考えていたんだけど、そこにガンダルフから力を借りたいって言われてね。ちょうどいいや、って感じで来たんだ」

 自身の目的と合致するならばどんな冒険かは彼女にとって問題とするべき事柄ではないらしい。ということは、おそらくその内容を知っていて更にそれが自分たちに大いに関わるのであろうドワーフとは種族が異なるのかもしれない。勝手に宴会場となってしまった部屋へ案内された彼女が、あまりの騒がしさと乱雑さに目を丸くして言葉をなくしたからなおさらビルボはそう思った。
 食べ散らかし飲み散らかし、やいのやいのとうるさいドワーフたちに数秒固まっていた彼女だが、その間にも思考のほうはきっちり働いていたようだ。ブリキのおもちゃのようにぎぎぎと首をビルボに向けたのち、彼女は静かに問う。

「…彼らが来るの、知らされていなかったんだよね?」
「ええ…。急に何人も訪ねてきて、この騒ぎですよ……」

 再び目の当たりにした惨状にビルボも力なく答えた。すると彼女は乾いた笑みをこぼしながら酷く同情的な視線を向けてくる。彼女もまた、この騒ぎを収束させることなど不可能、そう考えたのだとすぐに思い至った。

「おお!イツハ!来ておったのじゃな、やれありがたい」

 己が招いた客人を見つけた灰色の魔法使いが、相好を崩して歓迎した。広げられた両手に、その懐に入って抱擁を交わした彼女も、朗らかに笑みを浮かべ応える。

「久し振りだね、ガンダルフ。この家の中にいると、あなたの大きさが際立つ」
「たしかにホビットの家はわしにとって、ちいとばかし小さい。じゃがなに、ここはとてもいい家じゃ。ほれ、ドワーフの連中も陽気に騒いでおる」
「…あ、うん。本当に」

 ぱちりと片目をつぶって楽しげに口にする老爺に、家の主の心情を理解していた彼女は同じ調子で頷くことなど出来ず、苦笑いを浮かべ実感と同情がこもった言葉をこぼした。それに気付いているのかいないのか、ガンダルフはにこやかに彼女の隣に立っていたビルボを紹介する。
 そこでようやく、彼女とビルボは互いの名前を知った。これも礼儀に欠けたことだったと詫びれば彼女もまたこちらこそと言って首を振り、優しく笑う。

 ほっこりとするような笑みだと、ビルボは思った。それはこの常識知らずの者たちの中で唯一見つけた常識人仲間だからであろうか、分からない。
 しかしここにきてはもう絶対にドワーフではないだろうと考え、何者なのか問おうとしたところにガンダルフが彼女の背中を押して宴会場へと誘う。自然と騒いでいたドワーフたちも彼女に視線を移し、誰だ何者だとの声が上がるがーーーーこの時ばかりはビルボもドワーフの問いかけに眉をひそめることなどしなかったーーーーガンダルフは口を開きかけ、やめた。

 全員が揃ってから説明すれば一度で事足りる、との発言にまだ他にも来るのかとビルボが床に沈みそうな心地に陥っていると、宴会場はより一層、騒がしくなる。顔を上げて覗えば、機敏な動きで彼女がドワーフたちの間を縫い、かけられる問いや言葉を笑って躱しながら皿にひょいひょいっと食べ物を取り分けているのが見えた。
 思わず唖然としていると、彼女はドワーフ群の中から抜けてきて『はい』と食べ物が盛られた皿を一枚ビルボに手渡した。戸惑いながらそれを受け取るビルボに彼女は人好きする笑みを浮かべる。

「たぶん、まだ食べてないだろうと思ってきみの分も取ってきたよ。ーーもしかして、もう食べてたかな?」
「え…あ、いやまだだよ」
「そっか、ならよかった。彼らの食事を止めるのは無理そうだからね。こっちも腹くくって食べちゃおう。あ、一応お皿とかは割らないようにって注意はしてきたけど」
「あ、ありがとう…」

 ドワーフのことよく分からないから不安はあるけど、ガンダルフの知り合いでもあるし一応そこら辺の分別はあるんじゃないかな。そう口にして、もう一枚手にしていた皿を示し『頂いてもいい?』と聞いてくる彼女に、なんて頼もしくていい人なんだろうと思うビルボだった。彼女のおかげで少しは袋小路屋敷が蹂躙されるこの状況にダメージを受け過ぎた心も癒やされるというものである。
 しかし、ちらりと視線をやってしまった先で酒が満たされたジョッキを両手にがたいのよい仲間たちの間を通るのは不可能と判断してか、一人のドワーフが卓の上を土足でのし歩く姿が目に入る。

「…………」

 癒やされた以上の追い打ちによるビルボの心情を示すように、彼が手にしたフォークに刺さっていた野菜がぽろりと皿に落ちた。

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 18.01.22 » OP病弱主をのんびり修正中。


since 2011.10.16 ぐるっとまわって