涙で濡れたみょうじの目尻を、なるべく肌に触れないようなぞった自分の指先は少し震えていた。悟、と初めて呼ばれたその声が耳にこびりついて離れない。そう思ってから、呼ばれたのではなく呼ばせたのだと考え直して苦笑もできなかった。
声を聞きたいと思ったのはいつからか。萎えるから黙れと理不尽にも程がある事を言って突き放したのに、みょうじは本当に声を出す事なくされるがままだった。声を聞けないことに苛立ちを覚え始めた自分は本当に勝手だと思う。
ここ最近、なんとなくみょうじの様子がいつもと違った。ここに来るまでの馬鹿な行為と酷い言葉のせいでもあると思うが、なんとなく諦めたような表情で僕を見ている気がして、どうにかして繋ぎ止めたかった。ただそのやり方として今日の諸々の行為は間違っていたのは理解している。
外で男を誘惑するだとか、誰にでも抱かれるんだろうとか、そんなこと本当は思っていなかった。だけどあまりにみょうじが抵抗をしないから。
無理やり引き剥がせなくはない状況だったはずだ。僕に触れられて感じるのが癖になってしまっているのかもしれないとしても、指なんか噛めばいいし肘だの何だので殴って押し退ければいい。それなのにどうしてそれをしない?
みょうじの考えていることが分からなくて苛立った結果、思ってもないことを口にした。流石に謝るべきだがそれもできないのは自分でも馬鹿だと思う。その時の絶望したようなみょうじの顔も瞼の裏に焼き付いている。
穏やかに眠るみょうじを綺麗にして同じベッドで眠る。最初はその寝顔をぼんやりと見ていたけれど、すぐにあられもない声や艶めかしい背中を思い出して反対側を向いた。目を閉じて、みょうじが東京に来た当初のことを思い返していた。
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傑が死んだって、日常に大きく変わりはない。だって仕方のないことだった。あいつは僕の大切な生徒に手を出したから。
別に、傑がクズみたいな非術師を何人殺そうが正直言って構わなかった。気にならなかったと言えば嘘になるが、僕にとってはそんな有象無象よりも傑の方が大切だった。だけど、生徒に矛先が向くのなら話は別だ。
だってお前、言ってたじゃん。非術師が嫌いだって。非術師のために呪力を持つ人間が犠牲になるのが嫌だって言って離れていったのに、未来あるその術師の方を手にかけようとしたら駄目だろ。まあ、結局殺さないだろうなってことは勿論分かってたけど。
こんなに傑のことを理解した気でいたのに、なんなら今もその気でいるのに、現実を見てみれば何も分かってなかった。でも、それはお互い様か。傑に対して抱いていたのはただの友情じゃなかったから、だから他の誰かに処刑されるぐらいなら僕がこの手で殺すことに戸惑いも躊躇もなかった。
そもそも、傑が道を違えたあの日に殺していれば良かった。だけど追えなくて、結局は10年間も傑を知らないまま過ごすことになったから。
僕は今まで色々な選択を間違えたけど、今後は間違えない。今度こそ生徒は守るし、老害どもはいずれ引き摺り下ろす。そう思っていた矢先に、この東京校に来た同期の男。
みょうじなまえ。一級術師。京都校からの期限付きの異動。頭の中のプロファイリングはその程度の情報しか無かったが、普通ではない中途半端な時期の人事異動には正直言って、首を傾げるどころではなかった。
京都が全員保守派だとは思ってない。でも少し調べてみるとこの男は上からの評価も高くて、それはつまりそういうことだろう。もともと他人なんか信用しちゃいないから、別に放っておけばいいかと思っていた、けど。
「……五条が、心配で」
硝子に用があって医務室へ行けば、先にそこにいたみょうじの声。
……心配。誰が? 僕が?
「同期が死んだりするの、珍しくないけどさ。殺すなんて経験、普通の人はそう無いから」
「それに夏油は五条にとって、──特別、だっただろ」
特別。そうだよ。初めてのクラスメイト、初めての親友。何もかも傑が初めてだったから僕が終わらせた。僕にとっては傑の全部が特別だからそれは間違いないけど、なんで知ったような口をきいてんの? 誰に言われた? 何を企んでる?
いや、そんなことよりも。何も知らないお前が傑や僕を語るな。
それからは久しぶりに頭に血が昇る感覚があって、傑の代わりに慰めてみせろと言ってみょうじを犯した。傑じゃないなんてことは初めから分かっていた。むしろそうでないと困るんだ。僕にとって傑は特別だから、それ以外の特別は要らない。これに懲りて此処から、東京校から出て行ってくれたらいい。
そう思って手酷く犯して乱暴して、声を出そうものならその分だけ酷く当たってやろうと考えて。だけどみょうじは無理やり抱かれているこのレイプに近い状況にも関わらず声を発さず、終わったらみょうじは文句も何も言わずに、ただ自らの腰のあたりに反転術式を施していた。
「ごめん」
ただ一言そう言って、部屋を出ていった。
何に対する『ごめん』? 僕が言うなら分かるけど、どうして謝るのか。やっぱり後ろめたいことがあるということなのか。確かめる術もなくて、その言葉に返事をすることはなかった。