控えめに僕に話しかける声、冥さんからの電話に対応する横顔、無下限で拒絶した時の揺らいだような眼。

「──間違っても五条や五条の生徒の不利益には絶対ならないから安心して」

 そしてこの言葉で、僕が自分への警戒を解いていないと分かってなお此処に居続けるのだと知って余計にみょうじのことが分からなくなった。何故そこまでして? そう真っ直ぐに聞けばいいのにそれも出来なくてただ疑問と疑念だけを積らせる僕はいつからこんなに他人との距離とコミュニケーションに悩む人間だったのだろうか。ちくちくと心臓を刺す痛みの正体も分からない。

 みょうじの仕草や表情のどれもが頭から離れなくて、有り余る金の一部を冥さんに渡してでもその食事とやらを阻止すべきか──なんてところまで考えて、そんな必要がどこにあるのかと自問自答する。

「五条、何かあったのか?」

 硝子の言葉が鼓膜を揺らして脳に到達して漸く、「何が?」と何の答えにもならない質問を返した。硝子はため息を吐いたのでどうやら誤魔化せてはいないようだ。

「何を焦ってる?」
「………」
「お前の睨んでいる通りみょうじが何か企んでいたとして、お前なら何なく対処できるんだ。放っておけばいいだろう」
「……そうだね」

 硝子の言うことは最もで、それに納得した素振りを見せるしかなかった。

 言えるはずもない。みょうじが何故あんなに僕に献身的なのかと──有り体に言えば何故簡単に男を受け入れるのかと──思い初めてその理由を考える時、いくつか考えられるパターンの中で導き出した答えの一つはW僕のことが好きなのではないかWというもので、そのことに悩んでいることなんて。
 あり得ないと思うのに、それならばある程度合点がいくだなんて自分本位な方向性で考えては脳内で打ち消す、その繰り返し。

 その仮定を考えるとき、ふわふわと落ち着かない心地になる。最近の僕はおかしい。傑しか好きじゃないはずなのに。








 そう思うようになって数日が経った日、朝起きたら少し身体が怠かった。けれど任務をキャンセルするという選択肢はない。多少体調が悪かろうが、他の術師がやるより早く終わるから。

 そうして暫く誤魔化しながら何日か過ごしていると夜、眠りが浅くなっていくような気がした。少し熱がある。だけど人間なので風邪をひくことぐらいあり得ることだし、寝れば治るから何も問題ない。ただ薬を飲めばその回復が早いことも当然知っているので、メッセージで硝子に連絡して薬を頼んだ。数週間ぶりの完全オフだから家でゆっくりして薬を飲んで寝れば、明日には回復しているはずだ。

 ベッドに入ると熱が身体に篭るような感覚と眠気とが同時にやってきて、そのまま目を閉じる。そういえばついでに食料でも頼めば良かったなと思いながら意識を手放した。瞼の裏で思い浮かべたのは呆れたように僕を見る傑───ではなく、弱った僕を心配そうに見つめながら甲斐甲斐しく世話を焼くみょうじだった。そんなことある訳がないのに。

 どれぐらい寝たか分からないが確実に熱が上がっていることを感じながら起き上がったとき、インターフォンの音が鳴る。薬を頼んだことを思い出すまでに随分かかった。てっきり伊地知か他の補助監督辺りが持ってきてくれるものと思っていたのに、適当に返事をしてカメラに映ったその姿を見たとき、一瞬呼吸を忘れた。

 部屋に招き入れるとみょうじは躊躇いもなく僕の身体を支えて、そのままベッドまで運んでくれた。熱で頭が回らないせいなのか、それだけで思考回路がふわふわする。まるで普通の人間みたいに心配されているような感覚が妙に落ち着かなかった。

「食欲ある? 薬飲んでから寝たほうがいいけど、その前にゼリーとか食べられそう?」

 「食べる」と無意識に返事をしたことに、言ってから気付いた。みょうじがコンビニの袋からゼリーを取り出して蓋を開ける、その様子を思わずじっと見ていた。
 するとみょうじはゼリーをスプーンで掬って僕の口元に近付けた。心臓がバクバクと落ち着かなくて、だけど否定的な気持ちなんて湧かなかったからぱかりと口を開けた。少しひんやりと甘酸っぱい。色的にオレンジゼリーだろうと思うけど正直言ってあまり味が分からなかった。

「……ごめん。自分で食えるよな」

 少し俯いて顔を逸らしたみょうじの耳が少し赤くなっているような気がして、声は平静を装っているが少し戸惑っているようにも見えた。つまりは今のが無意識だったんだろうなということが窺える。みょうじの珍しい表情を見たからかさっきまでの落ち着かない気持ちは少しばかり鳴りを潜め、やや冷静になれた自分がいる。
 ゼリーとスプーンを差し出されるが、僕を見上げて心配そうな眼差しを向けられながら食べさせてもらうのは悪くなかった。──いや、悪くないというより、むしろ。

(……童貞かよ)

 理由も分からないまま心の中で自分に苦言を呈しながらも、「食べさせて」となるべく柔らかい声で言った。



 コンビニの小さいスプーンだからあまり多くは掬えなくて、だけどそれでも良かった。少しずつなら何度も所謂「あーん」をしてもらうチャンスが増える。みょうじをじっと見ながら食べているとそれに気付いているのかいないのか、少し下唇を噛んで恥ずかしそうにしているのが堪らない。……いや、なんで? 堪らないとか可笑しいだろ。僕は何を考えているんだろうか。熱のせいか? 最近してなかったから?

 僕は傑しか好きじゃない。みょうじは傑の代わり。僕の隣に並べるのは傑だけ。
 そう思いながらも自分で食べる気には一向になれずされるがままになっていると、何口目かのその指先が少しだけ揺れた気がして、さっきまでスムーズだったのにスプーンの丸みが少しだけ唇の内側に引っかかって。その違和感にみょうじを見上げると、僕を見ているのに遠くの何かを考えているような表情をしていた。

 ねえ、こっち見ろよ。誰のこと考えてるか知らないけど、その全部を僕に返せよ。今は僕のことだけ考えてればいいんじゃないの?

「今、何考えてたの」

 思いのほか低く静かな声が出て、みょうじが微かに肩を揺らしたような気がした。違う、怖がらせたいわけじゃない、ただ知りたいだけ。そう言おうとして口を開いた僕よりも先に、穏やかな声が響いた。

「なんでもないよ。五条に迷惑をかけるようなことじゃないから」

 ああ、まただ。みょうじはきっとどこかで僕のことを諦めていて、自分は僕という存在から見て不利益にならないかどうか、そして邪魔にならないかどうかが全てだと思っている。僕のせいでこうなっているのに、こんな風にもどかしくて遣る瀬ない気持ちを抱くのはお門違いだ。それは分かっていて、それでも思う。
 僕はただ、きみの考えていることが知りたいだけなのに。