結局、目覚めた時にはみょうじはいなかった。発熱を免罪符に「此処にいて」というようなことを伝えたにも関わらず。

 何でだよ。そこは僕の我儘叶えてくれないのかよ。

 子供じみたことを自分勝手に主張しているなと思うけれど、それでもその思考を抑えられない。自覚しているだけにため息も吐けなかった。




 風邪が治って復帰したと思ったらすぐにあてがわれた出張任務。伊地知は申し訳なさそうな顔をしたが、こんなことは慣れっこなので気にするなと伝えた。するとまだ具合でも悪いのかという顔で見られたのでマジビンタをするか迷ったが、それよりもみょうじに数日会えていないためかそちらに思考が偏ってしまう。

 任務はつつがなく終わって伊地知との合流地点に着く。伊地知が車の外で携帯を触っていて背後から近付く僕に気付いていないので、そのまま気配も足音も消してなんとなく携帯を覗き込んだら宛名に見えたその名前に、ついその携帯をぶんどった。

「うわっ! え、五条さん……!?」

 伊地知のその声を無視して携帯を見る。そこにはみょうじとのやり取りが引用返信で交わされていて、みょうじから送られてきたメールもすぐに遡ることができた。

『お疲れ様。五条は大丈夫? 病み上がりだから一応、様子を気にかけてもらいたくて。
 あと、俺から連絡したことは内緒にしておいて』

 飾り気なんかない、端的でシンプルなメール。だけど僕を心配しているのは明らかで心臓がむずがゆい。ついにやけそうになったのを慌てて引き締める。何故そう思ったのかは分からないが僕はどうやら、みょうじがちゃんと自分を気にかけていると知れたことに僅かな安心を覚えたらしい。伊地知の失礼な返信メールも一瞬見えたが、それはどうでもよかった。
 僕には内緒にしてくれという一文があったから、これを見たことはみょうじには言えない。これは伊地知のためじゃなくて僕のためだ。僕が盗み見たと知られるのはなんだか癪だと思ったから。
 とにもかくにも、下降していた気分が少し上昇するのを感じる。そう、ほんの少しだけだと何度も自分に言い聞かせた。胸の内なんて自分にしか分からないことなんだから、自分さえ欺ければそれが全てだ。

 高専に戻ると憂太と会った。任務の話を聞けばそこでようやく、みょうじが同行する日だったことを思い出した。みょうじが生徒と関わるタイミングをあれだけ警戒していたのにこのザマである。任務は問題なく終わって電車で帰ってきたとのことで、電車なんてここ数年乗ってないなと少し懐かしい気持ちになった。

「そういえば、みょうじ先生って恋人とかいたんでしょうか」
「……は?」

 憂太からの思いもよらない切り口に、つい不意をつかれて声が漏れる。憂太はさして気にならなかったようで、「みょうじさんと話してて里香ちゃんの話になったんですけど」と話を続けた。愛は歪んだ呪いだと言った僕の言葉をそのまま伝えたら、みょうじも頷いていたらしい。

「" 呪えない人がいる"と仰ってたので、もしかしてその、恋人を亡くされているのかもしれないと、思って」
「……そう」
「それか、片想いの人かもしれないですけど。携帯を気にしてたので」
「───……」

 片想い。携帯を気にしていた。
 憂太の声が耳の奥で何度も響く。僕はみょうじのことを何も知らない。当たり前だ。何も話してはこなかった。ただ身体を暴いて繋げるだけ。何日も抜いていなかった欲求不満と苛立ちとが重なったあの日、無理やりに抱いて奥を犯して、最低なんて言葉じゃ言い表せないあの日から今日までずっと。

 だから僕がみょうじについて分かることなんて、どこをどの角度で擦ったら気持ち良さそうかなんてことぐらいだ。それを嘆く権利は僕には無い。無いけれど。

「どっちにしても聞いちゃいけなかったかなって、……五条先生?」

 その後、憂太には適当なことを言って別れた気がするがよく覚えていない。とにかく頭の中と腹の底で黒い感情が煮えたぎって思考の邪魔をする。見知らぬ誰かを思い浮かべてみょうじがそいつに笑いかけるところを想像しては、会ったこともないその男への殺意が芽生えてしまってどうしようもなかった。

 いつもヤってる時、僕じゃなくてそいつを見てんの? 僕が心配で東京にまでわざわざ来たみたいなことを言ってたくせに。

 そう思うと同時に傑を思い浮かべ、そもそもみょうじのことを深く知る必要なんかないと思い直した。最近はこんなことばかり考えている気がする。

 みょうじを呼び出して看病の礼をどうにか伝えてご飯でも奢ると言うつもりだったのに、結局その感情を持て余したままに二人きりになったので心の底から理知的にもなれなくて。お見舞いの礼を伝えたら次は何故帰ったのかを問い詰めずにはいられなくて、そして少しの間を置いて発された言葉。

「俺に言ってると、思わなくて」

 それが僕とみょうじの距離を表しているような気がして、ぶつりと自分の中の何かが切れた。

 そうして結局みょうじに手酷いことをした。何度も僕に抱かれたせいでこうして腹を押すだけで僕を思い出す身体にされたのに大した抵抗もしないみょうじにまた苛立って、指を噛んでいいと言っても決して噛むこともなくされるがままなそのいじらしさにもまた苛ついて。

 どうしてここまでされているのにおとなしく従うのか。もしかして本当に好きな奴にはもっと我儘言ったり意見したり、イヤならちゃんと抵抗したりするのだろうか。そいつにはどんな顔を見せて、どんな声で名前を呼んで、セックスの時はどんな風に啼くんだろうか。
 WそこWにいるのは、僕じゃ駄目なのか。

「……なんで、」

 本当になんで僕は、君のことを何も知らないんだろうね。