その後、やはりすぐに決まった遠出の任務。結局4日間ほどを想定した出張に赴き、滞在先のホテルから夜蛾学長に電話をした。荷物の件も問題はない。もし家を解約した後にも東京での滞在が必要になった場合はホテルで何泊かすれば良いだけ。そうなった場合でも問題ない程度の収入は得ている。

 呪術師は命を賭ける点と勤務時間なんてあってないようなブラックぶりだがそこに目を瞑れば、生涯収入は世間一般の人間の比ではない。まあその生涯自体が短いなんていうのはおよそ笑えないブラックジョークであるが。

 東京校の生徒の能力的にもう自分が教えることはそれほどないこと、京都校の生徒の指導のために戻りたいということ。もともと期限付きの話だったこともあり、すぐに承諾された。「生徒たちからも教え方が上手く分かりやすいと評判が良かったから残念だ」と言われ、少し気恥ずかしい気持ちになった。

 もちろん仕事はきちんとこなした。とはいえ私情で此処に来て私情で戻るのだ。申し訳ない気持ちも大きくて、ただ「すみません」と言うことしかできなかった。






 遠征任務の日の朝、起きた時に感じた身体への違和感。昨夜から感じていた頭痛が長引いている。ここのところ任務を詰めていたせいもあって睡眠が思うようにとれていなかった。
 いや、根本的な原因なんか分かりきってる。夜、五条のことを考えてあまり眠れないからだ。まあひっくるめて自身の体調管理が甘い所為だと言えるけれど。

 熱っぽさは今はそこまで感じないが、ときどき咳も出る。放っておくと熱が上がるかもしれない。
 しかし出張先で他の術師と交代なんてできるわけがない。今回の呪霊は発生条件が稀だから引き継ぎも面倒だ。今日祓えればそれで終わりなのだからと、市販の風邪薬を飲んで、任務に向かった。



 結論から言うと、任務の難易度自体は大したことはなかった。ただ、フラついた時に食らった一撃が右肩を軽く抉った。油断したつもりはなかったのに情けない。それが毒だと気付いたのは、現場に被害者が居ないかを再度確認し終えて補助監督に任務完了報告をしようとした時だった。

「……血、止められるかな……」

 致命傷というほどの深さは感じないが、それでもこのまま血を流しすぎると失血死する可能性だってある。
 毒さえなければ俺の拙い反転術式でもとりあえず血を止めることはできるだろうに、感覚を麻痺させる何かしらの術式のせいで、呪力操作がうまくいかない。

 毒の回り方や体内を蝕む感覚から見て、だんだんと毒の濃度が弱まっていることは間違いない。死後も変わらず作用し続ける術式を使える呪霊なんか限られている。何も問題はない。ただ死なずに待てば毒は消え、そうすれば傷を治癒できる。

 とりあえず壁に凭れかかって座りどうにか集中しようとするものの、ズキンズキンと頭の片側が痛む。これはたぶん怪我は関係なく、元々の体調不良が招いた偏頭痛だ。本当に情けない。

 とにかく補助監督に連絡を入れようと左手でスマホを操作していると、アドレス帳に見つけたお目当ての補助監督ではないWその名前Wを見つめた。
 ……声が聞きたい。会いたい。京都にいる時はそんな大それたこと思ってなかったのに、東京に来て会える距離で過ごすとこんなにもつけあがってしまうものらしい。

 俺は元々馬鹿な上に今は頭も回らず、気付いたら無意識にその名前をタップして、通話のボタンに触れていた。

 ───何をしているんだろうか。

 我に返って瞬間的に電話を切ったが、相手側の履歴はどうだろう。残っていませんようにと無意味に祈りながら、どうにか弱まりつつある毒に抗ってほぼほぼ止血を終えた頃には、15分程度経過していた。これはさすがに補助監督を心配させている気がする。
 ただ、熱が上がったのか肌の内側から体温が上がって火照る感覚、そして怠さと眠気。それに抗えず、ついそのまま意識を手放した。



 ──誰かが自分を呼んでいる気がする。こちらからまともに連絡出来ていないがきっと補助監督だろう。それが五条の声に聞こえるのはきっと、脳裏にも鼓膜にも思い描きすぎたせいだ。
 瞼の重さに抗えない中で、誰かが直ぐそばに現れて、俺の右肩に触れた気がした。