「……24日ですか?」
『おや、もしかして恋人との予定でもあったかな?』
「いや、違いますけど……。というか、冥さんはいいんですか……?」
『クリスチャンではないからね、なんてことはない普通の日だよ。W私Wにとってはね』

 冥さんそんな会話をしたのが約2週間前だっただろうか。一年ほど前の礼をまだできていなかったから東京でディナーでも、と誘われたまでは別に良かったけれど、12月24日は流石に誰かに何かを勘繰られてもおかしくないのでまずいのではと思う。
 そうは思うのだが、シフトを見れば俺の仕事が休みであることは誰でも知られることだし、大先輩に対して嘘の予定を入れてそうばっさりとも断れない。ただの365日のうちの1日といえばまあその通りであるし、自分もクリスチャンではないので関係ないのもまた事実だった。

 そもそも先輩である人の誘いを誤魔化して断るという切り返しを最初にうまく選べなかった俺は、気付けば頷く他なかった。時間と場所を指定され、言われるがままスケジュールに入れる。腹を括って話を受け入れ、冥さんに恥をかかせるわけにもいかないのでドレスコードについて尋ねると、冥さんは『特には』と言いかけてから少し言葉を飲み込んだ。

『……いや、前に誂えたスーツがあったね。それを着ておいで』
「え、あれ絶対とんでもなく高いですよね……? 本当に汚すの怖いんですけど」
『大丈夫、ディナーだけならなんともないよ』
「……分かりました」

 冥さんが自他共に認める守銭奴であるというのは周知の事実だけど、彼女のお金を使うスケールがとんでもないことも事実だった。いつだったか、依頼された情報を渡した礼をするという名目で休日にお高いコースランチを奢ってもらった上に、俺が普段立ち寄らないハイブランドの店舗に連れて行かれてどう考えてもVIPの別室に通され、あれよあれよとオーダーメイドで仕立てられたスーツは金額を知るのも恐ろしい。

 別に俺は一般論に当て嵌めても貯金が少ない訳でも無いが、それでも庶民なので一気に大金を使うことへの緊張と迷いは当然ある。しかも想像もつかない金額のものが他人から贈られるとなれば遠慮したいのは当然だし断りたかったが、自分の趣味だと言われればそれ以上何も言えなかった。

『あぁ、それと。約束の日までに香水を贈るから、それを付けておいで』
「はい?」
『私と会うんだから当然、私の好きな香りを纏うべきだろう?』
「いや、あの、だからってこれ以上は」
『香水は服を着る前に腰に付けるといい。服の上からだと食事の妨げになる恐れがあるからね』

 その後、これ以上何かを貰うわけにはいかないと断ろうとしたが、クリスチャンじゃないと言っていたのにクリスマスプレゼントだと上機嫌に言う冥さんを論破して覆すことなどできず、すべて言いくるめられてそのまま終話するしかなかった。











 当日、待ち合わせ時間の15分前に指定のホテルに着いた。場違いだろうということは分かっているので、時々視線を感じる気がするがそちらに目を向けることも出来ずスマホを見ていた。自分の持っているものとは比べ物にならない上等なスーツを着ることと値段を知るのが恐ろしいほどの最上級のコース料理への緊張は、今後何度機会があっても毎回感じるだろうなと思う。

 程なくして黒塗りの車が止まり、冥さんがやってきた。あのハイヤーに関しては俺はもう見慣れてきたものの、周囲の通行人の視線は当然集まる。

「すまない、待たせたかな」
「お疲れ様です。俺も今着いたとこです」
「それは良かった」

 冥さんの手が俺の身体の左側へと伸ばされたので脇を開けるようにして腕を浮かせると、しなやかな腕がするりと絡んだ。パーティーに同行した時にエスコートの基本だと言われて指導されて以来、冥さんの意図を察知してこうするようにしている。俺がまったく場違いなグレードの人間であることは変わらないけど、外面だけはそれらしくなっているかもしれない。

 テーブルへと誘導され、椅子を引かれて腰を下ろす。他の客は当然ながらカップルばかりで最初は居心地の悪さを感じたが、周囲から見れば俺と冥さんもそのように見えている筈なのできっと見た目だけなら馴染めていることだろう。
 運ばれてくる料理は前菜からキラキラとした上品なプレートで何やら複雑な味がするものの、いつも何がどうという構成も味付けも分からず、ただ凄く美味しいという感想しかない。

「そういえば、五条くんのことなんだが」
「……五条、ですか?」
「あぁ。婚約の噂が立っていたが、破談になったそうだ」
「え?」
「『片想いしている人がいるから身を固めるつもりはない』と言ったらしい」
「──それは随分と……熱烈、ですね」

 優雅にワインを飲みながらそう言った冥さんに何度目かの失恋の棘が心臓を貫いたが、声にも顔にも出ていない自信はある。婚約の話が出た時、いつ誰にその手の話題を振られても平常心を保てるようにと覚悟をしてきた。

 ただ、改めて思っただけだ。五条が夏油を忘れることはないのだと。やっぱり敵わないんだなと思い知ると同時に、たとえばW知らない女と結婚してもう二度と手の届かない存在になってくれれば諦められたのにWなんて責任転嫁じみた思考を振り払わなければならないと思い直す。そう思った今日が、たまたま12月24日だっただけ。

 今後自分が五条への想いに無様に縋り付かなくて良いように。俺にとっては世間的にクリスマスであるだけで何の変哲もない今日は、五条にとっては何より最も大切な日だ。

 今日もこれから先も、俺と五条が一年で一番交わることのない日なのだから。