メインディッシュも終わりデザートが運ばれてきたタイミングで、冥さんのスマホが着信を知らせる。席を外すというジェスチャーに対し、気にしないでくださいという意図で手を上げて離席を促した。今日は珍しく食事中もスマホを少し気にしていたようだったので、術師の任務かビジネスの方かは分からないが忙しいのかもしれない。

 冥さんが席を外している間に仕事用の携帯を見れば、補助監督から明日の任務の変更連絡が来ていた。この時間というのは流石に珍しいが前日の変更自体は時々あることだ。了解の旨を返信して今週のスケジュールを確認している間に、電話を終えたらしい冥さんが戻ってきた。その後もワインを煽っていたので、今夜急な仕事が入った訳ではないらしい。

「お忙しそうですね。トラブルですか?」
「あぁ、まあね」

 冥さんが曖昧な回答をするのは割とよくあることだ。とはいえやけに楽しそうな表情だったので気にはなったが、その後別の話題にすり替わったので
特に理由を気にすることもなかった。




 ほどなくして、そろそろお開きにしようという提案に同意し、グラスに少しだけ残っていたワインを飲み干して席を立った。

「そういえば、明日は夕方から仕事だったかな?」
「あ、いえ。予定変更でオフになりました」
「フフ、そう」

 レストランを出てホテル内のエレベーターを待つ間、明日について話題を振られたのでそう答えると、冥さんは「ちょうど良かった」と言ってカードキーを差し出した。

「これは……?」
「ここのホテルのキーだよ。1,2泊する予定だったんだが少し急用が出来てね、代わりに泊まって帰るといい。良い部屋であることは保証するよ」
「……いや、そこまでしていただく訳には」
「当日キャンセルとなれば私にもマイナスが発生する。泊まらないのに金だけ支払うなんて勿体ないだろう?」
「……………ありがとう、ございます」

 絶対に一泊でとんでもない金額の部屋だからこそ冥さんの有無を言わさない声も理解してしまい、結果それを受け取ってしまう。冥さんは蕩けるような笑みを深めて俺の腰に手を回した。一般的には女性が男にする機会は少ない仕草ではあるとは思うが、この人なら何故か様になるから不思議だ。


「なまえ。良い夜に感謝するよ」
「……は」


 冥さんの顔が近付いてほんの一瞬、唇が触れた。……いや、え? 咄嗟のことに反応できず、あまりに一瞬だったので本当にされたかどうかというところだったが「口紅がついてしまったね」などと言って唇を指でなぞられたので、どうやらキスをされたのは間違いないらしい。

「……っふ、そのうち背中が爛れそうだ」
「え?」

 海外で生活している時期もあったと聞くし冥さんにとってはなんでもないコミュニケーションなのかもしれないなと思っていると、目の前のその人が笑いを噛み殺しきれないという様子でそう言った。背中、と言われて自然と冥さんの後ろに焦点が合う。

 ホテルの入口が大枠のガラス張りになっているお陰で逆光なのに、それでも視界にちらつく銀。どくりと心臓が鳴る。

「……五条……?」

 思わず声が漏れた。そんな訳がない。そう思うのに、焦点が合えば合うほどに鮮明になって確証に変わっていく。



「そう威嚇しなくても。取って食いはしないよ、五条くん」

 冥さんの口から出た名前は俺の思い描く人物と同じで戸惑う。五条、という名前の人間は一人しか知らないがそれでも信じ難かった。

 そもそも今日という日は五条にとって特別なはずだ。こんなところにいる訳がない。そう思うのに、視覚から得る情報も肌で感じる呪力も何もかもが目の前の男の輪郭をなぞるだけだ。
 冥さんが体をずらして俺の横に移動した事で五条と向かい合う体制になり、そして一瞬で腕を取られて引かれる。呆けていたせいか踏ん張る足も虚しく倒れそうになりぐらりと身体が傾くが、しかし誰かに抱き止められるようにして転倒を免れた。誰か、なんて一人しかいない。

「冥さん、約束が違うんだけど」
「まだきみのモノじゃないんだ。キスの一つや二つぐらいどうってことはないだろう?」
「……ハァ」

 五条の深いため息が耳をくすぐるような気がして背中が強張った。俺は完全に置いて行かれているが二人に取ってはおそらくそうじゃないんだろうという会話。それは分かるものの、どうにも頭が回らない。どうしてここにいるんだ。今日だけは明け渡しちゃだめな日だろう。


「おい、」
「これからモノにする予定。だから今後はやめてよ」


 俺の言葉を遮るように被せられたその言葉で幕引きだと言わんばかりに、五条は俺の腕を引いて歩き出した。高層階用のエレベーターは誰もいなくて、おそらく予約していた部屋があるのだろうというフロアに着いて長い廊下を歩いていても誰ともすれ違わない。

 五条はただでさえ目立つ容姿なのでそれ自体は助かったが気まずさは助長され、沈黙に耐えかねて一度だけその背中へと名前を投げかけてみたものの、こちらを振り向くことはなく「ごめん」と言われてしまってそれきりだったので、追って何かを言うことはできなかった。