その後、冥さんに交渉してかなりの額を提示したにも関わらず「クリスマスディナーの約束を反故にはできない」とか何とか言われた時には、厄介な人間を引っ掛けたみょうじに少々恨み言を言いたくなった。とにかく金にしか価値を見出さない守銭奴の筈なのに、いくら今後もみょうじとの良好な付き合いによって得られる利益が必要だといっても、目先の金よりもみょうじとの時間を優先されるなんて思ってもみなかったから。

 その後の時間を買い取ったが油断できなくて早めにホテルへと向かえば、僕に見せつけるようにみょうじにキスをされてそれはもう腑が煮えくり返った。みょうじが直線上に居なければ危うく冥さんに術式を構えるところだったかもしれない。おそらくそれも全てお見通しなのだろう。

 感じた焦り、苛立ち、あとはどうしようもなく心臓を掴まれるような何か。「モノにする」なんて威張ったことを言ったけれど、それは自分自身に対しての言葉でもあった。



 みょうじのことを考えるといつも感じるのは幸福感や甘さじゃなくて、苦しくて切なくて、焦がれるような何かだった。こんな醜い感情は愛じゃない。だからみょうじを愛してなんかいない。そう思うのに、何故か会いたくて仕方ない。それを確かめるために、僕にとって特別な今日という日──12月24日に、みょうじの顔が見たかった。

 会って2人きりになってしまえばもともと感じていた苦しさ以上に、そして身体を求める欲以上に、抱きしめてキスをしてただ触れたいという衝動に駆られる。そして愛が何か分かっていないくせにみょうじから愛されたいという都合の良い感情ばかりが残って、もう認めざるを得なかった。

「……もう二度と会いたくないぐらい嫌だったら、術式使ってでも突き飛ばして」

 ゆっくりとみょうじを抱き寄せた自分の腕は少し震えていたかもしれない。拒絶されたら割と本気で暫く立ち直れないだろうし、そもそもあの日言われた『嫌い』は堪えた。マイナスな感情を向けられることには慣れているはずなのに。
 それでも賭けに出たのはなんとかして手に入れたかったからで、あの日の『嫌い』がどうしても僕に真っ直ぐに向けられたものではないような気がしたからだった。

 みょうじはお人好しだ。僕から見たみょうじはそうだった。……だけど、本当に?

 僕に優しくしてくれたのは、その他大勢にも平等に与えられる慈悲ではなかったかもしれない。もっと単純で繊細な、みょうじの感情ひとつから来るものだったら。









「嫌いに、なりたかった」

 沈黙が永遠に感じられた頃。時間にしてみればほんの数秒だったと思うが、とにかく僕にとっては長すぎる空白を経てみょうじの声がすぐそばで響く。抱き締めているのだから当たり前だ。だけど僕を振り解かないままにみょうじが話しているのが堪らなかった。
 「うん」と相槌を打てばまた少し流れる沈黙。だけど今のそれは僕らの間に必要な余白である気がした。

「全部夢だと思って、五条とのことは全部忘れた方がいいって、分かってたのに」

「……東京への異動も、体調とか心配したのも全部」

「五条のことがずっと、すきだった、から、───」

 その後も何か言葉を積み上げてくれていたかもしれない。だけどもう我慢できなくて、言葉を遮って唇を塞いで。好きという言葉も相まって触れたら欲が止まらなくてつい舌を入れれば、抱き寄せた腰が震えて余計に煽られた。

「……ッん、ぁ」

 鼻に抜けるみょうじの声が、酸素を求めて開いた口から零れる吐息が耳を焼く。息苦しさはあれど気持ちよさを感じていると分かるその声に、脳が溶けるんじゃないかってぐらいには思考が茹だる心地だった。心臓は痛くて煩くて頭はぼーっとして、ああこれが、そうか。恋や愛はきらきらとした爽やかで幸せなものばかりじゃなくて、時に己の全部を持っていかれるような麻薬みたいなものらしい。

「……なに、して」
「好き。みょうじのことが好き」
「うそだ。だって」
「嘘じゃない」
「……っ」

 みょうじの瞳が揺れる。僕のことが好きだと言ってくれたのに、僕が言った「好き」は信じられない。これこそがみょうじを傷付けた代償だと思った。
 だけどそれで諦められるような聞き分けの良い人間なら、嫌いだとはっきり告げられた相手に会いに行くなんていう相手にとってはた迷惑なことはしていない。身体を離してその目を見て、もう一度「好き」と言った。

「信じられないのは僕のせいだって分かってる」
「………」
「でも今だけ、……信じて、ほしい」

 段々と羞恥に引き摺られて声が小さくなったけど、それでも最後まではっきりとそう言った。目元を赤くしたみょうじが少し距離を取ったことで表情がよく見えるようになった。気まずい気持ちとこちらの真意を探ろうとしているんだろうなという心情が見て取れる。控えめに警戒する猫みたいにも見えるけれど、その眼は期待に濡れているように見えるのは僕の欲目だろうか。

 冬の夜は長い。過去に酷いことをした分さすがに今日は、これ以上は、ちゃんと我慢しようと思っているのに。僕を欲しがるようなその表情を前にこくりと喉が鳴ったことはどうか気付かないでいてくれと、抑えきれない欲情を前に無意味なことを思いながら、もう一度その唇に噛みついた。