冬が寒くて良かったなんてことを綴る歌があるほどに、冬はいつもより更に世のカップルが身を寄せ合っている気がする。それについて思うところは特にないが確かに肌で感じる暖を取りたくなるほどの風の冷たさは、五条に好きだと言われて抱かれたあの日から「恋人になって欲しい」と何度か言われているが誤魔化し続けるという、そんな生活を始めて1ヶ月が過ぎたことを嫌でも痛感させる。

 あの日の翌朝、俺の体に残されたキスマークを五条がやたら名残惜しそうになぞるので、その場ですぐに治すのも憚られて反転術式を使わずそのままにしておいたが、流石にその痕も消えた。以来、五条からの電話に対応することも京都に立ち寄った五条と少し会って話をすることもあるが、ただ口説くような言葉をかけられるだけで触れられることは無かった。

 五条のことを信じていないわけじゃない。二人で話す時は何の躊躇いもなく晒されるあの蒼が、何もかもを見透かすことが出来そうなあの眼が俺へと視線をそそぐ時、どこか俺の本音を探るように頼りないものに感じるのはきっと気のせいではないから。ただ瞼の裏に五条の隣に並び立つはずだった男がちらついてしまうのは、俺の駄目なところだろう。
 そもそもこの生産性のない関係に簡単に頷けるほど俺も五条も子どもじゃないはずで、特に五条は一度婚約を断った程度ではどうにもならないくらい、これからも縁談だの見合い話だのという話題に事欠かないだろう存在だ。

 そして、それらの理由は嘘ではないけれど自分の中で燻っているのはそんな物理的で第三者が関わるような障害ではないことは、流石に分かっている。五条もそれを分かっていて、俺に根気強く声をかけるんだろう。

 呪術師の一生なんていつ途切れるか分からないものだ。先のことを考えるより今を取るべきだとこの世の誰もが思っている。もちろん教え子達には長生きして欲しいと願っているしその為に鍛えているけど、実現できる人間はそう存在しない。だから遠い未来に思いを馳せるような悠長なことはしていられない。

 それでも俺がその手を取れないのは、この気持ちが呪いのように恐ろしいものに思えるからだ。愛は崇高なものとは思ってないがそれでも、こんなどうしようもなく重いものを五条に預ける勇気が湧かなかった。五条が俺を想うより俺から五条へのそれは随分と重くて大きくて抱えていられないようなものである気がして、それをいつか拒絶されるなら実らせたくない。

 それからいつか、『夏油傑ではない』ことに五条が後悔したら。『夏油傑のように』なってほしいと言われたら。いつかもう一度『夏油傑として』五条に触れられたら、今度こそきっと醜くて仕方ない呪いの端っこが五条悟を穢してしまいそうだと思った。

 今までは全部俺の一方的な気持ちだったから良かったものの一度でも叶ってしまえば、俺に対する五条の興味が失せる瞬間を見ることが恐ろしくなってしまうだろうから。








「……、……なまえ?」
「っあ、……ごめん、ぼーっとしてた」

 久々の東京出張で五条の家に泊まらせてもらうことになって、二人で座っても余裕があるソファに座って取り留めのない話をしていたところだった。考えすぎて少し意識が飛んでしまっていたらしい。話の続きを促せば五条は少し難しい顔をして、それからじっと俺を見た。いつ見ても綺麗なその宝石みたいな瞳に自分が映っているのは不思議な感じがする。

「好きだよ」

 もう何度もその言葉を貰っているのに、心臓が悲鳴を上げた。何度捧げられても断っているのに、どうしてそう言ってくれるんだろうか? 愛想を尽かされたっておかしくない。それほど煮え切らない態度を取っているのは自覚しているのに。

「……なんで諦めないんだよって思ってる?」

 五条は苦く笑いながらそう言った。図星なのでなんとも言えない気まずさを感じていると、なんとなくソファに置いていた俺の手に五条の手が重ねられた。

「今から、クソみたいな僕の行いは棚に上げて言うんだけど」
「うん……?」
「なまえを初めて抱いた男のことが、殺したいぐらい羨ましいんだよね」

 穏やかな声とは裏腹に物騒な言葉が綴られて思わず目を見開いたが、それに構わず五条は続ける。

「今まで何回もなまえと飲んで、酔っ払ったとこ何回も見てきた歌姫とか、なまえのこと学生時代から知ってる身近な人とかも羨ましいし」

「僕が全然会えない時には京都の生徒がなまえのそばにいるだけでもイライラするし」

「なまえのこと着飾って自分のパートナーみたいに連れ回した冥さんとかは論外だよね。キスのことも根に持ってるからなまえといるの見ると殺意しか湧かないしマジで近付けたくない。まあ、仕事上しょうがない時があるのは理解してるんだけど」

「……まだ足りないか。あとは何て言えば信じてくれる?」

 五条から綴られる言葉の数々は、口調は淡々としていて普段と何ら変わりない筈なのに、底知れない深さと重さが端々に聴こえて少し思考が停止した。目を細めた五条は少しだけ苦しそうで、そのくせ心底愛おしそうに俺を見ている。



 同じなのだろうか。誰かの代わりになってでもその眼に写りたかった俺と、同じような重さで俺を欲しがってくれるのだろうか。この短い一生では抱えきれないほど五条の愛に飢えている俺と同じように、五条が欲を抱いてくれているなら。俺を求めるならせめて俺が死ぬまでは、隣に居てくれるだろうか。

「俺は、……」
「うん」

 五条の大きな手が俺の目尻をなぞって、やがて親指が唇に触れた。熱が伝染するような心地があって、自然と目線が上を向く。

 この想いは呪いだ。伝えてしまえば、そして五条が俺を受け入れてしまえば、偉人が謳った月が綺麗だなんて詩的な言葉では喩えられやしないほどに濁っている劣情。

 五条が俺を見下ろしているその眼は綺麗なままで、俺がそれを汚してしまうような気さえしながらもそのしなやかな首に腕を絡めて引き寄せ、自分から抱きついた。ほんの数秒、服越しの体温。いつまでも嗅ぎ慣れない五条の匂いに肺を満たされながら、ささやかなこの触れ合いは麻薬のように心地いいのに、どうしてか自然と俺の瞳に水の膜を張った。

「俺、五条が思ってるより欲張りだよ」
「……あんまり思ったことないね」
「……今までは、夏油の代わりでも良かった」

 五条が少し息を呑んだ気配がした。俺の背中に触れていた手に力が込められた気もする。きっと驚いてはいない。ただ少し何か遣る瀬無いことがあるのかもしれないが、別に五条が責任ばかり感じる必要はない。
 夏油の代わりということは、それも五条にとって唯一無二の特別だということだから。男同士で家柄もかけ離れている俺が五条とどうにかなれる筈もないし、そもそも五条以外の呪術師なんていつ死ぬか分からないんだから、後から思えば好きな人に触れられる奇跡みたいなことがこの身に起こっただけで本望だった。少なくともそう思い込めば、切ないとか虚しいなんて感情が生まれたとしてもやり過ごせたし、それで良かったのに。

「今はW俺Wを見てくれないと嫌だって思う」
「……うん」
「五条のせいで、自分が弱くなる気がして、それが嫌だ」
「………」
「夏油はもっと強くて格好良かったし、もしいつか比べられるなら今、離れたい」

 そこまで言えば五条は少し沈黙して、そしてすぐに「ごめん」と言った。


「それでも僕が諦められないから、逃してあげられない」


「……俺に選択肢が無いんだけど」
「今更気付いたの?」

 あまりにも融通が利かない頑固な今の俺は面倒だろうに、五条なら俺を必死で口説くよりも他の女や男を探す方が早いだろうに。はっきりとそう言い切った目の前の男に色々な感情が入り混じって、少し笑ってしまった。死ぬ以外の方法で五条から本気で逃げ切れる人間なんてきっとこの世に存在しないし、なんなら死んでも五条の手に掛かれば呪霊としてそばに置かれる事すら出来そうだ。俺を殺す事は容易いだろうが五条は今の俺と居たいらしい。

 俺のこの気持ちは、愛なんていう綺麗なものじゃない。それじゃあ、五条の俺への気持ちはどうだろうか。

「僕のこと好きじゃなくてもいいから、僕のものになって、誰のものにもならないで」
「……最強さまは自分勝手なこと言うんだな」
「僕なんかに優しくしたのが運の尽きだから。大人しく捕まってよ」

 傲慢な言葉だと思うのにどこか絆されたくなるように聞こえるのは、五条からの言葉だという欲目だろうか。きっと俺が五条のことが今でも好きだということを分かりながら、俺が頷きやすいように言葉を探しているんだろう。俺がおとなしく「分かった」と一言言えば多分、俺たちは恋人同士になる。けれど俺は、同じことを──身体だけ重ねたあの日々を──繰り返したくは無かった。他の誰でも無い五条の特別になりたいと思ってしまったから。

「……分かった」
「え……?」
「誰のものにもならないかはまだ約束できないけど、五条と一緒にいる」

 そう言った瞬間にがばりと体が離され、五条がとても驚いた顔で俺の目を見た。肩に添えられた手は少し震えている気がする。その双眸は期待に満ちていながらも少し揺れていて、俺の言葉の意味を測りかねているんだろうということは想像がついた。

 唯一無二。俺にとっての五条は最初からそれだった。特に何も考えずただ適当に生きて適当に死ぬんだろうなと思っていた自分の世界に、初めて鮮烈な蒼が射した。あの日からずっと囚われたままの心を預けるには、世の誰もが言葉にしている「好き」という感情じゃきっと足りないから。

「俺が死ぬまでずっと、五条のことだけ呪っててあげる」
「……めちゃくちゃ熱烈なプロポーズに聞こえるんだけど」
「五条が俺のこと好きじゃなくなったら、呪い殺してよ」

 俺がそう言うと、五条はくしゃりと切なそうに顔を歪めて「呪い合いで僕に勝てると思ってんの」なんて少し震えた声で言いながら俺の唇を塞いだ。

 愛は至上の呪いなのだから、きっと俺たちには指輪より似合いの枷に違いない。



愛してなんかいないから