無力なかけひきの千冬視点








 アイツをただの幼馴染以上の存在として見るようになったのは、いつの頃だったか。
 小学生の時に初めて泊まりに行って一緒の布団に寝ていたら、寝ぼけて服の裾をいじらしく掴まれた時かもしれない。中学の時に喧嘩で怪我をして帰ってきたオレを部屋に連れて行ってテキパキと手当てをして「あんまり無理すんなよ」と眉を下げて笑ってくれた時かもしれない。

 だけど好きだと自覚した日は思い出せる。向かい合って飯を食って、オレがいつも通り場地さんの話をしていたとき。くすりと優しい笑みをもってして、ナマエがテーブルに肘をついて顎を手で支えて、どこか学生時代を思い出させるような幼さとともに上目遣いを寄越して言った。

「『場地さん』、本当に格好いい人なんだな」

 いつもなら、他の誰かなら。そうだろカッケーだろ、とすぐにでも自慢げに返すところだ。だけどオレがそのとき瞬間的に思ったのは、「場地さんみたいな人がいいのか?」「オレがいんのに、場地さんのこと考えてんの?」だった。自分からあれだけ場地さんのことを話しておいて流石にこの感想は無いぞと今でも思う。

 普通に考えて、オレがあまりにも場地さんのことを話すから堪らずそう言ってくれたんだろう。同調と共感。会話する中でそんなのはよくあること。そう分かっているはずなのにオレはどうしてかそもやもやしてしまって、その時にふと自分の中にある独占欲を自覚した。

 気付いてから転げ落ちるまでは早かった。何せ、ナマエはたぶん他の誰よりもオレを優先してくれていた。それが幼馴染という付き合いの長さからくるものでも、恋愛と真反対の感情である友愛からくるものであっても。好きな人が自分を特別扱いしてくれるなんて、そんなもの浮かれない方がおかしい。



 一度だけ店に来てくれた時はアポ無しだったから本当にびっくりした。その日は場地さんは休みだったから出勤していた一虎くんがナマエに話しかけて、勝手に自己紹介をして名前なんかを聞いていた。すぐ間に割って入ったけど。

 ナマエは首元のタトゥーなんかがいかつい一虎くんにも、笑顔で礼儀正しく対応していた。「いつも千冬がお世話になってます」なんて冗談混じりに笑っていて、なんだか嫁みたいだと思った。主人がお世話になってます的な。まだ結婚してないどころか付き合っても無いし、そもそも一虎くんの世話をしてることの方が多いけど。

 一虎くんはやっぱりというかなんというか、オレにナマエのことを色々聞いてきた。オレのダチだということと自分にも変わらない態度だったことから単純に興味を持ったんだろうが、オレは面白くなかった。

「ナマエはオレのなんで、興味持つのやめてください」
「友達だろ? オレも友達んなってもいーじゃん。普通に紹介しろよ」
「………、……で、」
「あ?」
「今は友達ですけど、最終的には恋人になる予定なんで! ちょっかいかけるのやめてください!」

 思わず叫んだオレに対するその時の一虎くんの間抜け面はまあ傑作だったけど、その後は散々揶揄われた。そして次にオレが場地さんと会った時にはもう、「オウ、こないだ千冬の嫁が店来てたんだって? オレも挨拶したかったわ」という話になっていた。とりあえず、うちの店の報連相は伝言ゲーム以下らしいことが判明した。



 付き合いたい。恋人になりたい。ハグとかキスとかしてお互いの家とか行き来して、誰にも邪魔されずにイチャイチャしたい。
 とはいえ幼馴染だし親友だし、何より男同士。友達だと思ってた男が実は自分への恋愛感情拗らせててあわやケツ狙ってるとか、そんなことナマエが知ったら付き合うどころか絶交されるまである。

 結局オレにできることと言えば、週1回くらいのペースで飲みに誘って会話の中でそれとなくナマエの仕事のことを聞き出して、彼女ができていないかチェックすることぐらいだった。
 以前ストレートに聞いた時には「俺モテないから」と笑ってたけど絶対に嘘だ。まあ彼女がいるだろうと思われていて狙われない、みたいなことはあるかもしれない。それぐらい、恋人がいそうだと感じさせる雰囲気。きっと恋人に優しいんだろうと思わせる穏やかで優しい性格。──それを、いつかオレだけに向けてくれたら。



 そんなことを思い始めてどれぐらい経っただろうか。オレはもう我慢の限界が近かったので、いよいよ当たって砕けてみようと思い始めた。
 いや、それは言い過ぎた。正直言って砕けたくないので、もし告白して引かれたら酔っ払っていたことにできるような、そんな逃げ道のある状態で告白しようと思った。卑怯だとは思うけど、だって好きなのだ。友達の距離感がもどかしいのは確かだけど、友達ですら居られない光景は想像しただけで辛かった。

 そんな情けないオレの計画としてはこうだ。飲み会でそこそこに飲んで酔っ払って、その勢いで言う。もし結果が駄目だったら、気まずくならないように次の日に「酔っていて覚えてない」と言えばいい。

 そう決意してからも何度目かの飲み会を経たが、結果としては惨敗だった。オレは一向に実行できないままにサシ飲みが終わる。特攻を任される一番隊の副隊長が聞いて呆れる。
 言い訳として理由を述べるなら、告白しようと思って意を決してナマエを見たら、酒を飲んで血色が良くなった唇やとろりとした眼が視界に入って、可愛いやら触りたいやらで心臓がどくどくと落ち着かず、そうするとひとまずどうにか落ち着きたくてついハイペースで酒を煽ってしまい、その結果告白どころではなくなってしまう。その繰り返しだ。間抜けだと自分でも思うのでもう何も言わないで欲しい。

 ペットショップのメンバー3人で宅飲みをした時にそれを相談すれば、一虎くんには「ヘタレ」と一蹴され、場地さんには「まだまだ先は長そうだなァ」と笑われた。
 この相談会も数えきれないほど行われるようになるといよいよオレも遠慮せずに言いたいことを言うようになって、ナマエに告白したい、付き合えるとかなんとかはいっそ置いといてオレの気持ちを知って欲しい、とうだうだ話すようになった。その度に「だからさっさと本人に言えよ」と元も子もないことを言われ、呆れたように笑われた。

「つーかナマエだっけ? カッケーんだろ? さっさと告んねぇと誰かに取られんじゃねえの」
「カッコイイっつーか美人系? まあ、普通にモテそうだよな。爽やかだし優しそうだし」
「……分かってます……」

 そう、分かっている。あいつのカッコイイとこも優しいとこも可愛いとこも誰よりも知ってるつもりだし、誰かに先を越されてからじゃ遅いってことも分かってる。だけど失敗したくないし、何より困らせたくないのだ。なら墓まで持っていけばいいという話なんだろうが、生憎とそんないじらしさばかりをこの身に固めて生きてはいない。つまりはそれも全部言い訳に過ぎない。
 欲しいものは欲しい。この気持ちも揺るがない本物なのだから、手を伸ばさなきゃどうしようもない。

「ま、告白成功したら教えろよ」
「そーだなァ。千冬の嫁ならオレらも挨拶しなきゃなんねえから」
「……考えておきます」

 そう返事はしたものの、出来れば会わせたくない。だってナマエがオレの前でオレ以外を見るのは、落ち着かないから。


▽▲▽▲▽


「──だって千冬の友達でしょう?」

 そんな声で意識が浮上する。ナマエだ。オレがその声を間違えるはずはない。名前を呼ばれたのは嬉しいけど、だけどなんで、ナマエが他の誰かと話してんの。
 なかなか手繰り寄せられない記憶と持ち上がらない瞼をどうにか叩き起こそうとしていると、続いて聞こえた言葉。

「場地さんてカッコいいですね」

 ───は?
 脳内ではとびきり低い声でそう言ってしまった。声に出ていたらナマエを怖がらせるところだったかもしれない。いやそれにしても、今絶対にナマエは場地さんと話している様子だったよな。

 なんで場地さん? なんでナマエが場地さんといんの? ていうかいつ場地さんと知り合った?
 できれば会わせたくなかったし、会わせるとしたら付き合ってから恋人を紹介する形で合わせたかったのに。

 ていうかかっこいいって何だよ。いや、オレが場地さんのこと話してたせいだと思うんだけど、緊張して何話せばいいか分からなくなったら場地さんの話ばっかりしてたかもしれないって自覚はあるけど。
 だとしてもオレ、かっこいいとか言われたことないんだけど。いやまあ昔から付き合いのある幼馴染に面と向かって言う機会とかないし、だけどそれでもさ、言われたいじゃん。好きな人にかっこいいって思われたいのは普通のことだよな?

 いや違う。そもそもなんで場地さんがいるんだっけ? 此処はどこなんだっけ。そこの記憶が曖昧だ。オレは今日ナマエと飲んでて、そう、絶対に2人だけだったはず。ああ夢か、と納得はしたものの、たとえ夢でもこの状況に異議を唱えたいのは変わらない。

「千冬がずっと貴方の話するの、なんか分かるなぁと思って」

 その声が聞こえた頃にようやく目を開けることができて、そしたら目の前にナマエの頸があった。自分はベッドに寝転んでいて、そのベッドにもたれるようにしてナマエが座っているんだってことはなんとなく分かった。

 白くて細い首。触りたい。キスマークなんか付けたら映えそうだ。そこに噛み付いたりしたらどんな顔すんだろ。
 思わず唇を寄せてしまいたくなってから、まだただの友達であることを思い出した。夢でもダメだろ。
 だけど触れないなんてのは無理で、俺は気付いたらナマエの首に抱きついていた。

「! 千冬? ……起きたの?」

 柔らかくも驚いたような声でナマエが反応し、オレの名前を呼んでくれる。首に回した腕なんか簡単に振り解けるはずなのに、オレの好きにさせてくれる。すう、と息を吸い込んだら、アルコールとつまみの匂いが漂うこの部屋の中で、たしかにナマエのいつも付けている香水の匂いがして肺が満たされた。オレは変態なのかもしれない。

「やっと起きたか。千冬ぅ、オマエ飲み過ぎんじゃねーよ。ナマエに礼言っとけよ」
「……なんでナマエ、おれとのんでたのに、ばじさんがいるんすか」
「オマエが潰れたから運んでくれたんだろが」

 なるほど夢にしてはリアルだけど、だとしてもどうりで眠るまでの記憶がないわけだ。例によって告白をしようとして緊張して、酒を飲み過ぎたんだろう。我ながら呂律も怪しいし情けない。
 だけど仕方ないじゃないか。どうしても好きと言いたいのだ。他の誰かに言われる前に、盗られる前に。

「いくらばじさんでも、ナマエは、だめ」
「とらねーよ」
「ナマエはおれの、なんですからね」
「知ってるわ」
「おれ、いつこくるか、タイミングみはからってんすよ」
「さっさと告れや。つーか、好きならタイミングとか考える必要なくねぇ?」

 なあ? と場地さんが同意を求めた相手は、いまオレが首に抱きついているそいつで。あれ、そういえばナマエの香水の匂いがするし、というかオレはさっきから、誰に抱きついてんだっけ。
 いや、夢って匂いとかそういうの、感じるか?

「あ? 千冬やっと起きたのかよ。つーかナマエ、それ首絞まってねーの?」

 一虎くんの声がして、今度こそ意識が覚醒する。……は? ナマエ?

 腕の力を緩めた瞬間そいつは立ち上がり、「そろそろお暇します」といつになく急いた声で言った。ナマエの声。今離れていったのはナマエの匂い。え、まさかこれ、夢じゃないのか?

 改めてナマエを後ろから抱きしめていたという事実を思い起こし、顔から火が出るかと思うほど恥ずかしさでいっぱいだったオレは、一虎くんあたりと何かを話しているナマエの声も何も耳に入ってこず、慌ただしく出て行ったナマエとそれを見送ろうとする場地さんとがこの部屋からいなくなってもまだ、混乱する頭をうまく回せないでいた。





「え、あの、場地さん一虎くん、今のってナマエですか」
「あン? そーだよ」
「オマエの大好きなダチのナマエだな」
「……オレ今、ナマエの前で何言いました?」
「告るタイミングかんがえてっからナマエを取るなって」
「………」

 場地さんが戻ってきて、オレはようやく此処が場地さんの家だと気付いた。正座して非礼を詫びる気持ちとともに、今にも叫び出したい衝動を抑え込んで恐る恐る2人に問いかけると、やはりというかなんというか、やらかしたの一言で終わらせられないぐらいの事態だった。

「ほんっっとにすみません、あのオレ、ほんとに酔ってて、あと寝ぼけてて」
「ほんとにな。どんだけ飲んだんだよ」
「まァ、飲み過ぎには気をつけろよ」

 2人は何でもないように笑って答えてまた缶ビールを煽る。あ、この人達も相当酔ってんな。
 って、いや違う、そうじゃなくて。

「……〜〜〜!!」

 正座したまま前に倒れ込む。土下座するような体勢になって悶絶するのを無言で堪える。どーすんだこれ。これからどーすんだよオレ……! 誤魔化すにしたって無理があるし、好きってだけなら友達としてだなんて逃げることもできそうなもんだけど、告白は駄目だろ。そういう意味にしか捉えられねえじゃん。しかも場地さんにあげない的な話もした気がする。ナマエからしたら、いつオレのもんになったんだよって話だ。

 無理。もう無理。明日から生きていく方法が分からない。ナマエに軽蔑されたら死ぬ。軽蔑とまでいかなくても、距離置かれたら死ぬ。とりあえず次に飲み会に誘ったとして、たとえ本当に予定があったとしても断られたら深読みして泣く。そもそも連絡して返って来なかったらどうしよう。もうなんかそれ想像しただけで泣きそう。

「まぁ元気だせよ千冬、ナマエにちゃんと言っといてやったからよ!」
「えっ、な、何をですか……?」
「お前がずっと告りてぇって言ってるから、そん時は聞いてやってくれって」
「ぶっ、ゲホッ」
「………」
「っふ、くく、腹痛ぇ……」

 明るい笑顔でそんなことを言った酔っ払いの場地さんにオレは更に頭を抱える。まだ告白できてないのに、告白したがっていることが既に第三者からも伝わってしまっている。詰んだ。
 チューハイを吹き出しそうになった一虎くんは口元を拭きながら笑ってる。場地さんほど酔ってはいないようで、ニヤニヤと面白がる笑みは絶えない。

「まあ落ち着けよ」
「これが落ち着いていられますか……」

 ちびちびと缶チューハイに口をつけながら、一虎くんはなおも笑っている。ほんと他人事だと思って!

「そういやナマエって、酒飲んでもそんな顔に出ねえの?」
「は? あー、まあ……結構飲んでも、ちょっとだけ赤くなるかなってぐらいですね」
「ふーん?」

 一虎くんは興味があるのかないのかよく分からない返事を返した。ナマエに興味持ってほしくないから全然いいけど。
 ナマエは酔ってもあんまり顔とか赤くならないからそもそも酔ってるかどうかがパッと見わかりにくいけど、飲む量に比例して声は甘くなるし、笑顔がふわふわするし、目が少し潤んでとろんとする。それがまたなんか逆にエロいんだよな。絶対誰にも言わないけど。

「じゃあ今日、相当飲んだんだなァ」
「……え?」
「だって帰る時、顔真っ赤だったし?」

 一虎くんが二割増でニヤニヤしながら、ずいぶん白々しい声でオレに言う。オレはといえば、一虎くんの言わんとしていることが分かってしまってぽかんと口を開けた。オレの方からは見えなかったから分からない。どうせ揶揄われているだけだろうと、期待なんかしても辛くなるだけだろうと、そう思うのに。

 もし本当だったとしたら、どういう気持ちで聞いたのだろうか。今、どんなことを考えてんだろうか。オレのこと考えてくれてたりするんだろうか?
 今すぐ電話したい気持ちを抑えて、財布と携帯を持って上着を着る。

「っちょっ、と、オレ、ナマエのとこ行ってきます!」
「おー、気ィつけてな」
「今度はちゃんとW嫁W、紹介しろよ」

 ナマエの家はここからそう遠くない。とはいえ時間はずいぶん経ってるし追いつくことはないだろうが、家へ直接行けば会えるんだから問題ない。インターホンを押したら出てくれるだろうか。家の前で電話をかけて顔が見たいと言えば、あいつは優しいからきっと拒めない。

 どうして今まで思いつかなかったんだろうか。当たって砕けろなんていう前に、押して駄目なら押し倒せばいい。もちろん心情的な話だ。
 たとえばあいつにその気がなくても、あいつは優しいのとお人好しなのとできっと、オレを無下になんかできない。それでもいい。何でもいい。どんな過程であれ絆されてくれたら、その間だけでもナマエはオレの恋人になるんだから。あとは、オレを好きになってもらえるように頑張るだけだ。

 ナマエの家の前で深呼吸をしてからインターホンを押す。カチャ、と中で鍵が開かれる音がした。

夜の繭にふたり


「あれ脈アリじゃん、つまんねー。どうせ一生千冬の片想いだと思ったのに」
「そーか?」
「は? 場地なんか気付いてたのかよ」
「あ〜……いや、そーじゃねーけどよ」

 一虎の問いかけに、少しばかり酔いの醒めた場地は言葉を探した。両想いだと思っていたわけではないが、完全な片想いではないだろうということを、この部屋で飲む前になんとなく感じていた。
 酔い潰れた千冬を預かろうとした時、名残惜しそうに離れていった指先。自分に向けられた羨望にも似た眼差し。ただの友人に向けるものにしては、そして友人の先輩(同学年だが)に向けるものにしては少し熱が篭りすぎているのではないかと、場地は野性の勘で感じ取っていたのだった。

「……まァ、とりあえず千冬が無事に告れることを祈ろーぜ」
「これでフラれたらめちゃくちゃ笑う自信あるわ」
「そん時は吐くほど飲ませりゃ大丈夫だろ」

 場地と一虎はそれぞれ軽くなったスチール缶のへりをくっつけて、一途な後輩の恋の行方が明るい方は転ぶことを祈って乾杯の真似事をした。カシャリと間の抜けた軽い音が鳴り、二人は笑った。





title by 英雄
2021.12.01