※未来if






「……冴、ちょっとの間、えっちすんの禁止、だから」
「は?」
「今日の夜も我慢して」
「……は?」

 珍しく今日と明日までオフになった午後2時。例えば国語のテストなんかは昔から億劫で登場人物の感情や著者の思考を読み取るのは確かに苦手だったが、恋人の発言に対してここまで理解が追いつかないのは久しぶりだった。





 ナマエと恋人になるまで、性行為なんてものは特にしてもしなくても良いと思っていた。自分で処理する方が効率的に発散できるわけで、誰かとする行為の必要性を感じてこなかった。相手によっては自慰よりも気持ちよさを感じられるのかもしれないが、それでも自分にとってはあくまで不要なもの。必須ではないのでわざわざ相手を探す必要もない。

 しかしナマエを好きになりその身体に触れてからは、逆にナマエとする行為でなければうまく快感を拾えなくなってきた。アウェイマッチが続く時は遠征も長くなるので2週間会えないなんてザラにあるから、そんな時は(勝手に)撮った恋人の痴態を見ながら、もしくは(勝手に)録った恋人の行為中のあられもない声を聴きながら自分で処理するが、それはそれだ。家に帰ってナマエに会えばまるで禁欲していたかのように触れたい反動が押し寄せてくる。

  つまり、恋人のせいではないとしても普段から割とコンスタントに我慢を強いられているのだが、ナマエは更に我慢をしろと言う。同じ家で生活しているのに? 来月は遠征もあり会えない期間が少し長くなるので今のうちに堪能したいと思っているのに、何故だろうか。

 気持ちよくなかったとか単純に身体的な負荷が大きいだとか、行為を拒まれる要因を考えてみるものの、欲目もあるのかもしれないがいつもナマエは自分の下で気持ちよさそうにしているし、なるべく痛みがないようにできる限り前戯で後ろを解しているつもりだ。負担がかかりすぎないように基本は1回だけ、溜まっている時でも2回までで止まるようにしているはずなのだが、それでも受け入れる側の負荷を考えれば行為の感覚を空けるべきということだろうか。なにせサッカーばかりやってきたので恋愛に対する経験値などまるでなく、ナマエが初めての恋人なので分からない。

「……気持ちよくなかったか?」

 とりあえずは探りを入れようと思い、なるべく優しい声で問いかける。さっと目元まで赤くして俯くナマエの様子から答えは分かりきっているが、早とちりは良くないと思い返事を待つと「そんなこと、ないけど」と概ね想定通りの言葉をナマエがぽつりと呟いた。

「別に身体目当てで付き合ってる訳じゃねえから、お前がしたくないなら我慢はする」
「……うん」
「けど一生抱かねぇのは無理だから、お前がしばらく俺に抱かれたくないと思った理由ぐらい知りたい」
「それ、は、……」
「ナマエ。ダメか」
「ぅ……」

 普段よりしおらしい俺のお願いを、俺に甘いナマエが断りきれないことぐらい分かっている。しかしあくまで無理強いはしない。何せこちらの欲を押し通したいわけではないがそれでも、禁欲しろという宣言を撤回させて今夜抱くことは諦めていない。このままうまく丸め込んでその気にさせてとりあえず行為にこぎつけられれば、行為中に蕩けたナマエからなら本音を聞き出すのも容易いはず。少なくとも俺を嫌っているわけではないようなのである程度押して構わないはずだ。

 しかし絆されかけてはいるものの押し黙るナマエに長期戦になる予感を察知し、コーヒーでも淹れるかと立ち上がろうとすれば、ナマエは慌てて俺の服を掴んだ。

「ごめん、……嫌いに、なんないで……」
「なるわけねぇだろ。コーヒー淹れに行くだけだ」
「……理由、ちゃんと言うから、ここにいて」
「……分かった」

 服の裾を遠慮がちに摘んで引き止めて更に上目遣いで見上げるという、B級の恋愛映画ですら今時やらないぐらいには分かりやすくあざとい仕草だが、いざ恋人にそれをされてみるとそれが案外効果的だと分かる。禁欲だと言ったくせに男を煽ることをするなと言ってやりたい気持ちすら芽生えるが、こいつは特に何も考えてはいないだろうということは分かるので一旦忘れることにした。

 ナマエはといえば自分から話すと言った割にはとにかく言いづらそうに視線をうろうろさせていて、何気ない仕草ひとつに煽られて欲を掻き立てられていた自分を律した。一体どれだけ不安な思いをさせていたのだと身構える。が、次の一言で霧散した。

「俺、あんまり魅力ないのかと、思って」

 は?
 その一音すら漏れずに呼吸を忘れる俺に「冴が優しすぎるから、」というナマエの前置きが更に呟かれる。自分を優しい人間だと思ったことがないため困惑する俺に伝えられた理由は、まさに予想の斜め上だった。

「もっと好きにしていいのに、いつも1回だけとかだし、しばらくしてなかった時でも2回とか、だし」
「………」
「あと準備とかもめちゃくちゃ丁寧にしてくれるけどそれも時間かかるから、いつか、俺とすんの面倒になって、女の子がいいって思われるかもと、思って」
「………」
「前に愛空の家で飲んだ時にそれを言っちゃって、そしたらしばらくお預けしてみればいいだろって言われて」
「あ?」
「ぅ、えっとそれで、しばらく禁止して、その間に自分で後ろ準備して柔らかくできたら、もっと俺のこと求めてくれるかもって、思った……」

 色々と言いたいことはあるがまず、あの煩悩塗れで色欲の権化と言っても過言ではない男に何を相談してんだ。確かに紛れもない女好きではあるが、だからと言って男に興味が湧かないとは限らない。あれがナマエを可愛がっているのは明白だし、ナマエがやたら懐くので調子に乗っている節もある。
 その愛空の家で飲んだ? 愛空の方はともかくお前は酒に弱いくせに? そんな話はナマエからも愛空からも聞いていない。酔ったお前に煽られてあの色欲魔がその気になって万が一のことがあったらどうするつもりだったんだ。あの男はなんだかんだ面倒見の良いタイプであるので、長男である自分と多少の共通点は見出している。ああいう男ほど、ナマエのような庇護欲を煽る無垢な眼差しにコロッと落ちたりするものだ。あれが長兄かどうかは知らないし興味もないが、同じような考え方の人間だと好みのタイプだって似たようなものかもしれないし、押しに弱いナマエは迫られたら流されるかもしれない。やっぱりさっさと同棲して囲うべきだったらしい。

 何より、「優しすぎる」「もっと好きにしていい」という評価。……つまり、俺とのセックスが物足りなかったってことか。負担ばかりを懸念していたが確かに、行為の後のナマエは少し物欲しそうな顔をしていたような気がしなくもない。ということは、満足するまで抱いてやればそもそも禁欲も必要ないし他の男の元へ相談しに行くこともなくなるということ。

「ごめん冴、あの……」
「ナマエ」
「っ、」
「言いたいことは色々あるがとりあえず、退屈させて悪かった」
「え……?」
「他の男に相談するぐらい物足りなくて、もっと激しくしてほしいから我慢させようとしたってことでいいな」
「……え、? いや、俺は、」
「禁欲なんざしなくても満足させてやれるって解るまで、ぐちゃぐちゃに可愛がってやるから」

 何か言いたげなその口を塞いで反論を全て飲み込んだ。そのままキスを繰り返せばすぐに蕩けたナマエは顔を真っ赤にしながらこくりと頷いたので、抱き上げて寝室へと歩く。まだ昼の2時、遮光カーテンの隙間から光が射しているのはナマエの顔が見えやすくて都合がいい。

 服を脱がせてその肌にキスを落としながら胸や腰を撫で、そして下を脱がせたらいつも通りローションを手に取る。痛い思いをさせたくないため解すのを疎かにするつもりはない。だからこれに関しては変えるつもりはないと言えば、普段から自分で後ろの準備を頑張るからとまた斜め上の回答が返ってきた。余計に下半身の熱が増したのは言うまでもない。

渇望のゆくえ




 冴は女にモテる。そんなのは俺でなくても知っている有名な話であり事実だ。告白なんか数え切れないほどされているし、バレンタインに届くチョコレートの数は一般の男といくつもケタが違う。いつか、いつか冴の前に綺麗な女の人が現れたら冴はそっちに夢中になったりするのだろうか。そう思うほどには自分の魅力に自信が持てなかった。
 たまには冴に、冴の思うままに求められてみたい。愛空のアドバイスを完全に鵜呑みにした訳じゃないけどそれにすら縋りたくて、例えば少し禁欲でもしてその間に頑張って後ろを解して、誘う当日には冴がシャワーを浴びている間にでもローションを仕込んですぐに欲をぶつけてもらえるようにしたりして。そうすればいつも丁寧すぎるほど丁寧に抱いてくれる冴の、見たことがない一面を見られるかもしれないと思っていた。冴に愛されているんだと思える何かが欲しかった。



「起きたか。……身体は大丈夫か」
「……おはよ。大丈夫……」
「まだ夕方だけどな」
 冴の声で意識が浮上する。声はガサガサだし腰は痛い。そのまま芋づる式に行為の記憶が蘇ってすぐに、禁欲など必要なかったと思い知らされた。
 「もう無理」と何度言っても冴が止まることはなく、涙だのなんだのでぐちゃぐちゃな俺にときどき水分補給という僅かなインターバルはくれたものの、すぐにまた奥へと入ってくる硬くて熱いモノ。「もうイきたくない」と情けなくぐずぐず泣いて情けなく懇願した記憶はもう思い出したくもないけど、「泣かれると興奮するな」と恍惚とした表情で見下ろす冴をしばらく忘れられない気がする。

 でも気持ちよかったし冴も気持ちよくなってくれていたと思うし、たまにはあれぐらい求められて激しくされるのも好きかもしれない。
 そう呑気なことを思っていた俺は、晩ご飯を食べて風呂に入ったあと、また冴にベッドに沈められて昼間と同じぐらい泣かされるはめになることをまだ知らない。




2024.4.24





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